第17話 山南の苦悩

池田屋事件後も、不逞浪士や長州の残党を掃討するために新撰組は慌しく動いていた。それからしばらくして、池田屋事件で藩士を殺された長州藩が京都に布陣した。先の八月十八日の政変や池田屋事件に対する長州勢の反撃が始まったのだ。会津藩より新撰組にも出陣命令が出され、新撰組は九条河原に宿陣していたが、御所方面から砲声が鳴り響き黒煙がたちのぼるのを目撃し、御所に向かう。京都御所にて長州と幕府軍が戦闘を始めていたのである。御所の各門で、長州軍は会津藩、薩摩藩などの各藩や新撰組によって撃ち破られ、退却した(禁門の変)。

 この戦陣に山南、沖田、藤堂の姿はなかった。池田屋で負傷した真純も、留守番を余儀なくされた。大半の隊士が出陣し、せみの鳴き声だけが響き渡る八木邸の庭で、真純は洗濯をしている。

(せみの鳴き声は、150年前も一緒なんだなぁ。)

「真純ちゃん、元気そうだね。」

 沖田がこちらに歩いてきて、縁側に腰を下ろす。

「皆さんが戦っているのに、何もしないでいるのは落ち着かなくて。沖田さん、池田屋ではご心配おかけしました。」

「僕は別に何もしてないけど。女だとばれた途端、君は山南さんの服まで洗う羽目になっちゃったの。」

「いえ、私が勝手に申し出てやっているだけです。山南さんは体調がよくないし…。」

「小姓ってそんなこともやってくれるのかぁ。だったら、僕の小姓になってもらえばよかったなぁ。山南さん、体調が悪い振りしているだけなんじゃない。」

「そんなことないですよ!それより、沖田さんこそ具合はどうですか?池田屋で倒れたって…」

「あんなのただの貧血さ。」

 今の沖田は涼しそうな顔をしているが、病弱な美青年というイメージがある真純にはいつ発病するか気が気でない。

「何、僕に見とれてる?」

 どうやら無意識に沖田の顔色を調べてしまったらしい。

「いえ、す、すみません…。あの、沖田さん。私と初めて会った時、どうして私を隊士募集に引き入れたのですか。」

「うーん…どうしてだろうね。変な身なりをした君を連れて行って、土方さんを困らせてやりたかったのかな。だけど、1つ言えるのは、君が僕たちの敵ではないってこと、それだけはすぐわかった。」

 沖田の言葉に真純はほっとする。その時、八木家の子どもが友達と一緒にかけ寄ってきた。笑顔で子ども達と話している沖田を見ると、新撰組一の剣客と言われている事を忘れてしまう。沖田がこの若さで早死にするのを、できることなら阻止したいと真純は思う。

「よし、じゃぁやるか。」

 子ども達に促されて沖田が立ち上がる。

「君もいろいろと大変だね。まぁ、ほどほどに。」

 沖田は子ども達と遊びに行ってしまった。沖田がずっと元気に駆け回っていてくれたらと思う。彼が病に倒れるという歴史は間違っていてほしい。

 夕方、真純が山南の部屋に着物を届けに行くと、山南は文机に向かい、本を読んでいた。

「あぁ、ありがとうございます。」

「お茶を持ってきましょうか。」

「いえ、結構です。ちょっと、こちらによろしいですか。」

と言って、山南は真純にも自分の前に座るよう促す。

「あの時、君の言うとおり、敵は池田屋に潜伏していると信じていれば、隊を分散させることもなく、池田屋に直行して怪我人も死者も出さずに済んだかもしれない。綾部君、君は占いか霊媒の心得でもあるのですか?」

「レイバイ?」

「監察方でもない、仮同志の君がどうして池田屋だと知っていたのです?」

 山南は明らかに真純を不審に思っている。

「…ただの直感と言っても信じてくれませんか。」

「直感ですか。まぁ…いいでしょう。あなたがそういう方面に詳しいのなら、聞いてみたいと思ったのです、左腕の利かない私がどうなっていくのか。」

 教養や学問のある山南がそこまで追い詰められていたとは思いもよらなかった。池田屋事件そして先の京都御所付近での戦いに自分が出陣できなかったことを苦しんでいたにちがいない。

「山南さんらしくないですよ!!そんな占いに頼るなんて。」

 真純は声を荒げてしまう。そばで山南の様子を見てきたが、見るに見かねて続ける。

「もし、山南さんの左腕が使えなくなったとしても、右腕があるじゃないですか!目も耳も、足も動きます。刀が握れなくても、山南さんには知識や教養があります。それをもっと生かすべきです。」

「君に何が分かる!」

「何も分かりません!分からないから言うんです。」

「君は私に…剣客ではなく論客として生きろと?」

「今はリハビリ…いえ、訓練を続けて腕がよくなることを信じましょう。これからは、腕ではなく頭の時代です。山南さんのような学問のある人が世の中を変えていく時代が来るんです。」

「フフフ…君はなかなか思慮深い人のようですね。土方くんは、君のそういったところも見込んで新撰組に入れたのかもしれません。…わかりました。君の言葉はありがたく受け取っておきましょう。」

 山南は、机に向き直り本のページをめくる。その背中が哀愁を帯びていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る