第14話 池田屋
池田屋事件の約ひと月前―。
近藤は焦っていた。せっかく新撰組という名を拝命したが、やっていることは市中の見回りばかり。京に来たのは、もともとは将軍家茂を護衛するのが目的であったが、攘夷決行に自分達も貢献するためであった。そして、今年早々に将軍は再上洛し、朝廷と歩調を合わせて攘夷を行うことを期待していたが、まったくその気配がない。この時、幕府には攘夷の意志などなく、開国に傾いていたのだが、近藤はそのことを知らなかった。実際、尊皇攘夷を掲げていた新撰組だが、新撰組にいても攘夷が実現しないとみなした隊士は、脱退した。近藤は、攘夷を行わないなら新撰組を解散すると会津藩に訴えたほどだった。
その頃、土方と山南は、将軍警護のため隊士を率いて大阪に出張していたが、そこで山南が負傷する。大阪の豪商・岩木升屋に不逞浪士が押し入り、土方と山南がかけつけたが、その戦いの最中に山南は左腕を負傷してしまったのだ。その傷は思いのほか重傷で後遺症が残るほどだった。それ以来、山南は部屋に引きこもるようになってしまった。
土方と山南が大坂から戻ってまもなく、新撰組は多数の長州人が京都に潜伏していることを察知し、監察方が動き始めたり巡察を強化するなど京の町には不穏な空気が漂っていた。
そして、元治元年(1864年)六月、池田屋事件が勃発。京都の池田屋という旅館に潜伏していた長州・土佐藩などの尊皇攘夷派志士を、新撰組が襲撃する事件である。長州や土佐藩の志士たちは、強風の日を選んで京の町を放火し、幕府の重臣を討ち取り、御所から避難する天皇を長州に連れて行く陰謀を企てていた。
それを阻止するため、新撰組は出陣する。祇園会所に集結した隊士達に向かって近藤が言う。
「これから、俺とトシの隊にそれぞれ分かれ、片っ端から旅籠や茶屋を捜索する。なんとしても、長州土佐のやつらをしとめる!」
真純は整列する隊士達の後方に立っていた
(これが…池田屋事件の始まり?)
幕末に疎い真澄でも、名前だけは知っている事件。歴史に刻まれている事件に自分が立ち会うとは思いもよらず、体がゾクゾクしてきた。近藤が率いるのは、沖田、永倉、藤堂ら10人ほど。一方、土方軍は井上、原田、斎藤ら24人。 しかし、この暑さのせいで山南をはじめ多くの隊士が体調を崩し、これだけの人数しか割くことができなかった。
(旅籠屋やお茶屋を片っ端から調べていたら、敵に逃げられてしまうのでは?)
思わず真純は土方のもとにかけつける。
「土方さん、池田屋というところはご存知ですか?」
「そこは、長州藩の定宿ですね。」
近くにいた山南が会話に入ってくる。
「池田屋は長州藩邸にも近い。いくらなんでもそんなわかりやすいところに潜伏しているとは思えませんが。」
と山南はいう。
「わしも同感だ。」
近藤が答える。
「綾部君、あなたはどうして池田屋だと思うのですか。」
山南が尋ねる。仮同志の意見など信じられないという空気だ。
「あ、いぇ…それは…」
「直感っていうのも結構当てになるものですよ。もし、君の言うとおりだったら、大手柄だけどね」
沖田が真純の横に来て言う。
「綾部、お前はここで待機だ。山南さんを頼む。」
土方が命令する。
「どうしてですか!?」
「土方君。」
真純と山南、二人同時に声が出た。
「確かに私は体調が思わしくなくて出陣できませんが、綾部君の手助けなど必要ありません。」
「副長命令だ。言うとおりにしろ。病人の面倒を見るのに、こいつでもいないよりはましだろう。」
土方はいつにない、鬼の顔になっていた。山南はこの場は引き下がった。
やがて近藤隊がまず出発し、それに土方隊も続く。
「綾部君、私は敵の襲撃に備えて屯所に戻ります。私に付き添う必要などありません。」
山南は重い足取りで祇園会所を後にする。真純は、四条通の人ごみを掻き分け、全速力で駆け出した。土方や近藤たちが通らない道を選んで。現代の池田屋跡という石碑の前を通ったことがあったので、場所はすぐに分かった。まだ、近藤や土方は到着していない。
真純が池田屋の玄関の斜め向かいから様子を見ていると、店の主人らしき男が外から戻ってきて、あたりをきょろきょろ見まわして中に入っていった。
「池田屋の北側には長州藩邸がある。裏口があればそこから長州藩邸に逃げ出すやつもいるかもしれない。」
真純は路地裏に入り込み池田屋の裏口を探し、裏庭の木の茂みに隠れた。見上げると池田屋の窓に数人の男の姿が映る。
一方、池田屋のある三条通にはいち早く沖田が永倉と到着した。
「やっぱり、間違いないな。やつらは池田屋にいる。」
「綾部の勘が当たったというわけか。」
すぐに近藤と藤堂も駆けつけた。近藤は敵が逃げ出すことを危惧し、隊士達を入り口と裏に配置し、応援部隊を待たず踏み込むことにした。
「御上意! 」
池田屋の入り口から階段を上っていきながら近藤が大声で叫び、沖田も後に続く。
真純は茂みに隠れてで近藤の声を聞いた。3人の隊士が裏庭にやってきて敵を待ち構えている。その中に見覚えのある新田と奥沢という隊士もいた。時折、建物の中から戦う者の叫び声やキーン、カーンと刀のぶつかり合う音が聞こえてきた。事件は本の中で起きているのではない、目の前で起きている!!
「新田さん、上!!」
真純が咄嗟に叫ぶ。何者かの声に、新田たちが2階の方を見るや否や、頭上から長州の浪士が飛び降りてきた。敵の数は10人以上。3人の隊士は、一人たりとも逃すものかと必死に剣を振るう。しかし、倍以上の敵の数に隊士3人は苦戦し、一人が倒れる。
「これが本物の戦…。」
茂みから見守っていた真純は刀を抜き、勢いよく飛び出して浪士の背中を斬りつける。真純の刀は、あの模擬刀の池田鬼神丸国重だ。倒れた浪士は、傷が浅くすぐ起き上がろうとするが、新田に斬られた。だが、その瞬間、新田が敵に斬られ、ひざまずく。
「新田さん!」
「綾部、気をつけろ!!」
奥沢が叫ぶ。奥沢にも敵の刀が突き刺さっていた。別の浪士が真純めがけて斬り込んでくる。真純は鬼神丸で止めるが、浪士が一度引いてまた刀を振り下ろした瞬間、鬼神丸の刃が真二つに割れた。
「まがい物の刀か。ふん…。」
鼻で笑う長州浪士は、折れた刀を手に呆然としている真純に袈裟懸けに切り込む。が、同時にその浪士の背に槍が突き刺さり、二人同時に倒れる。
「おい、大丈夫か!」
遅れて池田屋に到着した原田は、倒れている真純の体を起こす。背中からは血がにじみ出ている。原田は真純を抱き起こした時、ふと手を止める。
「こいつ…女だ。」
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