第8話 暗殺

真純が朝稽古を終えて賄い当番の仕事をしていると、御倉井勢武や荒木田左馬之亮たち、同期入隊組が外から大声でしゃべりながら帰ってきた。その中の一番の若造、楠小十郎が彼らを見送って、台所にやってきた。

「綾部さん、遅くなってすみません。」

 どうやら御倉たちと朝まで呑んでいたようだが、楠はさわやかに挨拶する。

「私も今始めたところです。」

 真純は米をとぎ、楠はかまどに火を入れる。

「綾部さんの食事も、だいぶうまくなりましたね。剣術の鍛錬もまじめにこなしてる。仮同志※から平隊士に格上げされてもおかしくないですよ。」

(※武術に優れ ていない新人隊士。見習いとして勤め、訓練をして鍛え上げられて平隊士に格上げされる)

「いえ、まだまだですよ。」

 真純に気さくに話しかけ、努力をねぎらってくれるのはこの楠小十郎くらいだ。

「楠さんは尊皇攘夷を実行したいと言って、この浪士組に加わったんですよね。若いのに国のことを考えているなんて、りっぱです。私なんて自分のことで精一杯です。」

 楠は急に真剣な表情になる。

「でも、新撰組は攘夷にはそれほど―」

「綾部さん、だから僕は新撰組を・・・」

「おぅい、朝餉はまだか?」 

 荒木田が戻ってきて楠の言葉を消してしまう。思いつめた顔で、楠は野菜を切り始めた。


 それからしばらくして、新撰組では内部を統制するために「禁令五か条」が出された。のちに局中法度と呼ばれるものである。「武士にふさわしくない行動をしてはならない、勝手に新撰組を抜けるな、かってに金策するな、勝手に訴訟を起こすな、私闘厳禁」といった内容である。これに違反したものは幹部であろうと切腹であり、拒否したり逃走すれば当然斬られる。

 近藤、山南、土方は、八木邸の広間に隊士達を集め、この禁令を述べた。隊士たちは騒然となるが、土方が

「背いた者は切腹だ。覚悟しておくように。」

 ときっぱりと言い放った。

 真純は、広間の隅の方に縮こまって聞いていたが、自分に対する脅しのようで背筋が凍るような思いだった。

「士道に背きまじきことって言うけど、士道ってどういうことだろうね。」

 沖田が他の幹部に尋ねる。

「新八っつぁんと左之さんの酒癖の悪さも、士道に背いてるよなぁ。」

「そんなこと言ったら、新撰組の隊士はいなくなっちまうぞ。」

 藤堂が先輩隊士二人を茶化すが、原田と永倉は戯言におかまいなしである。

「総司、士道の模範生がいるぞ。」

 原田が部屋から出て行こうとする斎藤の方を見る。

「一君みたいにしてればいいってこと?そんなのつまらないな。一君は、介錯※したくてうずうずしてるだろうね。」

(※切腹をする人のそばにいて,その首を斬ること。)

 沖田の声に斎藤がじろっと4人を一瞥する。

「俺は戦で刀を振ることしか興味ない。」

 そういい残して斎藤は去っていった。

 彼らのやり取りを離れたところで聞いていた真純は、血の気が引いた。斎藤なら真純のことも容赦なく介錯するだろう。

「歳、切腹はいくらなんでもひどすぎるんじゃないか。隊士たちが萎縮してしまっても困る。」

 近藤は心配するが、

「いや、烏合の衆の新撰組を1つにするには必要だ。特に、悪行を繰り返しているやつらにはな。」

  土方には強い覚悟がみなぎっていた。 


 その後、不祥事を起こし法度に背いた新見錦が切腹させられた。新見は芹沢派の幹部であり、壬生浪士組の局長でもあった。その事件を知って、芹沢鴨の愛妾、梅が真純を訪ねてきた。

「綾部はん、お元気どすか。」

「はい。お梅さん、どうかしましたか。」

 梅は浮かない様子をしている。

「新見はんが切腹しはったやろ。新見さんは、借金こさえたり乱暴事件を起こしたりしてた人やから…。次は芹沢はんの番やろか・・・。どうなん?綾部はん。」

「私には、わかりません。」

「あの人、ここにはもう来るなって言うてはるんよ。多分、分かってるんやわ。」

 真純は梅にどんな言葉をかけてあげればいいのか、わからなかった。

「これ、綾部はんに差し上げます。」

 梅は、真純に大きな風呂敷包みを渡した。中には女物の着物や襦袢、布地、薬などが入っているという。

「うちは身寄りもおりまへん。菱屋からも暇を出されて、行く所なんてありまへん。あの人と最期まで一緒にいたい思うとる。」

「そんな、梅さんにまで危険が及ぶかもしれないんですよ!」

「いいんどす。それがうちの最後の願いやわ。綾部はんこそ、新撰組に誰か惚れた男でもおるんやないの?」

「いえ、それは・・・それより梅さん、なんとかして―」

「もう決めたことやから・・・。綾部はんも惚れた男ができたら、うちと同じ道選びはりますわ。」

 梅は晴れ晴れとした表情で空を見上げた。梅は明るく振舞って帰っていった。それが、梅に会った最後であった。


 三日後、島原の角屋にて新撰組の会議と宴会が催され、全隊士が参加した。外は土砂降りの大雨で、大半の隊士達は角屋にそのまま宿泊したが、幹部の何人かは屯所に帰ることにした。

「芹沢さん、屯所で飲みなおしましょう。酒と連れは用意してありますから。」

 やけに土方の愛想がいい。芹沢も機嫌よく帰り支度をしている。

「では、私もお供してよろしいでしょうか。」

 真純は隊士達と残ることに不安があり、一緒に帰ろうとする。

「いや、お前はまだここにいろ。」

「でも…。」

「新八さんも一君もいるから大丈夫だよ。平助、綾部くんお酒が足りないみたいだよ。」

 沖田が割り込んできて、真純を無理やり座らせた。土方、山南、沖田、原田が芹沢一派を促して帰っていく。

 宴会場には、酔っ払ってその場で寝てしまった隊士の寝息があちこちから聞こえる。その一方で、まだ飲み続けている隊士もいた。真純が空の徳利から酒を注ぎ足していると、藤堂平助が酒を持って隣に来る。

「綾部、結構飲んでるのに全然顔に出ないんだな。」

「そうなんですよ、だからつい飲んじゃって。角屋のお酒はおいしいですね。」

「今日は芹沢さんもいたからなぁ。あの人、酒にうるさいから、土方さんがいい酒注文したんだよ。」

「最近、土方さんはやけに芹沢さんと仲がいいですよね。どうなってるんだか…。」

 酒の勢いで真純がぼやくと、向かい側に座っている永倉が反応する。

「もしや…いや、まさかな。」

 一人、また一人と隊士達が寝入り、明け方、真純は他の隊士達より一足早く屯所に帰る。八木邸の前を通ると門から出てきた土方と遭遇した。

「土方さん!!何があったんですか。」

 土方の着物には生々しい返り血がついていた。

「腹を切りたくなければ黙ってろ、いいな。」

 そういい残して土方は壬生寺の方へ行ってしまった。それから数時間後、屯所では芹沢と平山五郎、梅が暗殺されたとの噂が広まった。

 次の日、芹沢と平山の葬儀が行われた。梅は愛する芹沢と葬ってはもらえず、梅の亡骸は八木家の人が西陣の梅の里へ引き渡されることになった。芹沢達が暗殺された部屋で、真純たち下っ端隊士は飛び散った血をふき取っている。

 真純は八木家当主の妻、雅に頼んで、梅の遺体と対面した。

(お梅さん…。いつも私の体を心配して助けてくれたのに、私はお梅さんに何もしてあげられなかった。どうしてお梅さんまで死ななきゃならないんですか?)

 真純は遺体を前に泣き崩れた。

 芹沢鴨暗殺事件から、新撰組の粛清は続いていく。

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