第7話 「新選組」誕生
真純が屯所の生活に慣れつつある頃、八坂神社で行われた、浪士組主催の相撲興行は大成功に終わった。その傍ら、不逞浪士の捕縛、隊規違反をした浪士の粛清、浪士組の佐々木愛次郎と恋人のあぐりが殺害され、佐伯又三郎という浪士が暗殺されるという事件が相次いだ。
「佐々木を殺ったのは、佐伯なんだろう?」
「佐伯は、長州の間者だったそうだな。」
「誰が佐伯をやったんだ?長州のやつらか?それとも―」
朝の剣術稽古ではその話題で持ちきりだ。それでも、師匠の斎藤が来れば、いつも通りの稽古が始まった。真純は佐伯という浪士のことはよく知らないが、佐々木愛次郎は組の中でも美男子で、人目を引いた。浪士組の仲間が殺されたのに、何事もなく稽古をしているのが真純には不思議でならない。
「綾部、稽古に集中しろ。」
「はい!」
「我々はいつ死んでもおかしくない身だ。武士ならばそれくらい心得ている。いちいち、悲しんでいる暇などない。あんたは少しでも腕を上げることを考えるんだな。」
分かっているとはいえ、真純にはどうもしっくり来なかった。
数日後、先日の相撲興行が成功した御礼にと、今度は壬生寺で相撲が開かれた。この行事は、壬生浪士組の面々はもちろん、近隣の住人にも喜ばれた。しかし、それも束の間、浪士組が相撲興行の片付けをしていると、仲間の一人が土方のもとにかけつけた。
「副長、芹沢さんが大和屋に火をつけました!!」
「なんだと!?」
悪どい手口で稼いでいると評判の生糸商・大和屋に借金を申し込んだが断られたことを理由に、芹沢が大和屋の土蔵に焼き討ちをかけたのだという。土方は怒りを抑え、浪士達に火消しに当たるよう指示を出していた。
「また芹沢さんか…。」
「せっかく相撲興行で、浪士組の印象がよくなったばかりなのに。」
浪士達がぼやいている。芹沢の悪業で、以前から京での浪士組の評判は悪かった。
「そういえば、ついこの前、梅って人が、髪や着物が乱れたまま帰っていったよな。あれは恐らく…」
「お梅さんが?」
梅と初めてあって以来、真純は梅とたまに顔を合わせて話をすることがあった。女の身であることを案じてくれた梅は、陰で真純を助けてくれた。真純は大和屋に向かう浪士組から抜け出し、菱屋に向かう。
四条堀川でなんとか菱屋を見つけ出し、店に入り込むと番頭と女主人がいた。
「あの、お梅さんはいますか?」
「あんさん、浪士組の方?お金を持ってきてくれはりましたか?」
浪士組は菱屋に借金まだ返済していなかった。
「いえ、それは…。それより梅さんは?」
番頭と女主人は黙り込む。
「あの売女、やっと出て行きやがった。もう少しで店をのっとられるところやった。」
梅は菱屋に雇われていたというより、主人の妾としてここにいたのだ。
「どこに行ったか、知りませんか?」
「さぁな。」
女主人はそういい残して店の奥に行ってしまった。店からは追い出され、芹沢から手篭めにされ、今、梅はどんな気持ちでいるのだろう。真純は探す当てがなく、大和屋に足を向ける。近づくにつれて、立ち込める煙のにおいがしてきた。火は消えるどころか燃え広がっている。現場にかけつけると、大砲がおいてあった。これでぶっ放したのだろう。
「一滴でも水をかけたら、命はないと思え!」
なんと屋根の上から芹沢が火消し役の浪士達に向かって叫んでいる。真純が周囲を見回すと、人ごみの中に梅の姿を見つけた。真純が駆けつけようとしたとき、梅は口元に笑みを浮かべているように見えた。
「お梅さん!」
「あぁ、綾部はん。芹沢さんにも困りましたなぁ。」
でも、本気でそう思っていない口調なのが分かる。
「何もかも燃えてしまえばいい…。燃えて燃えて燃え尽きて、うちもあの人と…」
梅は屋根にいる芹沢を仰ぎ見た。
それから三日後―。壬生浪士組は会津藩から「新選組」の名を拝命した。数時間前に「八月十八日の政変」の狭間にいた彼らの職務が評価されたのである。浪士達全員が広間に集合し、近藤がその名を披露した。
「八月十八日の政変」とは会津、薩摩、淀藩が御所のすべての門を封鎖し、尊王攘夷派の急先鋒であった長州を追放した一件である。孝明天皇の大和行幸(桓武天皇陵と春日大社を参詣)に際し、長州藩が天皇のお輿を奪うという計画が判明し、会津藩や薩摩藩が動いて長州藩を締め出したのである。
壬生浪士組も出動し警備にあたるよう会津藩から命が下り、浪士達は甲冑で身を固め御所の蛤御門に向かった。そこの警備に当たっていた会津藩兵が浪士組のことを知らず、「不審者を通す訳には行かない」との一点張りだったが、そこで芹沢の鶴の一声で流れが変わり、会津藩の公用方が現れ、警備を行うことが出来たのである。
屯所の酒の席では、
「あの時の芹沢さんは、かっこよかったなぁ。」
という声が隊士達から聞こえた。大和屋の焼き討ちでは無様で信用を失った芹沢だったが、「八月十八日の政変」では貫禄を見せ付けた。
(あれが、お梅さんが惚れた芹沢さんか…。)
祝いの宴が始まろうとする頃、真純は遠くから芹沢の顔を見るが、芹沢と目が合ってしまう。
部屋を出て行こうとする芹沢が真純のところに来る。
「お前が綾部とかいう奴か。」
「はい…。」
芹沢は真純の顔を凝視する。
「梅と気が合うようだが、まだまだな。」
そういい残して芹沢一派を従えて去っていく。
宴たけなわの頃、平隊士が八木邸の門柱に『松平肥後守御預 新選組宿』と書かれた表札を掲げた。
「これで、ようやく新撰組になったわけか。」
真純は、他の隊士に混ざって表札を眺めている。
「綾部くん。」
楠が中から現れた。
「島原で飲みなおそうって言ってるんだけど、綾部君もどう?」
「今日は遠慮します。」
「そうか、それじゃぁ。」
後から出てきた御倉や荒木田たちに促され、楠は行ってしまう。
「新撰組誕生の日くらい、屯所にいればいいのに。」
「何をブツブツ言ってやがる。」
いつのまにか姿を見せた土方は、感慨深く表札を見つめていた。真純は知らないが、ここまで来るのにいろいろな出来事があったのだ。
「俺と近藤さんは、農家の出身だがな、侍になって天下に名を上げるために京に来た。」
真純は、土方の清清しい表情を初めて見た。
「土方さん、夢がかなったんですね。」
「いや、まだその第一歩に過ぎないがな。」
急に土方は咳払いをする。つい、我を忘れて素性の知れない真純にしゃべりすぎてしまった。
「とにかく、お前もこの名にふさわしい功名を為せ。」
「はい!…近藤さんも土方さんも、歴史に名を残す人になりますよ。」
「うまいこと言っても何も出ないぞ。」
土方は、鼻で笑って屯所に戻って行った。
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