第6話 建仁寺

「お前に1つ仕事を与える。」

 朝の剣術の稽古の後、真純は土方に声をかけられた。

「木屋町の材木問屋に支払いに行って来い。」

「わ…拙者がですか?」

「あぁ。相撲興行の準備で手の空いてるやつがいなくてな。」

 相撲興行というのは、険悪な仲にあった京都相撲と大坂相撲を和解させるため、浪士組が仲介して行われることになった。

「その仕事、ぜひやらせてください!」

 真純は屯所の生活に慣れるのに必死の上、剣術の稽古や下働きの仕事があって、屯所に住んでから坊城通り以外歩いていなかった。仕事とはいえ京都の町に出られると思うとわくわくしてきた。

「地図と金は後で渡す。」

 真純が一礼して去っていくと、その話を聞いていた斎藤が土方のもとに来る。

「綾部を外に泳がせるつもりですか。」

「あぁ、木屋町であいつが長州のやつらと接触していたら、斬れ。」

「分かっています。」

 そんなことも知らない真純は、軽快に屯所を出て行く。現代ではビルが建ち並び、バスや電車が走っているところが、今は田園が広がり昔風情の長屋が見える。道は舗装されていないが、現代で真純が歩いた場所と変わらない。真純は、何度も京都を歩いて散策しているので、この時代でも京の地理には困らなかった。

 真純は木屋町の材木問屋をすんなり見つけて代金を渡し、店を後にする。

「さて、これからどうするかな。すぐに屯所に帰る事もないだろうし。」

 真純は木屋町通を北上する。長州藩邸が近いことも知らずに。


「おい、壬生浪の使い走り。」

 真純が振り返ると、浪士風の男が二人立っていた。彼らは材木問屋から真純の素性を聞き出していた。 

「お前、顔が日本人ぽくないな。異人か?」

「いえ、日本人です。」

「異人が長州藩邸の近くをうろつくとは、いい度胸じゃねぇか。」

「ですから、拙者は正真正銘の日本人です。」

 と、口では負けていないが、内心ハラハラドキドキで体は震えていた。

「いや、異人に違いねぇ。ちょっと来い。」

 二人に腕をつかまれ、真純は狭い路地裏に連れて行かれてしまう。

「持っている金を出せ。俺たちが国のために使ってやる。」

「出さなければお前を斬って奪ってやるまでだ。」

「お金は渡せません!」

 彼らは長州弁で脅してきた。壬生浪士組にとって、反幕勢力である長州は敵であることは、屯所にいて察していた。ここは説得して逃げ切るか、鬼神丸国重を抜くか。

「異人に渡す金なんざ一銭もねぇんだよ。」

 男たちは刀を抜く。

「そこで何をしている。」

 二人の背後から現れたのは斎藤だった。斎藤の殺気に男たちは一瞬ひるむが、負けじと斎藤に刃を向ける。

「あんたは下がってろ。」

 斎藤は真純に指示し、男二人と対峙する。真純は、離れて様子を見守る。次の瞬間、相手よりもすばやく刀を抜き、斎藤は一突きする。一人はその迫力に臆したのか、体勢を崩す。もう一人はなんとかよけるが、すぐさま斎藤の刀がわき腹をこするのを感じ取った。

「その者は壬生浪士組の下っ端だ。異人ではない。」

 斎藤がきっぱりと言い放つ。

「うっ…。」

「今日のところは手を引いてやる!」

 男二人は逃げていった。斎藤は刀を鞘に収める。

「斎藤さん…ありがとうございました。」

「剣術の稽古がまったく役に立っておらんな。明日は素振り1000回だ。」

「えぇっ!!そんなぁ…。でも、斎藤さん、あの人達のこと斬らなかったんですね。」

「あんたごときのために、刀を汚す気などない。」

「すみません…。」

「何故、あんたはこんな所に来たのだ。土方さんから頼まれ事があったのではないか。」

「はい、それが済んだのでちょっと寄り道して行こうと…。」


 真純と斎藤は、建仁寺の境内を歩いている。参拝客や社寺関係者が通り過ぎていく。斎藤は渋々付き合わされているといった様子だ。真純はこなれた足取りで本坊周辺をうろうろする。

「中に入れないんでしょうか。」

「当然だ。」

 斎藤がそんなことも知らないのかという口調で答える。150年も前のお寺を見られると期待していたが、この時代では現代のように拝観することはできず、枯山水式庭園で有名な大雄苑も柵の外側から眺めることしかできなかった。それでも方丈の瓦葺屋根や法堂は圧巻で、真純は見入っていた。

「そんなに物珍しいか。」

「はい!そりゃぁ、もう・・・」

 150年前の建築物を目の前で見ているんですから、と言いたいのをこらえた。

「そういえば斎藤さん、さっき木屋町で何か用事があったのですか。」

「見回りをしていた。」

「一人でですか?」

「あぁ、俺に供の者など必要ない。」

「確かに…。斎藤さんが歩いてたら、みんな道を開けてくれそうですよね。」

 斎藤は法堂の屋根から、そのまま視線を空に向けた。斎藤の肩越しの髪を風が揺らし、横顔は愁いを帯びている。

「あの…斎藤さん、1つ聞いてもいいですか。」

「なんだ。」

「斎藤さんが、昔、誤って旗本を斬ってしまったというのは本当ですか。」

 一瞬、斎藤の表情が変わる。

「あんたがなぜそのことを…」

 斎藤の目には殺気がみなぎっている。今にも刀を抜きそうな気迫が伝わってきた。触れてはいけないことだったのか。

「そ、それはその―」

「…誤ってなど斬らん。俺は、本気で斬ったまでだ。」

 斎藤はきっぱりと答えた。後悔など微塵もない声音である。

「そろそろ帰るぞ。」

 斎藤は来た道を戻っていく。

(何故、綾部が江戸でのことを知っているのか。)

 真純に対する疑念が浮かんでいた。

(本気で人を斬った事があるって言ってたけど、斎藤さんって本当はそんなに恐ろしい人ではないかもしれない。)

 真純は、先を行く斎藤の背中を追いかけた。


 前川邸に戻ると門前で土方が待ち構えていた。

「ごくろうだったな。」

「遅くなってすみません。」

 真純は、材木問屋から預かった受領書を土方に渡して中に入って行き、斎藤だげ残った。

「ずいぶん遅かったが、まさか二人並んで帰ってくるとはな。で、何か分かったか。」

 真純を尾行していた斎藤は、一連の出来事を土方に話した。

「長州の間者の線は薄いか…。」

「しかし、京の地理に詳しく、初めて京に出てきたとも思えません。それにあいつは昔の俺―」

 斎藤は言葉に詰まる。

「どうした?」

「いえ、何でもありません。」

「いずれにしろ、まだ油断できんな。もう少し泳がせておく。」

 土方もまた、真純への疑念が消えていなかった。

 

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