第七話 「おかえり」「ただいま」



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 ひいじいちゃんの通夜の夜。

 いかにも子供じみた、幼稚で浅はかな、本質からまるで遠い指摘をした。

 それは、当時の真田共路にとって、唯一で、最大の武器だった。


「――んなことねーよ。変わってんじゃん、ねえちゃんも」


 俺はそんなふうに反論して、返事を待たず押入れを漁った。

 その時の俺は必死で。そうだ、大好きなおねえちゃんの、そんな悲しい顔を見たくなくて。

 難しいことなんてよく分からなかったから、ただ、とにかく彼女が口にして苦しんでいる、彼女自身の言葉を否定したくて、その為に俺は、その証拠を持ち出した。


「ほら。全然違うよ、ねえちゃんだって」


 決断には苦渋を要した。を誰かに見せるのは、これが初めてだったから。

 俺が彼女に見せたのは――昔、おねえちゃんが庭先で、あの桜の木を眺めていたところを、こっそりと描いていた絵。

 男らしくないとか言われそうで怖くて、誰にも打ち明けていなかった、趣味ともいえないラクガキ遊びで出来たそのうちのひとつだった。


 ――長く伸びている彼女の髪の毛が、まだ短かった頃の、面影。

 目に見える形で証明された、【変化】がそこにはあった。


「その、うまく言えねーけどさ。綺羅ねえちゃんだって、イエガミだって、おれたちと同じだよ。だからよ、そんな仲間外れにされたみてえな、寂しそうな顔すんなよな。笑ってひいじいちゃんを送りたいんなら、もっと、ひいじいちゃんが安心出来るような顔を見せてやれよ」


 感じたことをちゃんと表せられない子供の頭では、そんな言葉が限界だった。

 そうしたら。

 大きくて、暖かい両腕が、俺の背中に回された。強く、柔らかく、抱き締められた。


「ありがとう。ありがとうね、キョウジ」

「……おう。気に入ったんならさ、それ、やるよ。またなんか、今日みたいな気分になったら、見りゃあいいじゃん」

「うん。一生の、たからものにする」


 綺羅ねえちゃんの声は、相変わらず泣きそうだったけど。でも、そこにはさっきみたいな、消えちまいそうな儚さは無くて。

 その時に俺は、自分が描いた絵で、人を元気付けられるのだということを知って。

 それから、絵を描くことは俺にとって、他の好きなことより一段上に昇ったのだった。


 ……単純なもんである。俺の絵描きとしての根幹は、ガキの頃に大切な人に喜んでもらえたこと、そう簡単に纏められる。

 高名な絵を見て身を震わす感動を覚えたとか、尊敬する絵描きの師から影響を受けてとか、そんなもんは一切ない。 


 ありがち過ぎて恥ずかしい?

 まさか。

 こんな誇らしい理由は他に無いと思うよ俺は。


    

 ●▲■



 相応しい場所はと考えて、そこを選んだ。

 今はもう主のない、かつてのひいじいさんの部屋。

 何となくだが。

 呼ぶならばここがいいだろうと、そう思った。


 生前の持ち物は、もうすっかり処分されるか、蔵に放り込まれるかしてしまっている。

 残っているものといえばもう仏壇ぐらいで、生活の匂いも何も無い。ただの空き部屋同然だ。

 ――きっと。

 初めて綺羅がここ――真田家に現れたときと、とてもよく似ているだろう。


「……言わなきゃいけないことなんてのは、それこそ山ほどあるんだが。とりあえず、一番に持ってくるのは、まあ、これだよな」


 一々宣言する必要などない。イエガミとは、転じて家そのものでもある。姿は無くとも、何処でだって。こうして話せば、彼女には伝わる。聞こえている。

 すう、と大きく息を吸い込んで。



「ふっっっっっっっっざけんなよこの馬鹿ダメガミっっっっっっっ!!」



 築ウン十年の古屋が振動で崩れてもおかしくないぐらいに、あらん限りに叫びを上げた。


「普段はいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつも! やり放題の好き勝手で丸ごと迷惑かけといて、こんな時だけカミサマ気取りで偉そうに一人で抱え込もうってか!!? 大概にしとけよテメエ!」


 口火を切ったら一瞬だった。

 堤防を破った感情が爆発的に溢れでてきて止まらない。止める気も無い。走り抜けろと背中を押すのは、あの秋の夜の自分かもしれなかった。


「ああ、そりゃあ確かに俺たちは違う! おまえはイエガミで、俺たちは人間で! 一緒に住んでたって、どんなに近づこうとしたって、そこんところはどうやったって変えられない! カミサマはカミサマのまま、人間は人間のまま、過ごしていくしかない! ――だからっつってなあっ! 何を手前勝手に、自己完結して諦めてやがるっ!」


 ぶちまける。

 思いの丈を、この五日間の不安と不満、先輩の話で抱いた感情、全てを余さずぶつけていく。


 強く、激しく。

 言葉が、意思が、この心が力になって、彼女の勝手な思い違いを、ぶっ壊してしまえるように。


「カミサマだとか人間だとかいう前に! 俺達は家族なんじゃあねえのかよ!」


 覚えている。

 自分より背の高い彼女を見上げた記憶。優しくて頼りになる、まるで姉のようなカミサマ。


 覚えている。

 自分と同じ目線になった彼女の記憶。姉のように思っていた人に追い付いたことが、何だか嬉しくも照れくさかったっけか。


 覚えている。

 自分が彼女を見下ろしはじめた記憶。物心ついて生意気になり小さい彼女を姉と呼ばなくなって、いつしかそれが普通になって。


 時は移ろう。人は変わる。新しいものと出逢い、遠く、広く、その世界を拡大していく。

 同じ場所に住む、変わるものと変わらないもの。先に進むものとそこに留まるもの。

 近くにいたはずの二つは、いつしか遠ざかり、その間にあったものが薄まっていく。


 足並みは揃えられず、注ぐ水を止めることも叶わない。なら、そこに生まれる悲しみは、避けようのない摂理なのか。

 ――違う。そんなことは、絶対に無い。

 まったく腹が立つ。

 なんであいつは、人間のことを――自分のことを、ちゃんと理解していやがらないんだ。


「家族ってのは誰のことだ!? ひいじいさんか!? 俺か!? 違うだろ、この家に住んでるやつみんながおまえの繋がりなんだろうが!」


 結びつくのは、個人ではなく。

 家族という空間そのものに惹かれるのが、イエガミという存在なのだろうに。


「別れることは避けられない! ひいじいさんが死んだときみてえに、これからだっていくらでもそういうことは起こる! ああ、それがどうしたよ! そんなもん、人間だって同じだ! 別にカミサマだけの特権ってわけじゃねえ! そんなことぐらいで、いちいち特別気分でウダウダ悩むなってんだ!」


 それはコインの裏表。彼女は二つの面の裏側ばかりを見て、絵柄の悲しさに嘆いている。

 教えてやらなくてはならない。

 机に置いたコインでは、そちらの絵しか見えないけれど。

 空中に弾いたのなら、回るコインの絵柄は交互に繰り返すのだと。


「忘れたのかよイエガミ! 今俺がいるここがどこで、俺が誰かを考えろ!」


 俺は叫ぶ。初めてイエガミが現れた、ひいじいさんの部屋で。

 その時にはいなかった、真田共路が問いかける。


「家族ってのはな、創って、繋がって、続いていくから家族なんだ! だから俺がいる! 最初はひいじいさんとひいばあちゃんしかいなかったこの家に、こうして俺が立っている! ひいじいさんもひいばあさんももういなくなっちまったけど、それでもおまえには――まだちゃんと家族がいるだろうが!」


 普段は世界中飛び回ってて、偶に便りを寄越したときはいっつも綺羅に会いたいと書いてるじいさん。

 息子からしてみても、下手したら実の子供より溺愛してんじゃないかって思うぐらいの親父と母さん。

 創られ、繋がり、続いている――

 ――イエガミと人の、家族の輪。


「その皆とだって、いつか別れることになる! でもな、別に心配するこたぁない! その頃にはもう、俺から続いた子供たちがおまえの周りで家族になってる! 前とは比べられない、前とは違う、でも前と同じかけがえのない大切な家族が、いつだっておまえのそばにいる! それが、【真田家のイエガミ】だってことなんだ!」


 置いていくのか。残していくのか。

 違う。

 人間は、カミサマに遺していく。

 共に歩いた道程は、共に眺めた風景は、きっと同じ輝きで人間とカミサマを結んでいる。たとえ遠く別れたとしても、それは決して色褪せない。


 だから、そう。

 後ろを向いて、悲しむのはやめにしよう。そんな顔で振り返られても、喜ぶ家族なんかいやしない。家族なら誰だって――人が笑顔を見るのが大好きだったひいじいさんのように、大好きな家族の一員には、いつも笑っていて欲しいと思っているだろうから。


「安心しろよ綺羅! どれだけ別れを繰り返したとしても、真田家は絶対におまえをひとりになんかさせない! 家族になるって決めたんならな、もっと家族のことを信じやがれ――――――――!」


「――あーあ」


 まず、声を。

 次に気配を感じ取る。 


「キョウジに教えられちゃうなんて。これはいよいよ、私もお姉ちゃん失格かなあ」


 背後に現れた人物、その生意気な溜息の様子が、ありありと目に浮かぶ。


「ばぁか。おまえのことなんざ、とうの昔に年上扱いしてねーよ」

「むー。久しぶりなのに、キョウジは相変わらずひどい事を言うー」


 あー、こいつ絶対今膨れてるわ。絶対。十七年付き合ってきた家族の勘がそう告げている。


「ねえ、キョウジ」

「ん?」

「やっぱりいじわるだよね。『俺もおまえが大切だ』って、言ってくれないの?」

「……かっ。そんなもんわざわざ言葉にしてるうちは、家族として三流だ」


 振り返る。そこにいたのは勿論例のチビだったが、少しばかり俺の予想と違っていた。

 初めて目にする、着物服の綺羅。その姿にはなにか、言葉では言い表せない神秘的な雰囲気があって――だからむしろ全然らしくなくて、思わず笑ってしまった。


 うむ。

 結局、どんなに背伸びして見せたところで、俺にとっちゃあこいつはカミサマ以前にただの家族なのだ。綺羅本人が、どう悩んだところでも。


 そうだよな。まさか――どっかで見たような、一発でガキが描きましたーって分かるような、そんなへったくそな絵を大事そうに胸に抱えてるのがカミサマだって誰が思うよ。


 なので。

 とりあえずはカミサマではなく家族として。

 やらなきゃならないことぐらいは、ちゃんと済ませておくとしよう。


「……おかえり、綺羅」

「……うん。ただいま、キョウジ」


 どちらもどうにもぎこちないが、こればっかりは仕方ない。

 イエガミにおかえりっていうのも、家族にただいまっていうのも、当然どっちも初めてだったんだから。



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