第六話 ひとの近くでいきること
●▲■
差し込む夕日に表情が映える。
真剣に、正面から、痛みも辞さぬ厳しさで、
清水圭は、言葉を紡ぐ。
「結論から言おう。綺羅さんは、自分がカミサマであることに傷ついてしまったのだ」
「……は?」
「君が私を実家へと連れてきた。きっかけはそれだろうな。導火線自体は前からあったにせよ――火がついたのは、それが原因だ」
「ちょ――ちょっと、待ってください。何がなんだか、わかりません」
初っ端から理解が追いつかない。原因と結果の関係性が見えてこない。
俺が先輩を家に連れてきたから、あいつが、カミサマであることに傷ついた……?
「清水景という個人に意味があるのではない。重要なのは、綺羅さんが知らないところで築かれていた、真田共路の新しいコミュニティということだ」
「だから……! どうして俺が、あいつの知らないところで知り合いを作るのがいけないんですか!? そもそも、カミサマであることに傷付くって、どういう意味なんですか?」
「それを話す前に、説明することがある」
とん、と先輩の人差し指が俺の額に、落ち着けといわんばかりに当てられる。
「家に宿り、家に現れ、家人を守り、家人と日々を共にする存在、イエガミ。彼らには、自らの存在意義を全うする際に、自身の領域である家の中で選び得る位置が二つある。一つは『従者』。共に住む存在ではあっても、イエガミはあくまで家人の輪の外側にあるものだとして、奉公に徹する位置。もう一つが『家族』。共に住む家人とより近しい存在であろうとし、その中の本当の一員であろうとする位置だ」
その違いをイメージするのは容易だった。
非の打ち所の無い完璧な、或いはその為に先輩に対し距離を保っていた草月さん。
何をしても失敗ばかりで、もしかしてそれ故に軽口を叩く身近な存在だった綺羅。
「どちらが優れていると安易に決められることではない。担うもの、埋めるものが異なるのだからな。単純な優劣には当て嵌められない。……しかし、家人ではなく、イエガミの立場から考えて。どちらのほうが辛いのか、と決まっていることがある」
ここで一呼吸の間を置き、先輩は言った。
それは、イエガミが家人から受ける苦しみだ。
「ど、どういうことですか、それ」
「簡単な話だよ。結局――共に歩こうと決めたところで、イエガミと人間の立ち位置は違いすぎるんだ。真田君もその歳だ、曽祖父の代から存在するということが綺羅さんにとってどういう意味か、考えたことはあるだろう」
思い出すのは秋の夜。
カミサマなんて言葉とは程遠い、触れれば折れそうなあの儚さ。
ひとり、変わらず残された彼女の姿。
「近づいていればいるほどに、別れはまた多くのものを連れていく。同じ別れであっても、それは離れた位置を保っている【従者】との比ではないだろう。【家族】であろうと決めた時点で、イエガミには逃れえぬ苦悩が約束される。君が私の家に訪れた日の夜、草月が言っていたよ。『綺羅様は、私とは比べようもないぐらいに強い方なのですね』と」
……考えたこともなかった。
あいつはいつも笑っていたし、無邪気に日々を過ごしていた。ずっとそう思っていた。
遠慮なんかなくて。
真田家の一員として振舞って。
いつも俺達の側にいて。
それが、どんな心境の上に成り立っていたものだったのかを、俺は一度だって、知ろうとしてはいなかった。
「八百万のひとつであるイエガミは、決して超然とした存在ではない。高みから見下ろすのではなく、同じ場所で生きている。共に笑える、人間味がある。だからこそ――人と違わぬ苦しみを抱く。そして、【家族】の苦しみは別れの際だけに訪れるものではない。時間の流れの上に、急流に晒される岩の如く佇む存在であるということは、動き続ける人間を見送るということなのだから」
言って、先輩は僅かに屈み込む。
目線を俺と合わせて――真直ぐに、この目を見つめる。
「人間とイエガミの見る世界、その二つには決定的な差異がある。それは広がりだ。私達人間は、生きていく上で外界に触れ、無数に影響を受け、その認識を広げていく。だが、イエガミの世界は、自らが宿る家の中だけだ。どのような能力を持つ、いかに優れたイエガミでもな」
それは、イエガミである以上変えることの出来ない事実。
何が出来るようになっても。
何が出来ないままでも。
“ずっと、カミサマ”。
「たとえば子供がいたとしよう。【家族】としてあろうと決めた、そんなイエガミの家に。小さなうちは、その子供もイエガミのようなものだ。世界は狭く、要素は少ない。なればこそ、ひとつひとつに振り分ける心の容量も多くなる。だが、考えるもの、想う対象が多いほど、人の心は分割される。かつて、小さな世界の中で、大きな存在であったイエガミは、その子が大きくなるにつれ――多くを得るにつれ、その存在を、希釈されずにはいられない」
言うなれば。押入れの中にしまわれた、お気に入りだった絵本。
あんなに大事にしていたはずの、もう名前も思い出せない宝物。
コップに水を注いでいけば、中のミルクはどこまでも薄まって。
「加えて。人と人との関係というのは、同じ状態を継続することでより強く結ばれていくものだ。だが、イエガミは歳をとらない。かつて母であったものが姉に、姉であったものが妹に――果ては娘か、孫や曾孫だ。置いていかれるとはこういうことだ。人間は避けようもなく変わり、イエガミは避けるまでもなく変われない」
――家族であろうとするイエガミは。
――いつだって、家族に取り残されてしまう。
「これが、【家族】という位置についたイエガミが、相容れない寿命の他に絶対に味わうことになる苦悩だよ。希釈される存在。関係からの置き去り。真田君は私を連れていくことによって、自分が世界を広げているのだということを綺羅さんに思い知らせてしまった。それは彼女に、カミサマであるがゆえの苦悩を再認させて傷つける結果になってしまったのだろうな」
先輩の説明は、そうして終わった。
でも、そこには語られていないことがある。今までにも何回も関係性の希釈を味わってきたはずの綺羅が、何故今回は消えるほどに思い詰めたのか。
……俺は感付く。推測する。
それは多分、【二度目】だからだ。綺羅が体験した、初めての家族との死別――ひいじいさんが亡くなってから、再び訪れた【別れ】の気配。それを与えてしまったのが俺だったのだ。
つまり。
駄目押しひとつで参ってしまう程度には、綺羅はもう、弱っていたのだろう。そんなこと、家族の誰にも感じさせずに。
自分が悲しんでしまったら、家族にも影を落としてしまうから。
あの秋の夜。
本当は、泣きたいほどに辛かっただろうに――それでも、他でもない家族の為に笑ったように。
イエガミはたったひとりで、自分の苦悩を抱え込んだ。
俺は。
今それを知って、感想はすぐに出た。
「――何やってんだか、あの野郎は。似合わねえし、つまんねえ真似しやがって」
心の底からそう思う。面倒臭くてしょうがない。
でも、この現状の原因の一端になったのが俺だというのなら、静観してなどいられない。
そして、何よりも。
「ふざけた間違いだ。家族になろうと思ったんだろ? なら――そういうもんまで一緒に持つのが、持たせるのが筋だってことさえわかんねえのかよ」
湧き上がるのは同情ではなく苛立ち。
だよなあ。
可哀想だとか、そんな他人行儀な感情はあいつに向けるもんじゃない。
間違っているのはあいつなのだから、嫌われるのも構わずに叱ってやるのが家族の役割だ。
そうだ。
あいつが、カミサマらしく悩むというなら。
俺は、人間らしくそれに答えてやるまでだ。
「行くかね、真田君」
頷いて立ち上がる。先輩は笑って、机の上に置いたあった俺の鞄を放って寄越した。
「私が君よりも早く、綺羅さんの消えた理由に勘付けた環境の差というのはね。歳の離れた兄妹がいるか否か、ということだったんだ。真田君は一人っ子で、私には兄がいた。そして私は、自分で言うのも恥ずかしいが結構なブラコンだった」
「えぇぇ!?」
「驚くだろう。そう思われるような自分になろうと努めてきたからね」
咳払いをし、空気を戻す。
「そのきっかけが数年前。彼が結婚して家を離れることが決まった時、それはそれはみっともなく泣いてしまったことなんだ。身を切られるように、耐え切れないほどに寂しかった。それまで兄は、私にとって何より先に清水家の兄だった。でも、結婚をしてしまえば――関係が広がれば、兄には妻という世界で最も大事にすべき存在が出来て、その分以前の繋がりが希薄になってしまうと考えた。兄はそんな私に、微笑みながら言ってくれたよ」
「……なんて?」
「それを考えるのが君の役目だし、それを最初に聞くべきなのは私じゃない。そうだろう?」
道を開けるように移動して、先輩は俺の背中を押すように叩く。
「しっかりと、やるべきことをやってきたまえ。所詮外様の私には、これぐらいしか出来ないが。せめて君達が、より良い決着を迎えられることを祈っていよう」
……参った。
この人と来たら、格好良いにも程がある。
それこそ、俺なんて及びもつかないほどに。
「これぐらいなんて、とんでもない。この件にきっちりカタがついたら、改めてお礼をさせていただきますよ」
「お礼なんて――いや、そうだな。なら今度、君らしい絵を見せてくれ。今日描いていたような腑抜けたものじゃない、君本来の絵を」
振り向きたい気持ちを堪えて、唇を噛んだ。
「私の絵はな、真田君。自分の中の理想を追求して、その正しさを世界に向けて挑戦するものだ。だからこそ大衆受けこそするが、同時に自分本位なものでしかない。だが、君の描く絵は違う。やさしいんだよ。真田共路の絵には――大切な人から送られた手紙のように、胸に染み入る暖かさがある。打ち明けるとな。私は、君の描く、私では描けない絵が――とてもとても、大好きなんだ」
先輩の言葉は、絵描きにとって何物にも代え難い賞賛なだけではなく。
同時に、大切なことを思い出させてくれる最高の応援だった。
美術室を飛び出し、廊下を駆けていく。
流れていく景色を見ながら、自分の足がこんなにも速く動く事実に驚いた。
いや、それも当然か。
何せ五日も待たせたんだから、こっちがこれくらい急いでやらないと帳尻が合わないだろう。
●▲■
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます