第四話 台所には踏み台ひとつ
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※《大切なお知らせ。現在真田家では、後世にて火の七時間と呼ばれることになる、壮絶にしてエンターテイメント性溢れる修行風景が織り成されているのですが、その全てを記せばあまりにも皆様の人生を無益に浪費し過ぎてしまう恐れがある為、内容の一部をダイジェストにてお送りさせていただきます》
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「イエガミノート第二章第六節より抜粋! 『イエガミというかカミサマは、やっぱ何でも受け入れる包容力だよね』! というわけで、綺羅には好きや嫌いといったちっぽけな概念から超越してもらうべく、こちらで用意した様々な料理をぺロリ平らげていただきます!」
「クックック……おいおい、こいつはこの綺羅さんも嘗められたものですな……。まさかよりにもよって『食』の分野で私を試す愚か者がいようとは……ごちそうさまごちそうさま……」
「ではまず最初はかるーく生のセロリから」
「きようじしつているか いえがみは りんごしかたべない」
「おまえさっき葛饅頭をなんつってた?」
「イエガミノート第六章第一節より抜粋! 『イエガミ……ですか? その、宿る家に住んでいる人たちのことを、どれだけ理解しているか……じゃ、いけませんか』? はい出ました、今回のキーワードはズバリ『理解』! 『理解』=『知識』! 第一回、真田家クイズー!」
「来た! いよいよ来た! 頭脳派である私の土俵がネギしょってやって来た! 汚名挽回のチャンス到来! ふっふふ、これは全問正解ボーナスは貰ったも同然と見てよろしいね!?」
「伝統的誤用と前人未到の擬人化に戦慄を覚えつつ第一問! 真田家の大黒柱にして俺の父、真田
「『去年の夏、真昼間から悪友連中と一緒に酒を飲んでたところに通りがかった女の子を口説いたんだけど、それが実はキョウジの幼馴染だったこと』! 内緒だぜ、ってシンジは私だけに教えてくれたよ! おらどうだひれ伏すといいよこの目を見張る知識量に!」
「こっちの用意してた答えと違うけど特別に正解、更に二階級特進。あとちょっとゴメン、あのアホに電話かけてくる」
「イエガミノート第十八章第九節より抜粋! 『イエガミに最も求められるもの? はっ、そんなもの、自らが守り統べる領域をどれほど完璧に把握しているかに尽きようが』!
そういうことで今回は、綺羅にはアイマスク+ヘッドフォンにより視聴覚を閉ざした状態で家の決められたコースを歩いていただいております!
後方一メートルで普通に実況している俺の声も聞こえていない!
現在スタート地点である綺羅の部屋から十メートル地点、一歩一歩を踏みしめるように恐る恐る進んでいる!
何? ひいじいさんの代から住んでいる家なのにこんなにも歩みが遅くなるものか?
ご明察!
修行開始前、この修行を始めるに当たり俺が無数の箇所に障害物を設置してある、と綺羅には教えてあります!
直感によって普段とはこの家の中の何が違うかを察し、それを回避して進む! これぞ真田家内部把握修行!
――と、いうふうに話してあるのですが、ぶっちゃけ家の中には何も仕掛けなどしておりません!
それをどの段階で気付けるか、それこそがこの修行の真の要点なんですね!
それにしても修行開始から十五分、一向に歩く速度が上がらない!
実はこいつ、本当にただ家の構造を把握して無いだけなんじゃないでしょうか!
いやまさか、さすがにそれは……っとぉ――!
落ちたぁッ!
真田家のイエガミ、綺羅!
曲がり角に気付かず縁側を直進し、庭に転落したぁ――――ッ!」
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イエガミノート第一章、第一節より抜粋。
『イエガミにとって大切なもの? ……あー、はいはい綺羅ちゃん絡みね。苦労してるんだな共路も。そうだな、多くは望まんから、もうちっと家庭的な面があればと思うよ』。
現在、真田家台所。目の前には味噌汁を作る鍋。窓から差し込む陽の色は、夕暮れの橙だ。
「しっかし……あれだけ色々やってきて、ラストが料理のお手伝いなんて。これは今日一日のオチとして弱いのではないかと心配せざるを得ないよ私は」
「是非オチとして弱くなるような平穏な展開で済むことを願うよ俺は」
頃合いと見て昆布を取る。
ダシの仕込みはこれぐらいか。
「しかしな、こりゃある意味今日やって来た中で一番有益な修行だぞ。包容力とか理解とか把握とかは、言ってみれば個人の中で完結するもんだが、料理にはなんたって生産性がある」
俺も綺羅もエプロンを装着しており、味噌汁に投入する大根を切る俺の隣で綺羅は今シャカシャカとお米をといでいる。
……調理台に背が届かないので、踏み台で高さを底上げして。
「でも、何か絵的にも地味というか……もっとこう、ガーッと派手なことをしたほうがウケが良くない? フライパンにお酒をドジャーっと注いで、お肉がボーッてやつとか!」
「フランベとか必要なシャレた料理のレパートリーは俺にはねえよ。あと、おまえは料理の際に取り扱う火の危険性についてあのボヤ騒ぎ事件で何も学んでくれなかったのか。ひいじいさんの代からのイエガミなんだから、料理ぐらい少しは学んでんじゃないのかよ。それともあれか、ずっとグータラ自由気ままにやってきたのか?」
意外なことが起こる。
挑戦的な軽口に、いつもみたく激しい反論が来ると思ったら、綺羅は意外にもシュンとしてしまった。
「昔からなんだよね。私、いつも間違いをすぐに忘れちゃって、同じとこで躓いて。こんな姿だから、ってのもあるのかな。この家の『お父さん』と『お母さん』は、いつも私に料理を手伝わせたりしなかったよ。だから、こうして料理をするのは今、キョウジとが始めてかな」
「は? おいおい、何トボけてんだよ。昔さ、親父と母さんと俺とおまえでホットケーキなんか焼いたことがあったろうよ。ギリ料理にいれていいだろアレも。おまえはボウルを今みたいにシャカシャカかき混ぜててさ。俺は――そうそう! 自分にも何か手伝わせろってせがんだら、母さんに食器棚から皿を出してくるように言われたんだ! で、うまいこと人数分の皿を取り出すまでは良かったんだけど、はしゃいでた俺は足を滑らせちまって――」
マズい、と思った時には完全にバランスが崩れていた。
ゾッとする浮遊感。爆発する嫌な予感。頭は妙に冷静で、一秒後の現実を理解する。
――けれど。
それは、来なかったのだ。
「私が」
あの時。
そばにいてくれた、カミサマ。
「こけそうになったキョウジの背中を支えたんだ」
「ちゃんと覚えてるじゃんかよ。いや、絶妙な動きだったなアレは。片手はボウルを持ったまま、もう片方の腕で俺を抱きとめるようにしてさ」
支えるように抱えるように、片手を綺羅の肩に回す。そこから感じる印象は、小ささと頼りなさ。
なんか、唐突に実感する。
「イエガミのおまえに二十年も生きていない俺が言うのもなんだが、時間の流れってやつだなあ。いやはや、すっかり変わっちまった。今じゃ到底、あの時みたいな芸当は出来んよなあ」
とっくの昔に身長も体格も、俺は綺羅を追い抜いてしまっているだから。
今となっては。
台所で使う踏み台も、ひとつだけで事足りる。
「……ん、そうだね。……あーあ、置いてかれちゃった」
肩を支えられた綺羅は、たははは、と笑う。
「ね。キョウジさ、この前連れてきた、ケイって娘のこと――好きでしょ」
「あああはははははははなんだおまえ藪から棒にわけのわからんことをやっぱり縁側から転落した時に頭でも打ったか打ったな打ったとしよう打ったからそんこと言い出すんだよな!?」
「うむ、わっかりやすい反応サンキューです。しっかし、そーかー。ついにキョウジにも好きな子が出来たのかー。じゃなくて、出来てたのか。見破れなかったのは悔しいけど、子供の頃から一緒だった身としては、それより感慨深いなあ。ねっ、ケイのどーいうとこが気に入ったの? クールなとこ? ビューティなとこ? それともついに貧乳派に目覚めたかー?」
ぐっ!? な、なんだこれは、ほんの一手で攻守がぐるり逆転だと……!
「ねーねーキョウジー? どうなのどうなのー?」
……話を引き伸ばしても、こいつはおそらく追及を止めまい。誤魔化しナシで打ち明けるしかない。
「―――ー絵だよ、絵」
思い返す。
色褪せない、その記憶。
「去年の丁度今ぐらいの時期、部員勧誘の為に張り出された清水先輩の作品を見たんだ。それは高校の屋上からの風景を写生した絵だった」
あの時の衝撃は、多分。
どれほどの言葉を以てしても、言い表すことは出来ないだろう。
「びっくりしたよ。俺はこんなに綺麗な町に住んでたのかって」
写真みたいに精巧だったわけじゃない。
けれど、それは、だからこそ。
本物では掴めない、本当の風景を見る以上の発見があった。
「先輩の絵には――なんていうかな、そこに元からある、でも気付きにくい感動を、教えてくれるような美しさがあったんだ」
一人の人間の目を、清水景という心を通して抽出された、世界の在り方。
大袈裟な言い方になるが。
俺はそれで、この町に住んでいるということが、改めて嬉しく、誇らしく、楽しくなったのだ。
力を感じ。
そこから貰った。
「知っての通り、俺の絵なんて単なる趣味だ。先輩みたいに将来プロの世界で活躍しようとも、特別上手くなりたいとも思ってなかったから、中学の時みたいに一人で自由に描ければいいって、美術部に入る気はなかった。でも、その絵を見た後、足は自然と美術室に向かってた」
「ケイのそばにいたかったから?」
「……ド真ん中に直球放るね、おまえ。まあその時はそうじゃなくて、教えてもらえたいと思ったんだよ。清水先輩の絵みたいに、人を感動させるにはどうすればいいか」
「勤勉だ」
「うっさい。茶々入れずに聞いてろ。……けど、肝心の先輩は『私の絵が人を感動させられる、なんて自惚れたことは一度も無い。君が感動したというのなら、それは元から君の中にこそあったものだ』とかで、極意みたいなものは伝授しては貰えなかったが――側で見てるうちに、絵描きとしての憧れだけじゃなく人間的にも惚れたんだよ恥ずかしいこと喋らせんなこのバカ!」
顔熱い顔熱い!
何で俺は綺羅にこんなこと話さなきゃならんのだ! しかも俺がこんな状態だってのに、聞いた当の本人は『そっか』とかやけにローテンションだし!
「私の知ってるところで、私の知らないところで――たくさん変わるね、キョウジは」
「ふ――ふん、何だよ、羨ましいのか? だったら、おまえも一緒に変わるか?」
「え……?」
「イエガミ修行。まさか、今日で終わるわけねえだろ? 親父や母さんが帰ってきた後も、俺が説得してまだまだ続けていくからな。綺羅がちゃんとイエガミらしくなる、その日まで!」
不満たらたら嫌がるか、こっちのノリに付き合ってふざけ返すか。俺が想定していた反応は、精々そんなものだったけど。俺の言葉を聞いた、綺羅の顔は。
「駄目だよ、キョウジ」
どうしてだろう。
どこか、なにか、心の奥の古いものに触れるような儚さで。
「何が出来るようになっても、出来ないままでも。私はずっとカミサマだから」
泣き出しそうに、笑ったのだ。
「……綺羅?」
「さっ! 早くご飯作ろ! 今日はもうがんばりっぱなしで、いつもの三倍お腹が空いちゃってるんだから! ほらほらキョウジ、手を休めないのー!」
その面影は、まるで幻であったかのように、次の瞬間にはいつもの笑顔に変わっていた。
それから夜、おやすみを言って別れるまで、別に綺羅には何も変わったところが無かったから。
俺は自分が見たあの綺羅の表情の、その意味を深く考えずにいた。
――翌日の朝。
朝食の時間にいつまで現れない綺羅を呼びに行って。
真田家の何処にも、イエガミの姿が無いことを確認するまでは。
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