第三話 隣の神はよく働く神だ



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 明けて。更にもひとつ明けて、土曜日の後の、日曜日の朝。

 俺は今、イエガミの部屋へと潜入成功していた。


「――――うん」


 なんともまあ、相も変わらず、といった具合だった。

 畳張りの和室は、住人の色によってその雰囲気を完全に塗り直されている。

 テレビにパソコン各種ゲーム機、オーディオ機器に柔らかソファ。枕元にはスマートフォン、机の上には作りかけのプラモデル。


 ……まあ、珍しいことではないのだ。家に宿る存在であるイエガミは、その家の敷地内から出ることが出来ない。

 その上でイエガミが人並の娯楽を欲したなら、家人と折り合いが付けばこうして自分の領域を快適にチューンナップすることになる。

 そういう事情があったところで、目に余るのは変わり無しだが。


 改めて見ても惨状以外の表現が無い。

 一昨日俺が片付けたにも関わらず、もうここまで散らかしちゃうか。マンガとかは読んだらちゃんと本棚にしまえとあれほど言ってあるのに。

 ……少女的成分、カミサマ的成分、共に死亡確認!


「くぅ……むにゃ――――」


 一人暮らしを始めたばかりの学生のように自堕落な部屋の主は、隅に敷かれた布団でぐっすり眠っていた。

 現在時刻は午前九時。採るべき行動は勿論、問答無用の叩き起こし。髪を解いてパジャマを着込んでよだれを垂らす綺羅の肩を、ぐいぐいと蹴り揺らす。


「おら、起きろチビ。おまえ寝過ぎ。もうとっくに太陽昇ってんぞ」

「んー……? きょうじぃ……? 勘弁してよぉ、今日ふとんに入ったの遅くって、全然寝てないんだよ……」

「なんで?」

「うぷぷそれがねえスカイパチャットで相互のそろっぴーさんたちと明け方まで大盛り上がりしてそれはそれは愉快な有様で――ぅわぷっ!? た、太陽が黄色いぃっ! 無言で障子開けるなバカー!」


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「くわわわわ……。まったくもー、一体何なの? 私のすやすやタイムを妨げて、事と次第によっては今日のおやつのプリンを出してクリームを乗せる要求も無条件承諾してもらうよ!」

「――残念ながら。君の思っている以上に、事態は深刻なのだよ」


 二十分後。ふとんから綺羅を引きずり出して身だしなみを整えさせ、俺の部屋へと連行してきた。

 座って向かい合う綺羅に、俺は座卓に肘を立てて、口の前で指を組み厳かに言い放つ。


「な、何なのその暴走した汎用ヒト型決戦兵器を見るようなポーズは。どうしたのキョウジ、思えば昨日ケイの家から帰ってきてから微妙に私への態度が違うというか……」

「ふっふふ、そりゃあ変わりもするさ。知恵の実を齧ったイブが楽園にいられなくなったように、ある種の『認識』はそれまでの世界を容易く切り捨て、変革させるッ! 聞くかね君よ、俺が昨日、清水先輩の家で何を見て、そして何を知ったのかを――!」



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 というわけで、回想シーンにIN。 

 昨日、土曜。

 俺は学校前で先輩と落ち合い、そのお宅へと向かった。


 流石の名家清水家は、住宅街でも取り分け目立つ一戸建て。時代の先端のセンスと技術で作られた、見上げて眺める二階建て。

 武家屋敷とはあまりに違う近代の風に俺は内心ブルったが、そんなものはまだ序曲でしかなかった。

 言うなれば爪を隠した鷹、インパス前のひとくいばこ、真の衝撃はいつだって、その内側に潜んでいる――!


「ただいま。帰ったよ」

「おかえりなさいませ、御嬢様」


 つまり、彼は。

 真田共路の常識を一変させる運命の出会いは。

 清水先輩に案内されてやってきた居間に、颯爽と立っていた。


「紹介しよう。彼が、清水家このいえのイエガミだ」

「始めまして真田様。私が当家のイエガミを勤めさせて頂いております、草月そうげつと申します」


 そう言って深々と一礼したのは、ともすれば、微笑むだけで女性を蕩かせそうな甘いマスクの、作務衣のような和服の上に割烹着を着た男性だった。


「ようこそお越しくださいました。本日はどうぞ、存分にお寛ぎなさってくださいませ。御嬢様の大切な後輩ということで、私も気を引き締めて御持て成しさせて頂く所存にございます」


 その非の打ち所のない身のこなしと慇懃な態度は、どうにも格好とはミスマッチのような気もするが。

 どっちかというとあれだ、執事服を着せたら実によく似合いそうな。


「相変わらず堅いなおまえは。まったく、もっと気安い対応は出来ないのか」

「申し訳ありません。私もまだまだ未熟者で」


 主からの叱りに、恥ずかしさそうな苦笑。


「イエガミは家に宿り、その家に住まう者の幸福の為に忠節を尽くすべし、という固定観念から抜け出すことが叶いません。……真田様の家のイエガミである綺羅様は、イエガミとして多くの歳月を過ごし、私が持ち得ぬ多くのものを心得ているとか。叶うなら是非、若輩の身にご教授をお願いしたいものです」


 冗談を言っている目じゃない。

 ……先輩は一体ウチのダメガミのことを草月さんにどう紹介したのだろうか。あいつに、この人が取り入れて益になることなんてなさそうだが。自堕落という毒の塊っぽいんだが。

 草月さんはここで一旦姿を消して――数分後、木のお盆を手に持って帰ってきた。


「こちら、粗茶とお茶請けの桜餅となっております。どうぞお召し上がりください」


 ことことこと、と実に慣れた手付きで配膳される。遠慮なく食べるといい、という先輩の勧めに従い、木で出来た匙を使い桜餅をいただく。……瞬間、脳内を駆け巡る未知の衝撃……!


「な――なんちゅうもんを食わしてくれたんや、なんちゅうもんを……」


 言語回路がバグるほどの感動。よもやこれほどのものを出す店が、この町にあろうとは。


「御口に合いますでしょうか。何分私の手製ゆえ、味は保証できかねますので」


 手作りかよ!

 合いますかも何も幼稚園の頃からの幼馴染ばりに舌と相思相愛だよ!

 と、ここで鳴るチャイム音。少々失礼致します、と言い残して再度消える草月さん。


「判を押したように、いつもながら卒の無い応対だな、あいつは。たまには綺羅さんのようにエキセントリックな、私の想像もつかない行動をしてくれればよいのに」


 いやいやいやいや。

 そのりくつはおかしい。


「何なんですか先輩の家のイエガミ、草月さん……! あんなの、誰もが理想とするイエガミの妄想がカタチになったみたいなもんじゃないですか!?」


 品行方正、忠実有能。まるでパブリックイメージのイエガミ像を突き詰めた究極系である。

 そしてルックスもイケメンだ。


「はっ。イエガミのパーソナリティはある程度、発生した時点で構築されているとはいえ、あんなのは若造の小癪な演技のようなものだよ。草月のやつは、姿こそああだが実際には私よりも年下なんだぞ? この家が建ったのは、私が四歳の頃だからな」

「なん……ですと……?」


 驚くべきポイントが多すぎる。先輩が四歳の時に生まれた=俺よりも年下であの人格であることもそうだが、半世紀以上生きているにも関わらず残念な性格の某イエガミが頭を過ぎる。


「例えるなら、草月の性格は肩の力が抜けない新入社員のようなものか。綺羅さんの性格は、長い年月を経た上に、酸いも甘いも噛み分けて世の生き方にものだ。一概に、そこの価値を判断する事は出来んが――好みで言えば、私は綺羅さんを好ましく思うよ」


 本当に、どうして先輩は逐一あれを高く評価するんだろうか。……かわいいもの補正か?

 そんな甲斐甲斐しく働く草月さんに申し訳ない会話が行われていたとは露知らず、彼はお待たせしました、と帰ってきた。


「訪問者は誰だったんだ、草月?」

「新聞の勧誘員の方でしたよ。丁重にお断りし、お帰り願いました。……それではここで、すこし失礼させて頂きます。やらなければならない家事がいくつかありますので。御用の際は何なりとお申し付けください、お嬢様、真田様」


 草月さんは春風のような微笑みを残し、静かに居間を去っていった。

 ほ……ホンモノやー! 草月さんはホンモノのイエガミやー!

 登場から退出まで、一切の失敗なく優雅華麗に己の仕事をやりとげてみせた草月さんに俺が敬意を抱いている中――先輩はしかし、はじめて見るような不満顔で、ぽつりと呟いたのだった。


「……同じ家に共に暮らす家族なのだぞ。御嬢様などという他人行儀な呼び方ではなく、たまには名前で呼んでみせろというのだ」



 ●▲■



 ――と、いったところで回想シーンからOUT。

 俺の目の前にあるのは夢のバラ色完全無欠イエガミではなく、残念無念なチビである。


「こうしたことが、あったわけなのだよ。では感想を聞こうか、綺羅くん」

「やー、私って自分の想像以上に世間的に評価されている稀代の逸材だったんだね! あと、その話を聞いたら昨日キョウジがお土産で持って帰ってきてくれた葛饅頭が食べたくてたまらなくなったんで、早速今から舌鼓のほう打たせていただきます!」

「はいだらぁぁぁぁ――――!」


 裂帛の気合に乗せて叩き込まれる弾丸チョップがダメガミさまの脳天直撃。


「ちょっと待ってキョウジ! 何が間違ってたのかわからない!」

「もう全面的に色々だよバカ! 分からないなら教えてやる、足りないんだよおまえには! イエガミに最も必要不可欠な、カミサマらしさってやつが!」

「カ――カミサマ、らしさっ……!?」

「そう、カミサマらしさだッ! 俺は昨日、教科書に載せるべきレベルの古き良きイエガミが現代に於いても健在であることをしかと見たッ! それで思い出したよ、元来イエガミとはどうあるべきものなのか。そして、おまえがいかにイエガミとして問題なのかッ! それが気になって気になって、折角先輩の家に行ったというのに茫然自失状態で過ごしちまったよ!」


 スパァン、と綺羅に指と現実をつきつける。一昨日は先輩に説き伏せられたかたちになってはいたが、直せるものならやはり欠点は直すべきなのである。

 目指せ、脱、ダメガミ。


「おまえには今日これから、カミサマとして相応しくなる為の更生メニューをこなしてもらう! 無論、イエガミならではの超常的特殊能力を今いきなり体得して見せろ、とかそんな無茶苦茶はさすがに言わん! おまえに課すのは、そういう生まれ付いての能力じゃあなくおまえの努力次第で改善できる範囲のカミサマ的要素の修行だ! 徹底的に生まれ変わっていくぞ!」

「あッ! 急に今日の円相場が気になってきた!」

「よぉし絶対その手のことを言うと思ったぁっ!」


 一瞬で逃走の姿勢に移ろうとした綺羅の腕を、座卓の上に身を乗り出して掴んで止める。甘いわこのダメガミめ、何年一緒に住んでる仲だ。そんな行動俺が予測していないと思うてか!


「どうしたカミサマ、何故逃げる!?」

「わ、私は今の自分が大好きだから! ありのままのキラメキを大切にしたいと思うんだ!」

「……言っておくが。もしここで逃げ出した場合、今日から俺は自分の分の家事しかせんぞ」

「なっばああああぁあぁあっ!?」

「朝に焼くベーコンエッグはひとつだけだし、洗濯籠の中の洗い物はきちんと男女に分別する。この部屋が次に魔窟に成り果てた時、救助部隊は来ないと思ってくれていい。まあ、そう怯えることは無いさ。これは所詮終わりの見えた苦行だ。期間は親父たちが帰ってくるまでの一月にも満たない。ただ――それまでおまえは、無事でいられるかな……?」

「な、なんて素敵に露骨、的確で悪魔な脅迫をしかけてきやがるこの男……!」


 説明しよう。

 このダメガミ、綺羅には致命的なまでに自活能力というものが無い。

 とりわけそれが顕著に響いてくるのは食事だ。


 超常的存在であるイエガミは、食うや食わずであってもマジヤベエパネエ状態に陥ることなどないが――食事の生み出す快楽を文字通り味わってしまったこいつには、それを断たれるのは、人間でいう断食の苦しみと同様の意味を持つ。


「……い、一応聞いてみるだけ聞いてみるけど。具体的には、私に何をさせるつもりなの?」

「その疑問を説く術は――ここに眠っているッ!」


 シュバァグルグルグルピシュシュン、と我が懐から抜き出されるは、一冊のメモ帳。だが、この中に秘められたポテンシャルは、外見通りの小さなものでは決して無い! と思って頂こうッ!


「これこそが俺の中で燻り続けていた希望への意志ッ! 『イエガミノート』だ!」

「直訳でイエガミのノート!? つまり――それに名前を書かれた人間は、イエガミる!?」

「謎の動詞は華麗にスルーして説明させていただくとだな! これは、今まで散々イエガミにあるまじき行動を見せ付けられたことによって俺に生じた、『イエガミとは何か』という最早哲学の域にも達しかねなかった疑問を解決するべく綴られた血と涙の一冊だ! この中には、中学の頃から俺が今まで出逢った人間に尋ねた、『イエガミにとって大切なものとは』とのアンケートの集計結果が纏められている! おまえにはそれを頼り道標にどこに出しても恥ずかしくない『イエガミ・ザ・イエガミ』を目指してもらう!」

「オーノーッ!? 私の嫌いな言葉は一番が『努力』で二番目が『ガンバル』なんだよ!?」


 割とマジだから困る。そのくせこいつ、RPGのレベル上げとか大好きなんだよなあ。


「選択はふたつにひとつ! 俺と共に真イエガミへのロードを歩むか!? それとも『イエガミさま・はじめてのひとりでできるもん伝説』に突入するか! さあ、どっちだ――ッ!」

「……ふん。イエガミ・ザ・イエガミなんて肩書きに興味は無いが……ナメられっぱなしは私の性にあわないんでね!」


 何故か突如としてニヒルでストイックな主人公風の仕草を見せ付ける綺羅。

 こうして俺達の、輝ける一番星を目指す的な試みが始まったと言っても過言ではなかったのだ……!


「それでは行くぞ! イエガミ修業ォ、スタンバァイ! レディィ――」

「ゴォーーーーッ!」 



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