第二話 下から数える八百万



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 さてさて。

 古来よりこの国に於いては、カミサマの数は八百万もりだくさんと相場が決まっている。

 それは日常のあらゆるモノ、様々な場所、現象に至るまでそれを司るカミサマが存在し、また新しく生まれ来る、という概念だ。

 俺達の生きる現代で一般的に知られている【イエガミ家神】も、つまるところその一種である。


 イエガミは文字通り、家に宿る神様だ。

 ここで言う『家』とは、『人が日常生活を営む中心となる住宅』を指す。

 そして、元から家という目的で建てられた場所以外でも、何らかの理由でそこが誰かの家になった場所にもイエガミは宿ることがある。その為、イエガミとは厳密にはモノではなく、空間や認識に宿るカミサマといえる、とかなんとか。


 発生したイエガミは、自分が宿る場所を『家』として成り立たせている家人の幸せ、家人の望みを善しとして行動する。

 簡単に言えばその家の為に尽くす、要はカミサマのお手伝いさん。しかも無償の無期限ご奉仕活動ときたもんだから、イエガミを欲しがる家庭は数多い。


 が、イエガミは【家さえ出来れば絶対に宿ってくれる】というものでもなく、未だどういった条件で家にイエガミが現れてくれるのかは解明されていない。

 そのレアっぷり、甲斐甲斐しい役立ちっぷりからイエガミの出現は諸手を上げて住人に歓迎される。


 何しろカミサマ、そこらのホームヘルパーとは働き方の格が違う。

 空き巣や強盗などの人的災害から、果ては自然災害まで含めてガードするという、超絶超常防災能力と来たもんだ。


 イエガミは自身の宿る家を守り、その家人はイエガミに感謝する。

 本来ならば食事等の生物的生理行動を必要としないにも関わらず、家人の好意によって人間らしい営みを共にするイエガミは少なくない。


 そういうわけで。

 我が真田家のイエガミ――綺羅も、実に恵まれたカミサマライフを満喫している。


「んむー! おーいしー! やっぱり世界最強の甘味はあんこに決まりだよー!」


 満喫しているものであるが、コイツの場合は行き過ぎだ。先輩の手土産である最中を誰より先にパクつく様子は、まっことカミサマらしくねえ。

 チビっこい図体は、どう見ても小学生高学年ぐらいが関の山。親父が買ってきたリボンでセミロングヘアをツインテールに括り、着ているのは母さんが買ってきたいかにも可愛らしい子供服。

 イエガミとしての初期装備だったらしい着物なんざ、【持ってる持ってるちゃんときちんととっておいてる】と主張はするが俺は一度も見たことがない。本当は無くしてるんじゃなかろうか。

「ぷぱー!」と合間に茶まで堪能するちびを、清水先輩はまじまじと観察している。……なんか、無性に恥ずかしい。


「驚きだな。真田君の家には、イエガミがいたのか」

「やたらと吹聴したいことでもないですからね。人に知られるのも恥ずかしいんで、俺の関係ではウチに来た友人ぐらいしかこいつのことは知りませんよ」

「恥ずかしい? はて、イエガミの存在とは普通、羨望されるステイタスだと思うのだが」

「――あはは。そうですね、こいつが本当、胸を張って周囲に誇れる『普通』のイエガミさまだったら、どんなに良かったか……」


 思わず遠い目になってしまう。今見つめてる天井辺りがスクリーンになって、これまでの綺羅の所業が映し出されるイメージを想像ください。


「はっ!? イエガミ的に直感したんだけど、まさかキョウジ、今から私に対する謂れも根も葉もないネガティブキャンペーン実施中にしようとしてない!?」

「根も葉もないどころか純度百パーセント混じりっ気無しの実体験しかねえよこの野郎ぁあああああッ!」


 牙剥き叫ぶ潔白主張。

 なにそのきょとんとした目は。

 濁りなき【私は清廉です】オーラ、これ演技とかじゃなくて本心から出してるね?


「どうどう、落ち着きたまえ真田君。話を聞かせてもらおうじゃないか」

「す、すいません。先輩の前だというのについ取り乱しました。――そうですね。実は先輩、ウチの両親は春休みに入る前ぐらいから、仕事で一月ほど家を空けることになったんですよ」

「ほう、そうだったのか。それではここ最近は、真田君はこの娘と二人暮しか。だがまあ、イエガミと一緒の留守番なら、ご両親も安心して家を空けられるだろうな」

「……二人暮しが始まって今日まで、ウチでの食事は全部俺が用意してます」

「ミユキと比べるとまだまだ修行が足りないけど、それでも結構な腕前なんだよー」


 ミユキというのは俺の母さんの名前なわけだが、勿論今のイエガミさまの発言で注目するべきなのはそこじゃねえというかおまえどうして申し訳なさが無いどころか誇らしげなんだ。


「それだけじゃありません。掃除に洗濯、家事一切何もかも、全て俺がやっています」

「学校に行きながらちゃーんとサボらずやってるんだよ、キョウジは。凄いでしょ!」


 だから何故おまえが、というかいい加減にある種の問題点に気付くつもりはないのか。


「俺がまだ小学生の頃の話になるんですが。一時期、ウチは新聞を五つとっていたことがあります。それは別に、世間の流れを多角的に捉えようとしていたとかそういう理由じゃありません。こいつが勝手に、次々とウチにくる勧誘員と契約したからです」

「四コママンガが一日に五種類も読めるなんて夢みたいだったよねー、キョウジ!」


 夢であって欲しかったよ本当に。

 業界内で噂が流れたらしく、『あそこはチョロい』とセールスの格好のカモ扱いされて、暫く日中はチャイムが休む間もなかったんだぞ。


「ああ、あと忘れちゃいけないのはあのボヤ騒ぎ。何年か前、七輪で焼いた旬の秋刀魚は実に美味い、なんてグルメ番組を一家で見たんですが、はい、もうオチは見えましたね。それにえらく反応したこいつは、家に誰もおらずかつ小腹が空く夕方ごろにそれを思い出し、一人で押入れから色々と道具を持ち出して――」

「もー、ちょっと畳が焦げちゃっただけのことなのにキョウジはすぐ話を面白おっきくしようとしてー。そんなに頑張ってもトーク番組ひな壇の出演依頼は来ないぞー?」


 あの日、俺が風邪で早退していなかったら家と運命を共にするイエガミであるおまえもGAMEOVERだったというのに、なんですかその当時の危機感を欠片も感じさせない笑顔。


「他にもまだまだ、残念なことにこの手のエピソードを並べれば枚挙に暇がありませんし、それらが指し示す事実は単純です。こいつは、真田家のイエガミである綺羅は――一般的にイエガミがするとされる仕事を、何っ一つ、やっちゃあいません。正確には、やれないのでさせていません。唯一やっていることといえば、まあカミサマらしいといえばカミサマらしく、親父と母さんに気に入られて可愛がられる我が家のアイドル役ぐらいでしょうか」

「あ、アイドルなんて……そ、そんな急に褒められると、て、照れちゃうなー……」


 うん、頬染めてるとこ申し訳ないけど微塵も褒めてねえからね?


「……先輩、これらの話を聞いて、我が家のイエガミについて、どう思いますでしょうか?」


 俺の振りに対して、清水先輩は真剣な表情で、湯飲みを口に運び絶妙な間を形成する。

 ……俺がここまで、直接的な表現を避けてきたのは次に発せられるであろう言葉の為だ。

 

 聡明な方々は既にお気付きの通り、ウチのイエガミはダメダメである。

 カミサマらしさのカの字も無いダメガミの極みである。


 その生活態度に言及したことは何度もあった。

 だが、結局は駄目だった。

 綺羅は『キョウジってば口うるさいんだからー! 人生はもっと余裕を持って楽しむものなんだよー!』とか文句だらけで聞き入れようとしなかった。


 それはおそらく、気安い身内から言われたが故に、理性より感情、反省より反発が先に立ってしまうせいだ。

 ならば。初対面の清水先輩がそのクール加減を遺憾なく発揮してお叱り下されば果たしてどうなるか? 綺羅といえども、客観的な指摘にはこれまでの自分を恥じざるを得まい……!

 

 言ってください先輩!

 突破してください先輩!

 こいつの築き上げた独善的自己肯定ウォールに今、誰もが求めた風穴を!


「素晴らしいイエガミじゃないか」

「何を言うだァ―――――ッ!」


 想定外の台詞過ぎて呂律が回らねえ。


「何も直接的に働くだけがイエガミの存在を支える役割でもないだろう。心を潤すというのも十分に立派な功績だ。そこに保護欲を満たしてもらうという意図があるのなら、むしろ役に立たないことこそが不可欠なのだ。――まあ、要するに」


 先輩はおもむろに立ち上がり、綺羅の背後へと周り、軽く持ち上げ、膝の間に置いて、


「愛らしいということにはそれだけで、他の追随を許さぬ価値がある。かわいいは、正義だラブリー・イズ・ノットギルティ


 あれー?

 俺の中の清水景像がおかしくなってくよー?

 し、真剣な表情で思いもよらぬ事を言ったなこの人、そして綺羅の頭をさりげなく撫でり撫でりとしている……!?

 なんてうらやましい!

 でなくて!


「ううっ、で、でも先輩、綺羅は俺のひいじいさんがここを建てた時からのイエガミですよ? イエガミの姿は発生した時から変わらないからナリはそんなでも、つまり実年齢の方は……」

「人が何かに感銘を受ける時、そこに必要とされるのは自己と対象の対話だけだ。あるがままのものをあるがままに見て、自分が何を感じるか。大事なのはそれだ。逆に言えば、それ以外の全ては聞くに足らない雑音に過ぎない。どのような経歴を持とうと、私はここに在るこの娘を見て価値を信じた。それだけでいい。時間がどうだの、瑣末なことだ。美しさとは年月によって褪せぬものもあるし、また引き出されるものもある。――あれのようにな」


 指を指す先にあるのは、開き放たれた障子の向こうに見える庭に、悠々と聳え立つ桜の木。


「他には役に立たず、人の心を潤すことしか出来ない? 結構じゃないか。その為に存在するものが、この世にはいかに多いことか。人がどれだけ、自らの心を満たすものを求めることか。それを否定してしまったら、はは。私らにだって立つ瀬が無い」


 言葉の意味を掴めず返答をしかねていると、先輩は苦笑して肩を竦めた。


「芸術だって。結局は、心の為にしか役に立たないものだろう?」


 ……くそう。

 こりゃ無理だ。

 この人を、自分の口先通りに動いてもらおうとした俺が馬鹿だった。


「ありがとうね、ケイ」


 と、唐突に綺羅が先輩に、首を後ろに反らして目を合わせて話しかけた。


「あの桜を褒めてもらえて、きっとソウジも喜んでるよ」

「ソウジ……?」

「あの桜の木を植えた、キョウジのひいおじいちゃん。私もその場に居合わせたんだ。あの時はまだ、あの桜の木もちっちゃな若木でね。いつかこれが花を咲かせて、それで誰かが綺麗だって笑ってくれたら、自分はその華で酒を飲みたいって笑ってたなあ」


 それはどこか大人びた、優しくて暖かい微笑みで。

 そこには俺が窺い知れるよりもずっと深く、きっとこいつにしか分からない万感の思いがある。

 ……普段は生意気なチビガキそのもののくせに、偶にこういう顔をしやがるんだよなあ。


「そうですか。なら、その曽祖父さまには感謝をしなければなりませんね」

「せ、先輩。いいですよわざわざ、こいつにそんなかしこまらなくっても」

「何を言うんだ、真田君。綺羅さんはイエガミで、我等より長きを生きる先人だと君も言っていただろう? なれば私達は若輩の身として、それなりの敬意を払うべきではないか」

「うーん……そう言われましても、どうしても俺にはこいつはそんな大したものに思えないんですよね……。ただの馬鹿な妹分っつーか」

「ならこの気に見直せばいいのさ! 遠慮せずに敬いたまえよこの私を! イエスユアハイネスと言ってもいいんだよ! 来いよキョウジ! プライドなんか捨てて褒めて来い!」


 直後、俺が食べかけだった綺羅の最中を強奪したことによってダメガミを涙目にさせることに成功。これで神秘性感じろとか無理難題にも程がある。


 そんなこんなで騒動に一応の決着がついた後、清水先輩は当初の予定通り縁側に腰掛け桜のデッサンを始めた。

 俺?

 俺も本当なら隣でご一緒したかったさ。

 ちょろちょろと縦横無尽にちょっかいをかけてくる暇を持て余したイエガミへの対処に追われていなかったらね!


「まあまあ真田君。私は気にしないから、綺羅さんには私の背中におぶさらせてあげてくれ」

「うう、ケイは本当にいい人だねえ……。それに比べてキョウジと来たら! 昔はあんなに甘えんぼうで、大きくなったら綺羅お姉ちゃんのお婿さんにしてー、なんつってたのに!」


 ――突然の爆弾発言だが、なんとか冷静でいられた。ほらこんなにニコヤカな笑顔。俺はオチツイタ動きで綺羅の背後に回り、その腰に両手を回してオチツキナガラ持ち上げて、


「ぃよいしょぉぉおおおおお――――!」

「みゃ―――――!」


 部屋の端に積んである座布団の上にバックドロップを食らわした。飛び散る座布団。豪快にまくれ上がるスカート。受け取れ、俺の怒りと涙。そもそもよく考えるまでもなく俺の描いた清水先輩との進展プラン、千載一遇のチャンスはキサマに台無しにされているんじゃよ!?


「いやはや。本当に、羨むほどに仲が良いね。真田君と綺羅さんは。お互いの間で変な遠慮も、屈託も無い。それに比べれば、ウチのはどうもな」

「え……? それってまさか、先輩の家にも?」

「ああ、イエガミがいる。もっとも綺羅さんに比べれば全然可愛くもない、本当の兄弟と見紛うようなフランクな付き合いも出来ない、つまらん関係だがね。まあ、真田君と同じ理由であまり喧伝してはいなかったんだ……そうだな。明日は土曜で休みだし、君さえ良ければ見に来るか? 今日は急に押しかけてしまったからな。御礼の意味も兼ねて持て成させてもらうよ」


 ……………………あれ。

 なんか、チャンスがレヴォリューションしてる。


「どうした、その素っ頓狂な表情は。……やはり、急に招かれても困るか……?」

「ぃ喜んでお邪魔させていただきますッッッ!」


 俺史上最高の敬礼が炸裂。こいつぁえらいことになってきた、テンション上がってきた! 邪魔だと思っていた折角の二人きりを台無しにしやがったと恨んでいた、だがそれはとんでもない思い違いだった! このイエガミは、俺を大いなる飛躍に導く救世主だったんだよ――!


「[思いがけぬ朗報に歓喜するキョウジ。今の彼はまだ、己を待つ過酷な運命を、その非情なる未来を知る由も無い――]」

「無駄無駄無駄ぁ! どんな不吉なナレーション風の語りでもこの有頂天は止められぬわ!」


 一度潰えた希望は、絶望という炎の中から不死鳥のように蘇った。

 天には青、地には花、人には夢。俺は今ほど、明日という日が輝いて見えたことはない。

 今日こそ確信した。我が家のイエガミは、マジでガチに神様だったと。



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