かみさまとのくらしかた

殻半ひよこ

第一話 桜一景、綺羅びやか



 マンガは語る。

 アニメが示す。

 ライトノベルも教えてくれた。

 非日常というものは、ある日突然ぱっくりと口を開けておまえのことを呑み込むぞ、と。


「――――はぁ、」


 悲しいかな。

 そんな再三の忠告はしかし、俺の身の芯には染みていなかった。何もわかっちゃいなかった。

 こんな。

 こんなことはそれこそマンガとか、アニメとか、ライトノベルの主人公の特権だなって思ってました――――!


「ほう、ここが君の家か」


 足がもつれるかと思った。

 心臓が止まるかと思った。

 すんでのところで振り向いた。


 川のような黒髪が、ちょうど風に膨らみ揺れる。

 広げ持った扇子には、達筆な文字で【天晴】とある。


「いやはや、これはびっくりだ。立派な武家屋敷じゃあないか、真田さなだ君」

「なぁにを仰いますことやらばっ!」


 咄嗟に出た返事は上擦っていて、褒められたのが畏れ多くてむず痒くて、俺は考えもしない言葉を喋る。


「外見だけはそれなりですけど、こんなもんひいじいさんの代から直し直し使ってるようなただの古くてボロっちい骨董品です!」

「なんだ。それはそれは随分と胸が躍る。古いもの、歴史あるもの、使用者の愛を感じるもの――皆私の好みだよ」


 溶けた。

 溶かされるかと思った、その笑みに。

 それは優しく暖かく、自分なんかが直視していていいのかと申し訳なくなる優雅で可憐な上品さ、そんなこちらの勝手な遠慮をもまとめて受け入れる包容力が、結果俺を金縛りにする。


 ――清水景しみずけい

 先の新学期で三年生に進級した、美術部の先輩。

 昔からここいらの地方に知られる名家の一粒種で、溢れんばかりの愛情と様々な教育を受けて育ち、中でも特出しているのが芸術家としての素養だった。著名なコンクールで数多の受賞暦トロフィーを勝ち取り、在学中の今から将来を有望視される、平々凡々な進学校の丈には余ると言われるほどの前途有望な人材である。

 その特徴は一言で表すならばクールビューティ。極上の絹糸のような長い髪、意志の強さを窺える凛々しい瞳、背はすらりと高く細身ながらも、華奢さを感じさせないのは彼女の引き締まった雰囲気故で、それこそ彼女自身が高名な作品かのような趣さえある。その為ウチの美術部には、清水先輩を指して【芸術家か美術品かわからない】という言い回しまであるほどだった。


「ふふ、しかしあれだな、真田くん。私も普段から、自分を取り巻く噂だの評価だのは知ってはいるが、やはり違うとはっきり思うよ」

「え、」

「“本物の美しさ”に比べたら。私など、それこそ赤面するより他に無い」


 視線の先にあるものが、本日、清水先輩真田家来訪という奇跡を起こした功労者だ。

 遡ること一時間前。美術室でのちょっとした雑談が、きっかけだった。

 学年も新たとなり、訪れた桜の季節。長めの寒波の影響か遅れた開花、四月の第二週という最近になって、ようやく見ごろになるかという具合だった。

 

 それに関する悩みを、清水先輩たちが話していた。

 画家としての清水先輩は風景画を主軸とする。季節と共に移ろう絵、流れの中に寄り添う絵、繰り返し訪れる日常の絵。

 この町の四月の桜を、来年の清水景は見ることはない。卒業し、町を離れ、遠方の美大へと進学する――

 ――その前に、残しておきたいのだと彼女は話した。

 そして、やるからには追求したいと探していた。


 目当てのものは、一本桜。

 道の端から端まで続く並木の桜の風景も壮観だが、他に遮るものや並ぶものの無い中で一本だけ優美に咲いた桜の風情――住み慣れた地を離れ、遠くへ行っても、自分が自分としてあり続けられるように。その為の指針を、自分自身で描くように。


 わいのわいのと話し合う。

 バスにでも電車にでも乗って足を伸ばせば該当する場所はあるだろうが、清水先輩が欲しいのはあくまでもこの町の風景で、そのこだわりを無視するわけにはいかなくて、『そんなら四六橋しろくばしのほうになかったっけ?』『赤葉山あかばやま公園は?』『ずらーって並んでるとこなら知ってるんだけどなあ』『広いとこに一本ってのは中々条件が難しいっすねー』『そうか。ありがとう皆、手数をかけたな。なに、桜の季節は短いが、今日明日終わるわけでもない。今少し、目当てのところを探してみようと、』『あの』


 唐突に、外側から、差し込まれてきた声に、十と二つの目が向いた。


『俺、知ってます。――心当たり、あります、それなら』 


 振り絞った声は震えていたし、視線も微妙に外れていた。こう言えばどうなるのかは予想出来たが、その結果を受け止めるだけの肝は無かった。


『それは、どこだい?』


 身体に穴が開いたと思った。

 あの清水先輩の目と声と関心が、今自分に向いているのだということに、落ち着いていられる訳はなかった。


『う、………………………………うち、です。その、俺、住んでるのが、ひい爺さんが建てたっていう、郊外のほうの、庭に桜がある家で、』


 ごめんなさい変なこと言いました忘れてください絶対思ってるのと違います。

 緊張に耐えかねてそれらの言葉を言おうとした矢先、


『寄り道をしていいかな』


 先輩は、部屋の隅で石膏デッサンをしていた俺に、目線を合わせるように屈んで。


『突然、これから、お邪魔をさせて貰うんだ。手土産くらい持っていかねばかたじけないからね、真田共路きょうじ君』



「――――いかんな」

「え、」

「胸の内にあるものを、表現するのが画家だというのに……これはちょっと、どのように形にすれば、この感動をあの風格に劣らぬように絵として表せるのか、考え付かない」


 心の中で、胸を何度も撫で下ろす。

 求めていたものイメージと、余程重なっていたのだろうか――先輩はじっと、感極まったようにして桜の木を見つめていた。


(……よし、)


 その横顔を見ながら、俺はひそかに決意を固める。

 おい、俺よ。真田共路よ。

 萎縮はここまでにしろ。

 現状はピンチでなくチャンスだ。

 先輩に憧れて美術部に入り、過ごしてきた一年。あまりに畏れ多すぎてろくに交流も持てなかった、距離を縮めてこれなかった、それを越えるのが今だ。この桜が繋いだ縁だ。マンガかアニメかラノベみたいな、びっくりどっきり非日常への入り口だ。


 ――――そうとも。

 泣いても、笑っても、あと一年。

 進学に要される準備を考えれば、もっともっと少ない。

 飛び越えろ。

 声を出せ。

 今まで通りの微温湯に、張り付く足を引き剥がせ。


 もっと出来ることがあっただろうと、後悔したまま別れたくなんてないのなら。

 離れた後でも途切れない、そんな関係を作るんだ――!

 

「――先輩先輩」


 声は、震えずに済んだ。

 それを、どうにか自信に変えた。


「観察なりデッサンなりをするにしても、身軽なほうがいいでしょう。まずは荷物を置きませんか

「む、そうか、そうだな。すまない真田君、夢中になると周りが見えなくなるのは私の悪癖だ」

「いえいえ。その集中力も、俺は尊敬してますから。それに、折角先輩が津村堂で上等な茶菓子を買ってくれたんです、まずは一休みしましょうよ。あの桜、俺の部屋の縁側からよく見えるんです。花を描くのは花見の後でもいいと思いませんか?」

「縁側……ああ、」


 目線が、桜から、右へ。そこにある、母屋から離れた、渡り廊下を挟んだ一角へ。


「うん、あそこからなら確かにいい風景が見えそうだ。お言葉に甘えさせてもらっていいかな、真田君」


 先輩、微笑。

 俺、卒倒寸前。

 大歓迎です、と先輩を家の中に招き先導して廊下を歩く。

 前を歩きながら、見えないのをいいことに俺は笑いを堪えている。


 なんだこれは。話がうまく進み過ぎだ。

 こいつは来たか。真田共路人生最高の日が訪れてるんじゃないのか。

 一緒にお茶を飲みながらの団欒トークで、俺達は一歩進んだ地点へ旅立つ可能性がなくもなくもなくもないんじゃないのかこいつァ……!


 今となっては前日、『新学期だしメリハリつけるか』と部屋の模様替え&大掃除を行ったのも、最早天啓としか思えない。普段何かと散らかっている俺の部屋も、どんな来訪者にも堪え得る清潔レベルを維持している。


 恐れるものが無さすぎて逆にコワイ。未来が明るすぎてもう前が見えない。

 母屋に入り靴を脱ぎ、廊下を越えて離れの前に辿りつき(今までの場所から違う関係に到達する隠喩)、俺はむしろ見せ付けるかのように勢いよく襖を開けて(新しい関係性を切り開く隠喩)、


「いやー、探した探した! 模様替え後の楽しみといえばやっぱ宝探しガサいれだよねー!」


 拝啓。

 父よ、母よ、友人達よ、元気でやっていますでしょうか。

 こちらは、人生最高の日を迎えたと思ったら襖の向こうが桃色地獄絵図でした。


「んー……それにしてもキョウジってば、中学の頃から趣味セレクトが頑なに変わらんねー。筋金入りというか殿堂入りレベルの業界特定ジャンルへの功労者だねこりゃ」


 部屋の中央、畳の間の座卓に置かれた、本来決して白日の下に晒されてはならない、真田共路誰にもひみつのおともだち(計八冊)。

 俺が時空の乱れに飛び込んで時間を巻き戻し今日という日を全て無かったことにする為にはどうすればいいかを全人類の中で一番真剣に考え始めてから実に十秒後、そいつはようやく俺達の存在に気付いて、勢いよく振り向きながら慌てたように声を上げた。


「っつわああああああああっっ!? え、キョ、キョウジ、なんで!? キョウジナンデ!? どうして!? 今日は部活に顔を出していくから遅くなるって言ってたのに!?」


 浮気現場を見つかった妻か、などというツッコミも挟まる余地は無い。

 俺はクレーンのように力強く正確な動きで、そいつの首根っこを引っ掴んで持ち上げる。


「ねえキョウジ、今から私大事な話をするよ。よく聴いて欲しい。人は不完全な生物だ。全てを得ることは出来ず、全てを知ることが出来ない。でもね、それは決して悪いことなんかじゃないの。全てを得て知るということは、つまり身に余る辛さや苦しさも引き受けてしまうということだから。いたずらに得て、知るばかりが幸福に繋がるとは限らないんだよ。つまり――キョウジがちゃんと今朝言った通り遅く帰ってきてれば、こんな場面に出くわさずに済んだんだ! このいたたまれない状況はキョウジのせいだ! 私は悪くねえ! 私は悪くねえー!」

「よぉぅし遺言も終えたところで煮るなり焼くなりされような!」

「うわーい諸権利剥奪されてるぅーーーーっ!」


 網で掬われた魚のパワーで抵抗を試みられる。だが許さん。決して怯まん。おまえが軽々しい気持ちで引き起こしてしまったこの惨劇は、現在進行形で俺のトラウマとして成立していっているのだから。

 つうかさっきから後ろの先輩が何も言ってくれないんだ!

 怖いよ!

 怒りで自分を縛ってないと逃げてしまいそうなんだよ俺!


「はは。随分と仲がいい様子だが、その子は真田君の妹かな? ……いや、それにしては歳が離れすぎているか。従兄妹か、或いは近所の子供か?」


 まったく動じず! 流石先輩、クールビューティの看板に偽り無し! だが反応無しはそれはそれで痛苦しいし恐ろしい!


「それと、済まんな。貧乳で」


 すみません前言撤回します! 反応される方がマジで辛いです! 勘弁してください!

 ……この空気は良くない。至急換気しなくてはならない。世の中にラブコメあれ。折角到来した百年に一度のチャンス、ギャグのテンションに押し流されることなかれ。深呼吸をひとつして、赤面しそうな動機を抑えて、貧乳の件を鉄の意志こころでスルーする。


「その、非情に申し上げにくいのですが……」


 事態を収拾するには、現況による説明責任の達成しかない。

 襟首を掴まれたまま先輩の眼前に差し出されたそいつは、初対面の人間に対して一切警戒していない、威厳も神秘性も皆無な笑顔を披露しつつ俺の言葉の後を継ぐ。


「はじめまして! 何を隠そう私は、この家のカミサマをやってる綺羅きらって言うんだよ! よろしくね、キョウジのお友達さん!」


 それはそれは能天気で、何の変哲も無い日常の一部。

 ひいじいさんの友達だった、小さな少女の姿の神様。



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