第8話「心の風向きは時間に乗ってどこまでも」
――前略。
もうすぐ5月に入りますね。5月といえば、【
だって毎日が楽しくて、倦怠感なんか吹き飛んじゃうんですもん。退屈にしている時間がもったいないくらいです。
胸を張れるほどのものではありませんが、着実に実力をつけていると思います。セフィリアさんにも「上手になってきたわねえ」って言ってもらえましたし。ちょっとばかりの自信にもなりました。
もし見せても恥ずかしくない物が作れるようになったら、写真とか送りますね。
それでは、またメールします。
***
とても穏やかな時間が流れる
〝森林街〟ユグードに暮らす人々はみな優しい笑顔に包まれています。
この街は〝芸術の街〟としても知られていて、様々な工芸品が数多くあります。それゆえに、観光名所としても宇宙中に名を馳せていました。観光客は持って帰るお土産に1日頭を悩ませるのが恒例になっているほどです。
そこにある木工品を扱うお店《ヌヌ工房》から、珍しく慌ただしい悲鳴が轟きました。そしてドタドタと騒がしい音も。
「せせせ、っセフィリアさん~っ」
騒音の犯人は、新人で見習い過程
「あらら、瞳ちゃん? どうしたの朝早くからそんなに慌てて」
対するセフィリアはいつものように落ち着いた物腰。
三階にある自室から駆け下りるようにセフィリアの部屋へ飛び込む瞳の手には、分厚めの紙束が握られています。
後から遅れて、陽虫のヨウちゃんもふわりふわりと漂ってきて、瞳の頭上に止まります。
窓辺でフクロウのヌヌ店長と共に読書を嗜んでいたセフィリアは、不思議そうに首をかしげました。
ヌヌ店長の宇宙が宿った眼にも、疑問の色が浮かびます。
「こ、これ~! これ、どういうことなんです~?!」
瞳が指差す紙には大きい数字が一つ。そして細かい数字が約30個連なったそれは――カレンダー。
一枚に二ヶ月分の暦が印刷されたものですが、特段変わったところは見受けられません。むしろ瞳の様子がおかしいことしか見受けられません。
どういうことなんですって、どういうことなんです? と逆に聞きたいくらいです。
「何か変かしら? 年度は……ちゃんと合ってるみたいだけど?」
小さく「3023」と書かれているので、去年のカレンダーを使っているとか、そういったミスはしていないようです。
ではこのカレンダーのどこに瞳が騒ぐ要素があるというのでしょう?
「5月に入ったからカレンダーめくろうと思ったら、異様に分厚いな~って思って、それでなにげなく後ろの方めくってみたら……みたら~……」
カレンダーの終盤を探して開いて、セフィリアにグイッと見せつけます。
「これ、『36月』とかあるんですけど~?! なんですか『36月』って~?! 印刷ミスとかです??」
「ああ、それね。ふふふ、そんなに驚くようなことじゃないのよ。間違ってもいないわ」
大いに慌てている理由を悟り、柔らかく言いました。
「……ほへ?」
セフィリアは相も変わらず
確かに【
これは決してカレンダーが間違っているわけではなく、瞳の【
「
「そ、そうなんですか……?」
「ええそうよ♪」
「はへ~……びっくりしました~……」
ヘナヘナと萎れるように床にへたり込む瞳。冷静になって考えてみればわかりそうなことですが、〝数字については考えたくない系女子〟なので、脳内メモリーはパンク寸前でした。
「ええ~……? てことは~……?」
跳ねた癖っ毛をイジイジしながら中空を見つめます。瞳が考え事をするときの幼い頃からの癖です。
「3ヶ月で一つの季節が過ぎて、その三倍だから……9ヶ月ですか~?!」
「そうなるわねえ。春も夏も秋も冬も、それぞれ9ヶ月かかるわ」
嬉しいような、そうでないような。
一つの季節を長い間楽しむことができる反面、次の季節がやってくるのも相応に遅れるということですから。
「なんだか時間がイタズラしてるみたいです~」
「ふふふ。だからこそこの街の人は穏やかなのかもしれないわね。のんびりとしていて、私は好きよ?」
ゆっくりと時が過ぎていく感覚は、あながち間違ってもいないようでした。
それはそれとして、素朴な疑問が一つ。
「誕生日とかはどうなるんですか~?」
一年が【
修行仲間でお友達の
19の三倍ですから、【
とんだバケモンです。
瞳の脳内ではここまで具体的な数字は見えていませんが、なんかすごいことになっている、くらいには理解していました。
「誕生日はね、たまに私もわからなくなるんだけれど、
「ほへ~……」
ちょっと一安心。瞳は胸を撫で下ろしました。先日は人生の大先輩に髪の毛いじって遊ぶというとんでもない失礼を働いてしまったのかとヒヤヒヤしてしまいましたが、大丈夫でした。
見た目通りで年相応。ただ単に季節の移り変わりが遅いだけなんだと理解し、いつもの平穏な時間が戻ってきます。
「三回も自分が生まれた瞬間を祝えるって、なんかステキですね。わたし
「ふふふ。それは嬉しいわね♪」
パタンと呼んでいた本を閉じ、セフィリアは席を立ちます。
「それじゃ、瞳ちゃんが少し賢くなったところで、朝ごはんにしましょうか?」
「あい~!」
つられて台所に行こうとして、まだパジャマだったことを思い出し、自室に戻ってまたバタバタと慌ただしく駆け回る音が階下へ響きます。
天井からの振動と「わひっ?! あうぅ~……ふ!!」という足の小指でもぶつけたらしい呻き声を聞いて、
「……瞳ちゃんは、五月病とは無縁そうねえ」
微妙な笑みで呟くのです。
ヌヌ店長も同じことを思ったのか、目を細めてウンウンを頷いてみせるのでした。
***
――前略。
少し驚いたこともあって朝からバタバタしてしまいましたが、今日も無事乗り切りました。
時間の感覚って不思議ですよね。みんな平等なはずなのに、その日の用事や調子や気分によって、いろんな流れに変わるなんて、まるで風みたい。
気温、気圧、位置で温度や風速や風向きが変わる、みたいな感じで、いろんな表情を持っています。わたしが遅く時間を感じても、他の人には早く感じたりとか……。でも風は風で、時間は時間。
このメールも、届くまでには時間がかかりますけど、人の想いが届くのには時差ってあるのでしょうか?
時を超えて、空間を超えて、何よりも早く届く……人の気持ち。
もしそうなら……なんだか、とってもステキじゃありませんか?
ヒカリちゃんがいたら「こっちが照れるからやめい!」って怒られちゃいそうですけど、わたしは信じています。
心は何もかもを突き破って、どんなものにだって届く。それが例え人ではなくっても。
な~んて、わたしらしくなかったですね。心配しなくても、とっても元気ですよ!
それでは、またメールしますね。
草々。
森井瞳――3023.5.1
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