第7話「涙の不思議」
——前略。
最近ヨウちゃんの様子がおかしいです。
いつもは私の周りとふわふわしているか、体のどこかに止まっているのですが、ときおりふらっとどこかにいなくなっては帰ってくる、ということを繰り返しています。
どこに行っているのか、という点も気になるけどそれ以上に、なにをしているのか、のほうが気になります。
何度か後をつけようと思ったこともあるけど、大抵お店番していたり練習中だったりと、手が離せないタイミングなんです。
狙っているとしか思えないんですよね。
ヨウちゃんはなにを想い、考えて行動しているのでしょう? わたしはなんだか心配です。不安です。
そのまま帰ってこなくて、いなくなってしまうんじゃないかって……。そんな日が近いような予感を隠せません。
どうか、間違いであってくれますように。
草々。
***
本日も瞳はお店番をしながらせっせと木の板を彫る修行を積み重ねていました。
表面は彫りに彫った影響でかなりデコボコになり、彼女の努力の成果が滲んでいます。
「よくもまぁそんな地道なこと続けられるわねぇ」
お店の隅に設置された小さな休憩スペースから気の抜けた声が。
先日お友達になった、
本来はセフィリアに会いに来たそうですが、あいにく今は〝会合〟とやらに出席中で〈ヌヌ工房〉を空けています。
そうとは知らずに来てしまい、さっさと踵を返すのも冷やかしのようで申し訳なかったから、仕方なくこうして時間を潰しているのでした。
「それ、つまんなくないの?」
「ん〜ん? すっごく楽しいよ!」
退屈そうに言う火華裡に対して、こちらは言葉通り楽しそうに返します。はたから見ればただただ木の板を彫ってるだけですから、面白そうには見えないでしょう。
「だってわたしが頑張った証をこうして残してくれてるんだもの。
「あるにはあるけど……さ。なんかそういうの、こっちが照れるからやめい」
「あう〜」
歯が浮くようなセリフに免疫のない火華裡はわずかに頬を染めながら、
瞳の心に1ダメージ。特に効いてません。
「ヒカリちゃんは〈ガラス工房〉で修行してるんだっけ?」
「そうよ。グラスアートっての」
いわゆる〝ガラス細工〟と呼ばれるものです。
例えば酸化銅を加えて
もちろんこんなに単純ではなく割合などもしっかりと考えなければいけませんが、基本はこんな感じでしょう。
資源が豊富な【
「ガラスのことってわたしよくわからないんだけど、砂を熱して溶かすんだよね〜?」
「そうね」
「その格好だと暑くない?」
チラリと視線をやって、気になっていた疑問を投げかけます。その際にも、右手の彫刻刀を操る手は止まりません。危ないので、彫刻刀を使いながらのよそ見はやめましょう。
火華裡の格好は〈ガラス工房〉指定の制服ですが、緑色の長袖長ズボンです。なにも知らない人から見たら暑いだろうと思うのも当然というもの。
「長袖長ズボンは火傷対策なの。半袖半ズボンとかスカートとか可愛いけど、危ないんじゃ元も子もないからね。
約1200度に熱された炉からの熱気を地肌で浴び続けるのはお肌に悪いですし、火花が散ることもあります。これは女の子にとっては非常に重要です。だからこその、長袖長ズボンなのでした。
「ほへ〜……でもでも、それもすっごくカワイイよね〜! 似合ってるよヒカリちゃん!」
「あ、ありが……って、だから照れるからやめい!」
「あう〜」
やっぱり免疫がない火華裡は頬を染めて恥ずかしげに言うのです。
瞳の心に0ダメージ。火華裡はダメージを与えられない。
瞳の質問タイムは続きます。
「じゃあじゃあ、〈ガラス工房〉でどんなことやってるの? もっとヒカリちゃんのこと教えて〜」
「……まあ、別にいいけど」
そうねー、と少し言葉を選んでから、火華裡は話し始めます。
指先がいい感じに疲れてきたので、瞳も手を休め、友達の話に耳を傾けます。
「基本的にはあんたと同じよ。同じことの繰り返し。手に馴染むまで続けて、許可が下りたら次のステップ。トンボ玉って知ってる?」
「トンボ玉?」
早速瞳の知らない単語が飛び出してきました。トンボといえば、四枚の羽が生えた昆虫ですが、瞳は実物を見たことはありません。
「トンボの複眼が語源らしいけど、模様のついたガラス玉と思って差し支えないわ」
瞳は複眼という単語にすら馴染みがなくて釈然としない表情を浮かべていますが、火華裡は構わず話し続けます。
「棒にガラスを巻きつけて小さい玉を作るの。その玉に別のガラスをくっ付けたりして模様を作ったものが、トンボ玉よ」
「ほ〜、へ〜……」
話を聞いてようやくトンボ玉なる物の全容を掴めた瞳は納得の声をあげます。
本当にわかっているのか怪しいと思った火華裡は、輪っかに結っていた髪ゴムを外して休憩スペースから腰を上げ、瞳に手渡しました。
「ほい。それがトンボ玉」
「……わ〜! きれ〜……」
受け取った瞳はうっとりと声をあげました。
髪ゴムには、話にあったトンボ玉がキラキラと美しさを振りまいていました。
海のように透き通る蒼い玉に、雲を思わせる白や大地の緑などが散りばめられ、それはまるで小さな【
瞳が生まれ育った星。瞳と一緒に生きてきた星。
「あ、れ……?」
ほろりと。
どういうわけか、瞳の頬をなでるように滑り落ちる一筋の雫が。
それは涙、でした。
床に弾けて散りゆく煌めきは儚くも暖かく、世界に沁みていきます。
「ええっ?! ちょっと、なんで泣いてんのよ?!」
「え、えへへ……。ん、わかんない。なんでだろ〜?」
突然の涙に驚く火華裡。瞳も訳がわからず驚きました。
ただ、どうしようもなく込み上げてくるなにかがあったのです。心の底から込み上げてくる——なにかが。
でも、不思議と嫌なものではありませんでした。その証拠に、涙を浮かべた瞳の顔は笑顔になっています。
こんな笑顔は、今までに一度だって浮かべたことはありません。
「あんたはもう……ほら、これ使いなさいよ」
「ありがと〜」
心配した火華裡がハンカチを取り出し、それを受け取って湿った目元を拭います。
「なんかね、心がきゅぅっ……ってなったの。そしたら……」
「わかったわかった。いいからちゃんと拭いなさいって。ちょっと貸しなさい」
奪うようにハンカチを取り返すと、改めて瞳の目元を拭ってやるのです。その手つきは非常に柔らかく優しいもので、とても慈愛に満ちていました。
「……ホームシックってやつかもね。悪い意味じゃなくってさ」
「うん……そっか」
遠い星【
「あ、ハンカチ洗って返すよ〜」
「いいわよ別に。汚いもんでもないし、面倒くさい」
ちょっとばかり湿った程度は誤差の範囲内。面倒くさいというのも本音でしょう。
しかしそれでも、汚くないと言ってくれたことを素直に嬉しく感じる瞳なのでした。
「ヒカリちゃん、ちょっとここに座って?」
自分が座っていた席を立ち、ポンポンと叩きます。
眉根をひそめながらも、大人しく腰を下ろす火華裡。
「なによ?」
「髪。結んであげる」
髪ゴムを片方外していますから、今の火華裡の髪型は実にアンバランス。わざわざ外してトンボ玉を見せてくれて、ハンカチまで貸してくれたのですから、少しでもお礼がしたかったのです。
「ヒカリちゃんの髪キレイだから、なんだったらいろんな髪型試してみようよ〜!」
「遠慮しとく。普通でよろしく」
「え〜……せっかく澄んだ小川みたいにサラサラしてるのに〜」
「だからこっちが照れるからやめい!」
「あうっ」
とうとうコツンと、
瞳に0ダメージ。火華裡はダメージを与えませんでした。
やっぱり優しい女の子。それが火華裡なのです。
結局、瞳の好きなように髪の毛で遊ばせてあげた結果、様々な
***
——前略。
涙って、悲しいときと嬉しいとき以外にも溢れるものなんだな〜っていうことを知りました。
そして、その涙を優しく拭いてくれる人がいてくれること、その出逢いに、心から感謝です。
会合に出席していたセフィリアさんですが、それとなく背の高い木に登れないか、偉いかたに伺ってくれたそうです。ヨウちゃんを連れて木を登れば、群れに還せると考えてのことだったのですが、危ないということでダメだったとか。
ごめんなさいねえ、と困った笑顔で謝ってくれましたが、わたしはヨウちゃんのことを考えてくれるだけで嬉しいのです。
わたしにも、なにかできることってないでしょうか?
動きがあったら、すぐにメールしますね。
森井瞳——3023.4.28
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