第3話「前を見続けること」

 ——前略。


 修行の日々が始まってはや3日。


 とりあえず、ほんの少しだけ心配していた三日坊主になる危機は脱したようです。


 と言いますか、こんなにも楽しい日々が3日で飽きてしまうなんてもったいなさすぎます! 正直ありえないです!


 そんな楽しい毎日を過ごせているのも、ヌヌ店長とセフィリアさんがよくしてくれているおかげです。


 セフィリアさんは本当に優しくて、いろいろとわかりやすく教えてくれます。教わったことを自慢したい気持ちはありますが、長くなりそうなので追々で。


 ヌヌ店長は……癒しです。触るととても気持ちいいんですよ。もう、すっごくかわいいです!


 それでは、またメールしますね。


 草々。


 森井もりいひとみ——3023.4.14




   ***




 ……シュ。……カシュ。……カッ。


「あう」


 静かな空間に吐息の漏れる音が染み渡ります。


〈ヌヌ工房〉が指定している若葉色の制服に身を包んだ瞳です。相変わらず、癖っ毛なのか寝癖なのか、よく分からない跳ねた髪をしています。クリクリと輝いた目は真剣な色味を帯びていて、ほわわんとした雰囲気もどこへやら。


 瞳の手には彫刻刀。向かい合うは木の板。


 簡単な図形に沿って表面を彫るという、道具の使いかたを学ぶための練習です。これを意のままに操ることができれば、作りたいものを作りたいように作れる。


 のですが、ただ彫るだけでも意外と大変でした。


 特に彫刻刀を握る右手。指先に力を込め続けなければいけませんから、結構疲れます。


「うんうん、とても上手よ。もっと木目を意識して、彫刻刀の角度を一定に。余計な力が入ると木に嫌われちゃうから、優しく撫でるようにやってみて」

「あい……!」


 瞳が木屑を生産しているすぐ隣で、優しい微笑みをたたえたセフィリアがアドバイスをくれます。


 そのアドバイスに従って、もう一度彫刻刀を板に差し込み、滑らせます。彫り出された木屑はクルクルと丸まって、コロリ。板の上に転がりました。


「んっしょ……こらしょ……」


 何個も何個も、小さな蚊取り線香のような欠片を量産して、ようやくひとつの図形を彫り終えましたが、これはなんといいますか……


「ガタガタ〜……」

「ふふふ。みんな初めはこんなものよ。もっとたくさん練習しましょう?」

「あい〜……」


 セフィリアの優しい言葉も、今は心に突き刺さります。最初から上手くいくとは思っていませんでしたが、まさかここまで苦戦するとは考えていなかったのです。


 ただ木を削って形を作ればいい。


 そう思っていた過去の自分に彫刻刀を突きつけて、


『そんな甘っちょろい考えは捨てなさい!』


 と言ってやりたいくらいです。


 しかしいくら思ったところで所詮は後の祭り。セフィリアが言った通り、とにかく今は練習あるのみ、なのでした。


 板の空いているスペースに別の簡単な図形を書き込んで、同じことを繰り返します。


 ……シュ。……シュ。


 今の所は上手くいっています。


 けれども非力な少女には、これが結構過酷な作業でした。一定の角度・加減を維持し続けるのがこれまた難しいのです。


 角度が急だと深く刺さってしまい動かず、緩いと彫りが浅くて線も細くなり、指を突いてしまう可能性もあって危ないです。だから安全のため、両手には専用の手袋がはめられていました。


 瞳のすぐそばにはセフィリアがお手本で掘ってくれた木の板が置いてあります。一切のムラがなく、完璧な直線に美しい曲線。彫りの深さや幅も一定に保たれていて、それを一発で流れるように彫り切ってしまったのだから驚きです。


 まさに理想とも言うべき姿でした。


 瞳もその理想に一歩でも近づくために一生懸命、彫り続けます。


 彫って、彫って、彫って。


 一心不乱に彫り続けました。


 少女の勇姿を、ずんぐりむっくりなフクロウのヌヌ店長は傍でじっと見守ります。宇宙のような目の煌めきに応援の気持ちを込めて、見届けます。


 セフィリアも同じように、店番をしながら優しく見つめ、時にアドバイスを授けました。


 秒針が幾度も回り、長針が何度も回り、短針が数度回ります。


 瞳にはまるで一瞬の時間のようでしたが、身体が、特に指先が悲鳴を上げ始めるのです。


「ほわぁ?!」

「瞳ちゃん!?」


 意図せぬ出来事に驚きの声をあげた瞳。さらに驚くセフィリア。


 握力がなくなってきて、力を込めた際に彫刻刀が指から逃げるように滑り落ちたのです。


 とっくに限界を超えていた指先は、プルプルと震えて上手く動かず、言うことを聞きません。満足に彫刻刀を拾うこともできませんでした。


 怪我もなく、ホッと一安心の息を吐いたセフィリアは頑張り切った少女に声をかけます。


「今日はこの辺で終わりにしておきましょうか」

「あい〜……ダメダメですね、わたし……」


 ショボーンとした声を上げながら、拾う手を右手から左手に変えて、彫刻刀をケースにしまいました。


 それから大量に生み出された木屑を綺麗に集め、専用のゴミ箱にポイ。


「あらあら、そんなことはないわよ?」

「そうですか〜……?」


 片付けながら、ほんのりと暖かな笑みでセフィリアは労ってくれました。


「もちろん。だって私も初めは酷かったものよ。瞳ちゃんよりもね」

「わたしよりも?」


 これは意外と言いますか、信じられません。瞳には完璧に彫刻刀を操るセフィリアの美しい姿しか想像できませんでした。


「ええ。彫刻刀が木に刺さらなかったくらいよ」

「またまた〜」


 いくらなんでもそれは言い過ぎですよ〜、と手をフリフリしますが、セフィリアは嘘や適当を言う人ではありません。


 すぐに「え、ホントに?」みたいな視線を送ると「ホントよ」とにっこり笑みと一緒に頷きが返ってきました。


「ね? ヌヌ店長?」


 セフィリアがピクリともしなかったヌヌ店長に同意を求めると、小さく頷くような動きを見せました。どうやら本当のようです。それから、ヨテヨテと歩いて倉庫部屋へ入っていくと、すぐに戻ってきました。


 戻ってきたヌヌ店長の頭の上には、さっきまで瞳が向かい合っていた木の板のようなものが乗っかっています。


 というか、普通に木の板でした。


「ヌヌ店長、それ取ってあったの? 懐かしい——というか、恥ずかしいわぁ」


 頬を朱に染めるセフィリアですが、瞳にはそれがなんなのかよくわかりません。


「セフィリアさん、それなんなんですか〜?」

「これはね、私が見習いだった頃に瞳ちゃんと同じように練習した木の板よ。ほら」


 手にとって、表面を見せてくれました。


 縦横無尽に駆け巡る彫刻刀の跡。数々の簡単な図形は、瞳のものと同じようにガタガタで統一感がまるで感じられませんでした。ところどころ彫刻刀が刺さっただけの跡も見受けられ、セフィリアの話が本当であることを証明しています。


「すごい……こんなに……」


 彫っていない部分のほうが少ない木の板。図形が幾重にも重なっているのは、彫るスペースがなくなったからでしょう。


 対する瞳はといえば、ほんの数個ほどの図形があるだけ。


 その差は歴然でした。


 溝にそって指を這わせます。指先に確かな深さを感じながら、ひとつの想いがなだれ込むように伝わってきました。


 それは、情熱。


 ただひたすらに、ひたむきに、一心に。

 掲げた目標に向かって一直線に進む様が浮かび上がります。


「——ここに、セフィリアさんの気持ちと頑張りが詰まっているんですね……」


 まさに、今のセフィリアを形成する〝努力の結晶〟がそこにはあったのです。


 恥ずかしげに、それでも嬉しそうに、セフィリアは微笑みました。


「……そうね。傾けた努力や時間は、必ず形となって現れるものよ。木の板これは、そのいい証明かも……しれないわね」


 彫れば彫った分だけ成長し、前進する。前進した証を刻む。


 そうして研磨に研磨を重ねて、セフィリアの完成された腕前に仕上がるのでしょう。


「……わたし、頑張ります〜!」

「ええ、頑張りましょう♪」


 果たして、瞳がセフィリアのようになれる日は来るのでしょうか?


 ヌヌ店長も、意気込む少女の将来が楽しみなのか、優しげに眼を細めるのでした。




   ***




 ——前略。


 今日も修行でずっと同じことをやっていたのですが、やっぱりわたしはまだまだで、ダメダメなんだな〜と自覚してしまいました……。


 でも、諦めませんよ! 憧れの先輩も、わたしと同じ道を通ってきたんだと知れたので。


 それにしても頑張りすぎて指が痛いので、メールが思うように打てません……!


 なのでこの辺で。またメールしますね。

 

 草々。


 森井瞳——3023.4.14

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る