第27話

「夏の終わり」


新鮮な魚と夏野菜の料理が食卓に並び、お腹をすかせた陽太と南海江は満足そうに茶碗を鳴らしていた。

昨日は例年通り古川の親族達が集まり、夜遅くまで楽しい時間を過ごした。

今日は意気投合した子供達同士で朝早くから野山を駆け巡っていたようだ。

中学生の武君を筆頭に男の子組みの三人は海に、加奈子さんの愛娘、千穂ちゃんと南海江は山に出掛けた。

お土産は大量のサザエと海胆、それからナツメグサとラベンダーで編んだ首飾り。

おかあさんが焦げた醤油の香りと共にお盆にのせたサザエを飯台に置くと、陽太は自慢げに一つずつそれぞれに分け与えた。

「これはおじいちゃん。これはおばあちゃん。これはナミ。一番大きいいのを・・・」

と私の顔を見た陽太は口を真一文字に結んで眉間に皺を寄せた。

「どうしたの?」と私が言うと陽太は取り直してザサエを私の皿に置いた。

「何でもない。これはママに!」

その様子を伺っていたおかあさんは何かを思いだしたように笑いを噛み殺していた。

「いやぁ、これはご馳走だ」

おとうさんは爪楊枝で起用にサザエの身をくるりと出して口に入れた後お酒を啜った。

「ママぁ・・・」

上手く中身を取り出せない南海江が私に助けを求めた。

「おじいちゃんにお願いしなさい」

南海江はおとうさんに駆け寄って両手で持った皿を差し出した。

「よしよし、」

お義父さんは目を細めてそれを受け取った。

「おじいちゃん、すごぉい」

南海江がお礼にお酌するとおとうさんは顔をくしゃくしゃにして一気に煽った。

陽太も南海江もここに来てからすっかり日に焼けて真っ黒になり、行動も言葉使いもめりはりがついてとても元気になっている。

東京で鬱積したものが一気に噴出したように目に見えて生長して行くのが分かる。

それが嬉しい。そして、少し淋しい。


あなたが居ないこの家で、こんなに暖かで愛しい時間が過ぎて行く。

私は五年という月日でいつの間にか傷の痛みを忘れ、それが当たり前のように立ち振る舞って罪を隠して来た。

でも今年で最後。もう、終わり・・・。


食事を終えて、私とおかあさんが台所で片づけをしていた。

「さっき、おかあさん、笑ってましたけど、どうかしたんでsyか」

「なに?」

「陽太がサザエを分けてたとき」

「ああ」

おかあさんはまたくすくすと笑った。

「ここら辺の子供は、自分の母親の事をママなんて呼ばないからね。昨日親戚の子供達にからかわれてたのよ」

私も可笑しくなって洗剤の泡がついた手で思わず口を押さえると、おかあさんが突然「あっ!そうそう」と叫んで何処かへ行ってしまった。

私は唖然と一人で片付けを終えた後お茶を入れ、畳に広げた新聞を虫眼鏡で見ているおとうさんの横に湯呑みを置いたとき、お菓子の箱を持ったおかあさんが漸く戻って来た。

「危ない、危ない。また忘れるところだったわ。ほんと、いやねぇ、年取ると」

箱の中にはビデオテープとノートが三冊入っていた。

「これね、ヨウ君とナミちゃんが物心ついたときに渡してくれって、預かってた物なの」

ビデオテープのラベルにはあなたの文字で、(陽太と南海江へ)と書かれていて、ノートの表紙には

(遙以外閲覧禁止!見るな!見たら死んでやる!)

と、当時は笑えないあなたらしいジョーク。


そして私は二階にいる陽太と南海江を呼んでビデオテープをデッキに入れた。


「ナミ、アンパンマンがいい」

「いやだよ、アンパンマンなんか」

おとうさんとおかあさんは気をきかせてくれて自分の部屋に行き、私と子供達だけでテレビに向かっていた。

柱時計が時を刻む音とコオロギの鳴く声。

静けさが支配している居間にビデオのノイズが鳴り響き、直ぐに青い画面に移った。

そして切り替わった画面にあなたが映しだされるとふざけあっていた陽太と南海江は食い入るように前のめりになり、私も息が止まった。

「あー、あれ?撮れてる?・・・大丈夫か・・・」

ビデオカメラをチェックして正面に座り直ったあなたの顔色は相変わらず良くはなかったけれど瞳の輝きは健康だった頃と同じだった。

「陽太、南海江、元気でいるか?俺のこと分かるか?俺はお前達の親父だ。このビデオを見ている頃にはお前達は幾つになっているだろうか・・・。淋しい思いをさせて、すまん」

画面の隅にある日付はあなたが亡くなる2日前。

あなたは布団の上に胡坐をかいてカーデガンを羽織り、私が編んだ帽子をかぶっていた。

「お前達のことだからお母さんの言う事をちゃんと聞いていい子にしていると思う。その点では心配していないよ。じゃぁ、なんでこんなビデオを撮っているのか・・・、まぁ、なんと言うか、父親らしい事を何もしてやれないし、せめて何か残して置きたいと言うか・・・、いや、違うな。ただ単に俺の事を忘れないで欲しい、そう、俺の我侭だ。だけどお前達には伝えたい事は山ほどあるんだ。だからちゃんと聞いて欲しい」

あなたは咳払いをして水を一口飲んだ。

「まずは陽太。お前は男だ!当たり前だけど・・・。つまり古川家の跡取りと言うことだ。跡取り?ああ、そうか、だったらこの家と田んぼもお前が継がなければならなくなるんだよな・・・。親父は・・・つまりお前のジイさんな、どう思っているかは知らないけれどそんな事は気にするな。お前はお前の本当にやりたい事をすればいい。夢を持てとか俺は言わない。俺だって未だに何をするべきかわかっちゃいないのだから。でもな、何かをしたい、夢を持ちたい、そういう思いは持ち続けて悩みに悩んで欲しい。そうすれば何れ必ず答えは見つかるから。それから、お母さんと南海江の事を守って欲しい。まだ小さいからだとか弱いからだとか言い訳はするな。守るために何をすればいいか考えろ。どんな苦難にもお前が盾となって死ぬ気で守れ。いいな。たのむぞ」

陽太があなたの言葉をどれだけ理解しているのかは分からない。でも大きく眼を見開いて言葉の一つ一つを聞き逃さないように背筋をぴんと伸ばして微動だにしなかった。

「次は南海江。お前は本当にいい子だな。夜泣きしないし、いつもにこにこ笑って・・・でも、あれだ、お前はどうやら俺に似ているようなんだ・・・。いや、女はな顔じゃないぞ。女は心だ。うん、そうだ。心だ。南海江には、優しい女性になって欲しい。優しいって抽象的で漠然としていて分からないと思う。俺も具体的どうしたらそうなるのか分からない。でもな、心配するな。お前の直ぐそばには良い手本がいるんだから。その人が誰だか分かるだろ?そう、お前のお母さんだ。お母さんの言うことをちゃんと聞きなさい。お母さんの事をちゃんと見なさい。そうすればお母さんみたいな素敵な女性になれるから。お母さんの事は好きか?」

南海江はあなたの問いかけに大きな声で返事をした。

「うん!大好き!」

「嫌いなはずはないよな。だって俺も大好きなんだから・・・」

それからあなたは自分の経験や思い出を織り交ぜながら陽太と南海江に語りかけた。

十分程経ったところで引き戸の開く音がして二歳の陽太がビデオカメラの前を駆けて来てあなたに抱きついた。

「健一郎、なにやってんの。こんな夜遅く」

南海江を抱っこしながらおかあさんも陽太に続いて部屋に入って来た。

「あら、何これ、ビデオ?ほーら、ナミちゃんも」

おかあさんが南海江の両脇を持ちながらカメラに近づけると南海江の可愛らしい笑顔が画面いっぱいに広がった。

「こんなことしてないで早く寝なさい。ヨウ君もおねんねしましょう」

おかあさんと南海江は部屋を出て行ったが陽太はあなたの膝の上にちょこんと座って離れようとしなかった。

あなたは込み上げて来るものを必死で押さえながら暫く無言で陽太を見詰めていた。

そして陽太を力強く抱きしめて、身体の奥底から絞り出すように本当の気持ちを呟いた。

「ああ、俺も、このビデオと一緒に未来に行きたい・・・。お前達の成長した姿を見てみたい・・・」

それがあなたの最後の言葉。

ビデオは途切れて画面にはノイズが走った。


陽太と南海江は始めて父親の動く姿とその声を聞いて興奮したのか、じゃれあってなかなか寝付こうとしない。

私は敷布団の下に隠したあなたのノートを気にしながら二人を叱った。

「いい加減にしなさい」

「はーい」

二人は不満気に返事をして布団に潜り込んだ。

「ねぇ、ママ」

南海江が顔を赤らませて私を呼んだ。

「なに?」

「ナミ、パパに似てるぅ?」

「うん。そっくりよ」

「えへへ・・・」

南海江は満面の笑で「おやすみなさい」と言って毛布を頭まで被った。

漸く二人が寝静まった頃、私は枕元に小さな灯りを点けてあなたのノートを捲った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る