第25話

「夕景」


伯父さんはモニターの画面を凝視し、カルテに目を移した後それを机に置いて私の方に椅子を回した。

(覚悟しておいたほうがいい)

電話口で言われたその言葉が脳裏を行き交う。

私は一縷の望みを両手で握り締めながら伯父さんの言葉を待った。

「健一郎君は何か、趣味とかあるかな」

「趣味・・・?」

発せられた意外なその言葉の意味を私は一瞬で理解したけど、どうしても否定したかった。

「どういう意味でしょう」

「何かやり残した事がもしあるのであれば今のうちにやらせてあげなさい」

私は俯き、膝の上で組んだ両手に力を込めた。

「はっきり言ってください。伯父さん」

「すい臓癌。肝臓や肺にも転移している。彼くらいの若さでは稀有な症例だが・・・。若年の癌の進行は早いからね。持って、半年」

私は頭から冷水を掛けられたように身体が硬直して息が苦しくなった。

「伯父さんは、癌の権威なんですよね。だったら、治せますよね」

そんな事は無理に決まっている。分かっている。

「私には奇跡を起こす力はないよ。だけど遥と健一郎君が望むのなら最善の手は尽くすつもりだ」

私は暗く冷たい闇の中で大きくなったお腹に手を置いた。

「健一郎君には私から告知した方がいいかな。それとも・・・」

「いいえ、伯父さん。私から、彼に言います」



「丘」


ドアを開けると遥の背中が見えた。

伯父さんは僕に近づいて来て握手を求めた。

「健一郎君、身体の調子はどうかな」

身体の調子と言われても良くないから来ているのに。

「伯父さんの冗談を始めて聞きましたよ」

「冗談?」

暫く考えてはたと気づいた伯父さんは遠慮がちに笑った。

「すまん、すまん。そういうつもりじゃなかったんだが・・・」

君の事は遥に全て話したからと言い残して伯父さんは部屋を出て行った。

僕はそれまで伯父さんが座っていた肘掛のついた椅子に座り、遙を正面から見た。

必死で笑顔を繕ってはいたが赤く腫れた瞼が全てを物語っている。

「コンタクトレンズでもずれたか?眼が赤いよ」

「ええ、ちょっと」

と言いながら目元を手の甲で擦った。

「あのね、健一郎さん・・・」

今にも椅子から崩れ落ちそうな身体を必死で支えている遥を見て、僕は少なからず動揺した。逆の立場だったら僕はどうしただろう。

あなたはもう少しで死ぬ。そんな事を愛する人に対して僕は言えるだろうか。

いや、きっと言えない。耳を塞ぎ、目を閉じ、嫌な事は医者に託して何処かへ逃げ隠れるに違いない。

「ちょっと待って。そのクイズの答えは俺が当てる」

遥は息を止めて僕を見詰めた。

「病名はすい臓癌。余命はあと半年ってところか」

「どうして」

「世の中何かと便利になっているんだよ。キーボードを叩けば何でも知ることが出来るのさ」

遥は目を伏せて口元を手で覆い涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で我慢していた。

「でもね、今は医学も進歩しているのよ。伯父さんの言うことをちゃんと聞いて治療に専念したらきっと良くなる。きっと・・・」

症状が現れたときにはもう手遅れだと言うことは知っていた。遥だって分かっていただろう。

でもそれで遙の気が治まるのならその通りにしようと思った。

当日の夜。僕と遥は結婚と同時に購入したマンションで最後の食事をした。

そして翌日、会社に出向いて上司と同僚達に別れを告げると締め付けられるような寂寥感が襲って来た。

東京に居続けるため、生活のためと割り切った気持ちで入社したはずなのにいつの間にか愛社精神とやらが僕の中に芽生えていたことに気づき、僕を支えてくれた仲間達と別れるのが嫌だったからだ。



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