第18話

「丘」


お盆を遙と共に田舎で過ごした後めまぐるしく時が過ぎた。

一ノ瀬家は医者ばかりで時間が取れないため遠い僕の街まで来ることが出来ず、結局結納も結婚式も東京で行う事になった。

新居への引越しに新婚旅行。海外に行こうかなどと思ったが無駄な金を使いたくないとの遙の意向で手短に済ました。

二人が一緒に暮らすための手続きを全て終えたとき、一ノ瀬の親族と会食する機会が設けられた。

とあるホテルのレストランでテーブルを囲んだ。

義理の祖父は病院の理事長でその長男、つまり義理の叔父はそこの院長。

甥の達彦さんは僕より三つ年上で同じ病院の医師。姪の美代子さんは将来有望な医師と結婚を控えているそうだ。

いやはや何がなんだか。

皆それぞれ悪い人ではないし田舎者の僕に良くしてくれるのだが、威厳や格式、肩書きと誇り、そういったものが固くガードしていて本性というものがなかなか掴めなかった。

僕に聴いて来ることも、親族同士の会話も上品で格調高い事ばかりで、僕は生まれて初めて会った外国の人に話し彼らた時みたいにただヘラヘラと笑うしかなく、レストランの薄暗く静かな雰囲気に沈んで行くような惨めな気持ちになって行った。

隣に居る遙に助けを求めようとしても、私、実はお嬢様なんです、みたいなしたり顔で上手にナイフとフォークを使い食事をしていて殆ど喋らなかった。

「あ、あのな、少しは助けてくれても良かったんじゃないか?」

やっと緊張から開放され、ホテルを出たとき思わず遙に文句を言った。

「ごめん・・・」

タクシーに乗り込み街の明りが流れて行く窓ガラスに頭をもたれながらぽつりと言った。

「ああいう雰囲気、小さい頃から苦手だった。全然慣れないよ」

僕は「そうか」と言ってシートに身を沈めながらお盆休みに古川家の連中に注がれた酒を嬉しそうに飲んでいた遙の笑顔を思い出していた。

極端な例えで言うと貴族と一般庶民の両家だ。

始めて遙に出会ったとき、その素性を知っていたら尻込みして声を掛けなかったかもしれない。

貴族の側に生まれ育ったはずの彼女は確かにこちら側の人間だ。

何故?その答えは分かっている。恐らく彼女にも。

だけど遙はその事を心の箱の中に押し込めて知らない振りを続けている。


それから数日後。僕は遙に内緒で木村さんの家を再び訪れた。

望さんは既に退院していて毎日庭の花の手入れをして過ごしていた。

認知症の具合は前より良くなったそうで穏やかな笑顔で僕を迎えてくれた。

「脚は痛みませんか?」

「ええ、すっかり良くなりました」

木村さんが出してくれたお茶を啜りながら縁側に座り、陽だまりに揺れるコスモスを二人で見ていた。

僕は結婚式で写した写真を望さんに渡した。

ウエディングドレス姿の遙をじっと見詰め、指先で涙を拭った。

「今度僕の家に来ませんか?」

僕の言葉に身を強張らせてゆっくりと頭を横に振った。

「一ノ瀬とはもう関係なのない身ですし、遙だったら大丈夫ですよ」

「私には遙に会う資格なんてないの」

「でも、会いたいんでしょ?」

望さんは押し黙り、本当の言葉を隠した。

「あなたが会いに来てくれるだけで充分よ。あなたを見ていると遥がどんなに幸せか分かるもの。あなたで良かった、本当に、ありがとう」

やはりそうだ。答えはここにある。

それを遙認めさせない限り、遙と僕との本当の幸せは訪れない。

そうしなければ、いつか故郷に帰ると誓っていた僕が東京に残る意味などないのだから。



「夕景」


私の体内から生まれでた小さな命を抱き上げた時

それまでの苦しさや痛みなど一瞬のうちに消えて

すべてが愛しく

すべてが幸福に満ちた

そして

この子を守りたいと思った

どんな事があっても

例え私の命と引き換えでも

この子を守ると心に決めた



「丘」


僕はそれから月に数回木村さんに電話をかけて、望さんの様子を伺っていた。

どのタイミングで遙を母親の元に連れて行こうか考えていたけれど、僕も遙も更に仕事が忙しくなって、休日でさえ顔を合わせて話をする時間がなくなっていた。

木村さんの話に寄ると望さんの膝に水が溜まるようになって歩くのに不自由を強いられているそうだ。週に一回医者に行ってその水を抜いてもらうのだが、それでも以前のような活発さは陰を潜め、庭の草花は荒れてしまい、その光景を縁側で虚ろに見ている日が多くなってきているらしい。

いや、それでも針仕事などして元気でいますよと木村さんは言うけれど、明らかに心配を掛けまいと気を使っているのが分かった。

明日にしよう、来週にしよう、いや次の連休に・・・。

そう思い続けているうちに一年が経ち、遙の妊娠を知った。

それから暫くして望さんがとうとう針仕事もしなくなり、床に伏してしまったと聞いたとき、自分自身の浅はかさと勇気の無さに絶望した。

僕は宝石のように輝く幸福を目の前にして、遙の身体を労わる事を正義の盾とした。

それは一見正しい事のように見える。

しかし、妊娠を知った直ぐ後に心を決め、強引にでも行動を起こしていたなら僕も遙も後悔をしなくて済んだのだ。


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