第17話
「丘」
「あ、もしもし、母ちゃん?俺」
盆休みに遙を連れて家に帰ると伝えるとお袋は頓狂な声を出し、受話器をガタンと置いて何処かへ行ってしまった。
微かに親父と会話している声が聞こえる。
「お父さん、大変。健一郎がお嫁さん連れてくるって」
「何慌ててるんだ。今更」
「だってお盆によ、どうしようお父さん」
「どうするって、べつにお前が嫁を貰うわけじゃぁないだろう」
それから十分くらい携帯電話に耳をあてていたが戻って来そうに無いので切ると、直ぐ家から掛かってきた。
「なに切ってんの!」
「ああ、ごめん」
「いつ来るって?」
「だから盆休みだって。十三日の朝に立つから午後には着くよ」
「どうやって来るの?汽車?」
「飛行機だよ」
「飛行機!よしなさい!落ちるから!」
「落ちねぇよ」
「バカ言いなさい。落ちるに決まってるでしょ!汽車にしなさい」
「チケット取るの大変だったんだからさ今更換えられないよ」
「まったくしょうがないね・・・気をつけて運転するんだよ」
一体何を運転するのか良く分からないがひと先ず電話を切ったが五分も経たずにまた電話が鳴った。
「今度はなに」
「ええっと、お嫁さん遙さんだったけ?」
「ああ、そうだよ」
「お嬢さんなんでしょ?」
「まぁ、そうらしいね」
「何食べるの?ねぇ」
「た、食べる?え?」
「こんな田舎の粗末な料理なんて口に合わないでしょう。困ったわぁ。普段はあれでしょ、ほら、小皿に少しずつ出してくる、そうそう、フランス料理みたいな、ね、あらうちにナイフとフォークなんてあったかしら・・・」
古い農家の家の、畳敷きの居間でお袋と親父が気持ち悪い笑みを浮かべている光景を想像しただけで背中に冷たいものが走り、同時に物凄い脱力感が襲った。
「母ちゃん、頼むから普通にしてくれ。いつもの飯でいいから」
「だって、あんた、本当にいいの?いつもので・・・」
「いいよ、魚の煮たやつとか、鳥の唐揚げとかそんなんで」
「本当ね」
「ああ、本当」
「嘘ついたらしょうちしないわよ!」
「嘘って・・・」
もう、どうにでもしてくれ!
「夕景」
駅に着くとおとうさんが迎えに来てくれていた。
「はじめまして。一ノ瀬遙です。どうそよろしくお願いします」
「ああ、どうも、どうも。健一郎の父です」
おとうさんは緊張気味に顔を赤らめながら、とても優しい笑顔で答えてくれた。
私と健一郎さんは軽のワゴン車に乗り込んだ。
窓から見える風景は初めて眼鏡を掛けたときみたいに何もかもはっきりとしていて、色鮮やかだった。海も、空も、雲も、木や草花も。
健一郎さんの実家は何代も続いている農家で、彼が子供の頃には茅葺の母屋に土間があったそうだけど萱をふく職人も居なくなり、なにより建物自体の傷みが酷く十年くらい前に建て替えたそうだ。
「おーい、母さん、もどったよー」
とおとうさんが玄関で声を上げると奥からおかあさんが駆け寄ってきた。
「あらあら、まあこんな遠いところまでようこそ、疲れたでしょう、さぁ、上がって」
健一郎さんが先に居間に座ろうとしたときおかあさんがいきなり怒鳴りつけた。
「健一郎!なにしてるの!先に挨拶しなさい!」
まるで小さな子供のように首をすくめた彼は私を手招きして一緒に奥の仏間に行った。
「こっちがばあちゃん。俺が小学二年の時、隣のじいさんは俺が生まれるずっと前に死んだんだ」
壁に掛けてある遺影を指差して健一郎さんが言う。
「おじいさん随分若いときに無くなったのね」
「ああ。たしか親父がまだ子供の頃だったそうだから四十かそこらじゃないかな。癌だったらしい」
健一郎さんはお土産の箱菓子を供え、蝋燭からお線香に火を付けた。
走馬灯が回っている横で私も手を合わせ、この家に入ることのお許しを頂いた。
「ふつつかものですがどうかよろしくお願いします」
床に両手をついて頭を下げるとおかあさんは慌てて膝を整えた。
「あらあら、ご丁寧に。こちらこそよろしくお願いします。どうしょうもないバカ息子だけど我慢してちょうだいね」
健一郎さんは苦い顔をしながら麦茶を飲んだ。
開け放たれた窓から差し込む陽の光と否応無しに入り込んでくる蝉の声。
扇風機が唸る居間で私達は暫く歓談していた。
そのときドタドタと廊下を歩く音が響いたかと思うといきなりドアが開いた。
「おばさん、健一郎が嫁さん連れてくるんだって?」
そこには彼と同じくらいの男性と赤ちゃんを抱えた女性が立っていた。
「いとこの浩平と嫁の加奈子」
肩肘をテーブルに着きながら健一郎さんが紹介してくれた。
「始めまして、遙といいます」
「あ、こりゃぁ、どうも・・・」
浩平さんは顔を赤らめながら発泡スチロール箱をおかあさんに渡した。
そして、その後次々に親族の方々が集って来た。
おとうさんの兄弟とその子供達。それから孫達。
襖が仏間まで開けられた空間は二十畳ほどの広さがあって各々散らばって座り、おとうさん達は既に日本酒を空けていた。
おかあさんをはじめとする女性達は持ち寄ったお菓子を食べながらお喋りをしている。
子供達のグループは中学生の義仁君を筆頭に六人いて何処かへ遊びに行ってしまった。
私は同い年の加奈子さんに健一郎さんとの馴れ初めや東京の事など矢継ぎ早に質問されて、傍らで寝息をたてている赤ちゃんに半分心を奪われながら答えていた。
「今日は何の集まりなんですか?」
「お盆と正月はいつもここに集まるのよ。私も最初は面食らったけど、なかなか楽しいものよ」
突然おとうさんとお酒を酌み交わしている兄弟の一人が真っ赤な顔をしながら大きな声で笑い出した。
浩平さんも何時の間にか缶ビールを飲んでいて愉快そうに健一郎さんの背中を叩いている。
「もうそろそろかな」
「何がですか?」
私がそう問いかけたとき女性達が一斉に立ち上がって何処かへ向かった。
「晩御飯の用意よ」
「そうなんですか」
「あなたはいいよ。今日だけはお客さんなんだから」
私だけ取り残されて心細くなったとき、健一郎さんが側に来てくれた。
「じゃぁ、酔っ払う前に行こうか」
約束していた場所へ。健一郎さんの丘。
プロポーズしてくれたとき彼が言ったことの検証。
それをとても楽しみにしていたけれど何だか心苦しかった。
「どうした。行かないのか?」
健一郎さんの後をついて玄関まで来たけれど靴を履くのを躊躇った。
「私だけ遊びに行くの、なんだか・・・」
「別に気にするなよ」
「でも・・・」
奥から浩平さんの大きな声がした。
「おーい!健一郎!どこへいくんだよ」
私は振り返って賑やかな居間の方を見た。
「好きにしろよ。来年でも、再来年でもいつでも行こうと思えば行けるんだし」
そして健一郎さんは戻って従兄弟同士でビールを飲み始め、私は台所へ向かった。
「あら、遙ちゃん。どうしたの」
お義母さんは発砲スチロールの箱から大きな魚を取り出していた。
「お手伝いします」
「いいのよ。気を使わなくても。今日はあなたが主役なんだからゆっくりなさい」
「でも・・・」
「いいじゃない。ねぇ」
加奈子さんが私にエプロンを渡してくれた。
「そう?、そこのジャガイモとニンジンの皮むいてくれる?」
ベテランの主婦達がいる台所はとても狭かったけれど、手を動かし、時々味見をし、お喋りをしながら調理をしている間、私は段々古川家の家族になって行くという実感が湧いてきた。
そしてテーブルを継ぎ足してその上に沢山の料理を並べて大勢で食べる夕食はとても賑やかで楽しかった。
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