第14話

「夕景」


大学を卒業し、仕事を持つ身になると毎日がめまぐるしく過ぎて行った。

お互いが忙しくて一週間に一度会えるか会えないかという状況だったけれど例え一ヶ月もの長い間会えなくても電話で交わす会話で健一郎さんとの距離を確かめられたし、私の彼に対する気持ちが冷める事はなかった。

一年目はただ目の前の仕事をこなすだけで精一杯だった。

二年目になると要領を覚えて気持ちの余裕が生まれ、三年目にはある程度の責任を持たせられたが彼と会う時間を自ら作り出す事が出来て、仕事でもプライベートでも充実した日々を過ごしていた。


それは六月の霖雨の頃、日曜日に私は健一郎さんのアパートに居たときの事だった。

本当は久しぶりのデートに行くはずだったのだけれど折からの雨と仕事の疲れで出予定を変更し、何もしないで過ごそうということになった。

挨拶がてらに近江屋で昼食をとり、アパートに戻った。

健一郎さんはソファに寝そべり、私は床に座ってその縁に寄りかかってテレビを見ていた。

レポーターが気持ちよさそうに温泉に浸かったあと豪勢な料理に舌鼓を打っている。

「そういえば私達、旅行なんて行ったことないよね」と後ろを振り向くと彼は静かに寝息を立てていた。

私は寝室から毛布を持ってきて彼に掛けたとき波音が聞こえてきた。

テレビの画面は真っ赤に染まり、影絵になったレポーターが金色の波を向こうに浜辺を歩いている。

カメラは移動して水平線に沈む大きな夕陽を映した。

健一郎さんから何度も聞かされた、彼の愛した故郷の風景。

私は海といえば太平洋しか知らなかったし、彼の故郷には行ったことは無かったけれどきっとこんなに美しいのだろう。

私は思わず「きれい」と呟いた。

そして、いつの間にか起きていた健一郎さんが「来週の休みに、見に行こう」と囁いた。

「どこに?」

「さすがに俺の田舎までは無理だけど、新潟辺りまでなら日帰りできるんじゃないか?」

「でも晴れるかなぁ」

健一郎さんは自信満々に答えた。

「絶対、晴れるさ」

それからの一週間はまるで遠足を待ち侘びる小学生のような気持ちで過ごした。



「丘」


当日僕は事故を起こさないように最新の注意を払いながらレンタカーを運転した。

出会って間もない彼女なら、さも運転しなれたように格好をつけるのだろうが遙は僕の事をペーパードライバーだと知っていたから、ナビの画面を見る余裕もなく前だけを見てろくに話をしなくても楽しそうに窓を流れる風景を見ていた。

僕の願いが天に届いたのか、昨日までの雨は止み、少し雲があったけれど気持ちの良い初夏の風が車の中を吹きぬけていった。

そして、新潟市内で昼食をとった後北陸道をひたすら南下した。



「夕景」


健一郎さんが免許を取ったのは就職する間際だった。

何度かドライブに行こうという話しが持ち上がったけれど何かの理由で結局行かず仕舞い。

それから三年後に初めてのドライブ。健一郎さんも初めての運転。

内心ドキドキいていた私以上に彼の顔が引きつっていて会話を楽しむ余裕などなかった。

だからなるべく健一郎さんの運転の邪魔にならないように、というか、私自身の恐怖心を隠すようにして窓の外を眺めていた。

私は緊張して喉がカラカラになってジュースを沢山のんだけれど、健一郎さんは缶コーヒーに手を伸ばす余裕もなさそうだった。



「丘」


流石に三時間以上も運転していると少し余裕が生まれてきて、ラジオから流れる音楽にリズムを取ったりしながら海岸沿いの道を走った。

潮の匂い。青い海と空。白い岩と雲。眩しいほどの新緑。

僕の故郷の風景とどこか似ていて懐かしい思いと、隣に居る遙の存在に胸がいっぱいになり、幸せが込み上げてきた。



「夕景」


お昼ごはんを食べ終わって健一郎さんは元気を取り戻したけれど、新潟市内の車と車線の多さにまた顔を強張らせた。

海岸沿いの道を走っていたとき気持ちを落ち着かせようとしたのか、彼の調子はずれの鼻歌と貧乏ゆすりがとても可笑しかった。



「夕景」


太陽はまだ上空にあって

たおやかな浜風が松の枝を揺らしてゆきました

海面から突き出している大きな岩は白く

波を寄せる海は群青色

空は段々白々と色が抜け出て

落ちて行く太陽と共に暖色に滲んでゆきました

オレンジ色から紅に

太陽は白くくり貫かれて

海面は収穫を待つ田園のように

山吹色になりました


金色のセロファン紙をくしゃくしゃにしたような光の粒

鴎が黒く浮かんで波間に揺られています

ただじっとその光景を見詰めている

私とあなた

波の音と耳をくすぐる風の音

少ない会話の中に

ほんとうのあたたかさを教えてくれました


白い岩もあなたも私も

紅く染まってゆきます


太陽は何億年も同じ事を繰り返し

何億人もの人々を同じく染めてきました

もし時間も場所も違って産まれていたなら

あなたに会うことはなく

幸せも不幸せもわからないまま年老いていたでしょう


あなたがくれた指輪に誓います

あなたのそばにずっといます

あなたとともに歩んでゆきます

私のことを誰よりも理解してくれるあなたのことを愛します

あなた以外の人を、決して愛することなど・・・


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