第33話『この世で最も絶対に近い力』

 幸太郎は、骸躯の外観を知らない。だが、何も取り出していない所から察するに、まだ使っていないだろう事は予測できた。


 いつだってやる事は一つだ。一撃必倒。それを目指して、幸太郎は拳を振るう。


 まずは、走る。突撃だ。


 カリスマは手を前に突き出すと、そこから光弾を発射した。蜂須賀よりも遅く、小さい。


 こいつ――蜂須賀くんより弱いな。


 確信を抱き、幸太郎はその弾を避け、カリスマの仮面へ向かって飛び蹴りを放った。カリスマはそれを前転の様に地面へ飛び込み、幸太郎へミドルキックを刺し込む。


 しかし、それを掌で下へ押し、威力を消してから、幸太郎はカリスマの腹へ前蹴りを突き刺した。


「うごっ……!」


 体がくの字に折れて、カリスマは腹を押さえて跪いた。そんな彼を見下し、幸太郎は顔面にトーキック。


「がっ!?」


 カリスマは大の字に寝転がるはずだったが、仮面で威力が削がれたのか、そのままの勢いで回転し、片膝立ちで幸太郎と睨み合う体勢になった。


「魔法力も、喧嘩も、全部蜂須賀くん以下じゃねえか……。どうやら、想像以上にくだらねー男だったらしいな」


 幸太郎は、笑わなかった。

 その顔は、憎しみでも、嘲笑でもない。哀れみだった。ただ、雨に濡れる子猫を見る様に、幸太郎はカリスマを見下ろしていた。


「てっ……てめぇ……なんだよ、その顔は……。俺を、俺を、俺を哀れむんじゃねえぇぇぇッ!!」


 カリスマは、再び幸太郎に手を突き出した。

 その瞬間、幸太郎の脳が揺さぶられたような感覚がやってきた。


 これは——精神感応魔法。

 幻覚を見せる魔法だ。あまり喰らいたくない魔法だったが、どうしてもかかってしまう。

 頭の中で、いろんな人間の声がする。


『もう寝ちゃいなよ。アンタはどーせ、なにやってもダメなんだから』


 ハチェットの声がする。まるで、もう見下げ果てたから私の前に現れるな、とでも言いたげな冷たい声。


『魔法なんて使えない方がいいと思ってるんじゃないの? 魔法使いになったら、凡人になっちゃうって思ってるんでしょ?』


 これは、告葉の声だ。


『魔法使えないとか、この学校じゃ真性の落ちこぼれだよな。俺にだって勝ててないんだし』


 陽介の声が聞こえる。

 騙されるな。自分を持て。自分の中にあるイメージで、この声を掻き消せ。

 幸太郎は、思い切り自分の頬を殴った。


 痛みが、脳にかかった靄を払ってくれる。

 目の前には、カリスマの姿だけがあった。


「卑怯くせー事してくれんじゃねえか、ええ? オイ」


 幸太郎は、一歩一歩踏み込んで行く。カリスマという自称とは裏腹に、今の光景はまるで弱い者イジメ。


 魔法を使えるはずの自分が、魔法を使えない人間に追いつめられている。そんな事は、あっちゃいけない。蜂須賀にやられるのなら、わかる。あいつは森厳坂で最強と目された男だ。


 だから、あいつに負けたら仕方ないと思う。


 けれど、俺はあいつに勝った。だから、俺が森厳坂で最強なんだ。

 その俺が、あんな魔法も使えないヤツに負ける事は、許されない。あってはいけない。ありえない。


「俺が負けるなんて、あってたまるかぁ!!」


 カリスマは、懐から魔法銃を取り出し、それを連射し始めた。

 魔法銃のメリットは、遠距離魔法が苦手な人間でも簡単に連射と威力を両立できることだ。


 だが、幸太郎は銃から放たれた光弾を軽々と避けながら、カリスマに接近し、腕を取ると、一瞬で銃を解体した。


「うっ、お……!」


 手に握られたグリップを幸太郎に向かって投げる。だが、幸太郎はそれをたたき落とし、拳を振るった。


 防御魔法でそれを防ぎ、バックステップで距離を置いた後、カリスマは魔法剣を取り出し、それに炎を纏わせた。炎が、股割れしていき、幾重もの刃になる。


「死ねぇっ!!」


 幸太郎は上着を脱ぐと、その袖を両手で掴み、刃ではなく柄を上着で受け止めた。その腕を包み、カリスマの横へ回ってから思い切り締め上げ、魔法剣を落とした。


「今更俺に、そんなモン通用しねぇんだよッ!!」


 幸太郎は、その腕を担いで、一本背負いして、地面に思い切り放り投げた。


「ふぐっ……!」


 カリスマの仮面から、息が漏れるのを幸太郎は確認した。それなりに拳や蹴りの打ち合いはできるようだが、受け身は取れない事から察するに、彼は今まで普通の魔法使いだったのだろう。


 遠距離から魔法を撃ち合い、それを戦いと呼ぶ魔法使い。

 だが、おそらく、幸太郎や蜂須賀を見て、それだけではダメだと思ったのだろう。だから殴り合いを覚えたはいいが、にわか仕込み。


「大した事のねー男だな。お前みたいなのは、部屋のすみーっこの方で九九の暗記でもして小学校からやりなおした方がいいんじゃねえの?」


 蜂須賀とやった時の様な、独特の緊迫感がまるでなかった。雑魚を相手にしている様で、これに蜂須賀が負けたなんて、信じられないほどだ。


 だがそれでも、幸太郎は拳を握り、カリスマへ鉄槌を振り下ろした。顎を砕く為に。

 カリスマはそれを両手でガードした。


「っ!?」

「読んでたよ」


 カリスマは、そのガードした手に魔力を溜め、電撃を流した。幸太郎の拳から、電撃が体を駆け巡り、一瞬硬直を余儀なくされた。まるで石になったみたいに、幸太郎の体が動かない。


 カリスマがその隙に立ち上がり、幸太郎の顔面に光弾をぶつけた。


「ぐぶっ!」


 押され、思い切り吹っ飛ばされ、背中から地面に落ちる幸太郎。やっと雷撃の硬直が解け、口の中に溜まった血を地面に吐き出す。


「……ちっ。もういい」


 カリスマは舌打ちをすると、パーカーのポケットに手を突っ込み、そこから黒い小箱を取り出した。


「やっとやる気になったかよ。幼稚園児のお遊戯会みてーなすっとろい喧嘩に付き合うのも、飽き飽きしてた所だ。使っていいぜ。時間が必要だってんなら、待ってやる」


 幸太郎は、カリスマが取り出したそれが、骸躯であるとわかっていた。それがとてつもなく強力な特質魔法を秘めているという事も。

 それでも、あれに勝たなくては、蜂須賀の仇討ちをした事にならない。


「……後悔すんじゃねえぞ」


 カリスマは呟くと、その小箱を開いた。中から、一本の棒が伸びて来る。それを掴んで引き抜く。どう考えても小箱に収まる大きさではなかったが、出て来たのは、カリスマの身の丈ほどあるだろう戦斧だった。


「お前は知らないだろうが、こいつは裏ルートでも最高級品の骸躯だ。対魔法使い戦術だが知らねえが、歴史に残る様な逸品に、お前が勝てるわけねえ」

「はっ。勝敗を決めるのは、武器の価値じゃねえ。本人の強さだ。強い魔法を持ってるやつが、俺に負ける姿なんて、いくらでも見て来た」


 魔法使いは戦いを知らない。その事を知っているのは、幸太郎とハチェット、そして蜂須賀くらいのモノ。


「来い。蜂須賀くんの代わりに、テメーの顎を砕いてやる」


 再び、ヒットマンスタイルを構える幸太郎。第二ラウンドの開幕だ。


 しかし、強気な言葉と裏腹に、幸太郎は攻めない。彼だって、骸躯の威力をナメているわけではない。


 骸躯に魔法を保存されるという事は、歴史に名を残したも同然。そんな、歴史に名を残すに値する特質魔法が、目の前にある。


 形状は斧。しかしグリップが長い。つまり、中距離戦闘の特質魔法だ。どういう補助能力があるかは知らないが、どちらにしても、中途半端な距離に居続けるのは危ない。


 ヒット&アウェイか、それとも近距離で押し続けるか。

 その二択になれば、幸太郎のする事は決まっている。


 突っ込んで、殴り倒す。


 幸太郎は地面を蹴った。

 カリスマは斧を構える。


 まずは相手の得物を観察する。まだ魔法が発動していないから、切っ先だけをよく見る。


 斧が振り下ろされると、幸太郎はその切っ先を紙一重で躱す。

 重量級の武器は、その重さ故に連撃ができない。一撃躱せれば、間合いを詰め、攻撃する事なんて楽勝だ。


 が、何故か斧は、予想よりも速く戻る軌道を描き、幸太郎の脇腹のめり込んだ。刃とは反対の方だったので、致命傷にはなっていないが、それでも十分なダメージだ。


「ぶふっ……!」


 幸太郎の口から血が漏れる。どうやら内蔵を痛めたらしい。


 だが、その口の中で溜まった血を、幸太郎はカリスマの仮面へ向かって吐いた。白い仮面が赤く染まり、目が封じられたカリスマは、反射的に袖でその血を拭おうとする。


 幸太郎は、当然その仮面に向かって拳を振るった。思い切りジャストミートしたはずだったのに、なぜか、吹っ飛ばされたのは幸太郎のほうだった。


「なっ、なんだぁ!?」


 攻撃されたわけではない。

 言うなれば、自分の拳の威力に押されてしまった様な感じだった。


 幸太郎は足で着地し、離された――というより、離してしまった――距離を見る。おおよそ一〇メートル。最初の位置関係とほぼ変わらない。


 どういう力だ? 幸太郎は様々な仮説を頭の中で立てる。


 カウンター能力か、と思ったが、幸太郎にダメージは無い。という事は、斧の戻りが予想以上に速かった事も考えると、すぐに答えはわかった。


「その斧……重力制御か」

「あら、よくわかったなぁ……。そうよ。こいつはな、バルディッシュ・ドシンっておっさんが使ってたらしい『この世で最も絶対に近い物パワー・オブ・グラビティ』って特質魔法だ」


 斧の返しが速かったのは、斧にかかる重力を軽くしたから。

 拳を放った幸太郎が跳ね返ったのは、幸太郎にかかる重力を軽くしたから。

 重力。確かに、無敵と言っていい能力だろう。この星で、普遍的にある力。誰でも影響下にある力。


「……バルディッシュ、だと?」


 幸太郎は、その名前が耳にひっかかった。当然だ。その名は、ハチェットの——師匠の師匠の名だから。


「なんだぁ? 知ってんのかよ」

「まぁな。……お前には関係ないし、言うつもりもねーが、尚更お前の事をぶっ倒さなきゃならなくなった。回復魔法がどーのとか言ってられねーくらいのスピードで、お前をぶっ殺してやる」

「く、くっくく……。勝てると思ってんのかよ。こいつは、マジで強力だぜ。蜂須賀くんが勝てなかったんだからよぉ」


 骸躯を取り出したからか、カリスマの雰囲気が随分落ち着いた。


「俺の特質魔法なら、お前には負けるが、こいつなら勝てる。俺はお前にも勝てるんだよ……!」


 骸躯を自分の力と勘違いしている。力に溺れる前兆だった

 幸太郎は肩を竦め、溜め息を吐く。


「そうかい。やってみねーとわからねえかもよ? 俺はまだ、お前の特質魔法知らねえし」

「……」カリスマは黙り込み、数秒程度間を置いてから、「お前は、俺の特質魔法を知ってるよ」と言われた。

「へぇ。って事は、お前、俺の知ってるやつって事か?」

「……あぁ」


「やっと正体を明かす気になったってワケか」

「お前を倒せば、森厳坂をシメたも同じだからな。……正体を隠す必要もない」


 そう言うと、カリスマが遂に、その仮面を脱いだ。

 幸太郎の予想通り、男だ。黒髪をオールバックにし、後頭部でゴムを使い、小さくまとめている。少々老け顔のきらいがあった。


「……お前確か、えーと、入学式で俺に喧嘩ふっかけてきた」


 顔も、特質魔法も覚えている。けれど、それ以外の事はあんまり覚えていなかった、自己紹介された気もするが、そんな記憶は闇の彼方。


 こめかみをとんとん叩きながら思い出そうとするが、まったく出てこない。


「ま、覚えてないと思ってたさ。桜手一平。特質魔法は、形の無い物をダーツの形に固定化する『荒ぶる牛の目を射抜くブルズ・アイ・ダート』だ」


「あぁ……。アンタか」幸太郎は、鼻で笑う。「蜂須賀くんにこき使われて、学院で真っ先に魔法使えないヤツに負けた腹いせで、こんな事してんのか?」


 軽口の様に言ってはいるが、幸太郎の内心は、腸が煮えくりかえる様な思いだった。


「くだらねえよ。だったら、骸躯なんて使わずに、自分の技を磨いてリターンマッチするだの、やり方はいろいろあったろうが」

「……そんな悠長な事、言ってられねえんだよこっちはッ!!」


 カリスマこと、桜手は、親の敵でも見るみたいに、幸太郎を視線で射抜く。


「いいかっ!! お前みたいに、ハナっから魔法っていうステージで戦ってないヤツにはわからねえんだよッ! 下級生の蜂須賀に勝てねえ、それだけならまだ我慢できたさ。アイツは、誰もが認める強さを持ってたからな。でもお前はどうだ!? 魔法を使えない、圧倒的弱者のはずのクセして、俺に勝ちやがった!! 俺はお前に負けてから、蜂須賀にボコられるし、周りのヤツからはナメられて落ちぶれて!! だから俺は、森厳坂をシメなくちゃいけねえんだッ!!」


 長い怒号の所為で、桜手は息切れをした。どうやらよほど、幸太郎に言われた事を気にしているらしい。

 それを吹き飛ばそうと、大声を出したのだ。


「俺は、お前を倒して、プライドを取り返すんだッ!!」

「……そうかい」


 幸太郎は、腰に差していたトンファーを取り出し、グリップを握った。


「お前が戦う理由はわかった。が、その根性が気に入らねえ。やっぱりぶっ殺す」

「やれるもんならやってみろよォッ!! この力に勝てるんならよぉッ!!」


 戦斧を構え、今度は桜手の方から突っ込んで来た。

 重力制御の影響があるおかげで、そのスピードは重たい斧を持っているとは思えないほど速かった。


 戦いを知らない魔法使いを歴戦の勇者に変える、それがバルディッシュ・ドシンの『パワー・オブ・グラビティ』だ。

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