第29話『魔神・バルディッシュ・ドシン』

 物騒な話を聞かされてケチもついたし、二人はその後すぐに解散した。

 そんなわけで、幸太郎は自宅の寮に帰ってきた。


「ただいまぁー」


 幸太郎は部屋の奥に向かって声を出しながら、声を追う様に廊下を歩く。リビングに入ると、ハチェットが窓に向かって大声を出していた。


骸躯デッドボックス? 魔界都市に入ってきたって? 知らないわよそんなの! そっちでなんとかしなさいよ。あたしはただの教師であって、そんな厄介ごと関係ありませーん」


 ハチェットは耳に当てていたケータイを離し(わざわざ魔力を使いたくない、と愛用する悪魔、人間はまだまだ多い)、服のポケットにしまう。


「ったく。あたしは便利屋じゃないっつーの」


 舌打ちし、ケータイをポケットにしまう。そして、背後の幸太郎に気付いた。


「おっ、おかえりー。どうだった映画?」

「映画はなかなかだったが、ちょっとトラブルがあった。狩りとかいうのに絡まれてよ」


 幸太郎は、冷蔵庫からペットボトルのコーヒーを取り出し、適当なコップに注いで、椅子に腰を降ろした。


「狩りねぇ。蜂須賀って子が主導してたってのは知ってるけど、リーダーがいなくなって、立ち消えになったんじゃなかったの?」


 ハチェットは、幸太郎の持っていたコップを奪い取り、コーヒーを飲む。幸太郎はさらに奪い返した。


「なんでも、カリスマって名乗ってるヤローがリーダーになったらしくてよぉ」

「あぁ……。最近、森厳坂生徒が襲撃されてるっていう話を聞くわね」

「話ぶりからすると、同じ森厳坂の生徒みてーだが」

「まぁ、基本的にあたしらはそこら辺関与しないわよ」


 ハチェットは、あくびをしながらそう言った。

 基本的に、人間が悪魔に勝つという事はありえない。なぜなら、そもそも魔力の保有量が桁違いだからだ。悪魔の平均値を一〇〇とすれば、人間は一〇に届くかどうか。


 当然、悪魔との契約を増やせば保有量は増えるが、一人と契約の契約で分け与えられる魔力なんてたかが知れている。


 なので、人間が悪魔に勝つというのは、そう無い事。

 だからこそ、学園の存続の危機、あるいは生徒の命の危機ともなれば生徒間の争いにも口を出すが、基本的に生徒達には干渉しすぎないというルールがある。


 魔法を使う職業というのは、多かれ少なかれ、魔法を悪事に使う魔法使いと対峙するパターンがある。犯罪が発覚した時点で悪魔からの魔力供給はカットされる。


 だからこそ、学生の内は多少のおイタが許されるのだ。被害者も加害者も、それなりに鍛えられるから。


「なんとかするなら、あんたがなんとかしなさいよ、幸太郎」

「俺が? 冗談だろ。火の粉は払うが、積極的になんとかしてこうとは思わねーよ。……それより、お前はなんの話してたんだ?」


 ハチェットは、舌打ちをして苛立たしげに「大した事じゃないんだけどねー」と呟く。


骸躯デッドボックスってのは習ったでしょ、授業で」

「あぁ」頷く幸太郎。


 確か、死んで失われるはずの特質魔法を残しておく為の魔法具だったはずだ、と。


「誰の骸躯かはまだ調査中だけど、窃盗団がそれをここに持ち込んだらしいのよ。骸躯は、基本的に魔法管理委員会が保有しなきゃいけないんだけどね……」


 魔法管理委員会が、研究用に用いる事がほとんどの骸躯だが、その希少性故に、いい金になるのだ。だからこそ、窃盗団に狙われ、いくつかの骸躯は未だにどこへ行ったかわからなくなっている。


「まぁ、そんなの警察の仕事でしょ。あたしにゃ関係ないっての」


 ハチェットのケータイが、再び鳴った。何故か流行りのアイドルの歌だった。どうやら今回はメールだったらしく、画面を見ると苦々しい顔をして、幸太郎に画面を見せつけた。


「えー、と……」


 画面を見ると、差出人はフェリングだった。


『骸躯探せって警察から依頼来たんだけど、どうするー?』


 と、語尾にハートマークがついていた。


「フェリング先生ってそんなんだっけか?」

「あいつは結構フレンドリーなやつよ。そういえば……師匠のトコに流れ着いた時も、あいつから喋りかけてきたわね……」


 腕を胸の下で組み、まるで幼い頃のアルバムを見つめるような目で、天井を見つめるハチェット。


「……そういやぁ、いい機会だから訊くんだけどよ。お前らの師匠って、どんな感じなんだ?」

「あんたの大師匠だしね。話しておく事もいいかもしれないわね」


 ハチェットは、ゆっくり語り出す。

 彼女の師匠、バルディッシュ・ドシンの事を。



  ■



 もう何百年も前になるらしい。


 ハチェットは、アテも無く魔界を歩いては、悪魔を相手に戦っていた。

 当時の彼女は、様々な悪魔から奪った衣服——迷彩のカーゴパンツに、白いTシャツと指ぬきグローブ——を着て、薄汚れたナリだった。


 魔界は荒れ果てる前、おおよその人間がイメージしていたよりも、ずっと自然に溢れていた。


 地域によって住んでいる悪魔も違い、文化レベルも様々で、農村の様な所もあれば、コンクリートに摩天楼が生えているようなところもある。


 その時のハチェットは、農村の様な所にいた。


 そこの畑や牧場から、作物や家畜をかっぱらっては、村から派遣される討伐隊を返り討ちにする日々を送っていた。


「はぐっ……んぐ、んぐ……」


 木の根に座り、野菜を齧り、肉を喰らっていた。傍らには、たくさんの悪魔達が倒れていた。


「ふぅ……」


 腹が満たされたハチェットは、溜め息をつき、自分が倒した悪魔達を見つめる。


 彼らはまだ息があった。血まみれだが、それでも生きていた。


「くっ、くそぉ……」


 ヤギの様な角を持った人型の悪魔が、苦しそうにハチェットを見つめる。


「貴様が、『無頼者』のハチェット・カットナルか……。こんなことをして、生きていけると思うなよ……。貴様は、もう指名手配されているんだ……」

「はぁ?」


 ハチェットは、その悪魔の顔を思い切り蹴っ飛ばした。


「ぐぶっ……!」

「おっもしろい事言うじゃないの。客でも集めれば爆笑が取れるんじゃない? お笑い芸人の才能がありそうね」


 血塗れた唇を釣り上げるハチェット。もう悪魔の意識は、ほとんど落ちかけていた。

 奪われない為に強くあるしかない。強くなれない者は、群れを作り、強者に対抗する。


 だが、それさえも覆す強者が覇権を握る。魔界は、そういう弱肉強食な世界だった。


「あーあ……つまんないの……」


 ハチェットは呟いて、空を見た。深い青が頭上には広がっていた。手を伸ばせば、どこか知らない所へ繋がっていそうなほど深い。


 いつからこうしていたんだっけ?


 ハチェットはたまに考える事がある。悪魔は自然発生するパターンや、生殖行為によって生まれる者もいて、ハチェットは前者だった。


 気付いたら、どこかの泉にいた。それからどこへ行っても馴染めなかった。誰と一緒にいても、つまらなかった。


 それは彼女の協調性が無い所為もあったが、一番の理由は強すぎたから、だろう。


 気に入らない者を殴っていたら、どこでも居場所を無くし、こうなった。


 後悔は無い。本当に、無い。


 後悔は、よかった過去があるから出来る物。ハチェットにとって、この生活はもう当たり前になっていた。


「ほぉー。魔力の大きなお嬢ちゃんだな」


 彼は、突然現れた。大きな男だった。まるで岩石が歩いているようにさえ見えた。


 白髪のポニーテールと、森みたいに生い茂ったあごひげ。


 何故か、着ているのは黒い着流しだった。ハチェットは、口の中にたまった牛の血を地面に吐き捨て、立ち上がる。


「ここに転がってる連中と同じ、あたしを倒しに来たってことかしら?」


 ハチェットは、唇を釣り上げ、掌に魔力を集める。


「あぁ。下の村に頼まれた。なんでも、相当強いらしいじゃねえかお嬢ちゃん」

「あぁ、強いよぉ。私は」


 裸足の歩を進め、拳を握る老人に、ハチェットは光弾を放つ。

 ハチェットの魔力ともなれば、その威力は大砲ほどだ。そして、さらに彼女はそれを連射した。


「なるほどっ。いい魔法だな」


 その光弾を、老人は拳でたたき落とした。


「はっ!?」悪魔と言えども、その光景はあまりに現実離れしていた。


「だったらこっちでどうよ!?」ハチェットの腕に、先ほどの光弾よりも大きな物が浮かび上がる。そんな、乗用車ほどはありそうな光弾を、老人に向かって投げた。


「かかっ。才気溢れる若者ってのは面白いねぇ!」


 なんとも嬉しそうに、老人は再び拳を握り、その光弾へ向かって振り下ろ

した。


 片や魔法、片や素手。


 言うなれば、大人と子供の力量さがあったはずだったのに。

 なぜか、両者の圧迫感は同程度あった。

 光弾と拳が、ぶつかり合う。


 だが、一瞬だけ競り合っただけで、光弾は消えてしまった。


「ううん、いい! いいぞぉ、お前!」


 笑いながら、ハチェットへ近寄って来る老人。敵意を感じないその顔に、ハチェットは内心引いていた。


「こっちに来るんじゃないわよッ!!」


 身長差がある為、ハチェットは跳び、老人の顔面へハイキックを放った。まるで鞭の様に、足先が消えた。


 だが、老人はその足先を掴んで、地面に背中から叩き付ける。


「ぐぁ……ッ!!」


 ハチェットの口内に、じんわりと鉄の匂いが広がった。とんでもない力で叩き付けられたのか、ハチェットの体はずたずたになっていた。いくつか骨も折れているし、下手すれば内蔵も潰れていておかしくない。


「だらしないねえ、もう終わりかぁ?」


 老人はしゃがみこみ、ハチェットの顔を覗き込む。まるで、おもちゃが思ったより脆かった、とがっかりしている子供のよう。


「こんなとこで……死ぬ事になるなんてね……」

「んー……」めんどくさそうに、溜め息を吐く老人。「その気だったんだけど、やめた」


「……は?」


「お前、俺の弟子にならない?」

「何言ってんの……?」

「悪魔ってのは、死ねないだろ?」


 しゃがみ込むどころか、老人は腰を降ろした。


「俺はなぁ、悲しいんだ。俺は、強すぎた。だから誰も俺を殺せない」


 自画自賛と茶化すには、少し老人の表情が真面目すぎて、ハチェットは何も言えなかった。


「今なぁ、一人育ててるやつがいる。そいつも、お前と同じで才能に満ちあふれてるんだ。競った方が、育つだろ? お前も来い。そんで、俺を殺してみろ」


 笑った老人は、名乗った。


「俺の名は『バルディッシュ・ドシン』他の悪魔は俺を、『魔神』なんて呼ぶがな」



  ■



「と、それからは大変だったぁ……。何度師匠に殺されかけたか……。そりゃ、丸くなるってもんよねぇ。骨と一緒に人格もまっすぐになったっていうか?」


 あははー、と笑うハチェット。


「師匠の戦い方は、魔法に頼らず、肉体を鍛えるってやつでね。あたしらも、今のアンタみたいな事、やってたのよ」


 なっつかしいなー、と苦笑するハチェットだが、幸太郎は、まるで母親がヤンキーだった、という話を聞いているような気分になった。


「……俺が毎日の様に骨折ってんのも、大師匠の教育方針って事か。——ん? ちょっと待て」

「あによ?」思いでに浸っていたらしいハチェットは、不満そうに唇を尖らせた。

「対魔法使い戦術って、そのバルディッシュっておっさんが考案したモンなの?」


「いや。あのおっさんは、ただ単に『強いっていうのは魔法が強力なだけでなく、肉体も伴ってこそ』っていう理念があっただけ。で、あたしがその教えから、魔法使えない人間にも魔法使い倒せないかなー、って思いつきで作った物なのよ」

「俺は思いつきに高校生活預けてんのか……?」


 不安が襲って来る。今からでも校長に、担当変えてと直談判しようかと思うほどだ。


「大丈夫大丈夫。思いつきって言ったって、きちんと構想は練ってるから」

 ホントかよ、と幸太郎はコーヒーを口にする。話を聞いている内にコーヒーはぬるくなり、酸化していた。

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