第26話『それは、究極の拳』
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「……なるほど、防御魔法のメリット潰し、か」
フェリングは作戦を立てる段になって、やっとその事に気付いた。つい、無意識的に防御魔法を除外している自分を、変に思ったのだ。
「このまま防御魔法を刻んでたら、きっと幸太郎くんはアグレッシブに攻めて来るでしょうね。砕かれて、魔力が無くなる。でも、だったら体力を削りましょう。こっちはタートルスタイルで行く」
フェリングが、防御魔法を右拳に刻もうとした。だが、左手でそれから庇う様に、右拳を覆う誠也。
「……どうしたんだ誠也。手を退けなさい」
「……俺は、アイツと打ち合いたい」
「キミはアウトボクサーだぞ。それに、防御魔法でこっちが魔力を差し出せば、向こうは虎の子の体力を削る。勝ちを捨てる気か?」
「違います。……ただ、俺はガードをする方が、勝ちを捨ててる様にしか見えないんです。狭いリング、魔法で相手を捉えれば、もう反撃はできない。攻撃こそ、最大の防御。ここは……バーサクスタイルで行くべきだと思います」
「……なるほど、わかった。キミがそう思うなら、その勘に従おう。攻撃魔法は……キミが得意とする、あれでいいかな?」
頷く誠也。
フェリングが刻み終わると同時に、レフェリーから「セコンドアウト!」と宣言。
「よし、行きなさい誠也。マジック・ボクサーの攻め方、見せてやりなさい」
「はいっ!」
立ち上がり、拳をぶつけ、闘志を満たす。
幸太郎も立ち上がり、二人はリングと当時に、飛び出した。
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走り出した幸太郎。
向かって来る誠也を見ながら、きっと殴り合ってくれるのだとわかった。
相手のスタイルはバーサク。間違えるはずがない。
俺なら絶対にバーサクだ。体力を削るという作戦が最も堅実だが、しかし、堅実だから、正しいから絶対にするとは限らない。
かっこよく勝つ。
それは、誰が聞いても『バカだ』と言うかもしれない。
だが、誰もが憧れる。絶対に勝つ、では意味が無い。かっこよく勝たなくては、自分のプライドを押し通して勝たなくては、意味が無いのだ。
だから、バーサクだ。魔法使いとしての、ボクサーとしてのプライドを貫く為には、バーサクしかない。
二人の額がぶつかるほどの近距離。
幸太郎は、ヒットマンスタイルからのフリッカージャブを繰り出した。
鞭の様にして打ち出す、スピード重視のジャブだ。スナップ&ヒットで、得点を稼ぐ為のジャブ。
そんな軽いジャブなら、ガードできる。誠也はガードを固めて、打ち終わりを狙う。スピードの速いフリッカーでも、深く押し込まない為、仮に当たってもまったくダメージにはならない。
だが、フリッカーの使い方は、ただのスナップ&ヒットではない。
その中に、普通のジャブも混ぜるのだ。
軽い、重いという種類の違うジャブがランダムに飛んで来る。軽いから、力で押し込もうとするとカウンター気味の強いジャブが飛んで来る。
いけない、気を引き締める誠也。
マジック・ボクシングに慣れ過ぎると、通常のボクシングのテクニックに疎くなる——。
だが、幸太郎がボクシングで来るなら、誠也もマジック・ボクシングで返すだけ。
この戦いは、ボクサー対、マジック・ボクサーの戦い。
太古の化石対、最新鋭の技術の戦いだ。
目の前には、まるで滅び去った恐竜のような、荒々しく、それでいて洗練された牙を持つ、太古のボクサー。
もう滅び去ったと思っていたのに、そんな存在と戦える。
この興奮は——きっと——俺にしか——。
「ふはっ!!」
誠也は、思わず吹き出していた。そして、左手の魔法を、発動させる。
刻んだ魔法——誠也が最も愛用し、信頼する、加速魔法だ。
振るう。そして、疾走する——。
一瞬で最短距離を行き、幸太郎の顔面を打ち抜く。
「はっ——!?」
何をされたのか、一瞬わからなかった。だが、パンチを打ち込まれた事はわかった。
ジャブとは、最も速い打撃技。
ストレートとは、最も最短で敵を倒せる技。
更に加速させれば、それは究極の打撃。
これが、誠也の目指した『究極のボクサー像』だった。
「はっ——」
幸太郎の意識が、朦朧とし始めた。今の攻撃は、効いた。頭を揺さぶられてしまったのだ。
それに、慣れないグローブやリングのプレッシャーが、幸太郎の体力を徐々に蝕んでいるのも確かだった。
幸太郎は、クロスアームブロックでガードを固める。体力を回復しなくっちゃならない。そうでなくても、躱せるかわからないほどの打撃なのだ。
ここに来ての加速魔法という、シンプルだが、ボクサーとして培った物をより強力に発現できる物。
魔法使いとして、ボクサーとして、その間に立つマジック・ボクサーとして、これ以上の魔法はきっと無いだろう。
「打って来い、荒城——ッ!!」
大振りのテレフォンパンチだが、それでも合わせて打つ事ができなかった。
クロスアームが軋む——。
隙間から、ボディを打ち込まれた。
「ぁ——ッ!」
幸太郎の口からマウスピースが飛んだ。
「たお、れるかぁ……!」
きっと、寝てしまったらもう立ち上がる事はできない。幸太郎は必死に震える足を押さえつける。
周りのギャラリーが、笑っていた。
——あいつ、足が震えてやがる。
——魔法にビビったんじゃねえの?
——対魔法使いとか、生意気な事言ってるからこんな事になんだよ。
幸太郎は、聞こえていない。
誠也は、聞こえていた。
今すぐリングから飛び降りて、そのギャラリーを、ただ見ているだけで戦わない人間の鼻を砕いてやりたかった。
目の前で戦うボクサーの姿を笑う事は、同じボクサーである自分をバカにしていると同じ事。
誇り高く殴り合う目の前の男を、魔法も持たないのに自分へと向かって来るこの男を、誠也は尊敬さえしていた。
「どうした……!」
怒りを堪えている間に、集中力を欠いていたらしい。幸太郎がガードを解き、息も絶え絶え、ニヤリと笑っていた。
そして、手首をスナップさせ、『来いよ』と挑発する。
「俺ぁ、まだノックアウトしてねーぞ……」
デトロイトスタイルを取り、ステップを踏む。
「……あぁ、そうだな」
誠也も、ファイティングポーズを取った。
そろそろ、終わる。
そんな予感があった。
集中するとやってくる、魔法時代でこんな事言いたくないけれど、超能力めいた勘。これはそういう物だった。
「おぉ——ッ!!」
幸太郎の右ストレートが疾走する。風を砕く様に、そして、誠也のガードを、思い切り押した。
押す——?
いや、そんな物じゃ俺のガードは貫けない。
いや、違う、拳打で俺を押すのが目的か——!?
幸太郎の狙いがわかった誠也は、すぐにサイドステップで脱出。だが、まるで野生の獣みたいに、すぐさまその方向へ拳を繰り出し、後から体を持って来て、素早く誠也を追った。
「くそっ」
逃げられない。幸太郎の集中力が、いや、パワーが上がっていた。
明らかに、最初の頃よりパンチが重くなっている。
「なんで、そんなっ!」
逃げようとしても、逃げ切れない。幸太郎の圧力が強く、コーナーを背負わされた。
なんでだ、なんで。
出て来るはずもない答えを探して、誠也は思考を巡らせた。
だが、出て来るはずがないと思っていたのに、その答えは、あっさりと出た。
初めて会った日の、パンチングマシーン。
幸太郎は最初、誠也にまったく勝てなかった。だというのに、回数を重ねるごとにパンチ力が強くなっていき、最後には勝った。
あれか——っ!
■
「幸太郎はね、スロースターターってやつなのよ」
幸太郎が、誠也を追いつめている最中、ハチェットが独り言の様に呟いた。
「スロー、スターター……? なんですか、それ」
その独り言を拾った告葉は、ハチェットの顔を見る。
「人間の体は、動いたり止まったりが急にできたりするほど高性能じゃない。……まあ、私ら悪魔には、あんま関係ない話だけどさ」
ほくそ笑むハチェット。
「だから、体を暖めるウォーミングアップは、最初から全力で挑まなくちゃいけないアスリートにとって生命線なんだけど、当然、その筋肉が温まる時間には個体差がある。……幸太郎は、筋肉が温まるまでの時間が、遅い体質なのよ」
そう、ハチェットとのスパーリング中、幸太郎が与えた一撃。スロースターター故、調子が上がって来たおかげだった。
それを察したはいいが、油断して一撃もらってしまい、拗ねたおかげでスパーを投げてしまったのは、秘密の話だ。
「——ってことは、今までの幸太郎は、全力じゃないってことなんですか!?」
「全力が出せない、というか、本調子になれない、って言う方が近いわね」
「……それ、ほとんどハンデみたいな感じですね」
「ま、難儀なタチだってのは認めるわ」
そっちの方が、面白いけど。
ハチェットのつぶやきが、告葉に届く事はなかった。ブーイングに近い周囲の声に押しつぶされてしまったから。
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コーナーへと追いつめた。
だが、まだ誠也は負けを認めていない。当然だ。追いつめられたくらいで負けを認めるなら、そもそもリングに立っていない。
誠也の、加速したジャブが飛んで来る。それをダッキングで躱すが、戻しと同時にやってくるフック気味のストレートは躱せず、頭が右へと弾かれた。
前が霞む。
もう、何も見えないと言ってもよかった。
思い出せるのは、修行の日々だった。
人体の構造を理解しろ、どこを殴れば相手が気を失うかを覚えろ、そうしたら、後はそこを効率よく殴れる方法を覚えろ。
一人でずっとやってきた。壁に人の形を描き、ずっとそれを殴って来た。
ハチェットと別れてから、告葉と別れてから、誰にも理解されなくとも、拳を鍛え続けて来た。
俺、なんで強くなりたかったんだっけ?
誠也のとどめ、右拳が、まっすぐ幸太郎へ飛んで来るのが見えた。
だというのに、なんで強くなりたかったのかなんて、今更すぎる疑問が頭をよぎった。
俺が強くなりたかったのは、そうすることが正しいと思えたから。
魔法使いになれば、自分がしたい事を出来ると思ったからだ。
強くなくては、意地を通す事ができない。
今ここは、意地を通す場面だろ——。
幸太郎は、拳を振り上げた。
「遅い——っ!!」
だが、誠也の手は、既に幸太郎の顔面を捉えていた。
反応するスピードが、遅かったのだ。
勝った。
確信めいた気持ちが、誠也の胸に広がる。
太古のボクサーに勝ったのだ、と。
これで俺は、自信を持って、マジック・ボクシングをやっていける。
マジック・ボクシングこそ、最高の殴り合いだと、証明できた。
だが、意識が無いはずなのに、断ち切ったはずなのに、幸太郎の拳が動き出した。
わけがわからない。
勝ったはずなのに、幸太郎は負けていなかった。
右ストレート。
大砲の様な、太古からの一撃だった。
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