第26話『それは、究極の拳』

  ■


「……なるほど、防御魔法のメリット潰し、か」


 フェリングは作戦を立てる段になって、やっとその事に気付いた。つい、無意識的に防御魔法を除外している自分を、変に思ったのだ。


「このまま防御魔法を刻んでたら、きっと幸太郎くんはアグレッシブに攻めて来るでしょうね。砕かれて、魔力が無くなる。でも、だったら体力を削りましょう。こっちはタートルスタイルで行く」


 フェリングが、防御魔法を右拳に刻もうとした。だが、左手でそれから庇う様に、右拳を覆う誠也。


「……どうしたんだ誠也。手を退けなさい」

「……俺は、アイツと打ち合いたい」

「キミはアウトボクサーだぞ。それに、防御魔法でこっちが魔力を差し出せば、向こうは虎の子の体力を削る。勝ちを捨てる気か?」

「違います。……ただ、俺はガードをする方が、勝ちを捨ててる様にしか見えないんです。狭いリング、魔法で相手を捉えれば、もう反撃はできない。攻撃こそ、最大の防御。ここは……バーサクスタイルで行くべきだと思います」

「……なるほど、わかった。キミがそう思うなら、その勘に従おう。攻撃魔法は……キミが得意とする、あれでいいかな?」


 頷く誠也。


 フェリングが刻み終わると同時に、レフェリーから「セコンドアウト!」と宣言。


「よし、行きなさい誠也。マジック・ボクサーの攻め方、見せてやりなさい」

「はいっ!」


 立ち上がり、拳をぶつけ、闘志を満たす。

 幸太郎も立ち上がり、二人はリングと当時に、飛び出した。



 ■



 走り出した幸太郎。


 向かって来る誠也を見ながら、きっと殴り合ってくれるのだとわかった。


 相手のスタイルはバーサク。間違えるはずがない。


 俺なら絶対にバーサクだ。体力を削るという作戦が最も堅実だが、しかし、堅実だから、正しいから絶対にするとは限らない。


 かっこよく勝つ。


 それは、誰が聞いても『バカだ』と言うかもしれない。

 だが、誰もが憧れる。絶対に勝つ、では意味が無い。かっこよく勝たなくては、自分のプライドを押し通して勝たなくては、意味が無いのだ。


 だから、バーサクだ。魔法使いとしての、ボクサーとしてのプライドを貫く為には、バーサクしかない。


 二人の額がぶつかるほどの近距離。


 幸太郎は、ヒットマンスタイルからのフリッカージャブを繰り出した。


 鞭の様にして打ち出す、スピード重視のジャブだ。スナップ&ヒットで、得点を稼ぐ為のジャブ。


 そんな軽いジャブなら、ガードできる。誠也はガードを固めて、打ち終わりを狙う。スピードの速いフリッカーでも、深く押し込まない為、仮に当たってもまったくダメージにはならない。


 だが、フリッカーの使い方は、ただのスナップ&ヒットではない。


 その中に、普通のジャブも混ぜるのだ。


 軽い、重いという種類の違うジャブがランダムに飛んで来る。軽いから、力で押し込もうとするとカウンター気味の強いジャブが飛んで来る。


 いけない、気を引き締める誠也。

 マジック・ボクシングに慣れ過ぎると、通常のボクシングのテクニックに疎くなる——。


 だが、幸太郎がボクシングで来るなら、誠也もマジック・ボクシングで返すだけ。


 この戦いは、ボクサー対、マジック・ボクサーの戦い。


 太古の化石対、最新鋭の技術の戦いだ。


 目の前には、まるで滅び去った恐竜のような、荒々しく、それでいて洗練された牙を持つ、太古のボクサー。

 もう滅び去ったと思っていたのに、そんな存在と戦える。


 この興奮は——きっと——俺にしか——。


「ふはっ!!」


 誠也は、思わず吹き出していた。そして、左手の魔法を、発動させる。

 刻んだ魔法——誠也が最も愛用し、信頼する、加速魔法だ。

 振るう。そして、疾走する——。


 一瞬で最短距離を行き、幸太郎の顔面を打ち抜く。


「はっ——!?」


 何をされたのか、一瞬わからなかった。だが、パンチを打ち込まれた事はわかった。


 ジャブとは、最も速い打撃技。

 ストレートとは、最も最短で敵を倒せる技。

 更に加速させれば、それは究極の打撃。

 これが、誠也の目指した『究極のボクサー像』だった。


「はっ——」


 幸太郎の意識が、朦朧とし始めた。今の攻撃は、効いた。頭を揺さぶられてしまったのだ。

 それに、慣れないグローブやリングのプレッシャーが、幸太郎の体力を徐々に蝕んでいるのも確かだった。


 幸太郎は、クロスアームブロックでガードを固める。体力を回復しなくっちゃならない。そうでなくても、躱せるかわからないほどの打撃なのだ。


 ここに来ての加速魔法という、シンプルだが、ボクサーとして培った物をより強力に発現できる物。


 魔法使いとして、ボクサーとして、その間に立つマジック・ボクサーとして、これ以上の魔法はきっと無いだろう。


「打って来い、荒城——ッ!!」


 大振りのテレフォンパンチだが、それでも合わせて打つ事ができなかった。

 クロスアームが軋む——。

 隙間から、ボディを打ち込まれた。


「ぁ——ッ!」


 幸太郎の口からマウスピースが飛んだ。


「たお、れるかぁ……!」


 きっと、寝てしまったらもう立ち上がる事はできない。幸太郎は必死に震える足を押さえつける。

 周りのギャラリーが、笑っていた。


 ——あいつ、足が震えてやがる。

 ——魔法にビビったんじゃねえの?

 ——対魔法使いとか、生意気な事言ってるからこんな事になんだよ。


 幸太郎は、聞こえていない。

 誠也は、聞こえていた。


 今すぐリングから飛び降りて、そのギャラリーを、ただ見ているだけで戦わない人間の鼻を砕いてやりたかった。


 目の前で戦うボクサーの姿を笑う事は、同じボクサーである自分をバカにしていると同じ事。

 誇り高く殴り合う目の前の男を、魔法も持たないのに自分へと向かって来るこの男を、誠也は尊敬さえしていた。


「どうした……!」


 怒りを堪えている間に、集中力を欠いていたらしい。幸太郎がガードを解き、息も絶え絶え、ニヤリと笑っていた。


 そして、手首をスナップさせ、『来いよ』と挑発する。


「俺ぁ、まだノックアウトしてねーぞ……」


 デトロイトスタイルを取り、ステップを踏む。


「……あぁ、そうだな」


 誠也も、ファイティングポーズを取った。

 そろそろ、終わる。

 そんな予感があった。


 集中するとやってくる、魔法時代でこんな事言いたくないけれど、超能力めいた勘。これはそういう物だった。


「おぉ——ッ!!」


 幸太郎の右ストレートが疾走する。風を砕く様に、そして、誠也のガードを、思い切り押した。


 押す——?


 いや、そんな物じゃ俺のガードは貫けない。

 いや、違う、拳打で俺を押すのが目的か——!?


 幸太郎の狙いがわかった誠也は、すぐにサイドステップで脱出。だが、まるで野生の獣みたいに、すぐさまその方向へ拳を繰り出し、後から体を持って来て、素早く誠也を追った。


「くそっ」


 逃げられない。幸太郎の集中力が、いや、パワーが上がっていた。

 明らかに、最初の頃よりパンチが重くなっている。


「なんで、そんなっ!」


 逃げようとしても、逃げ切れない。幸太郎の圧力が強く、コーナーを背負わされた。


 なんでだ、なんで。

 出て来るはずもない答えを探して、誠也は思考を巡らせた。

 だが、出て来るはずがないと思っていたのに、その答えは、あっさりと出た。

 初めて会った日の、パンチングマシーン。


 幸太郎は最初、誠也にまったく勝てなかった。だというのに、回数を重ねるごとにパンチ力が強くなっていき、最後には勝った。

 あれか——っ!


  ■


「幸太郎はね、スロースターターってやつなのよ」


 幸太郎が、誠也を追いつめている最中、ハチェットが独り言の様に呟いた。


「スロー、スターター……? なんですか、それ」


 その独り言を拾った告葉は、ハチェットの顔を見る。


「人間の体は、動いたり止まったりが急にできたりするほど高性能じゃない。……まあ、私ら悪魔には、あんま関係ない話だけどさ」


 ほくそ笑むハチェット。


「だから、体を暖めるウォーミングアップは、最初から全力で挑まなくちゃいけないアスリートにとって生命線なんだけど、当然、その筋肉が温まる時間には個体差がある。……幸太郎は、筋肉が温まるまでの時間が、遅い体質なのよ」


 そう、ハチェットとのスパーリング中、幸太郎が与えた一撃。スロースターター故、調子が上がって来たおかげだった。


 それを察したはいいが、油断して一撃もらってしまい、拗ねたおかげでスパーを投げてしまったのは、秘密の話だ。


「——ってことは、今までの幸太郎は、全力じゃないってことなんですか!?」

「全力が出せない、というか、本調子になれない、って言う方が近いわね」

「……それ、ほとんどハンデみたいな感じですね」

「ま、難儀なタチだってのは認めるわ」


 そっちの方が、面白いけど。

 ハチェットのつぶやきが、告葉に届く事はなかった。ブーイングに近い周囲の声に押しつぶされてしまったから。



  ■



 コーナーへと追いつめた。


 だが、まだ誠也は負けを認めていない。当然だ。追いつめられたくらいで負けを認めるなら、そもそもリングに立っていない。


 誠也の、加速したジャブが飛んで来る。それをダッキングで躱すが、戻しと同時にやってくるフック気味のストレートは躱せず、頭が右へと弾かれた。


 前が霞む。


 もう、何も見えないと言ってもよかった。

 思い出せるのは、修行の日々だった。


 人体の構造を理解しろ、どこを殴れば相手が気を失うかを覚えろ、そうしたら、後はそこを効率よく殴れる方法を覚えろ。


 一人でずっとやってきた。壁に人の形を描き、ずっとそれを殴って来た。


 ハチェットと別れてから、告葉と別れてから、誰にも理解されなくとも、拳を鍛え続けて来た。


 俺、なんで強くなりたかったんだっけ?

 誠也のとどめ、右拳が、まっすぐ幸太郎へ飛んで来るのが見えた。

 だというのに、なんで強くなりたかったのかなんて、今更すぎる疑問が頭をよぎった。


 俺が強くなりたかったのは、そうすることが正しいと思えたから。


 魔法使いになれば、自分がしたい事を出来ると思ったからだ。

 強くなくては、意地を通す事ができない。

 今ここは、意地を通す場面だろ——。


 幸太郎は、拳を振り上げた。


「遅い——っ!!」


 だが、誠也の手は、既に幸太郎の顔面を捉えていた。


 反応するスピードが、遅かったのだ。


 勝った。


 確信めいた気持ちが、誠也の胸に広がる。


 太古のボクサーに勝ったのだ、と。


 これで俺は、自信を持って、マジック・ボクシングをやっていける。


 マジック・ボクシングこそ、最高の殴り合いだと、証明できた。


 だが、意識が無いはずなのに、断ち切ったはずなのに、幸太郎の拳が動き出した。


 わけがわからない。


 勝ったはずなのに、幸太郎は負けていなかった。


 右ストレート。

 大砲の様な、太古からの一撃だった。

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