第25話『四角い世界』


 誠也がニュートラルコーナーへ戻ると、フェリングが「どうだったかな」と尋ねて来た。


「それ、俺のセリフじゃないですか?」

「かもね。……なら、私の印象から話させてもらうけど、今回のラウンド、判定だと確実に負けてた」

「……ですね」


 通常、ボクシングでは、有効打の数や戦術、主導権をどれだけ握ったかなどが採点され、判定ではその点数で決着をつける。


 だが、マジック・ボクシングには、さらに『刻んだ魔法カードがどれだけ有効的だったか』または『相手の魔法に上手く対処できたか』という採点項目が追加される(今回の戦いでは、幸太郎に魔法の有効使用が、誠也に魔法への対処が、それぞれ得点欄から排除されている)。


 今回の場合、幸太郎に途中で見破られたので、有効的には働いていない。幸太郎は逆に魔法を見切り、躱し、自分の有効打を叩き込んだので、そこそこの点数が加算されたはずだ。もちろん、取り返せないほどではないが。


「……距離だけでアドバンテージを取っちゃ、ダメですね。荒城は、かなりハードパンチャーです。拳の堅さが尋常じゃない。あんなもんで殴られ続けてたら、いくらグローブしててもこっちが先にやられる。なので、ナイトスタイルでいこうと思います」


 ナイトスタイル。

 片手に防御魔法、片手に攻撃魔法という、攻守のバランスに優れたスタイルだ。剣と盾を持った騎士を思わせる戦い方なので、その名がついた。


 フェリングは頷くと、「そうね。向こうは防御魔法を貫く手段を持ってない。ガードを固めて、しっかりとチャンスをモノにしていきましょう」と言って、誠也のグローブの刻印を書き換える。


 次は、騎士の拳で倒しに行く。



  ■



「次、相手はナイトスタイルで来るでしょうね」


 ハチェットは幸太郎の隣に立ち、反対側に座る誠也とフェリングを見た。


「あの様子だと、幸太郎の拳を脅威だと考えたはずだし、そうなれば防御を固める。けど、魔法を持たない人間相手にタートルスタイル(防御魔法二つ装備)はないでしょうから、まず間違いないわね」


 こういう時、ゼロハンドスタイルはありがたい。幸太郎は意外な所に、ゼロハンドスタイルの利点を見つけていた。


 何もできないから、相手が『裏をかいてくる』ということがほとんどない。本来であれば、向こうの戦略はほとんど無条件に通るはずで、幸太郎とサンドバック、どっちを相手にしても対して差は無いはずである。


 しかし、現実はそうも行かない。幸太郎は魔法の対処法を知っている。マックスは初めてでも、魔法相手なら戦える。


「けど、わかったからって、状況が改善できるわけじゃない。ノーマルブローじゃ、防御魔法は貫けないからね」

「それくらい、どうにかするさ」


 レフェリーが「セコンドアウト!」と叫んだ。


「オーケー幸太郎。このラウンドもアンタに任せる。フットワークは細かく、小さく」

「押忍」


 リングから出るハチェット。


 幸太郎は立ち上がると、両手のグローブを打ち付け、今度はピーカブースタイルに戻した。どうやら、スタイルが判明するまでは、こうしてガード重視のスタイルで行くようだ。


 攻撃は激しく、しかしガードは堅く。


 野生の攻撃、理性の防御。それが、ボクシングの鉄則だ。

 幸太郎は、ハチェットのアドバイスもあるが、相手のスタイルは十中八九ナイトスタイルだと思っていた。


 それはほとんど、確信に近い。


 つまり、左は防御と見ていい。攻撃力のある右を残しておくのがセオリーだからだ。


 あとは、右に隠した攻撃魔法。それが何かわかるまでは、普通のマジック・ボクサーならそうそう攻めには出られない場面だ。


 しかし、情報戦はこちらにも隠している情報があって、初めて成立する。だが、こちらが常にゼロハンドスタイルという秘密がバレている以上、そんなもの成立しない。


 だから、幸太郎はいつまでも愚直に、突っ込むしか無かった。


 キュッキュッとシューズの裏とリングを擦り合わせながら、ゆっくり前進する。


 遠距離魔法かどうかを確かめているのだ。もし遠距離なら、すぐ攻撃してきてもいい。だが、誠也はそうしない。つまり、近距離攻撃魔法だ。


 幸太郎と誠也が、お互いに手の届く距離まで近づいた。


 まず手を出して来たのは、誠也だった。防御魔法を装填した左で、単純なジャブ。だが、誠也もパンチの練習は欠かしていない。


 堅実、だがそれ故に骨まで響いて来るジャブだった。


 幸太郎はガードを固めたままだったので、ダメージは軽く済んだが、それでも貫通力があるジャブは、幸太郎を警戒させるのに充分。


 しかし、幸太郎だって、それだけじゃ止まらない。ジャブを数発喰らってしまったが、頭を振りながら、躱して行く。ピーカブースタイル特有の防御である。


 木人相手にやってきた、連打の隙をついての攻撃。それが役立つ時が来た。

 幸太郎は誠也のジャブが伸びきり、引っ込む所に合わせて左ジャブを放った。


 防御魔法は、拳の前に展開する。だから、ジャブを放ったままだと、防御できない。それは通常のボクシングでも同じ。


 幸太郎のジャブが、誠也の顔面を捉えた。

 誠也の顔面が跳ねる。


「ぐ、ぅッ……!?」


 幸太郎は、ハードパンチャーだ。もろにもらえば、頭を揺さぶられるだろう。だが、誠也は耐えた。グローブに包まれているとはいえ、石みたいに堅い空手の拳を、ボクシングの最速打で放たれたその拳を、耐えた。


「ダメだ誠也! 防御に専念して、一つずつ確実に有効打を入れて行くんだ!」


 セコンドのフェリングが、叫んだ。

 誠也はフットワークを使い、幸太郎のジャブから脱出。そして、背後へのすれ違い様に、右を振るった。


 誠也の右に刻まれた魔法は、『硬化魔法』である。これにより、彼の右は幸太郎の拳以上の打力を持つ事になる。


 その拳が、幸太郎のテンプルを殴った。


 メキッ、と、何かが割れたような音が鳴る。効いてしまったのか、意識が砕かれる音か、だが、幸太郎はまだ戦えた。


 痛みが頭を揺さぶるが、プライドが砕かれていない。まだ、やれる。

 赤いグローブが視界の端を走り、誠也の横っ面を捉えた。本能からの右フックだった。


 その勢い、プラス自分のフットワークで、幸太郎の射程外から脱出。左拳を前に突き出すようにして、半透明の壁を張った。


 幸太郎は誠也を追い、ジャブを放つ。ワンから、ツーへ繋ぐ。だが、防御魔法を常人の拳では貫通できない。


 それは、一発や二発ならの話。


 何発も打ち込めば、違う。魔力を空気に流し、凝固させているだけで、つまるところ物理的な耐久力がある。何回も殴れば割れるという事だ。


 今まではできなかったが、マジック・ボクシングという舞台でなら、それができる。


 けれど、それをすれば、相手の魔力は削れても、こっちの体力が無くなる。他の手段を考えるか——?


 向こうは魔力が削られても、体力が残っている。そうすれば、普通のボクシングでケリをつけるのは簡単だ。


 だが、予想外に、ハチェットの指示は違った。


「幸太郎っ! !!」


 なぜ? いや、どうでもいい。


 疑問なんて挟む必要はない。ハチェットの言う事を聞いて、修行してきたからこそ、今まで魔法使いを倒せた。だから、幸太郎は迷わずその防御魔法へ向かって、大振りの右ストレートを放った。


「な、何を考えてるハチェット……。幸太郎くんのスタミナにどれだけ自信があるんだ……?」


 防御魔法を殴り続ける幸太郎を見て、眉をしかめるフェリング。隣に立つ誠也の先輩も、


「そんな、バカな話ないでしょ……。俺達みたいにロードワークしっかりやってたって、あんな作戦しませんよ……」


 幸太郎は当然、部活としてしっかりマジック・ボクシングに触れている人間に比べると、多少体力に劣る。

 そんな人間が、圧倒的有利に立つ相手へ、体力勝負を挑む。勝利をドブに捨てる行為と言ってもいい。


「くっ、くそ……!」


 押される。幸太郎の拳圧に耐えきれず、ガードをしていても足が下がってしまう。


 小さく、そしてコンパクトに打ち出される幸太郎の拳に、隙など見つからない。仮にあっても、ガードを解き、攻撃に移った瞬間にはなくなっている。


 連打が上手い。これは、とてつもない練習を重ねて来たんだ。

 思わず、誠也は笑っていた。


「なに笑ってんだ、オラァ!!」


 幸太郎の押し出す様な右ストレートが、遂に防御魔法を破った。その安堵故か、一瞬だけ幸太郎の動きが止まる。


「そこだっ!!」


 誠也の、硬化魔法を纏った右ストレートが、幸太郎の顔面を打ち抜いた。


 天井を見つめる羽目になるほど、重たい一撃。

 あぁ、吸い込まれる。落ちる。結構、気持ちいいもんだな。

 幸太郎は、そう思いながら仰向けにダウンした。


「幸太郎ッ!!」


 ハチェットの呼ぶ声が聞こえる。起きろ、と言っているのだろう。世界が歪んでいる。あぁ、おもしれぇなぁ、と幸太郎は呟いた。


「起きろっ、幸太郎!」リングを叩くハチェット。


 そして、両手を組み、祈る様な告葉の姿を見つけた。

 起きなきゃ嘘だ。女に祈らせて、寝ているわけにもいかない。幸太郎は、グローブをリングに押しつけ、立ち上がる。


 ファイティングポーズを取り、前を見つめた。

 レフェリーである、マックス部の顧問が、幸太郎の目を見つめた。


 まだやれるのか、と。


 硬化魔法を刻んだ拳が、思い切り顔面を射抜いたというのに、幸太郎は立ち上がって来たし、その上、彼の目はまだ死んでいなかった。


「……ボックス!」


 迷ったが、レフェリーは退き、試合再開を宣言する。


「……すげえよ。いい当たりだったんだぜ、今の」

「へへっ。あんなのでいい当たりかよ。俺の鼻を折ってから言え」


 幸太郎は、ピーカブーからヒットマンスタイルに切り替える。上体を揺らしながら、ジャブを放つ。


 今までのジャブと同じだ、と。今度は防御魔法無しのガードを固める誠也。


 だが、そのジャブは、異常に軽い。

 パシン、とガードを叩くだけ。


(まず、フェイ——ッ)


 その狙いが、わかった。

 顔面への見せ、そこからボディへの本命打。

 だから、ガードを下げてボディを守った。


 なのに、幸太郎の拳が飛んだのは、誠也の顔面だった。


「うぉ……ッ!?」


 脳を揺さぶられる。


 あぁ、そうか。さっきの、幸太郎へ喰らわせた一撃は、こんな感じだったんだろうな、と思った。


 だが、倒れない。踏ん張る。


「まだまだっ!!」


 鋼鉄の右フックが、幸太郎の脇腹を抉った。


「ぐぅ……ッ!!」


 くの字に曲がる幸太郎の体。前のめりになった所を、さらに左アッパーで顔を跳ね上げる。


 よろける幸太郎。

 だが、先ほど誠也がしたように、踏ん張った。


「いい、ねぇ……」


 幸太郎の、笑み。心を折るには、まだまだ打ち込む必要がある。当然だ、まだ二ラウンド。


 ここで折れるようなら、そもそもリングに上がらない。

 死闘を感じさせる打ち合いに、思わず誠也も笑った。

 二人は同時に拳を振り上げる。


 だが、そこでゴングが鳴った。


「ストップ! ニュートラルコーナーへ!」


 レフェリーが間に割って入る。


 邪魔だな、殴り倒そうかな、と幸太郎は思ったが、そんなことをすればこの戦いが終わってしまう。大人しく、自分のニュートラルコーナーへと戻った。


 セットされていた椅子に腰を降ろすと、ハチェットに水を差し出された。

 それで口を濯ぎ、ノズルへ吐き出す。ほんのり赤い。気付いていなかったが、口を切っていたらしい。


「お前、防御魔法を連打させたのは、一体どういう事なんだよ?」


 幸太郎の汗を拭うハチェットに、思わず訊いてしまう。彼女の事を信頼していないわけではないけれど、信頼していても、疑問の残る作戦だった。


「防御魔法を使わせないためよ。これで、相手は幸太郎が防御魔法を無視して突っ込んで来ると思う様になったでしょ。……次は、ジャンパーかバーサク。あるいは、その中間ってところでしょうね」


 バーサクスタイルというのは、両手に攻撃魔法を刻んだスタイルだ。

 どんな攻撃魔法を刻んだかによっても違うが、基本的には乱打が激しい戦法を取る。


「相手のインファイトに付き合う事ないわ。躱して、ヒット&アウェイ。アウトボクシングでポイントを稼ぎなさい」

「その作戦を覚えてたらな」

「……熱くなっちゃってるってことね」


 一切ハチェットの方を見ない幸太郎。ずっと、誠也の方を見つめていた。いくらインターバルがあろうと、レフェリーがいようと、セコンドが入って来ようと、リングの中は、選手だけの世界だ。

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