第24話『ボックス!』

 試合当日。

 放課後になると、マジック・ボクシング部の部室には、多くのギャラリーが集まっていた。


 言うなれば、野球部の練習試合に、クラスメイト達が応援に来る感覚である。当然、ほとんどが誠也を応援していた。


「ホームだな、こりゃ」


 リング上、青のニュートラルコーナーに腰を降ろし、グローブに魔法を刻印する誠也の後ろ、リング下から、先輩が声をかけてきた。

 学校指定のジャージ姿だ。


 ちなみに誠也は、青のトランクスとボクシングシューズ。幸太郎は、赤のトランクスとボクシングシューズ。両者、上半身裸だ。ヘッドギアもしていない。


 セコンドはフェリングに頼んだが、誠也にとってはお世話になっている先輩である。彼の意見は欲しいと思い、こうしてセコンド陣に入ってもらった。


「そうだねえ。幸太郎くんが、ここまで嫌われてるとは」


 フェリングは笑いながら、洗浄したマウスピースを誠也に差し出す。それを頬張り、誠也は位置をただし、試しに噛んでみた。きちんと噛める。大丈夫らしい。


「あんな戦い方してりゃ、当然ですよ」


 先輩は、赤のニュートラルコーナーに座り、ハチェットから何か指示を受けているらしい幸太郎を見た。


「情けないと思いましたね。あんな、人質取るような戦い方して、挙げ句死んだふりで不意打ち。対魔法使い? かっこつけすぎだろ、って」


 誠也は、少し寂しげに笑う。先輩もそう思っていたんだ、と、落胆混じり。


「気をつけろよ、相手は卑怯な戦法を使って来るかもしれないぞ」


 先輩はそう言って、誠也の足を叩いた。


「はい」


 頷いて、誠也は少し離れた所に座る幸太郎を見た。肌艶はいい。体調はばっちりの様だ。


「誠也。油断はなし、わかるね?」


 フェリングは、耳打ちするように言った。周囲から聞こえる誠也コールも、この言葉に比べれば一山いくらのセール品。

 彼にとって、フェリングの言葉は、勝利へのピースなのだ。


「相手は、ゼロハンドスタイルで来る。当然だ」


 ゼロハンドスタイル。

 これは、ルールブックにも載っていないほど、マジック・ボクシングでやる人間はいない。なぜなら、『両拳に魔法を装備しない』スタイルだから。


 相手は魔法を装備しているのに、自分は魔法無し。そんなのどう考えても試合にはならない。一方的な狩りとなる。


 だが、幸太郎は魔法が無い。必然、そうなるしかない。


「だからと言って、幸太郎くんは油断できる相手じゃない。対魔法使い戦術の力は、もうわかってるね」

「もちろんです。フェリング先生」

「どうする。一ラウンド目は様子を見るかい? それとも、攻める?」

「決まってます」


 誠也は、両拳に魔法を装填し終わった。


「攻めますよ、俺は」


  ■



「作戦は単純。殺せ、以上」

「チェンジー!」


 ハチェットの単純すぎて、セコンドの役目を放棄したとしか思えない作戦を聞いた幸太郎は、思わず叫んでいた。

 だが、ボルテージの高まった観客による誠也コールで、チェンジの願いは掻き消される。


「無理だろ、幸太郎。ハチェット先生以外に、お前のセコンドできそうなやつっているか?」


 リング際に立つ陽介の言葉に、幸太郎は周囲を見回した。陽介以外には、蜂須賀と告葉。そして、何故か真希が立っていた。


「……なにしてんの、お前?」


 幸太郎は真希を見つめて、呟いていた。


「なにって、応援に来たに決まってるにゃ。幸太郎は恩人にゃよ」


 そう言って、胸を張るが、すぐに俯く真希。


「その恩人が卑怯者と呼ばれるのを撤回できなくて、ほんとすまないにゃ……」


 真希は、幸太郎が卑怯者と呼ばれているのを黙って聞き過ごす事などできず、周りの友人達に話したり、言っている人間を見つけたら「あいつは卑怯者じゃない」と反論しているのだが、彼女がどう言おうと、もう彼らの中では幸太郎は卑怯者というレッテルで固定されている。


 対魔法使いなんて、自分たちを否定する存在。

 それが責められる弱みを見せれば、責めたいのが人情という物だろう。


「気にすんな。今この瞬間に比べりゃ、どうだっていい事だ」


 幸太郎は、反対のニュートラルコーナーに座る誠也を見た。

 グローブに刻印を刻んでいる。集中しているのが見て取れる。恋人が自分との性行為に及ぶ前に、風呂場で丹念に体を洗っている。そんな光景を見ているようだった。


「告葉、オメー、マックスは魔法とはいえ、殴り合いだぞ? 大丈夫か?」


 血が苦手な告葉を気遣う幸太郎だったが、告葉は「うん。平気」と頷く。


「できれば幸太郎の戦いは、見ておきたい」

「そうか」幸太郎の唇が、釣り上がる。告葉へ、グローブに包まれた拳を突き出し、「応援、よろしく」

「うん」告葉は、そのグローブを手に取り、一度撫でた。

「幸太郎」


 そして、蜂須賀に呼ばれ、幸太郎は蜂須賀を見た。


「マックスは、今までの模擬試合と違うぞ。大丈夫か」

「もちろん。蜂須賀くんとやった喧嘩より、大変な事にはならないでしょ」


 苦笑していたら、レフェリー役のマックス部顧問が、「セコンドアウト!」と叫ぶ。


「——っと。出ないと怒られちゃうわね。最後に、幸太郎。さっきの作戦、シンプルだけど間違ってない。わかるわね?」


 頷く幸太郎。


「よろしい」


 ハチェットは、幸太郎の頭を撫でる。


「うぜえ」


 その手を払いのけ、幸太郎は立ち上がった。

 目の前の誠也も立ち上がる。

 舞台は揃った。あとはゴングが鳴るのを待つだけ。


 長い時間、静寂に包まれた。


 今か今かと、解き放たれるのを待つ二人。

 どっちを応援するか、なんて、糞にも劣る声はもう聞こえない。


 今ならテレパシー無しで、二人は口も開かずに意思の疎通が出来そうだった。

 そんな状態でも、ゴングは聞こえた。


 意識に割り込む鈍い音。


 幸太郎は、まるで競走馬みたいに走り出した。

 結局彼は、いつものスタイルを選択したのだ。魔法無し(ゼロハンドスタイル)、インファイター。


 そんなボクサーがする事と言ったら、距離を詰める事。


 当然、誠也は読んでいた。彼の左拳には、空間転移魔法が刻み込んである。つまり、彼のジャブは、飛ぶ。


 幸太郎の前に、青いグローブが飛んで来た。顔面を押しつぶすだろうそれは、幸太郎が走って来た事もあり、入ればダウン級のリターンがある、勝利へのリードブローだった。


 だが、幸太郎は、それをさらに読んでいた。


 目の前に何か出たら、すぐに頭を下げようと思っていたので、考えるよりも速くダッキングすることができた。


 第一陣を躱した。次、どう来る?


 幸太郎はヒットマンスタイルではなく、ピーカブースタイルを取っていた。

 腕の隙間から誠也を見る。


 もう一発、投石みたいなジャブが飛んで来た。散々ハチェットに見せられたジャブである。もう二度と、喰らわないつもりだった。


 誠也の左が、幸太郎の脇腹を狙う。ハチェットの拳に比べれば、見える。肘で脇腹をガードする。だが、拳はガードに当たる前に消えた。


 驚きと同時に、幸太郎のボディを誠也の左が突き刺していた。

 何故? そう思うのも無理はない。


 だが、種は簡単だ。

 マジック・ボクシングにおいて、最もメジャーなフェイント。『トゥー・ステップ・ジャンプ』である。


 脇腹に出現させた拳に、さらに転移魔法をかけて腹に出現させる。そう言った、二段階の転移魔法によるフェイントを、トゥー・ステップ・ジャンプと呼ぶ。


 だが、左のボディでは幸太郎の腹筋を貫けなかったらしく、幸太郎は足を止めない。


 まだ打ち込む必要があるんだ、と誠也はさらにジャブを飛ばした。

 だが、今度は幸太郎が、目の前に出現した拳へ向かってアッパーをした。


「いッ——!?」


 拳先が痺れる。まさか拳を打たれるとは、思わなかった。初めて感じる痛みだ。自分の大事な武器が、弱点に成り下がったような気持ちでさえある。


 距離が詰められず、攻撃できないなら、相手の武器を壊せばいい。


 悪くない発想だし、事実そんなことをしてきたマジック・ボクサーはいなかった。


 誠也は、笑った。ジャブでは、幸太郎を止められないとわかったから。


 ならストレートだ。右で止める。


 誠也の右には、超至近距離用の雷撃魔法が刻まれている。

 それを喰らえば、意識を保っている方が難しい。


 当然、魔法使いなら防御、あるいは抵抗が出来る。だが、普通の人間——幸太郎は、抵抗なんて出来ない。


 思い通りに、幸太郎は距離を詰めて来た。まるで誠也が追いつめられているような光景に、周囲の生徒達は落胆の声を上げた。


 当然、二人とも聞いていない。


 両者、拳の射程圏内に入る。


 牽制の意味合いを込めて、そして、距離を計る為、誠也は再びジャブを放った。アウトボクサーとして、勝利への布石(リードブロー)は欠かせない。


 ひゅか、ひゅか、と空を切る音さえ聞こえてきそうなジャブは、素人が貰えば一発でガードをする気力すら萎えさせるだろう。


 ここだ。ここしか無い。絶好のタイミング。ガードの上から、雷で貫く。


 そう思い、誠也は右の雷撃を放った。電光石火の一撃だと言ってもいい。リードブローできちんと道を作った。ガードの上からでもオーケーだ。

 そんな油断もあり、誠也は少し大振りになってしまった。魔法が使えないという事に対する侮りは、思った以上に根深いらしい。


 だから、幸太郎がガードを開いた時、彼は何をするつもりだ、と止めたかった。けれど、モーションに入ってしまっては、染み付いた動きは止まらない。


 頭を動かし、スウェー。


 そして、体ごと前に出し、まるで誠也のパンチをレールにする様に、幸太郎は自分の左を放った。

 体重を乗せ、思い切り地面へ叩き付けるような軌道。誠也は、何がなんだかわからないまま、地面に吸い込まれるように、倒れた。


 ド派手な音が鳴って、周囲が静まる。


 幸太郎が放ったのは、ジョルト・カウンターだった。


 踏み込みと同時に、全体重を乗せたパンチを放つ事をジョルトブローといい、それをカウンターですることを、ジョルトカウンターという。

 幸太郎は、それをやってのけた。


 一撃必倒が前提条件。そう考えてまず思いついたのは、カウンターだった。それもただのカウンターではなく、ジョルト・カウンターでなくちゃダメだった。


「ダウン! ニュートラルコーナーへ!」


 レフェリーの言葉に、幸太郎は赤コーナーへと戻る。彼の瞳は、戻って来いと誠也へ訴える様に、ジッと誠也を見つめていた。

 レフェリーがカウントを取る。誠也は、ふらふらと立ち上がった。

 ファイティングポーズを取り、「やれます」とレフェリーに告げる。まだ、彼の目は死んでいない。


 立ち上がって来られると、幸太郎は打つ手が一つ潰れた事になる。もう次からはカウンターを警戒して、大振りの一撃なんて放って来ないだろう。


 自分の貴重なカードが潰れたのに、幸太郎は笑いたくなってしまった。そうだよ、あんな不意打ち気味のカウンターで片がついたんじゃ面白くねえ。


 あれを耐えられたんなら、面白い勝負ができる。


「ボックス!」


 レフェリーの声に、幸太郎はステップを踏みながら、ヒットマンスタイルを取る。

 幸太郎は、ボクサーファイターと呼ばれるタイプに最も近い。

 アウトボクシングを出来る技術とリズム感を持ち、ハードパンチャーとして充分通用する拳を持っている。


 だから、ヒットマンスタイルという攻撃重視の型が性に合っていた。

 幸太郎はこの時点で、誠也の持っているカードがおおよそ把握できていた。左に『空間転移魔法』で、右に『近距離攻撃魔法』だろう、と。

 空間転移は躱せる。近距離攻撃魔法なんて、幸太郎にとってはノーマルパンチを変わらない。このラウンドのカードは、まだ自分にとって不利じゃない。


 だから、ヒットマンスタイルからステップインで潜り込み、得意なパンチで相手を沈める。


 そんな作戦を頭で描き、スピードに乗り、誠也へ距離を詰めた。


 もう様子見なんてしなくていいと思ったら、幸太郎のスピードは速い。


 すでにジャブの届く距離にいた。


 通常の打ち合いをするか誠也は迷ったが、すぐに打ち合いを避ける事に決めた。

 きっと殴り合いというステージでは、幸太郎の方が上。ガードを固めて、そのラウンドをしのごうとする。


 だが、まるで石を思いきりぶつけられたようなダメージが、腕を襲った。


「痛っ——!?」


 グローブに包まれているはずなのに、幸太郎の拳の堅さがわかった。左拳だというのに、ガードが潰されてしまいそうになる鉄球で、思い切り腕を叩かれている様。

 保ってくれ、保ってくれと願うのが精一杯で、腕の痛みからは目を逸らした。グローブでは隠しきれないほどの野生が、幸太郎にはあるのかもしれない。


 そう思った時、誠也と幸太郎の間に、レフェリーが割って入った。


「荒城! ゴングだ、ゴングが鳴ってる!」

「あぁ……?」


 幸太郎はがきょろきょろと周囲を見回した。すると、ゴングが鳴っていて、周囲の生徒達の熱狂する声が、耳に戻ってきた。


「ちっ。ゴング鳴ってたかよ」


 幸太郎がニュートラルコーナーへ戻って行く。その背中を見て、誠也は楽しくなってしまった。武者震いで、体が震える。

 あの拳とやりたかったんだ、と。

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