第23話『決闘の掟』
ハチェットと幸太郎のスパーリングは、八ラウンドまで経過していた。
本来、ハチェットのヘビー級を一撃で沈める拳があれば、幸太郎はラウンドをまたぐ事などできず、先ほどの様にブラックアウトで試合終了なのだが、現在ハチェットはかなり手加減していた。
彼女にとって、箸で小豆を掴み、他の皿に移す程度にイライラする作業である。
だが、幸太郎は一番弟子だし、相手はライバルの一番弟子。この後に待っているスカっとする気持ちを想像すれば、そんな修行も耐えられるという物。
いま現在二人がしているのは、リングの使い方を体感で覚える為、実践形式のスパーリングである。
幸太郎と同程度のパンチ力で手加減しながら、ハチェットは自分のできる最大限のフットワークを見せて、それを幸太郎にインプットしているのだ。
幸太郎のフットワークは、かなり大雑把だ。
それは彼の弱点の一つと言ってもいい。八年間、一人で拳を振るい続け、森厳坂に来てからも広いフィールドでばかり戦ってきた所為で、リングを使う足がないのだ。
ハチェットの左をパーリングして、右から回り込み、横っツラへ電光石火の右ストレート。
だが、ハチェットは幸太郎の方を見ずに、そのストレートへカウンターを合わせた。
鼻先にのそりと出されたパンチに当たり、思わず幸太郎はバックステップ。
「足の動かし方は、ステップじゃなくて、ステップとすり足の中間みたいなイメージ。ダン、トン。じゃなくて、トン、トン。体重は常に一定の感覚でかける。かかとは気持ち浮かせること」
「押忍!」
幸太郎は、言われた通りの足取りで、ハチェットの周りを左に回って行く。そして、ジャブで牽制。ハチェットはガードを固めながら、再びジャンパースタイルの魔法で、拳を遠距離移動させながら、幸太郎をロープへと追いつめて行く。
ダメージは先ほどよりもないが、しかし攻撃から逃げようとすれば、どうしてもロープかコーナーを背負わされる事になる。
「幸太郎っ! リングは丸く使えって言ってるでしょーが!」
「んなもん、試合中に意識できるほど余裕ねえよ!」
返事をしながら、拳が飛ぶ。
口が動いていても、その意識は戦いの最中にある。
ボクサーは、疲弊する生き物だ。
これはボクシングに明るくない人間でも知っている事だろうが、試合前は何ヶ月もかけて戦える体を作る。階級制の場合は、当然減量、増量などだが、それ以外にも、素人は忘れがちな事実ではあるが、殴り合いはそれだけ危険だという事だ。
ボクサーの拳は凶器。魔法を纏っていなくても凶器なのに、魔法を纏わせた拳は、簡単に人を殺せる。それに耐えうる体を作る為に、マジック・ボクシングにも当然準備期間が存在する。
自分は強く、そして、殺し合いもできる人間なのだと、体に覚えさせる期間が。
だがそうまでしても、体は殺し合いに耐えられない。
一ラウンド三分を数回こなしただけで、半死半生という風体に成り果てる(回復魔法があるので、ダメージは確かに残らないが、リング状で障害を負うダメージをもらってしまえば、どうにもならない。外傷しか治せないのだ)。
それだけ、リングの上でする殴り合いは疲弊する。
物を考える余裕なんてないし、だからこそ、練習してきたことが反射的に出る。
積み重ねる事。それが、何事に置いても勝つ方法。
だが、積み重ねてきた期間なら、幸太郎だって負けていない。
彼は人を倒す訓練ばかりしてきた。
でも、
アイツがしてきたのは、魔法の鍛錬だろ?
なら、大丈夫。俺は、人を倒す事に関しては、誰にも負けない。
魔法使いだって、ただの人間。
悪魔じゃないなら、殴り倒せる。
幸太郎の闘志が、火種が、炎に成って行った。
集中力が、増して行く。心は熱い。だが、頭はクールだった。目の前のハチェットを、ハチェットだと認識できない。
彼女は、サンドバックだった。もう八ラウンドも打ち合っている。それも、幸太郎はパンチをかなりもらった。
疲弊状態だと言ってもいいのに、体は冴えに冴えていた。拳先が軽い。腰、上体が良く回る。
絶好調だ。
「シ——ッ!」
幸太郎の右ストレートが、ハチェットを捉えた。彼女に、ガードさせた。
まるで鉄板の様なタフネスを持つ彼女に、ガードをさせた。それは言葉の印象よりも大きな事で、幸太郎に偉業と言ってもいい。まるで、初めて月を踏んだ人類になった様な気分。
「……幸太郎、あんた」
「あん?」
ハチェットは、訝しげに幸太郎を見ていた。その視線が何を意味するのか探ろうとしたが、ハチェットはグローブを幸太郎の顔面に向かって投げ、「終わりっ!」と不機嫌そうに言った。
「はぁ!? ちょ、待てよ。まだ終わってねーだろ。ダウンさせるか、ダウンするかしねーと、終われねーだろ」
「じゃあ、はい」ハチェットは、わざとらしく大の字に倒れて、「ダーウン」と力の抜けた声を出した。
「ふざっけんなオイ! 欲求不満になんだろうが!」
ハチェットは立ち上がると、幸太郎に回復魔法をかけて、「なら、それは試合まで取っときなさい。我慢してからの方が、なんでも美味しいでしょ」とリングから降りる。
「あ、そうそう。リングの中で、フットワーク、練習しときなさいよ。ボクサー相手にすると、リングの中って、まるで迷宮だから」
気付かない内に、ロープとかコーナーとかに行き着くところが、特に。
ハチェットはそう言い残すと、トレーニングルームから出て行った。
「なるほど、上手い事を言うな」
頷いた幸太郎は、先ほど教えられた足運びを練習した。どれくらいの距離を歩けばロープやコーナーに辿り着くか、体に覚えさせる。
シャドーをしながらそうしていた幸太郎が気付いたときには、すでに時計が朝の六時を指していた。
■
「俺の体内時計だと、おねむの時間なんだけど」
幸太郎はそう言って、あくびした。
場所は教室。昼休み、昼食後の談話に興じていた。
陽介と蜂須賀は、呆れた様に幸太郎を見る。
「俺の体内時計だと、今はまだ昼間だ」
蜂須賀は、窓を見た。明るい日差しが窓から注ぎ込んでいる。世界は平和である、と感じさせる景色。
「いや、実際の時計もまだ昼間指してるし」
陽介は、黒板の上にかかっている時計を指差した。時刻は一二時を半分すぎた頃。
「お前ってさぁ、なんか基本的にいつも眠たそうにしてない? んで、授業は半分くらい寝てんじゃん」
陽介は、「そんなんで大丈夫?」と心配そうに幸太郎の顔を覗き込んだ。
「ボクシングは奥が深い……」
「何言ってんだ、こいつ」
まるで意味のわからない寝言をくっちゃべるのを聞いた、と言わんばかりのリアクションをする蜂須賀。幸太郎を見て、次に陽介を見てから、こめかみの辺りで人差し指をくるくると回した。
「いや、眠気で鈍ってるだけでしょ。……でも、そっか、やるんだっけ? マックス部の、リングの白騎士と」
「え、誰それ」
幸太郎は、思わず目を見開いて、陽介を見た。
「なんでお前が知らないの? 足立の二つ名だよ」
「……だっせ」
幸太郎は思わず呟いていた。疲弊しているから出る、本音である。本人が前にいたら、怒るなり苦笑なりしていただろうが、しかし彼は今いないので、その本音は泡となって消える。
「そう言うな。女子人気も高いし、騎士っていうか、王子って言われててもいいくらいなんだから」
「……王子なんて呼ばれたら、学校来れない」
「そればっかりだなあ、お前……」
寝不足で気持ち悪いのか、幸太郎はついに机へ突っ伏してしまった。魔法使いになりたい、と公言してるだけあり、どれだけまぶたが重たかろうと、起きる努力をしているが、こうなると放課後まで寝てしまう。
そうして放課後には元気になり、帰ったらまた特訓。
そんな毎日なんだろうな、と陽介は呆れた。魔法使いとして生きている自分には、理解出来ない生き方。
でもだからこそ、幸太郎の生き方を近くで見て、面白がりたいと思っている。
「しかし、マックスねぇ……」
蜂須賀は、興味無さげにエロ本を開きながら、言葉を紡ぐ。彼にとって、エロ本は小説か漫画のような感覚で読む物らしい。
「俺にはわかんねーな。リングの中で殴り合うって感覚」
「あれ、蜂須賀くんはマックス見ないの? 面白いよ、こないだのタイトルマッチなんかさ、チャンピオンが華麗にマシンガンジャブ出して——」
「いや、面白さが理解できないんじゃなくて、反射的に蹴りが出ちまうんだよ」
「蹴りぃ?」
陽介は知らない。目の前の男が、どれだけの人間の顎を蹴りで砕いて来たか、蜂の針みたいに鋭い蹴りを持っているという事も。
だから陽介は、「あぁ、でも俺も、反射的にグローブに刻んでない魔法出しちゃうかも」と頷いていた。
「だろ。そういうクセを矯正するとこから始めんだろうな、って思うと、面倒でやりたくねえ」
拳より蹴りでしょ、と自分の膝を叩く蜂須賀。
「……野蛮な話してますね、二人とも」
と、そこへ告葉がやってきた。
胸にノートを抱え、幸太郎をちらりと見る。
「寝てる?」
蜂須賀と陽介は、頷いた。
「はぁ。……せっかく、ノートまとめてあげたのに」
告葉は、まったく授業に集中できていない幸太郎の為に、ノートを取っている。そしてそれを、自分なりにわかりやすく翻訳してやり、幸太郎に貸し出している。
彼がそれをまともに読んでいるかは知らないが、翌日「ありがとう」と寝ぼけ眼で返されるので、まあ、しっかり記憶しているかはともかく、目を通してはいるのだろう。
なので、そのノートを渡す作業は、告葉にとって『幸太郎が自分との約束を覚えているかどうかの確認』という作業に成り果てている。
「泉ちゃんも健気だねえ」
ニヤニヤと、まるで告白現場をからかうような顔をする陽介に、告葉はプラスシルバーを背後に出した。
「ちょっ、すぐその不気味なの出すのやめてよね!」
蜂須賀の後ろに隠れる陽介。だが、そんな蜂須賀は「色恋沙汰をからかっても、碌なことないからやめとけ」とエロ本から目を離さないまま言った。
「べ、別に色恋じゃないです。幼馴染として、約束を守ってほしいと……」
「へえ、そうかい。まあ、なんでもいいさ。俺には関係ないし」
蜂須賀は、そのまま一切告葉の方を見なかった。お前より裸の女だ、と示すそんな態度は、少しだけ彼女のプライドを傷つける。
「学校でいかがわしいものを読むのは、やめてください。蜂須賀先輩」
「アートだよ、これは」
と、訳の分からない事を言い出す。もういいや、関わりたくもない。告葉は会話を打ち切り、背後に立っていたプラスシルバーを引っ込める。
「裸婦だからって、イヤらしいのか? お前、自分の裸がイヤらしいと思ってるのか?」
なんとも反応し辛い。告葉は、「なんて返事しても負けるんじゃないかこれ」と思い、返事ができなかった。
「何言ってんだ蜂須賀くん……」
寝ていたはずの幸太郎が、顔を起こして、蜂須賀を不機嫌そうに見つめる。
「起こしたか、悪いね」
「隣で、エロ本がアートだとか言い出してるやつがいたら、妙に気になって寝れないだろ」
まるで徹夜明けに、油をリッターで飲まされたような声をあげる幸太郎。
「んで? 告葉、なんか用か——って、ノートか? いつも悪いな」
「あ、うん」告葉は幸太郎にノートを手渡す。「寝てなくていいの?」
「目が覚めちまった。どっちにしても、もう今は寝れない」
そうして、また授業中に睡魔と戦うんだろうな、というのは、幸太郎だけでなく、告葉と陽介にも想像できた。
「ノートでも読んでるさ。せっかく取ってもらってるのに、無駄にしちゃバチがあたる」
幸太郎はノートを開くと、それを真剣な表情で読み始めた。告葉はそんな手慣れた動作を見て、家でもあんな風に読んでくれているんだ、と少しだけ胸が温かくなるのを感じていた。
「そういえばお前、足立とはいつやるんだ?」
蜂須賀は、やっとエロ本から幸太郎へ視線を移した。本当に、戦いか女体にしか興味がないらしい。
「明日」
絶句。
ただ、何も言えなかった。急すぎるマッチメイク。
幸太郎と、誠也以外、誰も納得しない。
だがそれでよかった。彼らにとって、時間を置く事は許せない。
気に入らないヤツの鼻っ柱を潰すみたいに、戦いたいと思ったらその場でやるべきだ。
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