第22話『輝く拳』
そんな彼の意識を拾い上げたのは、澄んだ音だった。
ぱしゃり、とカメラのシャッターを切ったような音がして、顔が妙に冷たいと思ったら、目を開いていた。
目の前には、笑顔のハチェット。今にも抱きしめてくれそうだ、なんて思いながら、幸太郎は「よくわかったよ」と口にした。
「言ってみなさい」
幸太郎の手を取り、起こすハチェット。体の痛みはもう無い。回復魔法をかけてくれたのだろう。
立ち上がった幸太郎は、まだ血の匂いが残る鼻をすすり(そこでようやく鼻血を出していたんだ、と気付いた)、言った。
「距離の概念がまるで違う。普通の模擬試合の時は、フィールドが広かったから、俺はかなり自由に動けた。でもリングは狭い」
普通のボクシングより、多少広いとは言っても、戦うには狭い。まるで逃げる事を許さないという様に立ちはだかる、リングという空間。その空間の使い方が、勝敗を分けると言ってもよかった。
「そうね、その通り。確かに、魔法の使い方、魔力の配分も大事だけど、マジック・ボクシングでもっとも大事なのは、『空間制圧力』よ」
ハチェットは語る。
マックスとは、「ジャンケン」であり、「陣地取りゲーム」である、と。
「例えば、両方攻撃魔法のボクサー、両方防御魔法のボクサー。ジャンケンで言えば、これは防御魔法のボクサーの勝ちと言える。でも、防御魔法のボクサーがロープやコーナーを背負ったら、それはもう普通のボクシングで魔力を削って行けばいい。つまり、相手を狭い空間へ追いやる事で、何もできなくさせる。これは普通のボクシングと一緒ね」
「……相手は、空間の使い方が上手いって事か」
頷くハチェット。
「幸太郎もボクシングを齧っちゃいるけど、それは対魔法使い用にカスタマイズされてるし……。リングの使い方はわかってないのよね。足立くんとの勝負まで、リングの使い方とマックスの基本的戦略を教えて行くから、そのつもりで」
「押忍」
幸太郎は、再び構えた。今度は先ほどの様に、ノーマルなファイティングスタイルではない。得意の、ヒットマンスタイルだ。
魔法使いは遠距離攻撃が主である。
そして、フィジカル系には弱い。
これは散々言って来た事だが、例外の魔法使いがいる。
それが、マジック・ボクサーだ。
彼らはボクサーであり、魔法使いだ。自分の拳に魔法を乗せて、狭いリングの中で、様々な拳を交える。
当然、彼らはボクサーと同じ鍛錬を行っている。
当然、彼らは魔法使いの鍛錬も行っている。
だからこそ、普通の魔法使いと違って、『近距離に対する苦手意識』が無いのだ。
幸太郎が今まで勝って来れたのは、その苦手意識を突き、自分が最も得意とするステージに相手を引き込めたから。
今回はそれが通じない相手。向こうも、ボクシング(殴り合い)を高いレベルで行えるだろうし、その上魔法も使える。
ズリィよ。
幸太郎は、そう思った。
俺は魔法が使えないのに、と。
けど、ハチェットの教えを乞うた事は後悔していないし、今の自分も好きだった。
魔法使いを殴り倒した時の、「してやったぜ」という感覚は、きっと自分しか味わった事がないのだろうと思うと、腹の奥が熱くなって、叫び出したくなる。
だから、今回もやるだけだ。
魔法なんていらないと、叫ぶ為に。
■
足立誠也。
森厳坂魔法学院の一年生。マジック・ボクシング部に所属している。
爽やかな笑顔と、常に白いジャージを着ているのが特徴的で、女子人気は高い。
不良めいた幸太郎とは反対に、体育会系のエリート、というのが、万人が彼に抱く印象だ。
彼は、放課後になるとすぐにマジック・ボクシング部の部室へ向かう。
小さな頃から、マジック・ボクサーになるのが夢だった彼に取って、夢の舞台だ。
だから、彼の部活はその夢の舞台を掃除する所から始まる。
「よう、はえーな足立」
二番目に入ってきた二年の先輩にそう言われ、誠也は「はい。自分、一年ですから」と笑顔で返す。
幸太郎だったら、まず一番には来ないし、掃除もしない。バラバラの時間にやってきて、ミット打ちをして、思い切り先輩だろうが誰だろうが、噛みついて行く。
「そうか。やる気あんなぁ、お前。先輩達、まだ来ないし、ちょっとスパーリングやるか?」
比較的、上下関係が緩いとはいえ、ここも体育会系の部活。先輩が優先でリングを使えるし、花形の部活だけあって部員数は多い。だから、一年生の誠也がリングに上がる機会はそうないのだ。
誠也は先輩の言葉に、笑顔を花開かせ、
「いいんすか? ありがとうございます!」
と言って、先輩が投げてくれたヘッドギアとグローブを填める。
先輩も、同じ様に装備を整える。
二人はグローブに魔法の刻印を刻むと、「準備いいか、足立」と先輩から尋ねられ、「うす」と頷く。
ゴングは無い。二人の呼吸があった時、自然に始まる。
マジック・ボクシングは、通常のボクシングと違い、一気に突っ込んで来るというパターンはそう多くない。
こればかりは魔法使いと、マジック・ボクシングの性質が関係する。
相手のカードを見るという、情報戦を制しておきたいのだ。
「先輩だからな。まずは俺から行かせてもらうか」
先輩は言葉通り、きゅっきゅっとステップを踏みながら、左を放つ。
その左は、炎を纏っていた。
フレイム・ジャブ。
かつて、マックス創成期に流行った技だ。わかりやすい魔法攻撃であり、派手さもある。だが、現在ではあまり通用するパンチではない。そういう意味も込めて、『サーカスパンチ』と呼ばれている。
だが、この先輩はそれにこだわっている。パンチ力に優れた彼にとっては、そのサーカスパンチという隠れ蓑がちょうどいいのだ。誰だって、そんな物、侮るに決まっているから。
その為、サーカスパンチと呼ばれるはずの拳でも、誠也のガードを開いた。
「お前はまだガードが甘いんだ。もっと足使って、相手から距離を取れ。アウトボクサーだろ」
「はいっ」
だが、二人とも共通認識として、知っている。
マジック・ボクシングに、生粋のインファイターがいない事を。
ボクシングの進化とは、科学的に安全だと裏打ちされた、アウトボクシングの発展である。
現在最先端と言ってもいいマジックボクシングに、生粋のインファイターはいない。
なぜなら、通常のボクシングでさえ、インファイターというのは被弾率が大きく、パンチドランカーによる故障などで、選手生命を大きく削る。
魔法を打ち合うマジック・ボクシングなら、それは通常のボクシングに比べて速くダメージが蓄積されていく。
だから、インファイターというのは、化石だ。
もういない。
けれど、彼らはマジックが頭につくとはいえ、ボクサーだ。一発浴びただけで意識を断ち切られるような、鋭利で重たい、矛盾を孕み、しかしそれを成し遂げるボクサーとの打ち合いを望んでいる。
二人はリングで向かい合いながら、誠也は先輩の右手に仕込まれた魔法が何かを考える。
だが、先輩は「なぁ」と口を開いた。
「なんですか?」
誠也は、構えて、体を揺さぶったまま答える。
「お前、あの『無法者』と、やるんだろ」
先輩の表情は心配そうだった。卑怯者、と揶揄される相手だ。魔法が使えないとはいえ、期待のホープと呼ばれる一年生をぶつけていい相手とも思えない。
後輩想いの彼としては、誠也が潰されるのは心配なのだろう。
「先輩、俺が負けるって思ってます?」
冗談めかして笑う誠也に、先輩は思わず「いや、そんな。でも、万が一があるだろ」と真剣な顔で返した。
「そうっすね。万が一がある。相手はもう、何人も魔法使いを倒してる。……でも、だからこそやりたい。俺が、フェリング先生にマッチメイク頼んだんです」
「そうなのか?」
誠也の左腕に、魔力が溜まる。それを見た先輩は、ガードを固めた。
「だって——」
誠也の左拳が、放たれた。
フラッシュ。閃光。そういう言葉がふさわしい。
ガードを弾き飛ばされ、先輩はスリップさせられた。これでもまだ手加減したのだろう、と感じさせる一撃。思わず背筋が粟立つのを感じた。
「あいつは、俺が目指した拳を持ってる」
マジック・ボクサーには無い、ただ相手を打ち倒すだけの拳。
武器となった拳。
魔法使いを相手にしているからこそ身に付いた、存在証明。
誠也にとって、もっとも欲しい拳だ。
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