第16話『それでもやる』

 幸太郎の猫をあやす手際は、引くほど手慣れていた。


 自分の匂いを覚えさせ、耳の裏を軽く掻くように撫で、そのまま顎や首筋なんかも撫でてやると、すでに猫は幸太郎に体を預け、気持ち良さそうに目を細めていた。


「にゃーッ! アキトシの裏切り者ー!!」

「うるせえ。この子がびっくりするだろ。静かにしろ」


 幸太郎は猫に夢中のまま言った。

 普段の彼からは考えられないほど、穏やかな表情である。


「こ、幸太郎って……。猫、好きだったの……?」


 隣に立つ告葉の表情は、心底信じられなさそうである。彼女にとって、幸太郎は猫を見たら「しっし」と言いながら冷たく追い払う人格の持ち主だったはずだからだ。


「ぐぬぬぬ……。アキトシをそこまで手懐けるとは、荒城幸太郎……いや、ここは幸太郎と呼ばせてもらうにゃ。キミ、相当な猫好きと見たにゃ」

「あぁ……。悪いが、猫の事に関しちゃ、俺は誰にも負ける気がしねえ」


 幸太郎は、猫を抱きかかえたまま、いつもの笑いを見せる。


「に、似合わない……」


 告葉、心からの呟き。


「そう言われると思ってたから、秘密にしてたんだよ……」


 今まで、幸太郎は誰にも自分が猫好きだと言った事はなかった。自分には似合わないと思っていたからだし、こういうリアクションをされると思っていたからだ。


「ふっ。猫好きに悪いヤツはいにゃい。……この戦い、こじれそうだにゃ」


 真希と幸太郎の間に、視線の火花が飛ぶ。告葉には、まったくその意味がわからない。戦いというには空気が緩すぎて、ついていけないのだ。

 だが、しかし。二人の間には、確かな戦いの感触がある。猫好きの、絶対に負けられない戦いが。


「こっちは今回の戦い、負けるわけにはいかないにゃ。……覚悟するといいにゃ、幸太郎。使い魔使いの存在を賭けて、キミを倒させてもらうにゃ」

「こっちだって、対魔法使いの意地ってもんがあるんだよ」


 幸太郎は真希に歩みよると、腕の中で寝ていた三毛猫を真希に渡した。


「一週間後にゃ、荒城幸太郎。そこで、私がキミを倒してやるにゃ」

「はっ。猫好きだからって手加減しねーからな」


 幸太郎は踵を返し、告葉の肩を叩いて「行くぞ」と言い、彼女を引き連れ、その場を離れた。

 校舎を横切って、自分達の教室へ帰る途中の廊下で、告葉が口を開いた。


「なんか、あの人の口ぶり、気にならない?」

「あ? なにが」


 告葉は一瞬眉間に皺を寄せて、答える。


「『使い魔使いの存在を賭けて』って言ってたでしょ。なんか、言い方が引っかかるっていうか……」

「……この戦いに懸ける思いが、なんかあんのかもな」


 幸太郎は顎を摩り、「ふむ」と少し芝居がかった溜め息を吐く。


「まあ、とりあえずハチェットに訊いてみるか……」



  ■



「あの子、才能あるのよね」


 帰宅し、幸太郎はハチェットと夕食(トンカツ定食)を摂っている最中、真希の事について訊いてみた。


「そりゃ、見てなんとなくわかった。魔力の保有量が相当だ」

「いや、彼女のは、異常って言ってもいいわね」


 ハチェットは大きめに切られたトンカツを一口、レタスと一緒に頬張る。


「五人の悪魔と契約してるけど、あそこまで魔力を引き出せるってのは、ちょっと見た事ない」

「ふぅん」

「まっ、対魔法使い戦術の前には、あんまり関係のない話だけどね。けどま、だからこそ、もったいないんじゃないか、って教師陣の中では話が上がってるわけ」

「……もったいない?」


 頷き、ハチェットは「使い魔がコストパフォーマンスに優れない魔法だってのは、知ってるわね」と幸太郎へ箸の先を向ける。


「あぁ。ま、俺にゃそれこそ関係のない話だけど」

「強くもない、魔力の無駄遣い。才能ある生徒が、そんな魔法しか覚えようとしない。当然、もったいないと思うでしょ。魔法学院は、魔法の才能を伸ばしてあげる所ですもの」


 学長の思惑に察しがついた幸太郎は、舌打ちをした。

 つまり、彼は『魔法も使えない生徒に負けるくらいなら、使い魔なんて魔法を忘れて、他の魔法を覚えろ』と彼女にこの勝負をふっかけたのだろう。


「俺に嫌な役目押し付けやがったな、あのジジイ……」

「相当なくせ者よ、あのジジイ。あたしを学院に呼んだほどだからね」

「お前、教師に向いてなさそうだもんな」

「うっさいわねえー」


 幸太郎は、小さくトンカツを齧ると、咀嚼しながら、考え事に耽った。

 ますますやりにくくなっちまった、と。


「あー、こんな話受けるんじゃなかったなぁー」

「……あ?」


 幸太郎は、ハチェットを睨んだ。

 彼女は、つまらないミスしたなぁーと顔に書いていて、それが気になったのだ。


「いやさ、あの学長が「対魔法使い戦術っていうのは本当に強いのか」なんて言うから、『どんな魔法使いが来ても勝てます』って言ったわけ。そしたらこんな事に」

「お前の所為じゃねえか!! つーか、話お前から振ってんじゃん!」


 喉の奥で言葉が詰まるハチェット。珍しく、ぐうの音も出ないらしい。


「勘弁してくれよな……。今回すげえテンション下がるわ……。やりたくねえ戦いだ、正直言って」

「ま、戦いってのはそんな事もあるわよ。やりたくない相手と、やらなきゃいけない時が、ね」

「それが師匠の所為で訪れたってんだから、お笑いだ」


 睨み合う幸太郎とハチェット。


「……言う様になったじゃないの」

「相手の挑発の仕方も、全部あのテキストに書いてあったんでな」

「よく読み込んでるようで、嬉しいわ」


 二人は睨み合いながら、食事を進めた。結局、問題は何も解決していない。自分の心次第だとわかっていても、幸太郎には割り切れなかった。



  ■



 結局、授業も上の空で聞くほど、幸太郎は考え込んでいた。

 対魔法使い、というふれこみでありながら、魔法使いになりたい彼は、普段きちんと授業を聴いているのだが、今日ばかりはそうもいかない。


「特質魔法は、確かにその人間、悪魔だけの魔法ですが、その特質魔法を他人が使える様になる方法があります。


 それが、『骸躯デッドボックス』という魔法具です。特質魔法はその性質上、どんなに強力な魔法でも、その持ち主が死ねばこの世から消滅してしまいます。


 ですが、この『骸躯』にその魔法を閉じ込めておけば、それに魔力を流し込むだけで、失った特質魔法を再現でき、これが通常魔法の発展に大きな貢献を——ん?」


 男性教諭は、ぼんやりと黒板を見つめる幸太郎に気付いた。目立つ頭をした生徒がそれでは、さすがにすぐ気付く。


「……荒城くん。どうしました?」


 教師が声をかけるも、幸太郎は気付かない。


「幸太郎、幸太郎……」


 隣の告葉が、幸太郎の机をこつこつと人差し指で叩く。


「ん……なんだよ、告葉」


 幸太郎は、やっと意識を取り戻す。告葉が前を指差し、幸太郎はその視線の先にいる教師を見た。


「なんすか、先生……」

「荒城くん。一週間後に戦いがあって気が張るのもわかりますが、授業も大事ですよ」


 教師はにっこりと微笑むと、授業を再開した。

 だが、幸太郎はすぐにまたボーッとしだす。教師も、そんな幸太郎を無理に呼ぼうとはしなかった。


 そんな、ほとんど何も聴いていない授業が終わり、放課後になると、幸太郎はまた真希のいる裏の林へとやってきた。

 昨日の様に、真希は猫を相手に遊んでいた。


「よう。猫と戯れに来たぜ」

「むっ」真希は、猫を抱き上げたまま、幸太郎を睨む。

「私とキミは敵にゃ。あまり馴れ馴れしくしないでほしいにゃ」

「そう言うなよ。ほれ、魚肉ソーセージ持って来てやったぜ」


 幸太郎は、ポケットから朝にコンビニで買った魚肉ソーセージを取り出し、真希に投げた。

 それをキャッチした真希は、ふん、と鼻を鳴らす。


「しょうがないにゃ。魚肉ソーセージ分はここに居てもいいにゃよ」


 彼女はビニールを剥いで、魚肉ソーセージを細かくちぎると、猫達に差し出した。真希の手からソーセージを食べる猫達を見ながら、幸太郎は呟く。


「お前が戦う理由、聞いたぜ」

「……ふん。それで手加減でもしてくれるのかにゃ?」

「そんな器用な事ができるんなら、対魔法使いなんてやってないさ」

「……よくわからないにゃあ」

「俺もわからん」幸太郎は、真希の横にヤンキー座りでしゃがみ込む。


「猫、よほど好きみたいだな」

「元々、使い魔の魔法目当てでここに入ったにゃ。知ってるかにゃ? 使い魔の魔法は、契約した動物とお話ができるようになるんだにゃ」

「なんだと!」なんて羨ましいんだ! と幸太郎は内心でハチェットを恨む。

「それで、私は猫とお話が出来る様になって、動物のお医者さんになるんだにゃ。完璧な将来設計でしょ?」

「まあ、悪くはないね。画用紙にクレヨンで想像図なんか書いたら、様になりそうだ」


 それは褒め言葉なのか、真希は迷ったが、結局そこにはツッコまないことにしたらしく、話を進める。


「でも、才能がありすぎるのも困り物にゃ。どの先生からも、『使い魔なんて魔法は捨てろ』って言われて、あげくこの様にゃ。使い魔契約を解除するって事は、この子達を捨てるってことにゃ」


 それがとてもツライ事だというのは、幸太郎にもわかった。喋れるという事は、意思疎通が出来るという事で、猫達が彼女を慕っている事は、幸太郎にもわかる。そして彼女も、猫達が好きだという事も。


 友達と引き離す役を自分が担う。それは、この世にある仕事の中で、トップクラスの汚れ仕事だ。


「だからって、手加減されるのもムカつくにゃ。同情もいらないにゃ。キミには全力でかかってきてもらわないと、使い魔の魔法を見直してもらうっていう、私の目的も果たせにゃいし」

「……ああ、気持ちはよくわかるぜ」


 幸太郎も、同じ気持ちだ。

 もし自分が真希と同じ立場だったとしても、手加減されて、哀れまれても、その相手をぶん殴りたくなるだろう。この世に手を抜いていい事なんて、一つもない。


「シロ。テメェとの戦い、全力でやらせてもらう」

「むっ。シロ、とは私の事かにゃ? なんか猫の名前っぽいセンス、嫌いじゃないにゃ。……ありがとにゃ、幸太郎」

「感謝される謂れはねえよ」


 幸太郎は立ち上がると、そのまま真希から離れて行った。

 そしてその足で教室に向かうと、昨日と同じ様に、バカで下品な話をする陽介と蜂須賀がいて、自分の席で本を読む告葉がいた。


 幸太郎は告葉の前に立つ。

 本から視線を上げ、告葉は「なに」と感情を見せない目を、幸太郎に見せた。


「悪いんだが、買い物に付き合ってくれ」

「か、買い物?」


 何を突然、と言いたげに眉をひそめる告葉。


「だ、大体幸太郎。あなた、元気なかったのは、どうしたの。もう治ったの」

「あぁ。覚悟決めたからな」

「覚悟……?」


 それが何かわからないので、オウム返しするしかない告葉。


「なんだよ、幸太郎。デートするんなら、俺がおすすめのデートスポット教えてやろうか」


 蜂須賀が、エロ本から目を離さないまま言う。


「俺が使って、彼女からの評判もいいおすすめスポットだぞ」

「いや、行くとこはもう決めてる——って、あぁ!? 蜂須賀くん彼女いたのかよ!!」


 四六時中エロ本を持ち歩いている男に彼女なんているはずがないと思っていた幸太郎は、思わず大声を出してしまった。


「あれ、言ってなかったっけか。今はもう別れたが、入学してから五人くらいと付き合ったっけか」

「蜂須賀くん、モテモテじゃん……」


 どうやら陽介も知らなかったらしく、驚いた様に蜂須賀を見ていた。確かに蜂須賀はイケメンだし、エロ本と危ない性格を除けば、彼氏としてはかなり優良物件かもしれない。


 だが、そのマイナス要素がデカすぎるのが問題だ。だからこそ、幸太郎と陽介は蜂須賀に彼女がいないと思っていたのだが。


「あぁ……。私の友達にも、蜂須賀先輩の事いい、って言ってる子いる」


 私には理解できないけど、と小声で付け足す告葉。

 幸太郎は、思ったよりまともな感性を持っている人間は少ないのかもしれない、なんて思った。

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