第12話『強い男の弱い言葉』


  ■


 蜂須賀結衣、十六歳。


 彼が何故、『森厳坂一危険な男』と呼ばれる様になったか。それを語るには、まず彼の小学校時代を語る必要がある。


 彼の名前を聞いて、誰もが言う事だが、「結衣という名前は男の名前じゃない」当然蜂須賀は、何度も何度もそれを言われて来た。


 普通の少年なら、そこでいじめられて泣きじゃくるだけだっただろう。

 だが、彼はそれを受け入れるほど弱い存在ではない。


 彼の名前をからかった人間は、全員それを後悔した。なぜなら、言葉を飛ばした代金として、蹴りが返ってきたからだ。

 そんなナメた口を聞けない様、顎を砕かれたのだ。


 初めて人間の顎を砕いたのは、小学校時代だ。授業中に名前をからかわれ、立ち上がって、その同級生の顔面にジャンピングソバットを叩き込んだ。


 彼をその当時から知る人間は、こう語る。


『あいつは生まれた時からイカレてる』と。


 小学校も中学年程度になると、もう彼をからかう人間はいなくなった。

 からかいが再開したのは、中学からだ。彼の事を知らない生徒が、名前について言及した。


 次の瞬間には、しばらく流動食しか食べられなくなった。

 その男は、どうやらその学校で最も恐れられる、時代遅れな言葉で言えば番長的な存在の弟だった。


 蜂須賀は呼び出され、リンチされかけた。

 だが、天才的な運動神経を誇り、人間を傷つける事に一切罪悪感のない彼は、一〇人以上いた不良生徒達を血祭りに挙げた。

 そうなると、彼に近づく人間は、誰もいなくなった。



  ■



 蜂須賀は、針を幸太郎に向かって突き出す。

 手首を返し、トンファーをその腕に向かって振り下ろす幸太郎。蜂須賀も、そのトンファーを針で受け止めるように持ち直し、二人の武器がぶつかる。


 なにか、腐敗したような匂いが沸き立つ。


 幸太郎は、針と競り合うトンファーが、荒野の岩みたいに風化しているのに気付いた。


「なんだ——ッ!?」


 急いでトンファーを引っ込める。見れば、徐々に崩れ、既に半分ほどまで長さが減っていた。


「まだまだぁ!!」


 蜂須賀が突き出して来る針を、一回一回丁寧に躱して行く。だが、余裕はない。あれほど木人で鍛えたというのに、攻撃を挟むタイミングがまったくない。


 幸太郎は避けながら思考を回す。


 おそらく、あの針に触れると物体は腐ってしまうのだろう。


 それが、蜂須賀の特質魔法。『カクテル・ポイズン』だ。

 だが、能力はそれだけはない。


 幸太郎は、腐ってしまったトンファーを蜂須賀の足に投げる。幸太郎を追う足が止まり、その隙にバックステップで針の間合いから脱出する。


「逃げたつもりになってんじゃねえだろうなぁ!!」


 蜂須賀は、針で空を切るみたいに振る。すると、毒液が針から飛び出し、空中で弾丸の様な形になった。


「くそったれッ!!」


 バックステップから着地の硬直時間を狙われ、サイドステップに移れない。飛べたとしてもバランスを崩し、追撃に襲われるだけ。


 だから、幸太郎は左腕のトンファーを手首の返しで回転させ、その毒液をガードした。何発も喰らってしまったトンファーは、完全に崩れ落ち、幸太郎は素手になった。衣服の一部にも当たっていたらしく、袖の一部がぽろりと崩れ落ちる。


「武器がなくなったな。それとも、まだあんのか?」


 挑発する様に、唇を釣り上げる蜂須賀。


「俺には、まだここと」幸太郎は頭を指差し、「ここが残ってんだよ」と、拳を蜂須賀に突き出す。


 確かにトンファーが無くなった事は痛い。


 しかし、本当に腕が落ちるよりはマシだし、蜂須賀の特質魔法の能力が知れた事はでかい。これなら対策を考えられる。


 それに比べれば、トンファーなんて安い代償だ。

 弱点を晒す事に比べれば、全然大した事じゃない。

 今までやって来た事と変わらない。


 防御魔法も、回復魔法もない幸太郎は、魔法を躱す事一回一回が綱渡りだ。今回もその綱を渡るだけ。


「そうかい」


 蜂須賀は、手に魔力を込める。空気が歪み、そして光弾が現れた。

 距離が近い。お互いが、ジャブの間合いから半歩先程度の距離にいる。これなら、発動前に腕を取ってへし折れば、もう魔法の発動はできない。


 そう考えた幸太郎。だが、当然彼が持つ毒針にも警戒がいる。


 だから、まず左手は針に備えて前方に突き出しておく。もし針を出して来ても、手首を取って制すれば、そっちの心配はいらない。


 あとは利き腕の方で、遠距離魔法を放とうとしている腕の指を折ってやれば、痛みで魔法は使えない。


 だが、それだけでは警戒不足だった。

 下から、顎を蹴り上げられた。


「が……っ!?」


 血の味が口の中に広がる。そして、前のめりに倒れそうになるが、それは最後の力で踏ん張る。


「惜しかったなぁっ!」


 蜂須賀の針が、幸太郎の左太ももを刺した。


「やべ——ッ!!」


 幸太郎は右ストレートを蜂須賀の顔面に向かって放った。だが、予測していたらしく、防御魔法に阻まれて拳は届かない。

 それどころか、蜂須賀の拳が幸太郎の鼻を潰す。


「ッ、がぁ……っ!!」


 もう痛いという事しか、感覚には無い。


 しかしそれでも、勝たなくてはならない。勝たなきゃ、ハチェットには認めてもらえないし、告葉を助けるのが誰かに横取りされていては、かっこ悪すぎる。


「離れ、やがれぇ……!!」


 幸太郎は、針が刺さった方の足で、蜂須賀の足へローキック。そして、痛みで意識を下半身に集めてから、右のストレートを胸へ押す様に当て、距離を突き放した。


 幸太郎は、針を抜いて、適当な方向へ放り投げる。


 足の感覚が鈍い。というより、足がすでに無いとさえ錯覚するほどで、今の一撃で完全に左足は死んだらしい。針で空いたズボンの穴に指を突っ込み、患部を見ると、色がどす黒く変色していて、石炭の様になり、腐敗臭を漂わせていた。


「これで、ご自慢のフットワークは死んだろ」


 蜂須賀に手には、既に針が握られていた。特質魔法で出した武器は、複数出すことはできないが、こうして手元から離れた場合、すぐに手元へ戻すことができる。


 幸太郎は口の中に溜まった血を吐き、ほくそ笑む。


「俺が死んだ訳じゃねえんだ。そう騒ぐことでもない」

「……最高」


 蜂須賀は再び、針をナイフの様に構える。

 幸太郎も、今度はガードを上げ、一般的な構えを取る。もう歩けない。左足は今にも腐り落ちそうだし、そもそも血を出しすぎたのか、頭を強打しすぎたのか、あるいはその両方かで意識はかなりぼやけてきた。


 幸太郎は、ハチェットだったら、『ったく。魔法使い相手とはいえ、魔法だけに警戒したってしょうがないでしょうが!』なんて、説教くれるとこだな、なんて思い、笑った。


「……なんだ? 何かおかしいところでもあったか?」


 その笑みが、蜂須賀に警戒心を抱かせたのか、彼の歩みが止まった。

 わざとらしく肩を竦めて、幸太郎はポケットから、ハンカチとバンテージを取り出す。


「なんでもねーよ」


 バンテージを両拳に巻き、左手にはハンカチも巻く。


「さっ、来いよ。なんなら、遠距離魔法で狙い撃ちにしてもいいんだぜ」

「そうかい」


 蜂須賀は、結局歩み寄って来た。

 遠距離魔法で削る、というのも彼の中に作戦として立ち上がったのだろうが、ここまで来てそれでは、彼自身納得できないし、こうまで自信満々に挑発されて進まないようでは、喧嘩の甲斐が無い。


 相手を否定し合うからこその喧嘩だ。


 だから、より強く相手を否定出来るなら、その手段を取るのが道理。

 その拳、お前をお前たらしめている拳をいただく。


 蜂須賀の思考はそういう方向で固まった。


 一足飛びで距離を詰め、針を幸太郎に向かって突き出した。


 幸太郎は、針を目視した後、その針を左手で掴んだ。勝利を確信したように笑う蜂須賀。当然だ。この針は触れただけでも相手を腐らせる代物。


「……お前の特質魔法、確かにすげえ代物だよ」


 だが、何故か幸太郎も、勝利を確信したように笑っていた。

 蜂須賀はそこでようやく、違和感に気付く。


 なんでこいつの左手は腐っていないんだ、と。


「さっき、俺のトンファーと服の一部を腐らしてくれたよなぁ。あん時に気付いたんだよ。お前の針は、全部を一定のスピードで腐らせるってな。一瞬で全部腐らせられるんなら、服はもちろん、俺の体なんかとっくに崩れ去ってるだろ。だから、俺はバンテージとハンカチで左手を覆って、左手が腐るまでの時間を稼いだんだよ」


 幸太郎の左手から、ほろほろと腐り切った布切れが落ちて行く。どうやらハンカチが腐った様だ。


「……俺を相手にすんならなぁ」


 そして、幸太郎は、思い切り右手を振りかぶった。


「一撃必倒じゃねえと、何の意味もねえんだよッ!!」


 その拳を、思い切り振り抜く。蜂須賀の顎が、左に揺さぶられて、彼は倒れた。


「や、ろぉ……っ!」


 だが、まだ意識は断てない。幸太郎は頭をぼりぼりと掻きむしりながら、彼に近寄る。


「俺の勝ち、だな……」


 ふぅ、と溜め息を吐き、幸太郎は自前の煙草を取り出し、火を点けた。


「まだ、だ……。俺ぁ、まだ死んでねえ……」

「死ぬまでやるつもりだったのかよ」


 幸太郎は、紫煙を吐いて、呆れた様に蜂須賀を見下ろした。


「俺とお前は、似てると思ってた……」


 蜂須賀は、まるで寝言みたいに力の無い口調で、語り始めた。


「けどよ……お前は、無茶してても楽しそうで、俺は、そんなお前が、羨ましかったのかもしれねえ……」


 俺の周りには、俺を恐れるヤツしか、いなかったのに。

 強い男の、弱い言葉だった。幸太郎は、思わず「当たり前だろ」と言っていた。

 何故そんなことを言われたのか、理解出来ないのか、蜂須賀は幸太郎の顔を見ながら、次の言葉を待つしかできなかった。


「マジックの大脱出ショーと、ガチンコの殺し合いやってるヤツ。どっちに人が集まるかなんて、決まってるだろ。自分が楽しくなきゃ、誰も周りには来ねーって事だ」

「ぎゃはっ……。それは、わかりやすいな……」

「俺はごちゃごちゃしてんのは嫌いなんだよ。楽しみたいんなら、自分が楽しいと思う事だけすればいい」


 その言葉に満足した様に、蜂須賀は目を閉じた。

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