第8話『立派な魔法使い』

 結局、そのエロ本問題も無視するコトにした。


 幸太郎の頭と机が割られ、その両方を回復魔法で告葉が治している最中。混乱が収まってくると、周囲の女子生徒達は、「蜂須賀先輩かっこよかったねー」等と話し込み始めていた。


「くそったれ。エロ本持ってる男の、どこがかっこいいんだ。女ってのはどーして、ああいう悪そうなのが好きなんだ?」

「悪そう、っていうなら幸太郎だってそこそこ悪そうだけどな」


 陽介は笑いながら幸太郎の顔を見ている。その顔は、血で濡れていた。


「俺のは『強そう』だ。間違えんじゃねえ」


 幸太郎は舌打ちをして、ハンカチで顔の血を拭う。ハンカチが一瞬で真っ赤になったる。後ろで幸太郎の頭に手を添えて回復魔法をかけていた告葉は、モロにそれを見てしまい、気分が悪そうに顔をしかめる。


「な、治った……」


 どうやら血は苦手らしく、幸太郎の傷を治すと、机に突っ伏してしまった。


「おう、悪いな。」


 気分まで悪くして自分の怪我を治してくれた告葉の肩を叩き、労う。


「幸太郎もさ、せめて回復魔法くらいは覚えた方がいいんじゃない? 俺らみたいに協力者がいるからなんとかなってるけど、普通だったら大怪我してるんだから」


 陽介の言葉に、幸太郎は「できるんだったらそうしてるよ」と直ったばかりの机に頬杖をつき、足を組む。


「だがハチェットに契約してもらわないとできねーし、そんな事あの女が許す訳ねーだろ」

「その通りよ!」


 教室のドアが勢い良く開き、ハチェットが入ってきた。昼休み中、突然教師の大声が響いた事で、教室は一瞬静かになるが、ハチェットだとわかるとすぐに目を逸らす。

 彼女は幸太郎達の元へ歩み寄りながら


「魔法は一つでも覚えたら、もう魔法使いなんだから。幸太郎が魔法を覚える事は、このあたしが許さないわ」


 と、胸を張った。


「オメーはなんでここにいんだよ?」


 幸太郎はハチェットを見ないまま言った。


「蜂須賀って子が、一年の教室で暴れてるって聞いたから。その様子を見ると、幸太郎に絡んだみたいね。来て損しちゃった」

「その通り。俺は負けねー」


 二人は目を合わせると、唇をつり上げ、お互いを見下す様に笑う。クラスメイト達は、幸太郎の威圧的な笑い方はハチェットに似たのか、と納得した。


「ハチェット先生……」


 告葉は、まだ青い顔をしたまま立ち上がり、ハチェットを睨んだ。


「あら? なにかしら、泉さん」

「幸太郎と、契約してください」

「へぇー」


 ハチェットは告葉を見下しながら(身長的にも、心情的にも)、口笛を吹く。


「聞いてるわよ、泉さん。あなた、幸太郎の幼馴染なんですって? 一緒に『立派な魔法使い』になる約束をしたとかなんとか」

「それが、何か?」

「気に入った!」


 突然、ハチェットは告葉を抱きしめて、彼女の顔を自らの胸に押し付ける。


「んーッ!?」


 ハチェットの腕をタップし、解放しろと頼むが、ハチェットは離す気がないらしい。


「昔の約束を覚え続けて、ここまでするなんて普通できたもんじゃないわ。その一途さ、いいじゃない! 若いっていいわぁー。あたしなんて、三〇〇歳から年齢数えてないわよ。いつが青春だったのかも遠い記憶の彼方って感じ?」


「はっ、はな……しなさい……」なんとか口だけでも喋れる位置に移動させるコトができた告葉は、そう言うと、叫んだ。「『プラスシルバー』!!」


 告葉の後ろに現れた人型の水銀は、ハチェットの顔面を思い切り拳でぶん殴った。

 だが、逆にその拳が砕けてしまった。

 当のハチェットは、平気そうな顔で、告葉の頭を撫で始めていた。


「そっ、そんな……あたしの『プラスシルバー』が……」


 身を以てプラスシルバーの威力を知っている幸太郎は、背筋が粟立つのを実感した。あの拳は、平気でいられる物ではない。だが、ハチェットには本当に効いていないのだ。

 そこでようやく告葉を離したハチェットは、


「いい一撃だわ。あたし以外の悪魔なら、倒せたかもね」


 そう言って身を翻すと、振り向かないまま手を振り、「あたしを誰かと契約させたきゃ、幸太郎かあたし自身を倒す事ねー」と教室から出て行った。


「泉ちゃん。ハチェット先生に勝負挑むのは無茶だ」


 陽介は、珍しく真剣な顔を作っていた。自分の特質魔法を破られた告葉は、力ない目で陽介を見つめる。


「ハチェット先生は、魔界が荒れ果てた原因になった戦争で生き残った一人で、『神に最も贔屓された女』とまで言われてるんだ」

「なんだそりゃ。悪魔なのに、神に贔屓されてんのか? 皮肉もいいとこじゃねえか」


 幸太郎は呆れながら、耳の穴を小指でほじる。


「得意とする通常魔法、特質魔法は人前で使った事がないからわからないらしいんだけど、生涯負け無しなんだってさ」

「ハチェットがバカみてーに強いのは知ってたが、お前なんで、ハチェットの二つ名まで知ってんだ?」

「ええ? 入学案内に書いてあったろ。あの人と契約したくて入学してくる生徒、多いんだぜ?」


 入学案内なんてまともに読んでいない幸太郎は、「へぇー」と興味なさそうに頷いた。


「けど、お前らも知っての通り、あの人は誰とも契約したがらねーのさ。通常魔法の教え方が上手いし、そもそもめちゃくちゃ高位な悪魔だからな。そう簡単に契約したがらないのもわかる」


 悪魔はランクが上がれば上がるほど、プライドが高くなる傾向にある。そして、大体の場合そういう悪魔は契約をしたがらない。

 森厳坂の校長も、それを承知でハチェットを呼んだので、誰とも契約しなくても見逃されているというわけだ。


「……幸太郎が私に負ければ、ハチェット先生を幸太郎と契約させるコトができるってこと?」

「おっ、おいおい告葉。何考えてんだよ。俺ぁ、わざと負けるなんてやりたくねーぞ」

「だったら、本気でやっても勝てるようになる」


 告葉にこれ以上強くなられたらやばいな、と幸太郎は額から流れる冷や汗を感じていた。魔法を覚えたくなったのだが、しかしそれには告葉に負けるしかない。


 もちろん、幸太郎がそんなコトを許せるほど器用だったら、こんな事にはそもそもなっていない。



  ■



 帰宅後、幸太郎は夕飯を食べると、ハチェットが作ったトレーニングルームで、彼女と組み手をしていた。

 二人はどちらも打撃系ストライカーなので、組み手というかボクシングのスパーリングである。


「違うッ! もっとインナーマッスルを使うッ! 外の筋肉なんてほっといても育つんだから、内側を回転させる!」


 幸太郎の右ストレートを左手の甲で体の外側に逸らしパーリングながら怒鳴った。

 ワン・ツーの基本的なコンビネーションから、左で距離を置き、相手にガードを固めさせる。


 ガードを固めさせたら、今度はガードの上からハチェットの手を殴った。幸太郎の拳は長年振るって来ただけあって、すでに相手のガードを貫いてダメージを当たられるレベルになっている。


 ハチェットの考案した、『対魔法使い用戦術』それは、言わば『対魔法使い様に特化した総合格闘技』である。


 幸太郎の拳は、『空手』の堅い拳を『ボクシング』のスピードで打ち出すのだ。


「んっ。いい感じね。これなら魔法使いなら一撃で倒せるでしょ」


 だが、そんな拳も、ハチェットの前では通じない。彼女の皮膚は、成人女性のそれとまったく変わらない質感でありながら、幸太郎の一撃で皮膚の色も変わっていない。


「ヤロォ!!」


 幸太郎は、半歩下がり、蹴りの間合いにすると、ハチェットへハイキックをした。


「甘い甘ーい」


 なんてことはなさそうに、それをガードする体勢に入るハチェット。


「甘いのはそっちなんだよ!」


 幸太郎の蹴りが、ハチェットのガードを飛び越えるみたいに軌道を変えた。

 可変蹴りブラジリアンキックである。


 幸太郎の蹴り技は、基本的にムエタイをベースにしているが、足も当然、空手家がやる様に、叩いて堅くしている。木製バットなら折れるだろう。


 だが、目の前の女は金属バットを蹴りで切断する。

 幸太郎の可変蹴りをすんなり受け止め、一本背負いの要領で足から投げ飛ばした。


「うぉ——ッ!?」


 だが、幸太郎は地面に叩き付けられる瞬間、地面に手をつき、逆立ちする要領でハチェットを逆に持ち上げ、足を掴んだままのハチェットを投げ飛ばす。


 だが、ハチェットはそこからさらにブリッジで着地し、素早く幸太郎の足を四の字固めにする。


 アクション映画さながらのアクションシーン。ハチェットはともかく、幸太郎は必死の思いである。


「幸太郎。あんた、魔法使いになりたい?」


 ぎちぎちと足の関節をキメられている中、ハチェットにそんな事を言われた幸太郎は、「なっ、なりたいね……!」と痛みを我慢しながら四の字を返そうとする。だが、ハチェットの力には敵わない。


「だが、俺はお前と契約がしてーんだ……! 俺にとって、立派な魔法使いになるってことは、お前に近づくって事だからなっ。お前から教えてもらうモンは、全部吸収させてもらうぜ……!!」

「あたしと契約したいなら、あたしを倒す事ね……!」


 睨み合う二人。

 だが、


「ダメだ! ギブっ、ギブ!! 足折れる!!」


 幸太郎はハチェットの足を叩く。


「あ、はいはい」

 ハチェットはすぐに、といっても緩やかな動作で拘束を解こうとした。だが、間に合わない。

 ぽきん、と、細いガラスの棒を折ったような音が響いて、幸太郎は悲鳴を上げて、気絶した。

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