第5話『銀の名を与えられた水』

 迫って来る水銀の蛇。


 正確には水銀ではないのかもしれないが、なんにせよ迂闊に触れるのは良くない。特質魔法は世界で唯一、発動者だけが熟知する魔法である。


 ハチェットのテキストには、こう書いてある。


『特質魔法はある程度ぶつかってみないと対処法はわからない。結局ひらめきが物を言う。考えて動け』


 通常魔法は大体の場合知れ渡っているので、対処法はいくらでも立てられる。だが、特質魔法は戦闘中に見つけ出さなくてはならない。


 ちなみに、桜手が使っていたダーツを取り出す魔法は、形の無い物をダーツ状に固定する、『牛の目を射抜くブルズアイダート』という特質魔法だったが、察しの通り彼は『通常魔法が上手いタイプテクニカル』である。


 水銀の蛇が、幸太郎の手が届くところまでやってきた。先端のまるっこい部分を顔に見立て、アッパー気味のジャブを繰り出す。フリッカー、と呼ばれるものに近い。


 ごんっ、と鉄を殴った様な音がする。若干拳も痛む。


 幸太郎は裸拳だし、あまり長い事硬い物を殴っていれば、拳が使えなくなる。ジャブを二、三発放ちながら下がるが、水銀の蛇はその足を取り、幸太郎を仰向けに転ばせた。


「うぉッ!?」


 勢いよく背中を叩き付けられる幸太郎。手を頭の後ろで組み、頭を打たないようガード。


 水銀の蛇は、幸太郎の腹の上に乗り、人のシルエットへと形を変える。


 まさに、『銀の名を与えられた水プラスシルバー


 そしてそれは、マウントポジションを取った総合格闘家みたいに、幸太郎の顔面へ拳を放った。


 鼻を押しつぶされる様な重たい一撃に、幸太郎の顔は鼻血を吹き出すし、さらに幸太郎の顔を左右に弾くみたいに連続フック。


 さすが金属というべきか、その一撃はすべてが体の芯に響いて来る。

 幸太郎の頭がぼーっとしてきた。打たれすぎて、戦意が萎えて来ているのかもしれないし、意識が途切れそうなのかもしれなかった。


 幸太郎は、背を思い切り逸らす様にブリッジ。拳を繰り出そうとしていた水銀は、バランスを崩して背後に倒れる。


 すぐに体を水銀の股下から抜き、立ち上がると、


「おるぁ!!」


 爪先で顔面を押し込む様にトーキック。硬化していた所為か、ガツンと派手な音を立てて地面に倒れ込んだ。


「ハーッ……ハーッ……。俺相手に、格闘勝負張ろうなんざ、読みが甘すぎんだよ……」

「『銀の名を与えられた水プラスシルバー』!」

「待った!」


 告葉が、再び水銀の蛇を幸太郎へ差し向けようとした所で、何故か幸太郎が掌を突き出し、待ったの宣言をする。

 あまりに間の抜けた行為に、思わず告葉は魔法をやめてしまった。


「な、なんのつもり……」

「アホか。裸拳で金属殴らせんな。拳が痛くてしゃーねー。殴って拳がイカれないのはマンガの中だけだ」


 そう言うと、幸太郎はポケットからバンテージを取り出し、それを拳に巻いて行く。


「まあ、これにも時間がかかるしよ。ちょっとお話でもしよーや」


 バンテージを巻く時間を待っている。これが意味する事は、幸太郎を彼女も計っているのだ。見て、情報を得ようとしている。

 だから幸太郎も告葉から情報を引き出す。会話という手段で。


「あなたと話す事なんて、何もないわよ」

「俺にゃあるんだよ」幸太郎は一瞬黙り、何を話そうか考える。「お前、なんか俺に対して個人的な恨みでもあんのか?」


 右手のバンテージを巻き終わり、左手に移る。


「……なんですって」

「言いたかねーが、お前才能あると思うぜ。ガッツもあるしな。この間の三年よりよっぽど手応えがあらぁ。お前なら焦んなくても、夏休み終わる頃にゃ俺くらい楽勝だろ」


 才能がある、というのは本心だったが、他は全部嘘だった。いつだって幸太郎は負ける気がないし、個人的な恨みがある、というのは言いがかりもいい所。

 だったのだが、


「……何も、覚えてないくせに」


 告葉は、しっかりとそう言った。


「なんだと?」


 左拳のバンテージも巻き終わる。だが、その言葉があまりにも不可解すぎて、動く気になれない。


「あなた、魔法使いになりたくないの?」

「あぁ? なりたくなかったらこの学校入ってねえよ」

「なら、どうして悪魔と契約しないの」

「ハチェットがいるからできねーんだよ」

「なら、転校でもしたらいいでしょ」

「アホか。親に入れてもらった高校をそう簡単にやめられっか」


 幸太郎は、再び拳を構えた。


「……私が勝ったら、あなたは普通の魔法使いへの道を歩きなさい」

「へえ」なんでそこまでするのか疑問に思ったが、すぐにそれを遠くへ放り投げる。余計な事は考えないのが一番。


「いいぜ、負けねーから。とっとと終わらせてやらぁ。家に帰ってドラマの再放送が見てーんだよ」

「行きなさい、『銀の名を与えられた水』よ!」


 走り出そうとした幸太郎の前に、水銀の蛇が立ちはだかる。


「邪魔だぁ!!」


 勢いをつけ、水銀の蛇へドロップキックをしようとした。だが、キックを当てようとした位置に穴をが相手、幸太郎はそこをすり抜けてしまった。


「ヤロォ!!」


 着地し、しゃがみ込んだ体勢から、足払いを放つ。頭を天に伸ばした状態だったので、頭の重さもあって地面に倒れ込む。

 だが、その時に背後から光弾が幸太郎の背を弾いた。


「ぇっ……!」


 まるでボーリング玉を投げつけられたような衝撃が幸太郎の全身をビリビリと駆け抜ける。

 痛みで前方への意識が散漫になっていた所為で、頭を起こしていた蛇への対応ができなかった。


 蛇の体が、縄の様に幸太郎を縛った。両腕を拘束される。

 急いで振り返ると、告葉はすでに三発の光弾を放っていた。


「アホめ! 戦闘中に相手を拘束すんならなぁ!!」


 幸太郎は、走り出した。


「両足から封じるのが基本だろーがッ!!」


 光弾が当たりそうになると、ジャンプしてわざと蛇が巻き付いている位置に当てて、それでガードした。完全に防げているわけではなく、そこそこ衝撃が体の奥へと響いて来るが、先ほどではなく、耐えられる。


 この様に、拘束されたら動けないという思い込みは危険だ。拘束するなら、四肢を使えない状態にし、口まで猿ぐつわしておいて初めて、拘束したと言える。


「は、離れてっ!」


 ニュルリと、水銀の蛇が幸太郎から離れて落ちる。

 だが、すでに幸太郎と彼女の距離は近い。そこで離すのは逆効果。


「しまっ、防御魔法——」


 魔力を練り始める告葉。だが、幸太郎の接近の方が早い。


「そこは逃げる所だろーが。オラ、捕まえた!」


 幸太郎は、告葉の胸ぐらを思い切り掴んで、拳を振り上げる。


「おっ、女を殴るつもりかよ!?」


 フェンスの向こうから、ギャラリーの声。


「オラァー荒城ぃ!! テメエ、女の子殴るとかホントに男か!」


 ヤジ、そしてブーイング。


「ぐ、や、ヤロォ……」


 幸太郎は、悔しそうに拳を引っ込めようとする。


「なんて、言うと思うかオラァ!!」


 その拳は引っ込められず、告葉の顔を右に弾いて倒した。


「うるせぇぞテメエら! 俺の前に敵として立ったからには、女でも殴る!! 女だろーが人は倒せるんだからな!」


 その場の誰よりも大きな音量で叫んだ幸太郎の声に、周囲の生徒達は黙ってしまった。


「ギブアップしねーんなら、次はチョークスリーパーでもして落とすぞ。魔法使いを潰すには気絶しかねーもんでな」


 しゃがみ込み、倒れた告葉に視線を合わせると、幸太郎は指の骨を鳴らしながら、不敵に笑う。


「ぎ、ギブアップ……」


 悔しそうに、告葉は唇を噛む。魔法を使えないタダの人間に負ける事は、魔法使いにとって考えられないほどの屈辱だろう。

 考えられないというより、今まであったことすら無いので、初めての屈辱というべきか。


「オメー、なんかさっき気になる事言ってたよな。ありゃどういうこった。『何も覚えてないくせに』だと?」

「……本当に覚えてない、わけね」

「あぁ?」

「……昔、小学校三年生くらいの頃に、同級生の女の子が転校していったはずよ」

「………………」


 幸太郎は、頭を必死に回した。高校入試よりも必死だった。

 そうしてやっと、頭の中でひらめきが爆発した。



  ■



 幸太郎、九歳の夏。


 ハチェットからもらったテキストを頼りに、対魔法使い用戦術の修行をしていた頃である(最も、幸太郎は当時、魔法使いの修行だと信じていたが)。


 夏休みの小学校、その校庭の端で、延々と校舎の壁を殴っているのが、幸太郎だ。

 ボクシンググローブをつけて、壁に書かれた人の形を殴っている。どこを殴れば効果的か。拳を振るい続ける事によるスタミナの消費を理解しながらスタミナをつけ、硬い物を殴り突ける事で硬い拳を作る。そういう修行なのだ。


 そんな彼から、少し離れた位置に、一人の少女が立った。彼女こそ、幼き日の泉告葉である。


「ねえ、幸太郎」

「あん?」


 振り向かないまま、幸太郎は壁を殴り続けていた。真夏の暑い中、汗だくでそんなことをしている彼を見ながら、告葉は悲しげに目を伏せた。


「実はね、私、転校する事になったの……」

「マジか」


 幸太郎は、やっと振り返った。


「もう会えねーの?」


 グローブを外し、汗を近くに置いてあったタオルで拭う。あちぃ、と呟きながら、燦々と照らす太陽をちらりと見た。

 彼にとって一番仲のいい女子が告葉なので、そんな彼女がいなくなるというのは、幸太郎といえど寂しかった。


「ねえ、幸太郎はさ、高校生になったら魔界都市に行くんだよね?」

「あぁ。でも、お前も行くんだろ? 魔法使いになりたいって言ってたじゃん」

「う、うん。だからね、そこで会おうよ。二人で一緒に、立派な魔法使いになろう」


 夏の日差しの所為か、告葉の頬が赤くなっていた。あまりにも太陽の光が強く目を細めている幸太郎は、それに気付いていないし、仮に気付いていても気に留めないだろう。


「おおっ、それいいアイデアだな」

「でしょ? だから、そこで会おう。きっと、立派な魔法使いになろうね」


 約束だよ。

 二人は、そうして指切りを交わす。幸太郎の汗ばんだ手に、少しだけ告葉は驚いたらしいが、涙をこらえたまま、笑顔を作って幸太郎と別れた。

 それが、幸太郎の忘れていた約束。

 立派な魔法使いになるという、約束。



  ■



「おっ、お前……告葉、か……!?」

「さっきから、そう言ってる……」


 幸太郎は、告葉の顔を、先ほど自分が殴った顔を指差した。左頬が少し腫れていた。さすがの幸太郎も手加減したので、見れないほどではないし、後で魔法で治すだろう。


「へぇー……。変わんねえなぁ、お前」

「気付かなかったやつに言われても、嬉しくない」


 バツが悪そうに頭を掻く幸太郎。


「そりゃ、言いっこなしだ。思い出したんだからよしとしてくれ。けど、これでやっとわかったぜ。お前との約束がなかったコトになりそうだったから、俺を魔法使いへの道に戻そうとしたって事か」

「そう。……だって、幸太郎だって立派な魔法使いになりたいんじゃないの? 今からでも、転校した方がいい」

「ワリィが、俺はハチェット以外から魔法を習う気はねえ」


 立ち上がり、格技場から出て行こうとする幸太郎。

 その背中に、告葉は叫ぶ。


「どうして!? 立派な魔法使いになるのが、幸太郎の夢じゃなかったの!」


 立ち止まって、振り返る。その顔は、いつもの様に不敵で、人を見下す様な目つきをしていた。


「あぁ。だが、俺が思う一番立派な魔法使いはハチェットなんでな。なにがなんでもあいつから魔法を教えてもらわなきゃならねえ」

「でも、あの人は、誰かの言う事を聞く人じゃ……」

「そんときゃ、コレで聞かせるんだよ」幸太郎は軽く拳を突き上げた。


「俺にゃ、それしかできねーからな」


 そう言った幸太郎は、自信に満ちあふれていた。魔法を習えない事に対する悲哀なんて、まったくないと感じさせるほどの態度に、告葉は肩を落とすしかない。

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