第4話『教科書通りの魔法使い』
「転校してぇ……」
放課後。
授業がすべて終わり、幸太郎は教室の自分の席で自然とそんな事を呟いていた。彼はあまり人目を気にする方ではないが、それでも気にしてしまうくらい見られている。
ハチェットのスピーチは文字通り全校生徒が聞いていたし、魔法学校で『対魔法使いの男がいる』と言われれば、それは気になるだろう。
幸太郎にもそれはわかるのだが、彼個人としては普通の魔法使いになりたいので、放っておいてほしかった。
「目立つんじゃね? その赤茶の髪」
向かいに座った陽介が、幸太郎の頭をジッと見つめる。
「なんでそんな髪の色にしてんの?」
「金髪に言われたくねーんだよ」
ちなみに、幸太郎の髪は染めている。元々の色は黒だ。
これはハチェットがくれたテキストに書いてあった、『できるだけ強そうな恰好をしろ』という文章に従った結果である。何故この色なのかと言えば、彼にとって強いというのはハチェットの様な人間になる事だったからだが、これは誰にも言うつもりはない。
「にしても傑作だったなー。みんなが魔法で砲丸を浮かべてんのに、一人だけ砲丸手に持って投げてんだもんな。みんな笑ってたぞ?」
「っせえ。ほっとけ」
幸太郎は、普通の学校でやったのならかなりいい成績を残したのだが、魔法学校では平均以下。いくら幸太郎が上級生を倒したからと言っても、こういうフィールドだと幸太郎は雑魚と言ってもいい。
「お前って、あれな。勝負以外だと魔法には勝てないのな」
「き、鍛えりゃ勝てる」
苦し紛れどころか、負け犬の遠吠えでさえあった。
さすがに鍛えても、砲丸投げで五〇メートルなんて出せない。
「勝てたら人間じゃねえって」
笑いながら、陽介は先ほど外の自販機で買って来た水を飲んでいた。水道水は飲めないらしい。
そうしていたら、隣に座っている女子生徒が、「ふっ」と鼻で笑った。
幸太郎と陽介は、同時にちらりとそちらを見る。本を読んでいるわけでも、ケータイを見ているわけでもなく、確実に二人の会話を聞いて笑ったらしい。
「……なんかお気に召したかよ?」
幸太郎は、その少女を睨んだ。
先ほど授業で発言していた彼女は、いかにも優等生という風体だ。
さらりと腰まで伸びる黒髪。フレームの無いメガネ。その奥から覗く瞳は、あまり感情を感じさせない。
制服であるセーラー服も、きっちり校則に従って着こなしている。
「別に。いろいろとおかしい人だと思ってたけど、ここまでとは思わなかっただけ」
「おかしい? 俺がか」
「だってそうでしょ。魔法学校に来て魔法使わないなんて、おかしいと思わないの?」
「使わないんじゃねえ。使えねえの。ハチェットが俺と契約してくれないと、他の悪魔とも契約できねーしな」
「ふぅん。そんなんじゃ、ここで生きてけないわよ」
「……言いたい事があるなら、はっきり言ったらどうだよ?」
明らかな敵意を感じた幸太郎は、立ち上がった。
すると、彼女も立ち上がり、幸太郎と向かい合う。
「あたしと模擬試合しなさい。対魔法使いなんて夢みたいな事、言い出せない様にしてあげる」
「おおっ!」一番に反応を示したのは、陽介だ。
それが伝播したのか、周囲のクラスメート達も、二人を遠巻きに眺めている。
「へえ」
幸太郎は唇を歪める。
「いいぜ。やってやるよ。俺だって、対魔法使いなんて好きで言ってるわけじゃないが、売られた喧嘩は買わせてもらう。……名乗れよ」
「
「……告葉?」
幸太郎は、何か頭に引っかかる物を感じて、それを引っ張ってみたが、結局思い出せなかった。
「それじゃ、格技場で会いましょう」
幸太郎を置いて、告葉は先に教室から出て行った。
その背中は、どこか怒っている様に見えた。彼女を指差し、幸太郎は陽介を見る。
「なんか、あいつ怒ってないか?」
「んー、まあ、正直言うと、あんまり幸太郎の事良く思ってないヤツって結構いるんだよ。魔法使いの誇りを傷つけられた、つってさ。その内の一人じゃん?」
「なるほどね……」
幸太郎自身、自分を快く思っていない人間がいるだろう事は予想していたので、神妙な顔をして頷く。
魔法使いを学ぶ高校に、魔法使いを否定する存在がいれば、それを疎ましく思うのは当たり前の話だ。
■
幸太郎と陽介は、少し待ってから格技場へと赴いた。先ほどの話を聞きつけたギャラリーがもう居る辺り、魔法学校というのも意外に平和というか、暇だな、なんて幸太郎は思ってしまう。
格技場の中で向かい合うと、告葉が「逃げてもいいわよ」なんて言い出した。
「アホか。背を向けて逃げるなんてしねえよ。それより、お前こそ逃げてもいいんだぜ。どー見ても戦いに向いてるタイプじゃねえ。机に向かって勉強だけしてるのがお似合いだぜ、優等生」
彼女の顔が、赤くなった。
恥ずかしいのではなく、怒りで頭に血が登ったらしい。人間、見た目の事を言われると、大なり小なり怒る。
ハチェットから渡されたテキストには、『戦闘に入る前に出来るだけ相手は怒らせておけ』と書いてある。だから、幸太郎は相手を挑発するのだ。
「図星かぁ? 覚えた魔法を、俺で試したくなったとかか? やめとけやめとけ。せっかくの魔法も、俺が相手じゃ通じない。お家帰って宿題でもやってろ」
「大きな口を叩くと、自分に返ってくるわよ——ッ!!」
告葉は掌を目の前に突き出した。
幸太郎は咄嗟に横へ飛ぶ。
その手から光弾が発射され、幸太郎が居た位置の地面を抉った。
「やめとけって。俺は飛び道具相手は結構得意なんだぜっ!!」
幸太郎は、告葉に向かって走り出す。
ハチェットが、何故戦闘前に相手を怒らせろと書いたか。
それは、相手の思考力を奪う為である。
怒った相手は相手を早く排除しようとしてしまい、倒そうと力み過ぎる。なので、自分が持っている中で最も得意な魔法を当てようとしてしまうからだ。
それにより、まずは相手がどういった魔法使いかを計る。
告葉はおおよその魔法使いがそうである様に、遠距離を軸に戦略を組み立てるタイプらしい。
「ちぃッ」
舌打ちをして、告葉は右手を幸太郎へ向ける。
だが、光弾は躱されて行くばかり。
「無駄だって言ってんだろうが!」
幸太郎は、以前みたいにあっさり距離を詰めた。
魔法使いが遠距離攻撃をする場合、手を出すのは、二つの理由がある。
一つは『照準を合わせる為』だ。掌を広げ、前に突き出すことで、指のどれかを使い相手に照準を合わせている。どの指かは傾け具合で判断すればいい。
そしてもう一つは、『魔法を出す位置を明確にする為』だ。桜手の様に、炎を別の魔法に使うのなら、適当に近い位置で出せばいいが、相手に向かって放つとなると、かなり精密な動作が必要になる。
キャッチャーがいないと、ピッチャーのコントロールが鈍る様な物だ。
後は魔法銃を相手にした時と同じ応用。
幸太郎は、告葉の手を肩に乗せて、一本背負い。
思い切り、告葉を地面に叩き付けた。
「かぅ……ッ」
告葉の呼吸が口から漏れる。
背負い投げではなく、指の骨を折ってもよかったのだが(あとで魔法で治せるし)、この場合は魔法をすぐに使えない様、痛烈な痛みで動けない様にしておく必要がある。
その為の一本背負いなのだ。
後は気絶させるだけ。腹を踏んでもいいし、顔面を踏んでもいい。魔法使いは魔法に頼りすぎて、咄嗟のガードを魔法で行う傾向が強い。だが、魔法が使えない様、痛みで集中力を乱す役割も一本背負いは担っている。
「ギブアップするか?」
だが、さすがにそこまでダメ押しするのは、幸太郎の良心が拒み、そう訊いてしまった。
「まっ、だ……よ……!!」
苦悶の表情を浮かべたままの告葉の手に、ナイフが現れた。
魔法が使えない様、充分な痛みを与えたはずだったのに、と幸太郎は一瞬だけ動揺した。そして気付く。格技場の地面は、少しだけ柔らかいんだった、と。
しかし気付いたところで、動揺がなくなるわけではない。
寝そべったような体勢から幸太郎の足首を切りつける様に振るわれたナイフをバックステップで大げさに躱してしまった。ズボンに切れ目が入る。紙一重で躱す事は出来た。
だがそれよりも、距離を離してしまったことが幸太郎に取っては痛い。
遠距離の攻撃手段を持っていない彼にとって、それは大きな悪手。
告葉は急いで立ち上がると、胸に手を当て、回復魔法を自分にかけた。
魔法使いは、一撃で戦闘不能にしない限り、こうして回復してしまう。
命を絶つか、意識を断つか。
二つに一つ。
告葉がナイフを構えたまま、間を詰めて来る。
幸太郎は急いで学ランを脱ぎ、右腕に巻いた。
上着をこうして腕に巻くという行為は、ハチェットが考案した対魔法使い用戦術に置いて、実はかなり重要な部類に入る行動だ。
ナイフを突き出す告葉。その一撃を、上着を巻いた右腕で受ける。
布の厚みに阻まれて、ナイフは幸太郎には届かない。仮に刺さっても、本当に先端が少しだけなので、大丈夫なのだ。
そのまま肘から先を回すと、回転に巻き込まれたナイフを楽に奪える。
奪ったナイフは使わない。幸太郎はナイフを使った事なんてないし、結局の所自分が使い慣れていない物なんて武器ではなく凶器。
自分が使いこなせる物でなくては、戦う力といえない。
だから、拳を選んだ。
空いた左拳で、顎にフックを叩き込もうとした。
しかし、あと拳一つ分動けば届くという場所で、何か硬い物に阻まれて、その拳は届かない。
見れば、告葉の顎と幸太郎の拳の間に、水銀のような物体があり、それが幸太郎の拳を阻んでいた。
「なん——ッ」
なんだよ、これは。
そう言おうとしたのだが、水銀が幸太郎の顔面へ体当たりをぶち込み、幸太郎はふっ飛ばされた。
「——ぉッ!?」
三メートル程度飛ばされた。かなり勢いもあったが、幸太郎は受け身を取り、衝撃を体の中で分散させる。
こうしたダメージへの対処法も、魔法使いが知らない戦い方だ。
すぐに起き上がると、幸太郎はペッ、と地面に折れた奥歯を吐き出した。口の中にじんわりと広がる鉄の様な匂いを不快に感じながら、構え直す。
それは、ボクシングに明るい人間なら知っているだろう、『ヒットマンスタイル』と呼ばれるものに近い。
ガードを下げ、右拳を顎のそばに置く。違うのは、普通のヒットマンスタイルよりガードが高い事。
かかとを上げ、ぴょんぴょんと体の調子を確かめるみたいに跳ぶ。
「本気、ってわけ」
告葉は腹立たし気に、幸太郎へ侮蔑的な視線を飛ばす。
「そっちこそ。特質魔法出し惜しみしやがったな」
幸太郎も、怒り心頭という表情だ。二人の怒りの視線がぶつかり合う。
だが、幸太郎の内心は、しくじったという思いでいっぱいだった。
読み間違えたのだ。
先ほどまでずっと通常魔法ばかり連射してきたので、ほぼ間違いなく告葉は『
だが、実際には違ったらしい。
彼女は、『
「私の『
告葉の周囲をくるくると回っていた水銀が、まるで蛇みたいに這いずり、幸太郎へと向かって来る。
想像以上に速く、幸太郎はバックステップで、告葉と水銀の蛇を見失いわないようにしながら逃げるのが精一杯。
幸太郎にとって生命線と言える距離が、射程範囲が、どんどん告葉から離れて行く。
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