第2話『悪魔と一緒』

 幸太郎はこれからの学校生活に不安を抱きながら、帰路を歩いていた。


 あの後、誰もかかってこなかったので、そそくさと帰ってきたのだ。一応ハチェットに恨み言ついでの挨拶をしておこうかと思ったが、彼女は既にいなかった。


 ここは魔界都市。世界のどこよりも、悪魔が歩く街。ただ街を見渡すだけで、そこかしこに悪魔が見える。


 頭からヤギの角を生やしている物もいれば、スライムの様な生物まで。


 その内、スライムの様な生物に「森厳坂の学生寮ってどこですか?」と話しかけてみると、意外にも親切で、おそらく手の代わりだろう体の端っこをあさっての方向に伸ばしながら、


「ああ、だったらねえ。ここの道をまっすぐ行くと、大きな交差点があるから左に曲がって、そしたらマンションが見えて来るから。そこだよ」


 と朗らかな声で教えてくれた。なんだったら、そこまで連れて行こうか、とまで言ってくれる。


 さすがにそこまでさせるのは申し訳なかったので、「いや、大丈夫っす。ありがとうございます」と頭を下げ、手を振りあってわかれた。


 悪魔といえど、親切なのだ。


 そのスライムの言う通りに道を歩くと、すぐに大通りに面した茶色い外壁の八階建てマンションを見つける事ができた。


 そこには、『森厳坂魔法学院第三分寮』と書かれていて、幸太郎はここだと頷いた。


 今日魔界都市にやってきた幸太郎は、親元を離れてここに住むのだ。

 エントランスを抜け、オートロックを入学案内と一緒に送られて来た鍵で開き、エレベーターに乗って五階へ。


 その五〇三号室が、幸太郎の部屋だ。

 扉の前に立ち、鍵を開ける。開けたつもりだった。

 しかし、何故か鍵が閉まってしまい、入れない。


「……あ? 学校の人が締め忘れたんかな」


 不振に思いながら、幸太郎は部屋の中に入る。


「おっかえりー!」


 玄関には、何故かハチェットが立っていた。白のキャミソールにピンクの短パンという、ラフなくつろぎスタイルで。


「いやー、さっきはまともに挨拶できなかったけど、ホント久しぶりねー幸太郎。何年ぶりだっけ?」

「て、テメエ何してんだ……」


 表情が強ばる幸太郎。

 だが、反対にハチェットは楽しそうに笑っていた。


「あひゃはは。今日から一緒に住むから」

「……なんで?」

「決まってんでしょうが。修行のためよ!」


 むふー、と鼻息を吐くハチェット。


「しゅ、修行だぁ?」

「そうそう。ま、立ち話もなんだし、ほら。入った入った」

「……俺ん家なんだけど」


 とりあえず、靴を脱いで家の中に足を踏み入れる。まっすぐ伸びる廊下の奥に扉があり、そこに入ると、どうやらダイニングリビングらしい。キッチンと、その横に二人掛けの小さなテーブル。


 二部屋ある辺り、ハチェットが根回ししたんだなと推測する幸太郎。


「……この、テーブルの上の料理、何?」


 できたてと思われる料理が、テーブルの上に並んでいた。アジの南蛮漬けとみそ汁に白米。


「晩ご飯」

「誰が作ったんだよ」

「あたし」自らの鼻を指差すハチェット。

「うっそぉ……」


 幸太郎、本日二度目の絶句。それ意外になんと言っていいかわからなかった。


 あまりに失礼な驚き方をしていたからか、ハチェットの右拳が幸太郎の左頬を掠めた。

 あまりの威力に、肝が冷える。体感温度が五度くらい下がった気がした。


「殺すぞ」


 悪魔に言われると、冗談に聞こえない。

 なので幸太郎は、「悪かった、悪かった」と必死の表情で手を挙げた。


「冷めるから、食べな食べな」

「その前に、俺も着替えて来る」

「あ、そ。なら、アンタの部屋は、右のドアだから」


 リビングに二つ並んだドアの右側を開くと、六畳ほどの部屋があり、まだ荷解きもしていないのに片付いていた。


 ハチェットが片付けたのだろう。おそらく、魔法を使って。

 まずい物見られてないだろうな、と身を振るわせながら、制服を脱ぐ。学ランは先ほどの戦いでボロボロになっているので、明日購買部で買おうと思いながら、部屋の端にあるチェストから着替え(灰色のトレーナーとスウェット)を取り出し、袖を通した。


 リビングへ戻ると、ハチェットがテーブルに座って幸太郎を待っていたので、幸太郎も向かいに座って、二人で「いただきます」を唱えた。

 まずはメインディッシュのアジの南蛮漬けに手をつけた。口に放り込んで、咀嚼する。


「……う、美味い」


 幸太郎は悔しい思いを隠しながら、そう言った。ハチェットはなんとなく、料理が出来ないと思っていたから。


「いっぱい食えよぉー」


 ハチェットの手元には、缶ビールと南蛮漬けだけがあった。どうやら、晩酌のつもりらしい。


「……なあ、ハチェット」

「ん?」

「そういや、俺だけまだ担当悪魔決まってないらしいじゃん」


 担当悪魔。

 高校に入学して、最初に契約する悪魔の事だ。悪魔と契約しなくては魔法が使えない以上、魔法を学ぶのなら悪魔と契約しなくてはならない。


 だから入学式の前に、新入生は割り振られた担当悪魔と契約を交わすのだが、幸太郎には宛てがわれなかった。


「俺の担当って、もしかしてお前か?」

「そうよー。弟子を他の悪魔に任せてたまるもんですか。アンタを担当させてもらえないなら、ここ辞めるって言ってやったら即よ、即」


 ビールで唇を潤してから答えるハチェット。


「あ、そう。そこまで言ったのね……」


 無理を言っただろうことは予想していたが、まさかそこまで熱を持って提言していたとは思わず、ちょっとだけ気後れする幸太郎。


「んじゃ、とっとと契約しようぜ。明日から、もう授業あんだろ?」

「あるけど、ダメ」

「……は?」幸太郎は眉間を押さえる。

「言ってる意味が、わかんねーんだけど。まず担当悪魔と契約して、ある程度魔法覚えてから、次の悪魔と契約できるようになるんだよな?」


「そうそう。それまでは、他の悪魔と契約できないってわけ」


 つまり、ハチェットと契約して魔法を覚えてからでないと、幸太郎は他の悪魔と契約できないのだ。


「……あの、もしかしてなんだけどよぉ。俺も、さすがに考えすぎなんじゃないかと思うんだけど、お前まさか、俺に魔法使うなって言ってる?」

「その通り」


 幸太郎は、勢い良く立ち上がった。


「テメェー!! そんなんでこの魔法学校やってけると思ってんのかコラァ!!」

「はーい、黙る」


 ハチェットが、テーブルの下で幸太郎の足を蹴った。脛に一発いいのを貰ってしまい、痛みに耐えきれず腰を降ろした。


「お、ぉ……おぉ……!!」


 悶絶し、椅子に足を乗せて、打たれた脛を摩る。青あざが出来そうだ。


「お、俺は魔法使いになりたくて、森厳坂に入ったんだぞ……! そうだ、お前あのテキストも対魔法使い用だったし! 騙しっぱなしじゃねえか! せめて一言謝れ!」

「だーから、魔法使いなんてならなくていいってば。魔法使いは重大な欠陥があるんだから」

「……その欠陥って、なんだよ? スピーチでも言ってたよな」


「んー……」考えをまとめているのか、渋い顔を作り、南蛮漬けを一つ頬張る。「まあ、端的に言うと、魔法を使いこなせてないのよ、魔法使いどもは」


「……魔法使いなのに?」

「魔法使いなのに、よ」まだ口の中に残っていたらしい南蛮漬けを、ビールで流し込む。

「えー、と。例えば」


 そう言って、傍らにあったリモコンを取り、ハチェットはリビングの隅に有るテレビの電源を点けた。そこに映ったのは、魔法を使ったスポーツの一つ、「マックス」だった。


 マジック・ボクシング、略してマックス。


 簡単に言えば魔法を使ったボクシングの様な物であり、体重ではなく魔力の総量で階級分けがされている。魔法を使って、四角いリング(ボクシングのモノの倍程度広い)の中で戦う。他にも細かなルールはあるが、ルールはそれくらい覚えておけば楽しく見れる。


 どうやら日本フェザー級のタイトルマッチが行われているらしく、二人の男がリング状で鎬を削っている。


 チャンピオンが、得意の拳を分身させて飛ばすという魔法——通称マシンガンジャブ——を放ち、挑戦者を圧倒していた。挑戦者は近寄れない。ガードしたまま、ロープに貼付けにされている。


「はい、問題」


 突然の言葉に、幸太郎は一瞬意味がわからないまま、ハチェットを見た。


「この状況。アンタならどうする?」

「どうする、って……」


 幸太郎は、再びテレビへ視線をやった。

 まだ貼付けにされたまま、ゴングが鳴った。ラウンドが終わり、解説者が「これはチャンピオンにかなり点が入ったんじゃないでしょうか」と誰にでもわかりそうな事を言う。


「俺なら、ガードを固めて距離を詰める。あのマシンガンジャブとかいう技は確かにすげーが、魔法の出来としてすごいだけで、威力はあまりない。足止めの技だ。多少無理にでも突っ込んで、近距離の殴り合いに持ち込む。あんなもんを必殺技にしてるってことは、近距離が苦手って事だろ」

「正解」


 ハチェットは幸太郎の頭を撫でる。


「うっぜえ!」


 その手を払いのける幸太郎。幼い頃から変わらないやりとりが楽しいのか、ハチェットは笑った。


「そういう事。魔法としてはすごい。けど、人を倒す技としては成熟してない。でも魔法使いだから、あの技に対して『これだけすごい魔法なんだから、すごい威力があるなじゃないか』と期待してしまう。だからあいつは攻められなかった。それが魔法使いの現状よ。自分たちは無敵だと思ってるし、ただの人間とは違うと考えてる。もっと言えば、魔法しか拠り所がないのよ」


 幸太郎は、先ほど倒した桜手を思い出していた。ただ得意魔法を破っただけで、戦意喪失した、彼の事を。


 幸太郎なら、戦った。

 得意な魔法が打ち破られただけなら、戦える。


 心が折れていないなら、戦える。


「魔法しか能の無い男なんて、かっこよくないわよ、幸太郎」


 そう言われて微笑まれると、幸太郎は黙るしかなかった。少しだけ納得している自分がイヤだった。

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