第1話『対魔法使い戦術』

 荒城幸太郎、一五歳。


 彼女がハチェット・カットナルと出会ったのは、八年前の事だった。


「魔法使いっていうのは、弱いわよ」


 幸太郎がまだ七歳だった時に遡る。


 彼の家の近所に、ハチェット・カットナルは住んでいた。


 悪魔という種族は、幸太郎の親がまだ影も形もなかった頃にこの世界へやってきて、『魔界は戦争で荒れ果てたから、こちらの世界に間借りさせてほしい』と言ってやって来た。


 その手土産にしたのが、『魔法』である。


 悪魔という、宗教的な観点で言えばわかりやすい悪者。それを名乗る彼らを受け入れるのを拒んでいた各国首脳陣は、その力を見せつけられると、ぜひ我が物にしたいと言い出し、悪魔達は比較的速やかに人間界へ受け入れられた。


「……なに言ってんだよ、ハチェット。魔法使いは強いだろーが。だって、魔法撃てるんだぜ!」


 少年時代の幸太郎は、近所にあるハチェットの家へ行き、縁側でおやつをごちそうになりながら、『どうしたら強い魔法使いになれるか』を訊くのが日課だった。


「それが子供らしー勘違いだけどね。いい、魔法使いなんて一発ぶん殴ればそれで黙らせる事ができるんだから、相手が魔法使う前に接近! そしてドカン!」


 まるでボクシングの様なファイティングポーズを構え、腰を前に入れて、右ストレートを突き出した。


 子供の目には打ち終わり程度しか見えず、大人の目から見てもおそらく同程度だろう。プロのボクサー顔負けの一撃。


「お前ホントに悪魔かぁ? それができたら苦労しねーんだって」

「可愛くないガキね。大人には敬語使いなさいって、習わなかったの?」


 最初に会った時、『悪魔に年齢なんて、あってないようなモノだから、タメ口でいいわよ』と言われたのをしっかり覚えていたし、今更敬語というのもかったるかったので、幸太郎は何も言わなかった。


「それより幸太郎。あんた、魔法使いになりたいの?」

「おう! だって、カッコいいじゃん!」

「……魔法使いなんてカッコよくないけどなぁ。それに、めちゃくちゃ勉強しなきゃいけないのよ?」


 ハチェットは、幸太郎に額に人差し指を当てた。


「あんた、学校の成績はあんまりよくないみたいだし」

「あっ! テメー心読んだな! ズリーぞ悪魔!」

「おほほほほほっ」


 わざとらしく笑い、幸太郎の非難を躱すハチェット。


「そういうのが出来る様になりてーんだよ、俺は! いや、かっこいい攻撃魔法とかもできるようになりたいけどさ」

「ふぅん。強くなりたいんだ」


 そこで、何か考え込むみたいにハチェットは顎を摩り、数秒黙った後、「よっし、わかった!」と手を合わせる。


「なにがわかったんだよ?」

「幸太郎、魔界都市ってわかる?」


 頷いた。

 そこは、悪魔が横浜港沖に作った巨大人工浮島。

 最初は悪魔しかいなかったが、しかし彼らから魔法を習いたいという人間がそこへ渡り、魔法学校を作った。つまり、人間と悪魔共存の象徴なのだ。


「あたしね、そこに仕事で誘われてんのよ」

「じゃ、こっからいなくなっちまうのか?」


 今度はハチェットが頷く。


「そうね。そこで学校の先生やれって言われてんのよ」

「……向いてなさそー」

「うっさい。——って、言いたいとこだけど、あたし自身そう思ってたんで、どうしよっかなーって迷ってたわけ。でもま、あんたが魔法使いになりたいっていうなら、あたしがそこで教えてあげる」

「マジで? なら、俺そこ行くよ!」幸太郎は即答した。目を輝かせて。

「おぉ。そっか」ハチェットは、幸太郎の頭を撫でた。

「うっぜ! 子供扱いすんなよ!」


 幸太郎はその手を払いのけると、威嚇する子犬みたいにハチェットを睨む。


「はいはい。んじゃ、魔法学校に来るまで、これやっときなさいね、っと!」


 どこからか魔法で取り出したのか、自分と幸太郎の前に、分厚い本を何冊も置いた。それを、丸くした目で見つめる幸太郎。


「な、何これ」

「あたしが作った、魔法用のテキスト。これ勉強しときなさい」

「こ、こんなに?」

「全部やっとけば、まあ魔法学校に受かるでしょ。ほら、帰った帰った! 引っ越しの準備あるんだから」


 幸太郎は、その出されたテキストを持たされ、家から追い出された。それっきり、彼はハチェットに会ってないない。

 それからずっと、彼はハチェットに渡されたテキストに則って、修行を始めた。一日も欠かしたことはない。彼女との約束、そして、己の夢の為。



  ■



「ありゃあどういう事だハチェット!!」


 入学式が行われた大講堂の裏。叫んだ幸太郎は、目の前で眠たそうにあくびをするハチェットを睨んでいた。


 周囲にはまだ、人目がある。人目がない所を選んだつもりだったが、先ほどあれだけの騒ぎを起こせば、ハチェットは元より幸太郎が注目されるのは当たり前だろう。


「どういう、って何が?」


 彼女は、八重歯を見せて笑う。その屈託の無い笑顔は、普通の人間なら魅了されただろうが、ある意味幼馴染と言える幸太郎は彼女がそんな可愛らしい一面を持ち合わせていない事を知っている。


「あのクッソ分厚いテキスト、魔法の基礎じゃねーのかよ! 俺、一日も欠かさず、アレの通りに訓練したんだぞ!?」

「へぇ」言いながら、楽しそうに幸太郎の二の腕を掴む。「うん、なるほど。確かにやってたみたいね」


「お、お前、それだけで済ます気か……。あの一言で、全員俺を餌かなにかみたいに見てただろうが!」

「あったり前じゃない。っていうか、途中で気付かなかったわけ? あれ、ほとんど魔法の使い方なんて書いてなかったでしょうが」


 言われてみれば、と幸太郎は思い返した。

 分厚いテキストを持って帰ってきて、そしてそれを自主的に勉強し出した息子を見て、両親が心の医者に連れて行こうとしたという悲しい思い出まで、ついでに思い出した。


 確かに、魔法の使い方は一切載っていなかった。こういう魔法には、こう対処しろ、という対処法ばかりが載っていた。


 それを幼い幸太郎は、『なるほど、まずは対処法を知って、ミスをしても大丈夫な様にするんだな』と好意的に解釈していたのだが、今となってはアホ丸出しである。


「あひゃはははは!!」まさに悪魔、というような笑い声を上げるハチェット。「あれ全部やったんなら、心配ないって。大体の魔法使いになら勝てるから」


 ホントかよ、と言いかけた所で、ハチェットが幸太郎の後ろを見ていたので、幸太郎は振り返った。


 そこには、男子生徒が何人か立っていた。


 リーダー格なのか、幸太郎の前に立った男子生徒が、いやらしい笑みを浮かべて、ハチェットに視線を向ける。


 その生徒は、黒髪をオールバックにしていた。後頭部で短くまとめられた、ピッグテールとでも言うような髪型。


「ハチェット先生、ほんとにこいつぶっ倒したら、契約してくれるんですよね?」

「ほんとよー。もし、倒せたら、だけどね」


 くすくすと楽しそうに笑うハチェット。

 男子生徒は、幸太郎の手元に視線をやると、「なんだお前。ハチェット先生と契約してないのか」とあざ笑うように言った。


 そして、自分の手の甲に彫り込まれた入れ墨を見せつける。

 悪魔と契約すれば、それに応じて腕に入れ墨に似た痣ができる。男子生徒のそれは、三人ほどと契約した証。


 一年生は、この時期だとまだ担当悪魔しか契約がない時期なので、どう足掻いても上級生には勝てない。だから、上級生が下級生に対し、強さを見せつける為の狩りとも言える行為がこの時期には流行り出すのだ。


「よし。じゃあ、来いよ一年。ぶっつぶしてやるから」


 舌打ちして、振り向き、ハチェットを睨む幸太郎。

 小さく舌を出すハチェットに腹を立て、仕方が無いので、その上級生へと着いて行った。


 魔法による模擬戦闘は、大体の場合は校庭の隅にある格技場で行われる。

 テニスコートほどの広さのステージがいくつも並んでいて、いつでも生徒は自らの魔法を試し撃ちするコトができるのだ。


 そこで、幸太郎と先輩は向かい合った。

 周囲には、ハチェットや先輩の友達以外にも、一生徒同士の模擬戦闘にしては集まりすぎだろうほどのギャラリーがいた。


 そのギャラリーを喜んでいるのか、先輩は、ニヤついたまま自分の胸に親指を突き立てる。


「おい、一年。自己紹介してやるぜ。俺は桜手一平さくらでいっぺい。三年だ」

「へぇー。そう」


 幸太郎は、興味無さげに地面を蹴っていた。どうやら、本当にテニスコートと似たような素材らしく、妙に弾力のある地面だった。


「興味ねえよ。いいから、とっととやろうぜ。早く帰りてーんだよ俺は。早く帰って宿題しなきゃだし」


 あくびを一つして、幸太郎はカンフー映画の主役みたいに、四つ指で「来い」と挑発をする。


 悪魔と契約もしておらず、魔法も使えない男にそうまでされて黙っていられる魔法使いはそういない。桜手は、手の平に魔力を集めた。


「後悔すんなよ一年——ッ!!」


 桜手の手に、半透明なダーツの矢が現れた。

 そして、投げる。


 魔法による加速が加わったそれは、矢というよりも弾丸。

 投げ終わって、肘が伸びた所までは見えたが、次の瞬間には幸太郎の肩に突き刺さっていた。


「い——っ!」


 悲鳴を上げそうになり、幸太郎は歯を食いしばった。

 まったく効いていない、と言う様にニヤリと笑った。


「この程度っすか。ダーツの矢を飛ばす程度の魔法が、魔法学校で最初に見る魔法って、なんか拍子抜けっすよ」


 まるで、先輩に失礼だから笑いを抑えようと気を使う後輩みたいに、喉の奥で笑う幸太郎。


 それを見て、あまりのわざとらしさに、桜手はどんどん怒りを募らせて行く。どう考えても、ここは幸太郎が許しを乞わなくてはいけない部分だし、そもそも彼は魔法を使えない。


 いくら『対魔法使い戦術の使い手』というふれこみだからと言っても、ここからどうにか出来るとは思えない。


 桜手はそう考えたが、しかしそれでも万が一がある。何せ、幸太郎を倒せば人生が変わる。そうなれば、気後れしない人間などいないだろう。

 魔法使いにとって、高位の悪魔と契約して高い魔力を得る事は、億万長者になる様な物。


 万全を期す必要がある。


 そう考えた桜手は、指を鳴らす。


 火炎魔法で、空中に火の玉を出し、それを掴んだ。するとそれは、見る見る内に大量の矢に変わる。炎の矢に、変わった。


 幸太郎も、さすがに驚いた。


 大量の炎の矢が空中に浮き、それを先ほどダーツを投げたみたいに手を振るう事で、幸太郎へと飛ばした。


「喰らえ一年ッ!!」


 ありったけの殺意を込めた矢が、幸太郎へ向かう。

 だが、何を思ったのか、幸太郎は急いで学ランを脱ぎ始めた。


 それを腕に巻くと、右腕が膨れ上がった様になり、それで顔と胸。おおよそ急所となる場所を隠し、桜手へと突っ込む。

 炎の矢の多くが、巻いた学ランへと刺さる。一応、数本が体の端に刺さったりかすったりしたが、まったくダメージにならない。


「んな、バカな——ッ!」


 桜手は、たったそれだけの事で自分の魔法が防がれた事実を目の当たりにし、驚いてしまった。


 燃える学ランを腕に巻いたまま、手が届く距離までやってきた幸太郎は、思い切りその腕で、桜手の顔面を殴った。


「っらぁ!!」


 かけ声と同時に、幸太郎の肩口から拳が飛んだ。それは、拳に纏わせるには重すぎる学ランを纏わせたまま放てる速度ではない。


 見る者に、膨大な時間の修練を想像させる拳。

 それが見事に、桜手の顔面を捕らえ、彼は地面に叩き付けられるみたいに倒れ、鼻血を流して気絶していた。


 そんな彼を見下ろし、幸太郎は桜手の取り巻きを見る。


「お前らはやんねーのか。仲間がやられてるんだから、助けに来るくらいはしてもいいぜ」


 また、人を小馬鹿にするような笑いを浮かべる。圧倒的上から目線。魔法が使えない男から、魔法使いへの挑発。


 先ほどの桜手みたいに、その挑発に乗るのが本来の魔法使いの姿。自分が圧倒的武器を持っているのに、丸腰の相手に怯む必要はない。


 だが、幸太郎は違った。


 何かを持っている。それを想像させる程度なら、さっきの戦いで充分。

 それでもプライドの高い一人が、「野郎ぉ!!」と格技場の入り口から入ってきて、幸太郎に魔法銃を構えた。


 黒光りするそれは、普通の弾丸を発射するオートマチック式にも見えるが、魔法の刻印が銃身に刻まれているので、しっかりとした魔法銃である。


 距離はおよそ一〇メートルほど。

 幸太郎は、ハチェットからもらったテキストの内容を思い出していた。


 それは魔法銃を相手にする際の戦い方。


 まずは、突っ込む。

 突然走り出した幸太郎に、相手は驚いた。


 魔法銃とはいえ、銃の形をした物を撃つのは、人間なら抵抗がある。その所為で、判断が一瞬送れるのだ。

 しかも、魔法銃を使う様な人間は、基本的に遠距離が苦手だと自己申告している様な物。


 もし得意なら、先ほどの桜手みたいに、魔法銃なんて補助器具なんて必要としない。

 幸太郎が飛び道具を持っていないと判断したから取り出したのだろうが、彼にとってそれはあまり関係ない。


 撃つと判断を決めたとしても、銃口が向いている先から出る様に、ギザギザに走る。この距離なら、二秒迷わせる事が出来ればそれで充分。


 まずは、銃を構えている手を脇に挟む。

 そこから、空いた両手で一秒足らず。銃を解体して見せた。


 すぐに体を離す幸太郎。

 男子生徒は、ばらり、と。手の中で崩れる拳銃を見て、掴んでいた希望が絶望に変わった様な顔をした。


「次は、もうちょい魔法が上手くなってから来いや!」


 涼しげな顔で、幸太郎はショートアッパーで男子生徒の顎を跳ね上げた。

 ノックアウトして倒れた二人を、興味無さげに見つめてから、周囲のギャラリーをニヤリと笑いながら睨みつける。


「次、誰か来ねえのかよ?」


 上級生がやられた事で、一年生や二年生は当然入って行かない。三年生も、幸太郎に対しての情報が足りないからか、入らない。


 魔法も使わず、魔法使い二人を倒した男。

 彼の噂は、瞬く間に森厳坂学院へ広まった。

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