+参日目-遊戯-

 猛禽は足りない駒を器用に咥えて、彼菜達の待つ部屋にやってきた。畳を傷つけながら少年の隣までよたよたと歩く。少年は彼女の方を向くこともなく片手で駒を手に取り、盤面へと配置した。

 同時に彼菜も起き上がり、少年と向かい合う。

「遅かったわね。何してたの」

 それなりに待たされた彼女は、待たせた張本人に尋ねる。

「準備だよ。ま、あと少しで終わるけどね」

 ふぅん、と軽く返事をしただけでそれ以上は尋ねようとしない彼女は、遊びを始めようと提案する。

「その前にさ、賭けをしないかい」

 いかにも楽しそうにしている猛禽の提案は、すぐに受け入れられる。少しだけ悩んだ末、二人は賭けるものを口にする。

「はは、いいねぇ、それ。手を抜くんじゃないよ」

 もちろん、と笑う彼菜が先攻をとり、駒を進める。後攻となった万芽は首をかしげると、少年が駒を一つ手に取り、進めた。

「そういえば、戦に出たことも、あったねぇ」

 駒がまた動いた。

「そうね。霊を送るのが仕事なのに、どうして駆り出されたんだか」

 距離が詰められた。

「あれねぇ、怪異の力に対抗する方法がないって考えられてただけみたいだよ。今更だけどね」

 ああなるほど、と万芽の駒が一つ奪われた。

「怪異を使って呪いの力で、得物の切れ味が増すっていうやつだもんね。実際強かったし」

 まったくだよ、と彼菜の駒を追いかけた。交互に駒は配置を変えていく。


---


 ある日、彼菜たちは父親の部屋に呼び出された。間昼間に、駄菓子屋を閉めるほどであった。彼女たちは母親の手伝いを中断して彼の部屋へとやってきた。

 失礼します、と声をふすまにかけると、はいれ、といつもの声が返ってくる。部屋に入ると、すぐさま座り、向かい合う。

 父親の隣には、見慣れない人物がいた。服装こそ彼女たちと同じようなものだが、顔は手入れが届いているのか、とても美しく見える男である。父親は彼女たちを簡単に紹介すると、真顔になる。

「彼菜、万芽様、耳に入れておきたい話がある」

 はい、とふたつの口から声が出る。一方は承知、もう一方は疑問形だった。男がきょとんとした目で部屋をさまよった。

「こちらの方の依頼で、どうにも戦をしかけられているらしい。その対抗手段として我らが召喚されたんだ」

 見知らぬ男は軽くうつむきながら、目尻を下げていた。はぁ、と彼菜が飲み込めないと言わんばかりの様子に対し、万芽は馬鹿かい、と一蹴する。

「そこの男が何だろうとねぇ、あたしたちを巻き込まないで欲しいよ。それに、戦ね、関係ないじゃないか」

 万芽が言いたいことを口にすると、男がまた目を見開く。彼は声の主である猛禽を認めて、跳ねた。うわぁ、と似合わぬ声を上げて、数歩ほど下がる。

 ほかの三人の視線が男に注がれることはなく、父親は答える。

「仕方ないだろう。お前たち、この家が何で成り立っているのか分かってて言っているのか」

 と、申しますと。彼菜が首をかしげる。はぁ、とあきれる父親の背後で、縮こまる男を万芽が無表情に見つめる。

「この家は駄菓子屋だけで立っているんじゃないんだぞ。正直言って、これは私の趣味だ。主な収入は、霊を送ること、怪異を払うことなんだ」

 へぇ、と万芽が興味深そうに答える。

「そんなもの、どっからもらえるってのさ。そいつらが金を持ってるなんて思えないんだけどね。少なくとも、あたしゃ知らない」

 男がまた後ずさる。万芽はそれを視界の端に認めるだけで、父親に詰め寄る。

「まあ、そうなるよな。言いにくいが、そういったものを管理というか、そんなことをしている人がいるんだよ。時間があるなら行ってみるといい」

 納得していない様子の万芽だったが、彼菜が答える。

「では、そちらの方にお会いしてから、もう一度お話しをお受けするか、決めてもよろしいでしょうか、父上」

 かまわないよ、と笑う父親は紙をよこしてきた。そこには地図が書かれている。受け取った彼女たちは部屋を出て、自室へと帰る。

 その途中、背後から情けない声が聞こえたが、二人は気にしなかった。

 彼女たちは部屋で中断していた遊戯を再開した。彼菜は駒を指で、万芽は嘴で指していた。やがて万芽が勝利を収めた。彼菜は負けちゃった、と口を尖らせながら立ち上がった。そして部屋中を歩き回りながら、装備を整えた。

 左手に万芽のための防具、右手に短い刃物、地図に、財布。最後に、丁字の形をした棒を手に取った。行くのかい、と尋ねられて肯定すると、万芽が棒の上に止まった。

「さて、どんなやつなんだろうね。霊なんてものを商売道具にしてるやつだから、ろくでもないやつだろうね」

 彼女は芥続きながらも、揺れる棒の上で均衡を保ちながら楽しそうにしている。彼菜は歩きだし、裏口から家を出る。その途中、使用人に出かけることを告げておく。

 地図と道を見比べながら、青々しい田んぼ道を歩いていく。雲もない晴天は空気を少々熱くする。

 ふと景色を見渡してみると、誰もいない。先ほどまで田んぼの手入れをしていた人々が、ぷつんといなくなっていた。だが田んぼは相変わらず続いている。手入れの時間から外れたのだろうか。

 やがて目的地の山へとたどり着き、山道を登っていく。足場が悪いからか、途中で万芽は飛んで行ってしまった。木々の向こう側に消えると、次に現れた時には大きな猛禽へと化けていた。歩く方が楽だね、とさえずると、そうでもないよ、と彼菜に返される。

道らしい道はあるものの、鬱蒼と茂る木々は手入れがされていないらしい。行く手を阻む枝も時々ある。

やがて社らしいものが見えてきて、地図に目を落とすと、目的地へとたどり着いたらしい。敷地へと足を踏み入れ、彼菜が息を吸い込んだ。

「誰かいないのかい。いないなら帰るよ」

 その前に万芽が彼女の後ろで叫んだ。無駄になった空気をゆっくりと吐き出して、棒の先で万芽を軽くはたく。猛禽は胸のあたりを打たれるが、別段気にする様子はなかった。

「あんたが遅かっただけだろ。文句言われる筋合いはないね」

 くく、と付け加えて、さっさと歩きなよ、と急かす。はいはい、と承知する彼菜は荒れ放題の庭を歩いていく。

 入口から中を覗き込んでみると、社も荒れ放題であった。いつ建てられたものかはわからないが、支柱が朽ちかけていたり、天井に穴が開いてたりと、誰がここに住むのだろうか。

「誰もいないよ、彼菜。返事はないし、気配もない。嘘ついたのかね、親父さん」

 社の中に足を踏み入れ、ギシギシと音を鳴らしながら歩いていく彼菜に背中に、入ろうとしない万芽が伝える。

 しばらくして探索を終えた彼菜が万芽のもとへと帰ってきた。肩をすくめて見せる彼女は棒を地面に突き立てて、社の端に座り込んだ。そして地図を改めて取り出し、じっと見つめる。

「道でも間違えてたかい。だとしたら滑稽だねぇ」

 猛禽がのしのしと近づき、地図を見ようと覗き込む。駄菓子屋からの道のりをたどりながら、記憶をたどる彼菜は、時折首をかしげたものの、

「合ってるはずなんだけど」

 と強気に呟いた。そのようだねぇ、と万芽も同意する。

「少しここにいようかい。もしかしたら、誰かくるかもしれないしね」

 万芽の提案を彼菜が受け入れると、二人は向かいあったまま時間を過ごしていく。やがて陽が傾く。

 闇が迫りくる頃、帰ろうか、と彼菜が立ち上がる。いいのかい、と万芽が縮めていた首を伸ばす。

「こんな山奥で、また迷子になったらどうするのよ。いやよ、私は」

 へぇ、と万芽。

「そんときはあたしが化け物守ってやろうじゃないか。あるいは、羽の下で休ませてあげるよ」

 片翼をわずかに広げて見せる彼女に、彼菜は棒を地面から引き抜きながらいやよ、と拒否する。

「もう子供じゃないんだから、万芽」

 またもや笑う万芽。

「はは。あたしらからすれば、あんたなんてまだまだ子供であることに変わりないさ。かわいいかわいい、お子様だよ、あんたは」

 やめてよ、と彼菜が棒を振りかぶり、猛禽の背中めがけて振り下ろす。それでも彼女は笑う。

 ようやく万芽が立ち上がり、社を後にしようとしたその時だった。こんにちは、と二人の背後にかかる声が、社の中から聞こえたのだ。

 首だけを動かして、二人は同時に振り返る。そこには誰もいなかったはずだが、人間らしいものがそこにはいた。

 彼菜と同年代らしい女性である。にこにこと笑っているように見え、ぼんやりと、先ほどまで彼菜の座っていた場所に立っている。

「あなたたちは、彼菜さんと、万芽さん、でよろしいですか」

 目が細いらしく、笑顔はそこからはがれない。白い服一枚の女性は二人の名を確認した。二人は肯定すると、父親から聞いていた、と嬉しそうに両手を合わせた。

「ここまで来られるの、大変ではありませんでしたか。お越しくださいましてありがとうございます。わたくし、比子(ヒコ)と申します」

 彼菜は突然現れた比子にかける言葉もなく、じっと見つめ、一方で万芽は比子に向きなおり、口を開く。

「比子、ね。霊体が何の用だい。まさかあんたが霊を買ってるんじゃないだろうね」

 ええ、と驚く比子。

「違いますよ。わたくし、すでに死んでるんですけど、生きてる別の比子と取引しているんですよ。まさしく、霊を送ることで」

 はぁ、と納得していないらしい万芽。

「生物が死ぬと、魂は消えてあの世で裁かれる。でも、消えない魂は霊となる。それを送っていただいてるんですよ。その報酬として、生きている比子にお金を工面してもらうっていうふうに」

 ふぅん、と興味がなさそうである。

「こちらが、送られてきた霊、送った人間を確認して、報酬をお願いする。要はそういうことです。万芽さん」

 ああそうかい、と猛禽が踵を返す。

「ほら、行くよ、彼菜。後で説明してあげるから。暗くなる前に帰るんだろ」

 でも、と口を開こうとする彼菜だったが、その大きな翼に背中を押されて、よろめきながら歩きだした。その後ろで比子は、にっこりと笑ってひらひらと手を振り見送っていた。

 暗闇の山道を歩いて、二人はどうにか下山した。時折足を取られることもあったが、田んぼに挟まれた、明かりもない道を進み始める。

 万芽が化けて、小さくなった。彼菜の握る棒ではなく、左腕にとまらせるように強制する。はいはい、と指示に従った彼菜は、相棒に比子のことを尋ねる。

「結局、どういうことなのよ。霊を送って、どうやってお金がくるわけ」

 飲み込めてないらしく、軽く唇を尖らせる彼菜は、足元の道をたどる。ため息をついて、万芽は右翼でぽす、と後頭部をたたいてやる。

「あれで理解くらいしなよ。えっとね、ともかく、比子ってやつが二人いるんだよ。霊と、たぶん、人間のね」

 そこ、と彼菜に足を踏み外さぬように指摘する。

「で、霊が成仏したのを確認したら、人間の比子に伝えられて、金が工面されるってことだろ。こんなこと説明させないでよ、彼菜。情けないねぇ」

 ごめんね、と笑う彼菜たちは、やがて駄菓子屋にたどり着くことができた。既に家族全員は寝入っていたようなので、二人は物音を立てぬよう部屋へと戻り、寝間着に着替え、眠りについた。

 翌朝、起床した二人はすぐさま父親のもとへ向かった。朝食を取る時間よりもずっと早く起きている父親は、表に立っていることが多い。

 朝日を浴びながら、彼は体を動かしていた。手を組んで天を仰いだり、全身を後ろに曲げたりと。

 裏口から表に出て、彼菜が声をかけた。父親は柔軟を続けながら、どうだった、と尋ねた。数秒の沈黙の後、瞳を揺らしながら娘は答える。

「一家の一員として、お引き受けします。しかし、私は」

 万芽は彼女の持つ棒の上で、自身の首のあたりをかりかりとひっかき、まぶしい陽に目を向ける。

「ああ、安心してくれ。戦に出る、とはいっても、後方支援だ」

 手足をぶらぶらとさせながら、娘の声を遮る。しかし彼女は、瞳を揺らし続けた。

「何をするのか、というとな、利用されている異形を霊と同じように送るだけだ。いつものように、やればいい」

 父親が振り返って、娘を撫でた。心配するな、と一声かけると、駄菓子屋を通って、奥へと消える。取り残された彼菜は、ほぅと息をつき、胸をなでおろす。

 しかし万芽は髪をぐいぐいと引っ張った。軽くうつむく娘が痛い痛い、と棒に立つ彼女を見つめた。

「戦に出るのはいいけどさぁ、死ぬんじゃないよ、彼菜」

 非常に不快らしい万芽。

「どこにいようが、戦は戦さ。矢が飛んでくることだって、あるかもしれないんだからねぇ」

 彼菜が歩きながら、わかってる、と呟く。駄菓子屋を通り、朝食をとるための部屋に向かうと、すでに夫婦が準備を終えて座っていた。静かな食卓が始まり、またいつもの日常が始まり、やがて終わってしまう。


 数日後、彼菜は縁側でくつろいでいた。戦の準備に呼び出されることは数回あったが、彼女が中心となって行うことは特になかった。

 万芽も彼女の隣でつっぷして寝ており、さながら人間のようでもある。時折彼菜が首のあたりをくすぐってやると、鳥扱いするんじゃないよ、とかみつこうとした。

 そんな昼間の頃である。父親が現れた。それは彼菜の部屋のふすまを開けたわけではなく、申し訳程度の裏庭へと表から歩いてきたのだ。彼一人ではない。

 父親の隣には獣がいた。そこらにいる野良犬などではなく、そんなものよりもずっと大きい、背が高い方であるはずの父親の、腰ほどの高さはある。油断すれば喉笛どころか、頭部を丸ごと持って行ってしまいそうな犬である。

 その犬はおとなしかった。父親が彼菜の前まで連れてきて、様子を見ておいてくれ、と言う。どのように反応すべきか考えているうちに、父親は履物をその場に残して屋内へと戻ってしまった。

 彼菜と万芽は犬とにらみ合った。視線の鋭い白い犬は、ただ大きい。歯並びもよくわかりそうなほどに大きい。やがて、彼菜はどうしよう、と万芽に助けを求めた。

「知らないよ。あたしゃ犬でもなけりゃ鳥でもない。襲われないように警戒でもしてるんだね」

 くく、とお決まりの笑いを浮かべる万芽はむくりと立ち上がり、部屋の中へと戻っていく。残された彼菜は、お座りもしない犬に、座るようにすすめてみた。

「おれに何をさせる気だ。人間」

 誰のものでもない、男性のものらしい声が彼菜の耳に届いた。うん、と首をかしげる彼女は、あなた、と犬に尋ねる。

「ああ、おれだが。やっぱ、人間ってのは鈍い」

 あきれているのが声からにじみ出る。ごめんなさい、と彼菜は謝り、あたりを見渡す犬に尋ねた。

「あなたはなんでここに。戦に参加するの」

 ああ、と犬が答える。

「そうなんだ。危険を承知で」

 当たり前だ、と犬。ふーん、と彼菜が頬杖をついて彼を眺めるも犬らしい、ということしか把握できずにいた。

 やがて父親がまた現れ、犬を連れて行った。彼菜は再びくつろぎながら、時間が過ぎるのをただ待つしかなかった。


 十数日も経過して、彼菜を含めた人々は戦場へと駆り出された。不安の色の見える彼女に、安心しろ、と兄が背中を軽く叩いて声をかけてくれる。ここは安全だから、と姉がにこにこと笑いながら少し前に出た。末子は気遣いに感謝しながら、後方支援に努めようと気を引き締める。

 彼菜が前方の兵たちを見渡す。その中には先日見た犬もまぎれこんでいる。彼らは号令と共に前方へと走り出した。

「いつだって人間ってのは、争いをやめないもんさ。不憫なやつらだよ」

 初めて聞く怒声に驚きを隠せない彼菜は、頭の横にいる万芽の呆れ声に目を丸くする。猛禽は彼菜の持つ棒にとまり、人々の争いを傍観している。

「そうだねぇ、誰も得しないんだよ、これは。するとしたら、権力者さ。武士とかの士族だけさ。こんなものに首つっこんで死ぬなんて馬鹿なやつらさ」

 はは、と笑って見せる万芽の目は笑わない。時折身震いするだけである。ふぅん、とも答えない彼菜は時折ぶるりと震えた。

 無理すんじゃないよ、と相棒が言えば、それを耳にしていた兄妹が近づいて、背中をたたく。しかし大丈夫、と彼女は背筋を伸ばす。

 そして彼女たちは武器から解放されていく怪異や霊を送り始める。増える犠牲者の弔いも含めて、後方の仕事をつづけた。

 やがて彼菜たちの陣営が勝利を収めた。何を理由にそれが決まるのかは幼い彼女にはわからなかったが、喜ぶ家族に笑顔を手向けた。

 その後、久しぶりに兄妹と食事を共にし、また別れた。駄菓子屋に取り残された彼菜は二人を見送った。

「彼菜、お疲れさま」

 兄も姉も見えなくなるまで手を振っていると、父親が背後に立っていた。万芽のいない彼菜はまるで無防備である。

 ほら、と父親から手渡される小遣いを、彼菜は神妙な面持ちで受け取る。


---


 昔話を続けていた万芽の目が軽く見開かれた。おや、といぶかしむ彼女の目の前には、敗北の未来が見える盤面がある。逃げることは可能ではあるが、万芽と少年の持つ手駒もいかんせん少なく、負けちまったね、と数秒後には降伏する。

 にっと笑った彼菜は残念でした、と追い打ちをかけてから遊戯をしまおうとする。少年の顔が万芽の胸の内を示すように、眉尻が落ちる。

「じゃあ、彼菜、あたしの時間を自由に使うといいさ。何が望みだい。帰りたい、だけはなしだよ」

 分かってるって、と彼菜はおもちゃを部屋の隅に寄せた。それから相棒と向かい合い、じっと視線を合わせる。一息おいてから、にこりと笑う小娘は愛らしい。

「父上や兄上たちの様子を見せてよ。もう何日経ってるか分からないけど、さ」

 お安い御用だよ、と猛禽の視線が彼菜を射貫く。少年がお面をつけたまま立ち上がり、部屋から出ていく。

 すると変化が起こる。一瞬で部屋の輪郭がぐにゃりと歪み、そこにずっとあったかのように闇が現れる。発光でもしているように、相変わらず二人の存在は明確だ。

「まずは誰を見るんだい。あんたの家に、とりあえず行くかい」

 そうしよう、と彼菜が笑う。ほら、と万芽が彼菜との間に景色を映し出した。何もなかったそこに映し出されるのは、駄菓子屋の表玄関の景色を切り取ったものである。

 来客中らしく、何人かの子供がお菓子を選んでいる。その奥で、父親がぼんやりと中空を見つめながら座っていた。彼菜の記憶の姿よりも少々だらしなく、生気がないように見えた。子供たちが小遣いを持って会計しに来ても、ありがとう、またな、といった言葉しか言わずに、客がいなくなればはぁ、と息をついていた。

 心配性なんだから、と彼菜が呟く。次行くよ、と万芽が景色を切り替えた。景色が一瞬暗転して、次は屋内が映し出された。母親の部屋である。

 彼女は部屋の真ん中でうつむいていた。握りしめている手も力なく、何かに耐えている様子である。廊下から使用人が現れて軽食をおいていく。だがそれに見向きもしない。

 音は出ないの、と彼菜が万芽に尋ねるも、無理だね、と一蹴する。

 また景色が暗転する。次に映し出したのは山の中にいる兄と姉の姿であった。彼らは道なき道を進みながら、何かを叫んでいる。彼菜よりも体格のいい二人は、顔色も変えずに登り続ける。

 やがて二人は何かに気づいたかのように走り始めた。駆け寄った先には二人の見知った顔がそこにあった。唖然とした表情で、そこにいる彼菜を見下ろしていた。兄がはっとしてかがみ、彼菜をゆさぶったものの、木の根元に倒れている彼菜は目を覚まさないでいた。

 起きている彼菜は万芽に言う。

「心配性なんだから。そんなに気にしなくても、帰るのに」

 そうだね、とわずかな間をおいて万芽が肯定した。続けて、もういいか、と尋ねる。だが答えを聞く前に万芽は空間を切り取っていたそれを闇に溶かした。まさしくそのとき、彼菜はありがとう、と答えた。

 それから少しして、闇の中に現れた歪みが部屋へと戻った。そこにはおもちゃもちゃんと残っている。どうやってるの、と座ったままの彼菜。適当さ、と立ち上がる万芽。

「じゃあ、ご飯作ってくるよ、彼菜。また遊ぼうね」

 律儀にふすまを通り、廊下に消える猛禽を見送る小娘は、残された模倣の部屋で薄ら涙を浮かべていた。

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