今はごはんフレンズ
私は自分の部屋に入るなり、電気という電気を片っ端から付けた。
部屋の電気はもちろん、机のスタンドもベッドサイドの小さなかさのついた電気まで、とにかく付けてまわった。
部屋全体が光りに満たされ、私はそこで初めて息をついた。
大きく息を吸ってから、ゆっくり吐き出す。
それが合図になったように、瞳に涙がうっすらと溜まりはじめた。コンタクトのせいでドライアイになった目がどんどん潤っていく。
声を出さずに泣く方法は、物心がついたと同時にマスターしていた。
なにもこんなこと初めてじゃないじゃないか、と思ってみる。
けれど、今日の彼の言葉はあまりにもきつすぎた。お別れならお別れでもっと、マシなというよりはまともなことを言って欲しかった。
「悪い、いきなりだけど別れよう俺たち。理由? んー敢えてあげるなら、亜里砂の束縛。俺ってさ、自由人じゃん。大空にはばたいちゃうようなペンギンっていうか。とにかく束縛されるのすっごい嫌いなんだよね。それなのに亜里砂、せめて二週間に一回はメールしてとかさ、たまには一緒に遊びに行こうよとか、はっきり言って……サルがレジ打ちするよりあり得ないこと言ってくるんだもん。うん、結構邪魔だったよ、亜里砂のこと」
よくもそうぬけぬけと言えたものだと思う。
最初の頃は、亜里砂がいなかったらきっと俺どこかから本当に飛び立って死んじゃってたかもしれない、なんて言っていたくせに。
私はタンスから大きなタオルを取り出して、涙でぐしゃぐしゃになってきた顔を思いっきり拭った。ついでに机の上からティッシュを持ってきて鼻をかみ、ゴミ箱めがけて投げたが、どうやら今の私はゴミ箱にすら拒絶されているらしい。
きっとこれは母親の遺伝に違いない。
夢ばかりを追いかけているようなろくでもない男と付き合っては別れ、別れてはいつの間にか新しい馬鹿男を連れてくる、あの母親に似てしまったのだろう。
ああ、こんなことならお父さんについていくんだった。
お父さんはきっと今頃、私が見たこともないような暖かくて素敵な家庭で、奥さんが作った手料理を食べながら、三歳になったばかりの子どもの世話をしていることだろう。
いくら彼氏に振られようと、お母さんは学校を休ませてはくれなかった。
高校を卒業するまでは、私にそれに抵抗する術はない。養われの身は、私の場合非常にやりにくい。親の庇護というよりは、親の縄張りから出してもらえない仔ライオンといったところだ。
「どーせまた、私はひとりぼっちだとか考えてたんだろ?」
通学路をのそのそ歩いていた私は、後頭部にいきなり攻撃を受けた。
「痛いなー、もう。これ以上馬鹿になったらどうしてくれるのよ」
「大丈夫、それ以上は馬鹿にならん。なったら……」
そう言って真剣に考え込むアホな良司を置いて、私はさっきとはうって変わった速度で歩き出す。
「いきなりペース上げるなよ。こっちはわざわざ朝練さぼって、亜里砂を迎えに行こうとしてやったのに」
「ただ寝坊しただけでしょ」
「いいじゃん、いいじゃん。そんなのどうだって。それより、今日どうよ?」
良司はご飯をかき込む動作をしてみせた。
幼なじみのような気軽さで話しかけてくる良司は別に幼なじみでもないし、家が近いわけでもない。
こんなふうに話すようになったのは、高校一年のときに同じクラスになり、電話連絡網が私の次だという、なんとも単純なきっかけからだった。
そしてなんの因果か、母親を小さいときに亡くした良司は、男と遊びに行って母親がほとんどいない私の家に、ときどき夕食を食べにくるようになったのだ。
「頼むよぉ。俺、最近まともなもの食ってないんだ。カップ麺とマクドナルドで食いつないでる可哀想な生活なんだぜ。なっ、このとおーり!」
両手を合わせて拝んでいる良司に、露骨にため息をついてから私は仕方なく頷いた。
別に良司の食生活に同情したわけではない。今日は私も一人で夕食を食べたくなかっただけだ。
夕食の約束をこぎつけると、良司は心底嬉しそうに笑って、前を歩いていた友達の方に行ってしまった。
その次の瞬間には、もう夕食のメニューを考えている自分に気づき、私は思わず一人で苦笑しそうになった。慌てて、近くを歩いていた友達に駆け寄り話しかけた。
友達と話しているときだけは、私も普通の高校生で居られるのだ。
学校の帰りにスーパーに寄って食材を買い揃えた私は、家に着くなりさっそく準備に取りかかった。
良司は運動部に所属していることもあって、食べる量がはんぱじゃない。前にちょっとがんばってお洒落な料理に挑戦したら、思ったより量が少なくなってしまい、良司から全然足りないとのクレームが入ったのだ。
それ以来私は良司との夕食のときは、質より量を重視することにしたのだ。
今日のメニューは、普段肉食の良司の健康に気を遣って、魚料理にした。魚料理はボリュームをつけるのが大変だが、そのへんは品数でカバーするとしよう。
全く、これでは私が良司のお母さん代わりではないか。
良司が来るのは、部活が終わって一旦家に帰ってシャワーを浴びてから来るはずだから、七時くらいになるだろう。
私は時計と睨めっこしながらフライパンに油を引いた。
「あー、腹減った! お、いい匂い」
良司は家に入るなり台所に直進して、つまみ食いにかかった。私は慌てて止めに入る。まるで空腹の猛獣を相手にしているようだ。こっちが噛みつかれてしまう。
「まだダメ。それよりお金」
「はいはい、わかってますよ。今日は何円?」
「割り勘だから、六百五十円。税は抜いといてあげたわよ」
気が利くーとか言いながら、良司は財布から六百五十円ぴったり取り出した。
こうやって何回良司と二人で向き合って夕食を食べただろう。
一人で食べるものほど孤独を痛感することはないかもしれない。きっと私も良司もそれがわかりすぎるくらいわかってしまっているのだ。
だからこうして私が、ひとりぼっちという冷たい海の底に居るような気分のときには、押しかけてきてくれるのだ。
まあ良司の場合は、ただご飯が目当てなだけかもしれないが。
男運がどんなに悪くても母親業に向いていない母親でも、仕方ないかと思えるのは、認めたくはないが良司のおかげだと思う。
そのことに気が付いたのは、ごく最近のことだ。それまでは、自分はサメだと思っていた。
暗くて鬱蒼としている海の底で、ぽつんと一人でいるサメ。
まさか、そんな海の底にも他の生物がいるとは思わなかったのだ。気づかないだけで、探せば周りにはちゃんと自分以外の生物が、こちらを見ていてくれた。
ちょうど目の前を提灯アンコウが通り過ぎていったような感じだ。
「これ、すげぇうまい! 前に作ったのは失敗だったけど、今回はうまいよ」
「それはどうも」
本当においしそうに次々とお皿を片づけていく良司を見ていると、苦労して作ったこともなんだか忘れてしまいそうになる。
私は少し迷ってから、わざとぶっきらぼうに言った。
「明日のリクエスト、なにかある?」
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