第3話

   第三話 『彼女』の戦い


「ああ? なんだこりゃあ? マニキュアにローションにアイシャドー? こんなもん、何の役に立つってんだ。ボツだボツ!」

「あああああ、あたしのお化粧三点セットがああぁぁ」

「食いもんも入れすぎだ。長旅に出るわけじゃないんだから、携帯食二回分で十分。ただし水は多めにな。ええい、救急セットはどこだ。こっちの方が肝心だぞ!」

 夜も更け始めた頃。アデナウア家の応接間では、ジオークがリュックサックの中身をチェックしながら親子をどやしつけていた。まったく、スナック菓子まで入ってた日には遠足気分と言われても仕方ないだろう。バナナはおやつに入りますか?とか嫌みのひとつも言いたくなる。先文明の頃と違って、今や種なしバナナは貴重品だが。

 セフィールはリュックをぽふぽふはたき、物足りなそうにぼやいた。

「なんだかすかすかになっちゃったわ」

「当たり前だ」

「それじゃあ旅って感じがしないじゃないの」

「だから旅じゃねえっての! これから敵陣へ乗り込みに行くんだぞ、俺たちは!」

 もしも足下にちゃぶ台があれば、きっとひっくり返していたに違いない。この女は、状況というものがわかっているのだろうか?

「それと武器だ。俺もあんたをどこまで守ってやれるかわからないからな。いざというときは、自分の身は自分で守ってもらう」

「うん、わかってるわ」

「で、獲物は?」

 セフィールは腰に差してあった警棒を引き抜き、続いて左手中指にはめてある指輪をはずす。

 警棒は、木製ではない。プラスチックかセラミックか、素材からして先文明の技術が感じられる。端の面は少しへこんでいて、ここから光の剣身が吹き出す構造らしい。

 指輪の方は──至って普通の指輪のようだった。よく見ると、名前らしき文字が彫られている。これは──

「……スピカ?」

「も、もういいでしょう? 返してよ」

 焦ったように、セフィールは取り返そうと手を伸ばしてくる。その手を軽くかわし、

「いや、こいつが動作するところを見てみたい。どうやるんだ?」

「それはセフィール専用に調整してあります。他の者には、たぶん使えません」

 答えたのはハガーだった。

「一時期のビームサーベルは燃料や電池を使って発動してましたが、それは使用者の生命いのちの波動に同調して発動する仕組みになっています」

「……って、生命いのちの波動がなんだって?」

(魔導書『ソウルウエイバー』に出てくる単語よ、確か。生命いのちの波動ってのは、魔力とほぼ同義語みたいだよ)

「なるほど」

 妹の説明に納得するジオークだが、端からは一人で質問して一人で納得してしまったように見えたかもしれない。説明のタイミングを逃したハガーが口を開けたまま黙ってしまっている。

「ああ、シンシアがちょっと説明してくれたんだ。つまり、セフィールの魔力を利用しているから彼女以外には使えないって事だ」

「え、ええまあ、そういうことです」

 セフィールは魔法を使えないが、魔力という物は、大小差はあれ誰にでも存在する。ちょっと便利なマジックアイテムといえるかもしれない。

「ちょっと貸してくれるか?」

 もう一度、セフィールからビームサーベルを借りる。右手で柄を握り、左手で彼女と握手をする。

「え、なに?」

 魔法とは、万物に存在する波長に自らの波長を同調させる技術である。同調させることにより、対象物を自分の一部と化す。そのことをつぶやくように説明しながら、ジオークはセフィールの魔力を探ってみる。

 セフィールは縄跳びをしている。そこへジオークがタイミング良く入り、縄の片端を受け取る。そして二人で一緒に縄を飛ぶ。

 魔力の同調とは、イメージ的にはこんなやり方だ。

(聞こえるか?)

「え、なに!?」

 心からの呼びかけに、セフィールは驚いて左右を見渡す。ジオークは苦笑い気味に説明した。

「一種の以心伝心テレパシーだよ。今、俺はあんたの魔力と同調している。だから心の会話が出来るんだ。……そうだ、シンシア」

(なに?)

「セフィール、今の聞こえたか? 頭の中でなにか喋ってみな」

(え、えーと、シンシア、聞こえる?)

(うん、聞こえるよ。あはは、なんか変な感じだね)

「うわうわ、本当にジオークの中にはシンシアがいるのね。あ、逆だったっけ?」

 目を丸くして、セフィールが感心している。三人の会話から取り残されたハガーは、なにがなんだかよくわからないといった風ではあるが。

「で、セフィールの魔力になってるということは、だ」

 ぶ…ん、と右手に握った警棒から青白い光が吹き出した。

 なるほど、こんな感じか。と、ジオークは独白した。完全に彼女に合わせきれていないのか少々頼りない感じの光だが、ジオークにもビームサーベルを発動させることが出来た。確認はしたので、セフィールへ投げ返す。

「さすが……ソウルウエイバーですな」

 うなるようにハガーは言う。ソウルウエイバーという単語も先文明の魔導書に出てくる単語で、広義の魔法使いを意味している。

「そうだ、爺さん。スピーカーってやつはあるか? 出来れば携帯できるような小さいのが良いんだが」

 屋敷の主人は使用人を呼びだし、要求通りの物を持ってこさせた。手のひらに乗るくらいの四角いスピーカーをテーブルの上に置く。魔法の構成を練り、呪文にして吐き出す。つぶやくような声、右手はテーブルの上を踊らせる。指先に淡い光がともり、空間に光の糸を紡ぎだす。

「即興だが……陰の声ミステリー・ボイス

手をスピーカーの上へ置き、魔法を発動させる。光の糸は刺繍のように幾何学的な紋様を描き、スピーカーに溶け込んでいった。

「よし。シンシア、喋ってみな」

 兄がなにをやっていたのか、シンシアもだいたい理解していた。ちょっと緊張しながら、言葉を紡ぐ。

「私はシンシア=イクティノスです、ってわっ、本当にそこから私の声が出てる!」

「そういう魔法を使ったんだから当たり前だ。まあ、スピーカーなんていう特殊なアイテムがなければ出来ないことは確かだけどな」

「へ~、へ~、でもこれなら制御を切り替えたり代弁してもらったりしなくても済むね。けどお兄ちゃんも即興で魔法が組めるんだ」

「あのな。お前ほどじゃなくても、このくらい出来なきゃ闘者にはなれんだろうが」

 魔法を使うには、自分や他の者(物)の波長を感じ取るという、一種の超感覚が必要だ。逆に言えば、この感覚さえつかめれば、呪文の丸暗記でも魔法は使える。だが、即興で魔法を組み立てるとなると、魔法の仕組みをしっかりと理解していなければならない。これは闘者にとっては基本的なことだ。

「さて、と。出掛ける前に、いくつか聞きたいことがあるんだが」

 じろりと、ジオークはハガーへ視線を投げかける。老体とはいえかなりガタイの良いハガーがひるむほどの鋭い視線で、この質問には黙秘やごまかしは許さないという意志が窺える。

「奴ら──黒の一族ダーク・ブラッドは、セフィールを生命の融合ソウル・フュージョンに使うと言っていたな?」

生命の融合ソウル・フュージョン……端的に言えば、精神移植です」

 苦々しく、魔学者の男は説明した。

 人間の精神を、別の人間へ移植する。異なる肉体と精神を融合するから、生命の融合ソウル・フュージョンだという。これが可能なら理論上、不老不死を得ることになる。──もちろん、提供者ドナーがいればの話だが。

「理由はわかりませんが、彼らはセフィールが移植に一番適していると判断したらしいです」

 じっと見つめるジオークへ、ハガーは淡々と説明をしている。しかしジオークは、彼のわずかな表情のかげりを見抜いていた。──理由はわからない──これは嘘だな、と。

 しかし、味方であるはずのジオークに隠すのはなぜだろう? 二人のそぶりからしてなにか企んでいるようには見えないし、罠というはずはないのだが……なにかジオークに言えない事情でもあるのだろうか?

二重生命所持者デュアル・ソウルってのはなんだろうね?)

 胸中のシンシアと同様、ジオークも疑問に思っていたことだが、ハガーがこれに答えられるかは微妙だ。名前からしてジオーク&シンシアのような境遇の者のことをいうのだろうが、自分たち以外にもそういった者がいるということなのだろうか? しかしこれについて知るのはハガーではなく黒の一族ダーク・ブラッドだろう。

 ──けど念のため聞いておこうか──そう口を開きかけたとき──

「はーっはっはっは! 乙女の危機に現れる! 少女の悲鳴が我を呼ぶ!」

「な、なんだ!?」

 屋敷の外から突如と響く声に、親子は仰天して外へ出る。新手の敵かと思って確認に向かったのだろうが、ジオークはそうするまでもなく、苦々しく額を叩いてうめいた。どのみち外へは出なければならないので、重い足を引きずりながら親子に続く。

 銀の砂粒をちりばめたような美しい星空に、ほんの一部だけ星の見えないところがある。夜空にとけ込むように、人型の影を形作っていた。屋敷の三角屋根のてっぺんに立ったその人物は、風もないのにマントをたなびかせていた。

「魔導師協会にサミーあり! 待たせたねハニー! 僕が来たからにはもう安心だ!」

 なにが安心なんだなにが。ジオークは口内で皮肉をたれる。広い庭なので、あの位置からはジオークなのかシンシアなのかは判断できないらしい。ジオークは、妹の声色で両手を広げて仰いでみせた。

「待ってたわサミー! シンシアを助けて!」

「おおハニー! 今行くよ!」

 黒い影は屋根を蹴り、彼女に向かって飛び降りてきた。近づいてくるにつれ、シルエットに色が付き、サミュエルであることが証明される。脳味噌常春男も彼女に抱きつく直前に、野性の紅顔をどう猛な笑みにゆがめた赤い瞳に気づいたらしく、端正な顔を引きつらせた。

「ばーかーめー! 風の圧力波ウィンド・プレッシャー!」

「のひょあああぁぁぁ!?」

 飛び降りてきたときの放物線をなぞりながら、サミュエルは屋根の上まで吹き飛ばされ、屋敷の向こう側へ転がり落ちていった。

(お、お兄ちゃん。あれはちょっとひどいんじゃあ……)

「なあに、サミュエルだからオッケーだ」

(……そだね)

 妙に納得してしまうあたり、シンシアも彼のことはあまり快く思っていないらしい。今の人物が何者だったのかを知らないセフィールは、目を点にしてジオークの背中をつついて聞いた。

「あ、あの……今の、誰……?」

「気にするな。すべては終わったことだ」

「終わらせるなあああぁぁぁ!」

 ゴキブリ並の復活速度で、サミュエルはジオークの元へダッシュで戻ってきた。しゅたたたっ、ききいっ、という効果音が、彼のアホさ加減を示している。

「お前というやつわあああっ!」

 こぶしをぷるぷる振り上げて、怒りゲージマックスなサミュエルだが、今のジオークに手を挙げることが出来ないことは承知済みである。

 内股で腰を退き、顔を守るように両手を眼前へ、ジオークは女の子然とおびえてみせる。

「ぶ、ぶつの? シンシアをぶつの!?」

「くっ……くくう、その身体がシンシアでなければ大塔裂壊弾タワー・マッシャーをぶち込んでやるのに!」

 赤い瞳を憎々しげににらみ、サミュエルは心底口惜くやしがる。

 実はこの男、性格がスカタンなところを除けば、魔法の腕前はそこそこあったりする。大塔裂壊弾タワー・マッシャーは彼の最強攻撃魔法で──若干名前負けはしているが──シンシアの天使の息吹エンジェル・ブレスに匹敵する威力がある。

 しかしそんな考えは微塵も表情には出さず、

「わっはっは。俺が本来の身体だったとしても、お前ごときにやられるもんかい。──それよりも何の用だ?」

 ジオークの質問に、サミュエルはフッと髪を掻いた。格好付けているつもりのようだが、こいつの中身を知るものとしては、蹴りの二・三発をたたき込みたくなる仕草だ。

「実はシンシアに──」

「──会いたくて、なんて言ったら波紋衝の刑な」

 半眼で言葉を続けるジオークに、空気よりも軽そうな男は二の句が継げなくなった。

「なんだか変わった人ね」

 至極まっとうな意見をセフィールが漏らすが、心外とばかりに彼女の手を握ってきた。指相撲よろしく手をにぎにぎしている。

「おもしろい方、と言ってくださいよマドモアゼル」

 周囲の電灯を光源に白い歯を光らせ、サミュエルはナンパを始めた。ジオークはなんとなくおもしろくない心持ちで、サミュエルへ三白眼を向けてぼそりと言った。

「お前……美人なら誰でも良いんだろ?」

「なにを言うんだジオーク! 当然じゃないか! 男をなんだと思ってるんだ!」

(……そういうもんなの、お兄ちゃん?)

(いーや、あいつだけだ)

 断言するジオークだが、思春期前半で女になってしまった身としては、正直なところ男心というものはよくわからなかったりする。

「それで……こんな夜中に我が家に何のご用かしら? いろいろあって警備が薄くなってたけど、無断で敷地に侵入してきた以上は、それなりの理由があると思うけど?」

 笑顔だが付け入ることの出来ない表情を、セフィールは向ける。柔らかい口調の中に入り交じる厳しい指摘に、さすがのサミュエルもたじろいだ。後ろに筋肉老紳士シルバー・マッチョ、ハガーが控えていることも影響しているだろう。

「ぼ、僕はシンシアに伝えたいことがあってここへ来たんだよ」

(私に?)

 シンシアの心の声に反応したわけではないだろうが、サミュエルはジオークの内側へ視線を向けてきた。

「形式的とはいえ関所があるんだから、シンシアがこの町に来てるのは知っていたよ。そこへアデナウア家で闘者を雇ったという噂が上ったし、まずシンシアに間違いないと思ってね。一応、魔導師課職員として来たつもりだよ。ほら」

 と、あずき色のマントをばさりとなびかせた。このマントは確かに魔導師協会から支給される物である。──着用義務はないが。マントの下には、役所の制服であるグレーの背広に身を包んでいる。ラメ入りネクタイも相変わらずだ。

「そういうわけでジオーク」

 ふと、サミュエルは真面目な顔を向けてきた。顔のパーツは悪いわけではない。この男がキリッとした表情をすれば、ジオークの目から見ても、まあ良いセン行ってるんじゃないか?とも思えてくる。

「なんだよ?」

「触らせてくれ」

 真面目シリアス顔のまま、わきゃわきゃ手を動かすサミュエルに、寒気と吐き気と嫌悪感と貞操の危機がジオークの全身を余すことなく駆けめぐった。

「このセクハラ野郎がセクハラ野郎がセクハラ野郎がああああぁぁぁ!」

「あああああ、シンシアに蹴られてるみたいでちょっぴりイイかもぉ!」

 げしげし踏みつけるジオークに、サミュエルはなぜか倒錯的な悲鳴を上げるのだった。

 ぷすぷすと火を消したばかりのたき火のように煙を立ち上らせ、うつぶせに倒れたサミュエル。ぜいぜいと複雑そうに息を切らすジオーク。アデナウア親子はただ呆然とそんな二人を眺めていた。

「し、シンシアに伝えたいことがあると言っただろう……以心伝心テレパシーで彼女と話をしたかったんだよ僕は……」

「だったらこいつと話せ。貴様に触られるなど、シンシアが望んでも俺が嫌だ」

(私だって嫌よっ)

 妹がこの変態男に惚れなくて良かったぜとしみじみ思いながら、ジオークはリュックから小型のスピーカーを取り出した。

「ほれシンシア、お前に話があるってよ」

「……それで、伝えたいことって何ですか?」

 スピーカーから響くシンシアの声に、またしてもサミュエルは速攻で復活し、かけてもいないメガネをずり上げるような仕草をして見やった。

「し、シンシア……しばらく見ないうちに変わり果ててしまって……」

「ちゃうわい! 俺の中のシンシアとこのスピーカーを同調させてるんだよ。魔導師なら原理ぐらい見抜け!」

「な、なるほど……けど、それだけだとちょっと寂しいな」

 よくわからないことを言い、サミュエルはマントの内側からなにやら取り出して見せた。手のひらサイズの縫いぐるみである。おかっぱ頭に碧の瞳の女の子。かなりデフォルメされているが、これは──

「まさか、シンシアか?」

「ぽんぴーん。この子は肌身離さず持ち歩いているんだ。なあプチシンシア」

「ぷ、プチシンシア……」

「そしてこっちがプチサミー」

炎よフレイム

 ぼひゅっ。説明の暇なくプチサミーは火だるまと変わり果てた。

「うああああ! な、なんてことを!」

「お前の未来を暗示しているみたいでナイスじゃないか」

「ジオーク……いつか死なす!」

 背を向け夜空を見上げ、遙か彼方の一等星に向かって、サミュエルは理解不能な誓いを立てるのだった。

「とにかく、このプチシンシアをスピーカーの上に乗っけるとだな……というわけでハニー、伝えたいことなんだが」

「なんですか?」

「あああああ、僕のプチシンシアが喋ってるうううぅぅぅ!」

「いいからさっさと用件を言え! 夜が明けちまうだろうが!」

 プチシンシアへ頬ずりをするサミュエルの後頭部を七発叩いたところで、我に返ったように彼はようやく話を再開した。──ただし、縫いぐるみはスピーカーの上へ乗っけたままで。

黒の一族ダーク・ブラッドの情報を入手したんだ。どうやら奴らはこの町から北へ50キロほどのところにいるらしい」

「知ってるよ。これから乗り込みに行くところなんだから」

 再び二の句が継げなくなるサミュエル。彼にしては珍しく正確な情報を持ってきたが、タイミングが遅い。

「そ、それじゃあ、こんな話は知っているか? 一週間ほど前に、ノースガルドの町が壊滅した。結構大きなその町は、一晩で廃墟になってしまったそうだ」

「……何の災害があったんですか?」

 訝しげに言う妹(実際にはスピーカーの上のプチシンシア)へ、サミュエルは意味深げな笑みを向けてきた。

「天災じゃない。人災なんだよこれが。それも、たった一人の人間の仕業らしい。そんなまねが出来るのは──」

「──黒の一族ダーク・ブラッド……」

「そう。あそこの魔導師協会から送られてきた情報だけど、若い、二十歳くらいの男だそうだ。たぶん、北に居を構えるその黒の一族ダーク・ブラッドに違いないだろうね。……情報送信の直後、協会ごと壊滅してしまったみたいだけどね……」

 整った顔をゆがめ、サミュエルは報告を続ける。さすがに協会の関係者としては、痛がゆい思いなのだろう。そのそばでは、アデナウア親子が複雑そうな面もちでその話を聞いていた。

(……なにを動揺しているんだ、あの二人は?)

 浮かび上がってきた疑問と同じ思いを抱いたか、サミュエルは話を中断して彼らに視線を動かした。

「どうかしましたか?」

「い、いえ、別に……」

「なにか動揺なされているみたいですが……はっ、まさか!?」

 細い目を見開いて、訴えかけるように親子をにらむ。まともにうろたえ、ハガーとセフィールは二・三歩後ずさった。この怯え方は尋常じゃない。──なにか知っていることがあるのだろうか? それも、ともすれば彼ら自身にも関係するような。

「まさかあなた達は……!」

 ぐぐっと詰め寄り、彼は親子へ指を突きつけて言い放った。

「童謡を聴いて動揺しているも同様ですな!?」

 どっかーんっ!

 今のどうしようもない駄洒落が呪文になっていたのか、なぜか大爆発が巻き起こった。

「あ、あれ?」

 静まりかえった庭で、ジオーク・セフィール・ハガーがうつぶせで倒れている。瀕死のダメージを受けた彼らに、サミュエルはにこやかな冷や汗を流していた。

「あ、あいつはサミーじゃねえ。さみいだ……」

「お兄ちゃん、それも寒い……」

 ジオークのそばでひっくり返ったスピーカーから、シンシアはノイズ混じりのうめき声を漏らすのだった。


 ようやく──本当にようやく、彼らは旅路についた。途中で変な男が乱入してきたせいがあまりにも大きいが。ハガーはこの日一番の大きなため息をつくと、彼らの去っていった門を眺めた。

 黒の一族ダーク・ブラッドについての情報を持っていたサミュエルという男も、それをタテに彼らについていったようだ。一人屋敷に残ったハガーは懐から携帯電話を取り出し、いずこかへかける。数回の呼び出し音の後、彼はひとつ息を吸い──

「私だ。ハガーだ。……なに? そんな名前は知らん? ふん、声でわかるだろうに。──今、私の娘をそちらへ向かわせた。──そうだ。スピカの血を引く魔性の女だ。奪えるものなら──そう、奪えるものなら奪うがいい。だから──もうこれ以上誰かを傷つけるのはやめろ──ヴァルハラ──!」


         *


 じーじーという虫の羽音が、秋の到来が間近に迫っていることを告げている。明かりのないその部屋で、彼は受話器から手を離した。

 身体がじくじく痛む。下ろし金で少しずつ削られていく野菜のような、そんな気分に駆られてしまう。痛いのはどこだろう? 頭か? 胸か? それとも神経か? いや、全身が余すところ無く鈍く、そして周期的に鋭く痛むのだ。まるで──彼が生きることを拒んでいるかのように。そのうち彼は塵となって崩れ去ってしまうのかもしれない。

「忌々しいこの身体め……いつまで我を苦しめるつもりだ……」

 小さな声だが、迫力がこもっている。虫の音色にかき消されることなく、自己主張するように部屋に響き渡った。

「だが……もうすぐ…もうすぐだ……もうすぐ新たな身体が手に入る……そうすればこんな身体……すぐに焼き払ってくれるわ……」

 彼のその言葉からは、自分の身体への愛着など微塵も感じられなかった。

 にじみ出る汗を少しでも乾かそうと、服と布団を振り払う。身体を少し動かすだけで、節々がうずく。もう何年も続けている渋面をさらにゆがめる。みしみし悲鳴を上げる筋肉に逆らい、彼はベッドから降りた。

「奪えるものなら──か……つまらん小細工でも仕組んだか……邪魔者は排除するまでだ……」

 そして彼──ヴァルハラはベッドから呼び鈴を取り、鳴らす。先日迷い込んできた兄妹を呼びつけるために。


         *


 昔──かなり昔のことだ。かつて人類はこの夜空の向こう側を目指していたという。何万キロ、何百万キロ、いや、もっともっと遠くを目指して、自らの持つ技術を鋭く深くし、探求を続けていたという。

 この満天の星空を見ていると、宇宙を目指したくなるその気持ちも分かるような気がする。──もっとも、現在の人類にそんな技術力は存在しないが。

 ともあれジオークは敵陣を目指す早足を止めることなく美しい星空に見とれるという器用なことをしていた。

「おおい、ふうはあ、待ってくれよう、ぜいぜい」

 遙か後方から、情けない声が聞こえてくる。せっかくの雄大な気分がそがれてしまった。

「うるさいぞサミュエル。お前はおまけなんだから、嫌ならついてくるな」

「そうはいくか。これでも魔導師協会の端くれ。協会に仇なす者を討つために、そしてなによりシンシアのために戦わなくてはいけないんだ! ……というわけで、せめて飛んでいかないか?」

 少し歩みをゆるめたジオークに何とか追いつき、サミュエルは息切れしながらも長い台詞を吐ききった。そんな彼へ白眼を向け、

「50キロの距離を、ほとんど消耗もしないで飛びきれる自信があるならな」

 隣のセフィールが、ああなるほどと納得している。飛翔の魔法は継続的に魔力を消耗する。50キロの距離は飛べないこともないが、敵陣へたどり着いたときに大量の魔力を消耗していては勝てる戦いも勝てなくなってしまう。ここは歩いていくしかないのだ。

「そ、それならもう少しゆっくり歩いてくれ。ほとんどマラソンペースじゃないか」

「……まあ距離はだいぶ稼いだし、朝までにはつけるかな」

 降参寸前のサミュエルを情けなさそうに見やり、ジオークはペースダウンを決めた。闘者である自分はもちろん、お嬢様なセフィールさえ息ひとつ乱していないというのに情けない男である。

「それはそうとセフィール、疲れてないか?」

「僕の体力は気遣ってくれないのか……?」

 軟弱男の戯言たわごとは無視。セフィールはにっこりと得意そうな笑みを返してきた。

「あたし、マラソンセフィちゃんなんて呼ばれてたのよ。走るのは得意なの」

「ほほう。その巨乳で走るのが好きとはさぞかし男の目を引き……」

 セフィールの鋭い視線に、サミュエルは口をつぐんだ。この男は言葉でもセクハラになるということを知らないのだろうか? こんなことだから左遷されるのだ。ちなみにセフィールは激しい行動を予想して、揺れを抑えるスポーツブラにしているそうだが。

 ふと、セフィールはいたずらっぽい微笑みを投げかけ、リュックに引っかけたスピーカーと縫いぐるみに語りかけた。

「それにしても、シンシアって大きいね」

「私、そんなに大きくないよ。セフィールさんの方がよっぽど大きいと思うけど」

 とぼけたシンシアの台詞──わかっててとぼけているのだろうが──に、セフィールはあわてて言い直す。

「胸じゃなくて背よ」

「まあな。闘者として鍛えたからな」

 妹に代わってジオークが答える。

 魔法にくわえて肉弾戦もこなす闘者は、ある程度の体格があった方が有利だ。もちろん小柄なら小柄なりの戦い方があるし、場合によってはその方が有利なこともある。しかし、総合的に見れば身体の大きさはそれなりに必要となる。妹と身体を共有するようになってからは、そのあたりを意識した食生活を心がけてきた。おかげで、この年頃の男に引けを取らない身長にまで伸びた。

「170センチ、ある?」

「ない! 断じて、ない!」

 スピーカーから、ひび割れた声でシンシアは断言する。どうも、背の高いことをコンプレックスに持っているようだ。ジオークはへらへら薄ら笑いを浮かべ、

「さあなあ。けど、シンシア──つまりこの身体は17歳だから、成人するまでにはもう少し背が伸びるだろうなあ。たぶん175くらいには……」

「いやあぁ! スポーツ選手でもないのに170後半だけは嫌あああぁぁぁ!」

 スピーカーにくわえ、頭の中でがんがん叫びまくる妹の声に、ジオークもさすがに顔をしかめる。

「しくしくしく……5年前まではむしろ小柄な方だったのに……」

「おおハニー、泣かないでおくれ。僕はほら、180センチもあるから大丈夫さ」

「なにが大丈夫なんだコラ」

 プチシンシアに敬礼するサミュエルをはたいた。そもそも自慢するほどの身長じゃない。

「それよりも、セフィールさんはどのくらい? 3桁は行ってそうだけど」

「162センチね。さすがに2桁の人なんてそうはいないと思うけど?」

 今度はセフィールがとぼけて見せた。しかしシンシアも負けてはいない。

「へえぇ。ずいぶんおっきいんだね。私の倍近くあるよ」

「……言っとくけど、身長だからね」

「バストは?」

「バストはきゅ……」

 言いそうになって、セフィールは口を閉ざした。さも興味深そうに、サミュエルが耳を傾けていたからだ。

 これ以上はお互いに墓穴を掘り合うだけだとばかりに、セフィールは疲れたように提案した。

「この話題は終わりにしましょう……」

「そうですね……」

 ちっ。という舌を打つ音がサミュエルから響いた。

 それからしばらく、一同は無言で歩みを続ける。後方はだだっ広い野原で、ところどころ単独で生えた樹木が見える。エルランダの町は、もう見えない。北隣のノースガルドの町も、山をひとつ越えたところにあるのでまだまだ先だし、壊滅したという話も先ほど聞いた。ともあれ黒の一族ダーク・ブラッドが構える居は、もう1・2時間ほど先にあるだろう。夜の闇に隠れているが、山岳がすぐ近くにそびえ立っているはずだ。

 セフィールは夜空を見上げている。そろそろ月が昇ってくる頃だろうか。秋が間近だが、天に流れる星の川は、まだ傾き始めたばかりだ。天の川ともミルキーウェイとも呼ばれる星々の流れを感慨深そうに眺めている。

 少し神々しい感じがした。ブロンドの長い髪は星の輝きを照り返しそうで、瞳にはいくつもの星が宿っているようにすら見えた。旅用に作られた厚手のズボンやシャツも、組み合わせの妙が感じられた。かすかな風が、彼女の髪をなびかせる。顔にかかった髪を払う仕草が艶めかしかった。

 こちらに視線を向け、にこりと微笑む。男の感覚を忘れて久しいはずの、ジオークの胸が高鳴った。

「ねえ、今は何年か、知ってる?」

 彼女はそんな話題を投げかけてきた。

「新暦201年だったか?」

「新暦じゃなくて、西暦」

 旧文明の頃は西暦という年号が使われていたが、世界は一度滅び、歴史の空白が生じている。再び歴史がつづられるようになったのは200年ほど前から。だから、今が西暦何年なのかは一般には知られていない。──あるいはどうでも良いことなのかもしれないが。

「西暦だとね、2800年くらいなんだって。ほら、あそこに北極星ポラリスがあるでしょ? 歳差運動によって北極星の位置が少しずつ変わるから、それによってある程度の年代がわかるんだって。まあ、炭素14法から逆算した方が正確なんだけどね」

 魔学者の娘らしく、セフィールは小難しいことを説明している。彼女以外にはいまいち理解しきれなかったが、現代が西暦2800年前後ということだけはわかった。

 自分らが理解しているのかはどうでも良いか、セフィールは淡々と話を続ける。

「お父さんだけじゃなくて、発掘される技術のほとんどは20世紀の物までなの。この時代の後になにがあったのか、いつ、なぜ滅んだのか、新暦になるまでの空白期間はどのくらいあったのか、その間になにがあったのか……お父さんはそれを知りたかったのよ……それだけなのに……それを、あいつらは……」

 少しずつ、感情がこもってきている。うつむき、細い手を握りしめ、わずかにわなないているようにも思えた。

 ──あいつら──黒の一族ダーク・ブラッドのことだろうか? あの親子はやはり奴らと関わっているのか──彼女の話を聞きながら、ジオークはそう考えた。

 不意に、セフィールはジオークへ顔を向けてきた。微笑を浮かべているが──どことなく寂しそうな微笑みを。

「ジオークは、そんなに黒の一族ダーク・ブラッドが嫌い?」

 彼女がどういった意味合いでそんな質問をしているのか。考える余地はあったが、ジオークは自分の感情を優先させた。

「……ああ。あいつらは師匠を殺し、俺の身体を奪った。師匠と、俺自身のかたきだ。絶対に許さねえ……」

「そう…そうよね……」

 微笑は消え、ただ純粋に、寂しそうに、消え入りそうに、短く、彼女はそう答えた。

(ねえ、お兄ちゃん。セフィールさんて、もしかして……)

「しゃべくりあってる時間は、終わりだ」

 腰の剣へ手を置き、ジオークは小声で、しかし鋭くささやいた。途端に、セフィールやサミュエルも水を打ったように静まりかえる。

 山岳まではまだしばらくあり、このあたりの見通しはきわめて良い。そのため、装備さえ調えていれば、夜中でも魔物を恐れる必要は少ない。

 しかしジオークは、決して気を抜いてはいなかった。おどけていても常に意識の一部を臨戦態勢にしておくのが闘者というものだ。彼の敏感なアンテナは、ひっそりと近づくふたつの気配を感じ取っていた。魔物ではなく、人間のようだ。

 ふたつの人影が、闇からしみ出てくる。人相の悪い大男と幼げな少女──あの二人は──

「この前の狂戦士バーサーカーとガキの踊り子か」

「…………」

 無言の兄妹に、ジオークは眉根をひそめた。先日はあの一言で鋭くつっこまれたのだが。

(なんだか様子が変だよ、あの二人)

(……そうみたいだな)

 先日の、どこか間の抜けた感じが、今の彼らからは感じられない。表情は薄く──何かにとりつかれたような、光の感じられない瞳。

「ヴァルハラ様の命により、お前達を排除する」

 狂戦士バーサーカー風の男──確かリューベックといったか──が、チェロのような低い声で宣告する。良く透き通った声だが、どこか平坦だ。

「やはり黒の一族ダーク・ブラッドの手下だったか」

 舌打ちし、ジオークは剣を構える。目線で合図をし、サミュエルにはセフィールの警護を任せる。

「ヴァルハラ様のために死ぬのよ!」

 踊り子娘のアーミュア(自称21歳)が叫び、腕を振り上げた。片足を膝まで上げ、バレーを思わせる素早いスピン。これは──風の圧縮弾か!

「ぐるぐるどっかん!」

「しゃらくせえ!」弾道を見切り、ジオークは跳んだ。

 ずおあっ! アーミュアの放った魔法弾は、ジオークを正確に狙っていた。真上に跳んだため、真下で空気の弾丸が展開する。身体に密着した闘者の衣装が、皮膚ごとゆがむのがわかる。ただの風とはいえ、身体をさらに上空へ舞い上がらせるほどの物となると、わずかに痛みにも似た感覚が走る。

「どっひゃあああぁぁぁ!」

 サミュエルの素っ頓狂な悲鳴が、後ろから響いた。どうやら巻き添えを食らったらしいが、サミュエルごときを気にしている場合ではない。

 視界の隅に、微かな光。セフィールは、身につけた指輪の魔力でバリアシールドを張ったようだ。

(素人が身を守れて魔導師が吹き飛ばされるってのはどうしたものかね)

 そんな感想を抱きながら、ジオークは跳んだ地点と同じ場所へ着地した。

 敵兄妹は追撃をしてこない。今のは挨拶代わりとでも言いたいのだろうか? 二人の瞳は、何かおかしな感じがする。

(精神支配の魔法を受けたのと似ているが……)

(うん。自我は保っているみたいだよ)

 シンシアも彼と同じ見立てのようだ。精神支配を受けた者は、瞳どころか表情すらも生気を失い、自分の判断で行動ができなくなる。しかしあの二人は、ちゃんとジオークを認識し──確かに表情は薄いが──、戦いを挑んできている。

「まあ、いい。こんな雑魚を相手に時間を食ってる暇はないんだ」

 唾を吐きながらの台詞に、敵兄妹の殺意がますますふくらんだ。

 軽く周囲を見やる。10メートルほど離れたところに、サミュエルがカニさんのポーズで仰向けに目を回している。死んではいないようなので、とりあえずそれは無視。

「セフィール、離れてろ」

 身体も顔も敵へ向けたまま、ジオークはやや後方にいるセフィールへ視線だけ向ける。彼女はひとつうなずき、バリアを張ったまま視界の外まで移動した。

 なんとなく、ジオークはいていた。急いで敵陣へ行かなければならない。そんな気がする。できれば──いや、朝までには、確実に。急がないと、何かやばいことになりそうな気がする。

 意識的に、呼吸を整える。深呼吸と眠っているときの呼吸の中間くらいで数回、息を吸ってはゆっくりと吐き出す。首は数歩先の地面を見るくらいのうつむき加減で。こぶしを握り、腰へ。足は肩幅くらいに広げる。すり足なので足下の砂利がこすれた。そして──

「ハッ!」

 こうっ! 気合いの息吹を魔法名代わりに、魔法を発動させる。

 暗い視界が少しだけ明るくなる。青いフィルターに通したような、不自然な色の付いた景色。陽炎かげろうのように、少々揺らいでいる。

 身の内からは、わき上がるような力が感じられる。体温が上昇したような感覚だ。

光衣こういか……乙女よ、あなたは本物の闘者のようだ」

 物怖じはしないが多少驚いた様子で、リューベックは言った。

 光衣。魔力そのものを2割ほど高める、闘者専用の魔法である。この魔法を使うことによる消耗もほとんどない。戦闘中、つまり気を張っている間しか使えないが。闘者の象徴ともいえるオーラをまとい、ジオークはゆっくりと構えをとった。本気で戦うとき、この魔法は欠かせない。そう。彼が光衣をまとうとき、それは本気になった証である。

 リューベックは妹を守るように前に立ち、戦斧バトルアクスを構える。

「SAY! 思いを乗せて TRY! 勇気を込めて──」

 ごついその顔で唱えだした『声』は、若者向けの流行歌風の歌だった。あまりの違和感に、はっきり言ってめまいを覚えた。

 後ろではアーミュアが歌に合わせて踊り始めていた。

 アーミュアの今回の『舞』は、基本的に直立姿勢。腕の振りと足運びが中心で、一見簡素に見える。しかし、つられて一緒に踊り出してしまいそうな、楽しそうな舞だ。

(なんだ、あの踊りは?)

(あれは──パラパラってやつじゃない? ほら、魔導学園で一時期流行ってたでしょ?)

 妹に言われ、ジオークも思い出した。

 シンシアが13歳くらいの頃、兄妹は一年間だけ魔導学園──魔導師育成のための教育機関だ──に通っていた時期がある。確かにあの踊りは、女生徒の間で流行していた物と似ている。

 真夜中の広野で歌謡曲を歌い出す男とパラパラを踊り出す少女。知らぬ者が見れば何事かと思うに違いない。だが、これは魔法行使のための呪文である。

 ──と、敵兄妹の姿が空間に溶けるように消え失せた。

「なんだと!?」ジオークは我が目を疑った。

 あたりは開けている。隠れられる場所などない。もとより彼らはそういう動き方はしなかった。となると考えられるのは──

(光の屈折で姿を隠したか)

 ジオークはそう結論づけた。先日彼が見せた七身乱舞と同系統の魔法だろう。光の屈折を制御する魔法。ジオークの場合は姿を増やしたのに対し、リューベックらは姿を消すのに使用したのだろう。だが──

「踊りってのは見せるためのもんだろうが! その踊りで姿を消すなんてアリか!?」

「うるさいのよ!」

 ジオークのつっこみに、アーミュアが鋭く反応した。途端、ジオークは真顔に戻る。

「そこか!」

 ぎんっ! 素早く少女のいるはずの場所へ斬りかかるが、見えない壁に阻まれた。リューベックが斧で受け止めたに違いない感触だ。

「アーミュア、『舞』に集中するのだ!」

「わかってるのよ!」

 一言づつの会話後、彼らは完全に口を閉ざした。ふん、とジオークは鼻を鳴らす。

「小娘の居場所はもう割れてるんだよ!」

 兄の方と違い、彼女の呪文は『舞』に特化している。呪文詠唱中に移動はできない。ジオークはためらわずに剣を振るった。

 しかし、手応えはまるでなかった。

「!」

 野性の勘がぞくりと鳥肌を立てる。反射的にかがむと、頭上すれすれを何かが走り抜けた。リューベックの斧の一撃だろう。

「さすがに闘者、鋭い勘をしている。だが、いつまでもつかな?」

 不敵なリューベックの声は、居場所がつかめなかった。本人とは別の場所の空気をふるわせているらしい。

(ちっ。やっかいな)内心舌を打つジオーク。

 敵兄妹は姿が見えない。先ほどの『舞』で姿を消し、リューベックが攻撃担当というわけだ。アーミュアが今も舞っているならば居場所は変わらないはずなのだが、なぜかそこにはいなかった。

(パラパラなら移動も可能かもしれないよ)

 ふと、シンシアがそんなことを言った。

 確かに、パラパラなら呪文内容を調整しつつ、アドリブで多少の移動も可能かもしれない。

(それならそれで対処法はまだあるさ)

 魔法を使うとき、術者の波長は必ず変化する。波長の同調が魔法の原理だからだ。波長、すなわち魔力とは気配でもある。姿を消したところで気配まで消すことは──

「ばかな!?」

 敵の気配を探り、ジオークは驚愕した。二人の気配がない!

(そんなはずはない!)

 焦燥に駆られ、もう一度探ろうとした瞬間、いやな予感が背筋を走り抜ける。

「くっ!」

 真後ろへステップを踏むと、今度は鼻先をカマイタチのような一撃が駆け抜ける。今度も何とかかわせたが、このままではジリ貧だ。

(なんで気配がしないんだ? 完全に気配を消せるはずはないんだ)

(おかしいよね。完全に気配をたつには命の灯火を消すしかないのに)

(いや……)

 妹の言葉に、ジオークはかぶりを振った。たとえ死んだとしても、物質としての波長が残る。そういう理屈と、気配を完全にたたれた現実とに、どうしようもないギャップを感じた。

 そうだ。そんなはずはない。なにか裏技を使ったはずだ。この前、周囲の人間を全員眠らせた時みたいな何かがあるはずだ。

(そういえば、リューベックって人も呪文を唱えてたね。あれは何の魔法だったんだろう?)

 妹の疑問に、ジオークは胸中でも言葉をつぐんだ。

 一瞬の思考、開ける視界。彼は理解した。このからくりを。

(そうか……そういうことか)

 ジオークは右手を前にかざし、叫んだ。

風の圧力波ウィンド・プレッシャー!」

(なんだ?)

 声には出さず、リューベックはジオークの奇妙な行動を見やった。

 矢継ぎ早に突風の魔法を何度も放っている。方向は完全に当てずっぽうだ。

 数撃ちゃ当たるとでも思っているのだろうか? 確かにたまに近いところを風が駆け抜けるが、ければ済むことだ。向こうには、こちらの位置がつかめていないのだから。

(やけくそか)

 リューベックはそう結論づけた。

 妹は少しずつ位置を変えながら、姿隠しの魔法を唱え続けている。彼もまた気配を隠す魔法を使っている。光と同様、声も屈折させているので、敵にこちらの位置をつかめるはずはない。現に彼女は、見当違いの方向へ集中している。

 ヴァルハラの命令を果たさなければならない。恨みはないが、悪く思うな。と、リューベックは斧を構えてジオークに近づいた。頭をかち割るのは忍びない。背中を斬りつけるか、と斧を振り上げ──

 瞬間、真紅の瞳がこちらを向き、ギラリと異彩を放った。

「そこだ!」

 どずんっ! ジオークのこぶしは見事にリューベックの鳩尾をとらえていた。夜の闇に大男の身体がにじみ出てくる。かはあっ、と体内の空気を吐き出し、信じられないといった目を向けている。

「な、なぜ私の居場所が分かった……!?」

「なあに、風の流れに逆らう空気の固まりがあったんでね」軽い調子で、ジオーク。

 そう。ラインハルト兄妹は、気配を空気と同じ物にしていたのだ。木を隠すには森の中。気配が完全に消えてしまうわけである。

 そのことに気づいたジオークは、風の魔法を手当たり次第に放った。そして風の流れを凝視していたわけだ。

「さすが……だが……!」

 言葉がとぎれとぎれになりながらも、リューベックは斧を振り上げた。急所を突いたにもかかわらず、彼はまだ気を失うには至っていない。

 わかってるさ、そんなことは。ジオークは独白していた。この大男をこぶしの一撃で倒せないことはわかっている。だから、すでに次の用意は済ませてある。

「波紋衝!」

 こぶしに宿る魔力。それは波紋となって敵にたたき込まれる。鳩尾を中心に、大きな波が二重三重に全身を駆けめぐる。空気を吐ききっただけでは足らず、リューベックは血反吐をまき散らしながら吹き飛んでいった。

 巨体はゆっくりと(そう思えた)宙を舞い、地響きをたてて地面にたたきつけられた。冷えた地面の上へ大の字で、白目をむいている。リューベックは完全に沈黙した。

「あれが……闘者……」

 アーミュアは戦慄に身を震わせて、つぶやいていた。

 今回、ラインハルト兄妹はベストともいえる戦法をとって戦った。それをわずかな時間で見抜かれ、一撃で破られてしまった。結局彼女は、ほとんど消耗すらしていない。信じられないほどの戦闘勘バトルセンスを持っていた。

 魔法戦士は闘者に勝てない。その言葉を苦々しくかみしめるしかなかった。

「さて、と」

 ジオークは光衣を解いた。細面に力強く宿る瞳を、静かにアーミュアへ向ける。彼女はもはや戦意喪失している。だが、敵意は相変わらずだ。

「シンシア、治せるか?」

「たぶん、ね」

 意図的に、そばに置かれたスピーカーからシンシアは声を出した。

「自我を保ったままの精神支配なんて、すごく高度な生命魔法だけど……人間は元々の強い生き物だからね。治すのはそれほど難しくないよ」

「だ、誰としゃべってるのよ!?」

 思わずそんなことをつぶやいてしまうアーミュア。ジオークはにやりと意味深げな笑みを見せるだけだった。

「けど、良いの? 今切り替わると、一時間は元に戻れないよ?」

 妹の言葉に、ジオークはやれやれと肩をすくめた。

「……お兄ちゃんは、優しいんだね」

「そんなんじゃねえよ。後味の悪いことはしたくないだけだ」

 照れくさそうに、ジオークは鼻の頭をかいた。そして彼は目をつむる。

 アーミュアは息をのんで見入っていた。わずかな空気のうねりの後、目を開いた彼女は別人にも見えたからだ。

「だ、誰……なのよ?」

 くく、とシンシアはこみ上げてくる笑いをこらえた。この少女の口調は、わざとなのだろうか?

 すっと手を伸ばし、震える少女の頬に軽くふれる。怯えるように一歩後ずさった。

「大丈夫よ。魔力の構成が見えるなら、変な魔法じゃないってわかるでしょ?」

 碧の瞳に慈愛を込めて、シンシアはささやいた。

 彼女の唱える呪文には、母の歌う子守歌のような温かさが感じられる。いつしかアーミュアはシンシアの手を取り、身を任せていた。

 ミントの香りをかいだときにも似た感覚。身の内の黒いわだかまりが、すーっと晴れ上がっていった。

 シンシアは、アーミュアの瞳のかげりが消えたことを確認した。子猫のような丸い瞳をくりくりと不思議そうに向けてきている。

「あとはあっちの狂戦士バーサーカーだ」

 今度はジオークがスピーカーから声を出し、シンシアに告げる。

 いつの間にやら復活したサミュエルが、縫いぐるみの碧の目を赤く塗り直していた。

「これでよし、と」

「なにがよしだなにが!」

 プチシンシア改めプチジオークをスピーカーの上に乗せるサミュエルに、ジオークは喧嘩腰につっこんだ。相変わらずこの馬鹿のやることは理解できない。

「魔力を感知して自動的に瞳の色が変わるようにできないかしら?」

 安全を確認したか、セフィールも寄ってきて冗談めかす。

「あのなあ……」

 俺が言いたいのはそういうことじゃなくて──と漫才を始める彼らは放っておいて、シンシアは気を失ったリューベックの元へ移動する。こちらはダメージも受けているので、治療魔法を併用する。しばらくすると、熊のような顔を一度苦しそうにゆがめ、岩のような大男は目を覚ました。怯みかかった意識を隅っこへ追いやり、シンシアはにこりと微笑みかける。

「おお、乙女よ……今宵は一段と美しい」

 開口一番のこの台詞に、ジオークは勢いよくまくし立てた。

「だあから、なんでみんな俺よりシンシアの方が美人だって言うかなあ」

「別にいいじゃないの。どっちでも同じなんだから」

 そう言うシンシアは、なぜか上機嫌そうだった。

「ジオーク殿ではないのか?」

「私はシンシア。ジオークの妹です」

「そうなると、ジオーク殿はどこから話をしているのかな?」

 目の前で変身を見ていたアーミュアの目にも、疑問符が浮かび上がっている。説明しようとしたら、サミュエルが縫いぐるみを乗せたスピーカーを持ってきて見せた。

「おお、しばらく見ないうちに変わり果ててしまって……」

「サミュエルと同じボケをかましてんじゃねえぞコラ!」

 こいつの脳味噌はサミュエルと同レベルらしい。狂戦士バーサーカーじゃなくて馬鹿さバーカーサーだな、とジオークは聞こえよがしに独白した。お兄ちゃんも同レベルでしょうがとか思ったがシンシアはあえて口にはせず、代わりに兄妹の事情を軽く説明する。

「と、とにかく、私たちは訳あって同じ身体を共有しているんです」

「それよりもお前達、俺達への殺意はもう消えたな?」

 ジオークの問いかけに、ラインハルト兄妹はハッとしたように真顔を取り戻した。

「考えてみれば、我ら兄妹は殺生はしない主義」

「嘘つけコラ。この前、セフィールを殺そうとしてたじゃねえか」

 即座に言い返すジオークに、リューベックは大きくかぶりを振る。

「私があのとき使おうとしたのは、強力だが単なる眠りの魔法だ。私が解除しない限り永遠に眠り続けるのだがな」

 アーミュアもこくこくうなずいた。

「私たちはガイア様に、そのウシチチ娘を無傷で連れてこいって指示を受けていたのよ」

「ウシチチ……?」

 苦虫でも噛んだかのようにセフィールが顔をしかめているが、とりあえずそれは放っておくことにした。

「それなら今し方、なんで俺達を殺そうとしたんだ?」

 兄妹はだまり伏せた。しばらく何かを考え込み、思い出したように顔を上げる。

「そうだ。我らはヴァルハラ様に呼び出されたのだ。そして、器にたかるハエを駆除してこいと命令を受けたのだ」

「ハエ……?」今度はジオークが小さくうなった。

「けど、おかしいのよ。いくらヴァルハラ様の命令だからって、私たちは人殺しだけはしない主義なのよ」

「うむ。それに、ガイア殿やアイヌラックル殿は良い人であったぞ」

「良い人だあ!?」

 素っ頓狂な声を上げるジオーク。スピーカーの帯域がついてこないのか、少しノイズ混じりのようだった。

 奴らは黒の一族ダーク・ブラッドだぞ。何歩譲れば良い人になるんだ? とジオークは続けるが、兄妹は至極真面目顔でうなずいた。

「誓って言うが、ガイア殿とアイヌラックル殿は悪人ではない。私が保証するぞ」

「その悪人面で保証されてもなあ……」

 ジオークの悪態は無視されるが、アーミュアがぽそりと付け加えた。

「けど、ヴァルハラ様はよくわからないのよ」

「……うむ。とこについている故、ほとんど話をしていないしな」

「ヴァルハラか……」

 イクティノス兄妹のつぶやきが重なった。

 ヴァルハラ。ガイア・アイヌラックルが救おうとしている人物。そのために、セフィールの肉体を器とし、生命の融合ソウル・フュージョンを行おうとしている。すべてはこの男が元凶なのかもしれない。

「こうしてはおれぬな」

「なのよ」

「なんだよ?」

 ラインハルト兄妹は、何かを決意したかのように告げた。

「ヴァルハラ殿、いや、ガイア殿でもアイヌラックル殿でもかまわぬから、直談判にゆく」

「ついてきたければかまわないのよ」ふふん、と高飛車なアーミュア。

「ついてくんのはそっちだろうが! こっちは元々奴らをぶっつぶすために向かってるところだったんだ」

「貴殿らと組むことになるか、それとももう一度相対あいたいすることになるかはわからぬが……」

 ふふん、と今度はジオークが高飛車に言い放った。

「とりあえずは黒の一族ダーク・ブラッドのアジトに着いてからだな」


         *


 男を惑わすウシチチ娘

 歩くたんびにオチチが揺れる

 ついでにオシリも振りながら

 ぷるぷるぷるぷるぷ~るぷる


 妙なフレーズを口ずさみながら、セフィールの後ろをふてくされ気味にアーミュアがついて歩いている。セフィールはというと、少女の歌をただひたすら必死に全力でとにかく力の限り無視している。

 しかし、やれ何人の男を騙しただの、やれ何か詰めてるんだろうだの、ぶつくさとささやきまくられ、セフィールは頭から湯気を立ち上らせていた。

 シンシアの視界越しに、さてどうしたものかとジオークは考えた。スピーカーから漏れないように、妹と胸裏でささやき合う。

(セフィールになにか恨みでもあるのだろうか?)

(どっちかというと、ひがんでるように思えるけど)

 確かにアーミュアの胸はぺったんこだが、それは年相応のような気がする。

(いや、確かあいつ、21歳って言ってたぞ)

(うそー!? あれで私より4つも年上!?)

(そぶりからして、嘘じゃないとは思うけどな)

 まあ何にせよ、誰しもコンプレックスは持っているものである。容貌が幼いとか胸がでかいとか背が高いとか。

「夏場は蒸れないかのよ? あと、仰向けとうつぶせ、どっちが楽かのよ?」

 サミュエルも真っ青なアーミュアの罵詈雑言に全身でわななき、セフィールはついに噴火した。振り返るその動作だけで竜巻でも巻き起こしそうな勢いでまくし立てる。

「あんた、あたしにケンカ売ってんの!?」

「他に何の取り柄もないくせにチチだけで男の目を引くような女は罵倒されて当然なのよ」

 セフィールの迫力にも全く退くことなく、アーミュアはどんぐりまなこを逆三角形にして突き返す。

「この歌を、吟遊詩人であるお兄ちゃんに語り継いでもらうのよ」

「妹よ、さすがにこの兄もその歌には退くものがあるぞ」

 ケケケ、と可愛い顔に似合わない笑い声に、リューベックも対応に困っている。

 ぷしゅううう、と火を止めたケットルかはたまた空気の抜けた風船か、セフィールから怒りの色が消えていく。代わりにインテリおばさまばりに嫌みな表情を作って見せた。

「自分が洗濯板だからってひがんでんじゃないわよ」

「だ、誰が洗濯板なのよ!?」

「ふふん。怒るってことは自覚してるのね?」

「まあまあ二人とも、そのくらいでやめておきなさいよ」

 今にもとっくみあいのひっかきあいになりそうな二人に、シンシアが仲裁に入った。女の喧嘩に口出しできなかったか、リューベックとサミュエルがほっと息を吐き出していた。

 がるるるる、きしゃあっ、とケモノがごとく唸り合っている二人の気を逸らすように、ジオークがスピーカー越しに話しかける。

「それよりも、セフィールって思ってたよりも普通なんだな」

「どこがなのよ」

 アーミュアのつっこみが再発につながらないうちに、素早く続ける。

「いや、セフィールってお嬢様だからもっと偏った性格をしてると思ってたんだが、しゃべり方も接し方もわりかし普通っぽいなと」

 きょとんとした顔を、セフィールは向ける。

「そりゃうちはちょっとはお金持ちかもしれないけど。お嬢様って、どういうのを言うの?」

「うむ……」

 ジオークはひとしきり考え──


1.言うことがいちいちかんに障る高飛車わがまま女

2.柔らかくもどこか抜けているおっとり天然娘

3.お人形さんが友達で人見知りの激しいおどおど箱入り娘


「こんなとこか?」

「ジオーク……その知識は偏ってるぞ」

「ええい、お前に言われとうないわっ!」

 ぼそりとしたサミュエルのつっこみに、ジオークは癇癪気味に叫ぶのだった。

「だいたい巨乳のお嬢様なんてあまり聞かないのよ」

 しつこいアーミュアにいい加減セフィールも疲れてきているようだが、とりあえず言い返すことだけは忘れない。

「あーもう、うるさいわね! あたしの田舎じゃこれで普通なのよ!」

 ──どんな田舎だ? とかジオークは考えるが、

「ってお前、エルランダ出身じゃないのか?」

 セフィールは一瞬、口を滑らせたという表情をうかべ、ごまかすようにリュックから懐中時計を取り出した。

「あ、ほらシンシア。そろそろ一時間たったんじゃない? 念のためジオークに戻っておいた方が良いかもしれないわよ?」

「ん、そうだね」

 若干腑に落ちない物を感じるが、シンシアはあまり気にしないことにした。それよりも、東の空の暗がりが弱まりつつある。セフィールの示す懐中時計を見ると、もう午前4時近かった。夜明けが近づきつつあるようだ。ジオークと同様シンシアも夜明けに得体の知れない危険を感じている。日の出よりも早く敵陣へ到着したい。そのためには兄へ切り替わっておいた方が得策だ。

「それじゃお兄ちゃん、切り替えるよ」

「ああ」

 軽く息を吸い、吐き出す。目をつぶろうとするが、妙な気配が第六感を刺激した。

 見ると、ラインハルト兄妹にセフィール、サミュエルまでもが興味津々に見澄ましていた。

「ど、どうしたの、みんな?」

「あー、何でもありませぬぞ、美しき乙女よ」

「気にしないで変身するのよ」

「き、気になるわよ」たじろぎながら、シンシア。

「あたし、もうちょっと派手な変身シーンでも良いと思うの」

「うんうん。七色の光をまき散らしながらくるくる回転するのが良いな」

 セフィール・サミュエルまで冗談めかす。

「お前らなあ、見せ物じゃねえんだぞ! とにかくシンシア、切り替えるなら早くしろ」

「う、うん」

 兄に急かされ、シンシアは目線を下げる。目を閉じるときの癖だけど、こういう人って結構多いよね。とか考えながら目を閉じようと──

「…………」

「どうした? ……っ!」

 思考の止まるシンシアに一瞬遅れて、ジオークも気づいた。

 ゆっくり、ゆっくりとシンシアは顔を持ち上げていく。彼女を取り巻く四人は、まだ気づいていないようだ。

 やがて、視界は固定される。そのど真ん中に、三つの人影があった。中央に立つ男性に、シンシアは注目していた。

 方向は、山岳。今向かっている方向だ。距離は、30メートルはないだろう。ここまで近づいていながら気づかなかったのは、気配を消していたのだろうか? 三人はそんな素振りは見せず、むしろ、ようやく気づいたかとでも言いたそうだった。

 シンシアに遅れること数秒、リューベックたちも新手の存在を感知した。そしてサミュエルを除いて驚愕していた。

「ガイア様なのよ……」

「アイヌラックル殿も……」

「…………」

 ラインハルト兄妹に対し、セフィールは何も言わない。彼女はシンシアと同様、中央の人物を凝視している。何か──怨恨にも似た感情を乗せながら。

 真ん中の男は一同の動揺にも関せず、泰然と口を開いた。

「あんまり…遅いから……こちらから…出向いてやったぞ……そこの金髪ブロンドが……スピカの娘か……」

 つぶやくようでありながら、あまりにも力のこもった声。おぞましさに、ぞっと肌が泡立ちそうになる。しかし、どことなく聞いたことのある……懐かしさすら感じる声だった。

 両脇には、ガイアとアイヌラックルがいる。だが、シンシアの眼中にこの二人はいない。いや、見えてはいるのだが、意識するだけの余裕がなかった。

 口の中がからからに乾き、それでいて背中はじっとりと汗でにじんでいる。耳鳴りがするほどの激しい動悸といい、極度に緊張していることがジオークにはわかる。

 二人の黒の一族ダーク・ブラッドを従え、彼は静かに言葉を続ける。

「そうか…ヌシだったか……大きくなったな…ローズマリーの弟子よ……それとも…こう呼ぼうか……5年ぶりだな…妹よ……」

 くっく、とのどの奥で笑い、ゆっくりと目線をこちらへ向ける。視線が交差した瞬間、金縛りにあったかのごとく、シンシアは硬直した。

「あ、あ……」

 何かを言おうとしているのだが、言葉が出てこない。しかし妹の胸中を巡る複雑な思いは、ジオークにもわかった。

 シンシアが視線を釘付けにしている男。東洋系の黄色い肌、黒の短髪は手入れが悪いのか少々乱れている。何が気に入らないのか、整っているはずのその顔は苦渋にゆがんでいた。頬は少しこけているだろうか。体調が優れていないだろう故の、やつれたような痩せ方だが、バネのような鍛えられ方をしていることが、あの薄衣うすぎぬの上からでも伺える。

 そして、瞳に宿る真紅の光。

 シンシアは憶えている。いつもそばで自分を見つめていた、あの真っ赤な瞳。強さと優しさを兼ね備えた、情熱の赤い光を。

 ジオークも知っている。シンシアになっても変わらなかった、あの真っ赤な瞳。怒りと復讐に燃える、激情の赤い光を。

 スピーカー越しに、ジオークは静かに紡ぎだしていた。

「やっと……やっと見つけたぜ……俺の身体を……師匠のかたきを……すべての元凶を……! てめえが黒の一族ダーク・ブラッド、ヴァルハラか!」

 次第に感情がこもっていき、ついには空気をふるわせるほどの大声になる。ばさばさと鳥が逃げていく。夜明けが近づいてきていた。

 黒の一族ダーク・ブラッド、ヴァルハラ。

 彼は、ジオークだったのだ。

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