第1話

   第一話 『彼女』の秘密


 ちゅん……ちゅちゅん……

 窓からベッドへ、朝日が射し込んでくる。かすかな鳥の鳴き声に、シンシアは目を覚ました。

 ふかふかのベッドから身を起こし、うーん、とのびをする。

「よく寝たぁ。こんなふかふかのベッドは久しぶりだったなぁ」

 羽毛布団というやつなのか、柔らかくふかふかの掛け布団。そしてこの晩夏の時期においても熱がこもらず、実に快適に眠ることが出来た。

 来客用の寝室を借り、寝間着もセフィールの物を借りた。現在のシンシアはピンクのかわいらしい寝間着に身を包んでいる。

(俺はいまいち寝付かれなかったぞ。布団はもっと固めの方が良い)

 精神であくびなどしながら(意味はないのだが)、兄のジオークがぼやいた。

 この兄妹は、訳あって二人でひとつの肉体を共有している。そのため、普段は一日交代でシンシアの身体を順番に使っている。

 制御権は、最大24時間。一度制御権を得たら、1時間は交代できない。

「お兄ちゃんはもうちょっと寝てても良いよ」

(そうするわ)

 ふっ、と兄の精神がシンシアの奥底へ落ちていくのがわかった。

 肉体と二つの精神はそれぞれ一定の休息が必要だが、一致させる必要性はない。

 普段は身体の睡眠と同時に兄妹の精神も眠りにつくが、シンシアの肉体と精神が眠っている間ジオークが見張りのために精神だけ起きているというようなことも可能である。

 また、片方が身体を使っている間、もう片方の精神が眠ることもある。これにより、シンシアの肉体を24時間使い続けながら交代で睡眠をとることもできる。もちろん身体への負担は大きいので、よほどの時でない限りはやらない方が良いのだが。

 と、木製の扉のたたかれる音がした。

「シンシア? それともジオーク? もう起きてる?」

「あ、はーい。今起きたところです」

 セフィールの声に、シンシアは明るい挨拶で返す。

 昨夜アデナウア親子に、イクティノス兄妹の難儀な体質のことについて軽く説明をした。時間が遅かったので一晩やっかいになり、今日改めてお互いのことについて話をすることになっている。

 がちゃりと、半分ほど扉が開き、栗色の髪の娘が部屋へ入ってくる。夕べ見たドレスにも似た格好だ。これが室内着なのだろう。

「おはよう。夕べはよく眠れた?」

「はい、もうぐっすりと」

「お風呂わいてるけど、眠気覚ましにどう?」

「なに! 風呂!? 入るぞ、是非!」

「あ、あれ? ジオーク?」

 いきなり表へ出てきたジオークに、セフィールの瞳が戸惑い気味の色に変わった。

(ちょ、ちょっとお兄ちゃん、寝てたんじゃないの? 勝手に制御権奪わないでよぉ)

「男は朝寝朝酒朝湯が大好きなのだ! 俺が出てこんでどうする!」

「ま、まあどっちでもいいけど。それじゃあこちらへどうぞ」

「熱めで頼むぞ、めっちゃ熱めでな」

(やだー。私はぬるめの方がいいの~!)

 頭の中で妹が抗議の声を盛んに上げるが、当然無視。

「それにしても風呂まであるとは、さすが金持ちだな」

「そう? この町じゃわりと普通よ」

「庶民も風呂を持ってるのか?」

「あまり大きくはないだろうけどね」

 ジオークの知る限り、たいていの町は公衆浴場こそあれ、一般市民が風呂を持つことはほとんどない。普段は水浴びで済ませるのが普通だ。

 どうもこのエルランダの町は、思っていた以上に文化度が高いようだ。

「それよりもあなた達、いつも一緒にお風呂に入ってるの?」

 セフィールの好奇心に満ちた質問に、ジオークは肩をすくめた。

「一緒に入らざるを得ないだろう?」


 アデナウア家の浴場は、公衆浴場にも匹敵する豪華な物だった。深さがもうちょっとあれば、泳ぐことも可能だろう。

 浴槽の中央には水浴びをする裸婦像があり、その桶からお湯がわき上がっている。

 お湯をすくって顔を洗い、ジオークは気持ちよさそうに独白した。

「ふいー。やっぱ朝風呂は良いなあ」

(あづいー。あづいよー)

「しかもこの広さを独り占めなんて、なんたる贅沢! これは心ゆくまで堪能しないとな」

(ゆだっちゃうよぉ。もう出ようよぉ~)

「ええい、うるさいな。たかだか43度で情けないぞ」

 ジオークは、肌にピリピリくるこの熱さが好きなのだ。

(私は38度がベストなの。43度なんて年寄りじゃないんだから)

「なにを言う。俺は師匠に50度の風呂に放り込まれたことがあるんだぞ。それに比べたら43度なんてぬるま湯も同然じゃないか」

(まあその事件は私も知ってるけど)

 身よりのない兄妹は、ある老魔導師に育てられた。この魔導師が二人の師匠であり、親といえる。

「熱いのが嫌なら感覚を切ればいいじゃないか」

 制御権を預けている方の精神は、その五感を切り離すことも出来る。

「やだー。私だってお風呂を楽しみたいもん」

「ならばじっくりと楽しませてやろう。お湯をかき回して下っ腹に送るのだ。ほれほれ」

(いやー! 熱いー! やめてー!)妹の悲鳴が頭の中で響いた。

 先ほどセフィールにも聞かれたが、この兄妹は一緒にお風呂に入ることをはばからない。

 一緒に入らざるを得ないとは言ったが、どうしても嫌なら片方が感覚を切るという手もある。

 5年以上も妹の身体を借りてきたせいか、ジオークは男としての感覚が鈍くなっているのかもしれない。シンシアも兄に裸を見られることにはもう慣れてしまっているようだ。

 ざばあっ、とジオークは湯船から上がった。はううぅ、とシンシアが疲れ切ったようなため息をつくのが頭の中で聞こえる。しかし、身体を洗った後はもう一度湯船につかる。熱い風呂は、短い間隔で数回つかるのが気持ち良いのだ。

(私はぬるめのお湯にじぃーっくりつかるのが好きなのにぃ。こんな熱いのに入ったら、お肌が真っ赤になっちゃうよぉ)

 実際、しゃかしゃかと身体を洗う彼女の身体は赤く火照っている。壁際に張られた鏡を見ると、それがよくわかる。

 じっと、自分の身体を眺めてみる。女性としては、ずいぶんと引き締まった肉体。シンシアの身体は、兄によってかなり鍛え上げられていた。

(はうう、女の子のおなかにたんぼの田の字を作るなんて……)

 鏡越しの自分を見、シンシアがぼやく。

「闘者なんだから仕方ないだろう」

(私は魔法使い!)

 妹は、本来は魔法使いである。それをジオークが闘者として改めて鍛え直した。

「お前にとっちゃ楽して手に入れた筋肉なんだから文句を言うな。それに女でも、これくらい引き締まっていた方が格好良いと思うぞ」

(……ホントに?)

「ああ、ホントホント」

 これはジオークの本音だ。女性らしいラインを損なわないように、ジオークは気をつけて鍛えてきたつもりだ。

 おなかのあたりをよく見れば、確かに腹筋の浮かび上がっているのがわかるが、胸はこの年頃としては標準的にあるはずだし、ウエストから太股にかけてのラインも気に入っている。

 泡のよく出る石鹸を髪に塗りたくり、お湯で洗い流す。頬やうなじに張り付いた黒髪を払い、鏡の中の自分に向かってニカッと笑ってみせる。

「ほら、こんなに美人じゃねえか」

(…………)

 心の中で、妹がくすりと微笑んだのがわかった。


「今日は私の日なんだからね。もう出てこないでよ?」

(わかったわかった)

 制御権をシンシアへ戻し、彼女は風呂から上がった。いつもの闘者の装備を着込む。

 シンシアは魔法使いだが別に服装に規定があるわけではないので、いざというときに行動しやすいこの服装──実際は兄の意見だが──を好んだ。

 身体に密着する布製の上下の服に、なめし革の軽量鎧。膝当てとブーツ、最後に指の出る手袋をはめる。

「あら、着替えちゃったのね。ちょっとタイミングが悪かったかな」

 着替え終わったところで、セフィールがなにか服を手に脱衣所へやってきた。

「なんですか?」

「話はレストランでしようと思って。これに着替えてもらえるかしら?」

(なんでわざわざ?)

 兄の心の声が聞こえたのか(そんなはずはないが)、セフィールは言葉の後に付け加えた。

「うちが出資しているレストランでね。正装で入る決まりなのよ」

「貴族向けのお店ですか? 私、ほとんど行ったことありませんけど」

 当然ながら、貴族でもないただの旅人であるシンシア&ジオークが高級店に入るはずはない。話をするときはたいてい酒場か一般向けの食堂だ。

「大丈夫大丈夫。あなたはうちのお客様なんだから。それじゃ、これに着替えてね」

「あの、剣は持っていっても大丈夫ですか?」

「剣って、その腰にぶら下げている? ちょっとまずいんじゃないかしら」

「この剣、なまくらなんですけど」

 と言って、剣を引き抜き刀身を見せる。

 腕一本分ほどの長さの、小振りの剣。刀身は真っ白で、その根本から先端へ向かって、竜の紋章が描かれている。なかなか芸術的なデザインの──しかし実用にはほど遠そうな──剣だった。

 セフィールは剣に触ってみた。よく磨かれてはいるが金属ではないようで、少しざらざらしている。

「確かに実用的じゃないわね。なんでこんな物をいつも持ち歩いているの?」

「え、ええまあ、いろいろありまして」シンシアは言葉を濁す。

 なまくら剣──これは半分嘘である。今の状態では錆びた剣よりも劣るので、半分は本当なのだが。

「ま、いいんじゃないかしら? カウンターに預けることになるとは思うけど」

(どうする、お兄ちゃん?)

(うーん、まあ大丈夫だろ。カウンターに預ける分には盗まれる心配はないだろうし、そうそうそいつが必要になるような町でもなさそうだ)

 心の中で二人は話し合い、了承した。

 セフィールは脱衣所から出ていき、シンシアは改めて着替え直す。

 広げてみると、どういうデザインかがよくわかった。

「ミニスカートだよ、これ」

 黒を基調とした、スーツのようなデザイン。ところどころラメ糸が縫い込まれ、簡素な模様が描かれている。正装と言うだけあって、なかなか高級そうな服だった。

 ただ、そのスカートの丈は短かった。これでは太股のあたりまで露出してしまうだろう。

 シンシアもジオークも、この手の服を着るのは初めてである。

(着てみろ、着てみろ、ほれほれ)兄は興味津々といった様子である。

「ちょ、ちょっと恥ずかしいなあ」

 スーツは身体にぴったりと密着する物で、女性らしさを残しつつよく鍛えられたシンシアの身体が美しく浮かび上がっている。

 服に合わせたデザインの、底の厚いブーツ。これは前側が紐で締められるようになっている。真っ白な手袋は肘丈ほどの長さがあり、これもところどころに装飾が施されている。

 鏡の前に立ち、くるりと一回転する。頭の中で、兄が感嘆の声を上げた。

(ほほう。なかなかイケてるでわないか。その格好で町をうろつけば、金持ちの男がわさわさ寄ってくるに違いないぞ)

「お兄ちゃん、男が寄ってきて嬉しいの?」

(気色の悪いことを言うなっ)

 兄は当然男であるため、シンシアが異性とつきあうということはイコール兄が同性とつきあうことである。兄はもちろん同性愛主義者ホモセクシャルではない。

 しかし身体が女である以上、女性の恋人を作るわけにもいかない。ジオークがシンシアに居候している限り、この兄妹は恋人を作れないのだ。

「はうう、いくら綺麗になったって、これじゃ意味無いよう」

 兄に聞こえるようにぼやきつつ(無視されたが)、シンシアはアデナウア親子の待つ応接間へ急ぐことにした。


         *


 アデナウア家所有の馬車は、乗合馬車並の大きさがあった。

 市街地までの道のりは至極快適だった。街道は硬く踏みならされ、特に市街地に入ってからはコンクリートで整備されている。馬車の車輪にはゴムが使用されているため、揺れをほとんど感じない。

 馬車の中はちょっとした応接間のような作りになっていて、さすがに水が跳ねる程度の揺れはあるのでティータイムとはいかないが、くつろぐには十分だった。

 貴族ではないが、エルランダの町ではかなりの豪族──魔学者であるハガー氏の功績によるものらしい──だそうで、馬車を降りる際にレストランの店員が出迎えをしに来ていた。

 ハガー、セフィールと降り、シンシアも段差に気をつけながら馬車から降りる。

 ──ほおぉ、という感嘆の声が聞こえた。

 店員たちと離れたところに何人か集まっている野次馬がシンシアを見てついたため息らしい。

(はっはっは。やっぱり俺様は美しいようだな)

 なぜかジオークが鼻高々に自画自賛をした。

 外見はもちろん、そのレストランは内装もシックに壮麗だった。

 外から見ると、大きな三角屋根が目立つデザイン。木材が多用されながら、上部には採光用の窓ガラスがところどころに、南側にはひとつ大きな窓が張られ、店内を窺うことが出来る。

 これは店内から外の景色を楽しむための物らしい。高さ3メートル、幅は10メートルほどもある。

 これほど巨大なガラスは、他の町から輸入することはまず出来ない。道路設備を考えると、搬送中に破損するおそれが極めて高いためだ。となると、相当な技術力と設備がこの町に存在することになる。これもハガー氏の功績によるものなのだろうか?

 店内も上品にあかぬけている。ブラウンや藍色をベースに配色され、床も絨毯張り。ひとつひとつの席はゆったりとしており、落ち着いた雰囲気に包まれている。

 店内奥ではなにかイベントも行うのか、ステージが見える。現在は吟遊詩人がなにか語りごとをしながら、やや幼い踊り子が舞っている。

 貴族が結構利用しているようで、席の大半は埋まっていた。だれもかれも華美な服装で、なにか談笑にふけっている。

 やや奥の方に用意された席に、シンシアは座る。向かい側に、アデナウア親子が並ぶように座った。

 ハガー氏は年齢のわりに体格が良く、学者の風貌からはほど遠い。大きな身体によく似合うスーツを着用しているが、これでサングラスでもかけたら暴力団の頭領にも見えてしまうかもしれない。しかし幸い裸眼なので、優しげな瞳の頼りになりそうなご老人というイメージになっている。

 かしこまったウエイターがやってきてオーダーを聞かれるが、よくわからないのでセフィールに任せることにした。

(シンシア、代わりに言っておいてくれ)

 兄に頼まれ、シンシアはハガーよりも先に口を開いた。

「えーと、これは兄の言葉なんですけど──私たち兄妹のことに関しては、昨晩お話しした以上のことを言うつもりはありません」

(一宿一飯の恩があったから喋ったけど、全部うち明けるほどの義理は無いからな)

 胸中で兄が続けるが、これは口にしない。

 本来はイクティノス兄妹の体質に関しては秘密にしている。

「ああ、まだお会いしたばかりなのに、これ以上あなた方のことについて詮索する気はもちろんありません」

 ややしわがれた声で、ハガーは苦笑混じりに答えた。しかし次には至極まじめな口調になり、

「それよりも、今日はお願いしたいことがありましてな」

「お願い、ですか?」

「はい。昨夜お話ししたとおり、私は魔学者をしております。魔学者とはご存じの通り、先文明について研究をしている者のことでして、私は、火力発電、フロート法による板ガラス生産、機械式冷凍機や電波通信技術などを発掘し、この町に貢献してきました。特に火力発電は我ながら大発見でした。このエルランダの町を20~21世紀当時の文化度まで高めたわけで……」

 この後、延々とハガーの話が続くが、シンシアには途中から通じなくなってしまった。専門用語が連発したためだ。きょとんとした顔になっていたか、熱弁を続けるハガーをセフィールが止めた。

「お父さん、話がそれてる」

「……失礼、脱線してしまいましたな」

 娘に指摘され、彼は咳払いをひとつした。

 この間に、サラダ・スープ・メインの肉料理と、高級店らしい品が運ばれてきている。それをついばみながらの会話である。

 グルメ向けに厳選された食材と味付けでなかなかの美味だが、旅用の干し肉や大衆食堂に慣れている身としては、毎日食したいとは思わない。それに値段を聞いたら食欲を無くすかもしれない。もちろん人様の払いだから美味しくいただけますが。

 しかし、なるほどこの町が妙に発展していたわけがわかった。そういえば先日立ち寄った賭博場カジノもかなり近代的だった。

「けど、そうなると昨夜のあれも、その関係でしょうか?」

 昨晩、セフィールを乱暴しようとした覆面姿のちんぴら──ちなみに一晩巨木の幹に縛り付け、翌朝役所にしょっ引かれたという──、彼らはハガー氏に恨みのある者に雇われていたようなことを口走っていた。

 ハガーは少々疲れたようにため息をついた。

「まず、そうでしょうな。先ほど役所から連絡が来たのですが昨日の者達、市外の者のようです」

 国の概念の無くなったこの時代、それぞれの町が自治権を主張している。そのため、市内の情報や技術は極力外に漏らさないようにしているのが普通だ。エルランダの町は温厚な方だが、町によってはほとんど鎖国的に閉ざしているところもある。そして同時に自分の町に無い技術は非道な手段を執ってでも欲しがる。

(となると、ハガー爺さんの技術を狙っている連中か?)脳裏で兄がつぶやいた。

「何度か私の発掘した技術を売って欲しいという話があったのですが、この町もむやみに技術を漏らさないようにしてますからな。役所に問い合わせてくれと取り合わなかったのが原因かもしれません」

 昨夜のちんぴらは、ハガー氏が最近ズに乗っているとか漏らしていた。その報復のためにセフィールを呼び出してひどい目に遭わせようとした。

「それで、本題なのですが……」

「ボディーガード、ですか?」

 先に結論を言うシンシアに、依頼人はこくりとうなずいた。当然といえば当然の展開かもしれない。兄、ジオークは最近では珍しい闘者である。

 200年前の闘者エスペラントは、たった一人で一個師団を殲滅させたという。闘者の強さは半ば伝説じみているが、兄と旅を共にするシンシアはそれが単なるうわさ話でないことを──誇張はあるが──よく知っている。

(どうする、お兄ちゃん?)

(金額次第だな)

 しれっと言い切られた。

 確かに今は一文無し(全面的に兄のせいだが)である。旅を続ける以前に今日の晩ご飯のためにも、なにか仕事を探さなければならない。そういった意味合いでは、向こうから仕事がやってきたのは好都合といえる。

「どうでしょう? 引き受けていただけますかな?」

「あー、えーと……」

 依頼料はいくらくらいですか? などという交渉は、シンシアは苦手である。兄なら大根一本買うのにも根性入った値引き合戦を繰り広げてくれるのだが、ここでまた1時間兄に制御権を譲るのもちょっともったいない。なにしろ今は食事中なのだ。

 ──金額の前に、期間とか他の条件について話し合った方が良いかしら? 住み込みなのかとか、その場合は食事はつくのかとか……

 などと答えあぐねていると、ウエイターがやってきてセフィールになにかを小声で話しかけていた。彼女はこちらへ視線を戻すとこう言った。

「そろそろデザートがくるわね。シンシアはバニラアイスで良い?」

「あ、アイスですか!?」

 何気ないセフィールの言葉に、シンシアは過剰に反応した。周囲の客が一瞬こちらを見やったほどだ。

 セフィールは少し得意げに微笑んだ。

「ええ。さっきお父さんもちらりと話したでしょ? この町には冷凍機の技術もあるのよ」

 冷気系の魔法というのももちろんあるが、これはごく短時間しか効果を発揮できない。アイスを作るためには一定の温度で長時間冷やし続ける必要があり、それを魔法で行うには非常に効率が悪い。

「わ、私、一度アイスを食べてみたかったんです!」

 碧眼をきらきら輝かせ、シンシアは天を仰ぐ。まさかアイスを食せる時がこようとは!

(うおお! 俺もアイスを食いたいぞ! 俺に切り替えろ!)

「やだもーん。アイスは私が食べるの。味はお兄ちゃんにも伝わるんだからいいじゃない」

(はぐうっ。味だけ伝わっても、自分で食べなければ全然楽しくないぞ。シンシア、悪いことは言わない。甘い物は太るぞ。せっかく俺が鍛え上げた美しい肉体を台無しにするんじゃないっ。ここはひとつ俺に切り替えるべきだ!)

 非常にナンセンスな言葉であり、もちろんシンシアはこれに取り合わない。

「甘い物はベツバラだもーん。あ、きたきた。それじゃ、いっただっきまーす!」

 なにを会話しているのかがわかるのか、あきれた表情の親子をよそに、シンシアは上等なグラスに盛られた雪のように白いアイスにスプーンを差し込む。

 ──と、そのとき、

「……?」

 甘い香りがした、ような気がした。

 アイスの香りではない。果物のような……イチゴが近いだろうか? イチゴにシロップをかけたような甘ったるい香りが鼻腔をくすぐり、軽い倦怠感と共に眠気がおそってきた。

(お、おい、シンシア?)

 いきなり視界が暗くなり、ジオークは妹に問いかけた。

 現在ジオークは制御権を得ていないが、五感はつないである。その視覚がいきなり絶たれたのだ。

 なんだ? いったいなにが起こったんだ? ジオークは制御権を切り替えようと試みた。

 しかし、身体が言うことを聞かない。切り替えることが出来たのかすらわからなかった。

 シンシアの呼吸が、規則正しく聞こえてくる。真っ暗な視界の中には赤い星空だけが輝き、鼓動に合わせて近づいてくるようにも遠ざかっていくようにも見える。身体にわずかに残った感覚は、心地よい倦怠感。

 全身が深い眠りについているようだと、彼はそう結論づけた。

 意気揚々とアイスを食べようとしていた次の瞬間に熟睡するとは、ここ数日の寝不足がたたった……はずはない。直前に感じた甘い香りが怪しい。

「みんなぐっすりお休みなのよ。私の魔法は強力なのよ」

 身体が眠っているせいか聴覚も弱くなっているが、幼い少女の声が鼓膜に響いた。

「たぶんここのデカチチ女とキンニクジジイが依頼にあったアデナウア親子に違いないのよ。さあここからはお兄ちゃんの出番……ってお兄ちゃん! なにお兄ちゃんまでぐーすか寝てるのよ!?」

 ごげしっ

 語尾の変な、裏声にも近い黄色い声が、もう一人誰だかを蹴り起こしたようだ。

「むぅ、人が気分良く眠っているところをたたき起こす貴様は何やつ!?」

「私なのよ!」

「なんだ、アーミュアではないか。たたき起こしてまで、この兄にいったい何の用だ?」

「だから仕事中なのよ! 後はお兄ちゃんの仕事だから、さっさとするのよ!」

「……おおっ、そういえばそうであった」

 男には緊張感のかけらもないが、よく澄んだ声だった。女性的なわけではなく、チェロのように低く透き通った声だ。

「それでは『帰らぬ目覚め』を歌おう。寝ている者にしか効かないのが難点だが、アーミュアによって全員眠らされたからな」

「この親子以外には、面倒になるからかけちゃいけないのよ」

「わかっている。よけいな殺生は私も好まぬからな。むろん、この親子も死ぬわけではなく、永遠に眠るだけだが」

 ──永遠に眠る? 死も同然の言葉に、ジオークは危機感を覚えた。この親子、命まで狙われているのか!?

 それにしても、このレストランにいる全員が眠らされているようだ。アーミュアと呼ばれた少女の魔法によるものらしいが、ジオークはにわかには信じられなかった。

(魔力とは一種の波長であり、魔法とは、自分のその波長を他のものへ同調させる技術である。同調させることにより、それを自分の一部と化すわけだ)

 という師匠の言葉を思い出す。

 魔法は大きく分けて、物質魔法・生命魔法・時空魔法の三種類に体系づけられている。

 一般的な魔法は、物質魔法と呼ばれる。人間などの生命体へ作用するのが生命魔法。時間と空間を操るのは時空魔法と呼ばれる。

 目に見える一般的な物質は魔力の同調もしやすいが、自分以外の人間などへ術をかける場合は、個人差のある相手へ波長をその都度合わせなければならないため、難易度は高い。特に不特定多数へ一様に効果を与える魔法は実質的に存在しないと言って良い。

 時間や空間にも波長は存在するが、それを感知できる者そのものが希有なので、これについては論外だ。

 ともかく、相手を眠らせる魔法というのは生命魔法に分類されるはずだ。その生命魔法を、アーミュアという少女はこの場にいる全員にかけたことになる。

 考えられる可能性は二つ。ひとつは、個人差を無視するほど強力な魔法を使った。しかしこれはまずあり得ない。魔導師協会最高峰と謳われた師匠でさえ、そんな魔法は使えなかったのだから。

 そうなるともうひとつの可能性──なにか裏技を使った、か。

(起きろ、この馬鹿シンシア! 敵だぞ!)

 肉体と精神の双方へ、ジオークは怒鳴りつける。だが、身体はぴくりとも動かない。

 護衛の仕事をまだ引き受けたわけではないが、目の前で見知った人間が殺されるのを黙って見過ごすほど、ジオークは冷徹非道ではない。妹が目を覚まさないなら、自分が何とかするしかない。

「まずは娘の方からいくか……」

 男の低い歌声が響き出す。引き込まれそうな美しい歌声だ。

 ステップを踏むとか身振りを加えている様子は感じられない。純粋に『声』だけで魔法を使う気のようだ。

(落ち着け。どうすれば起きられるか考えるんだ)

 真夜中、ふと目を覚ますが身体が動かない。これは金縛りと呼ばれるが、なんのことはない。頭が起きているのに身体が眠っているだけだ。今の状況はそれと同じ。そういうとき、強引に起きるにはどうしている?

 眠りにつく瞬間、無意識に身体が跳ね、びっくりして目を覚ますときがある。その直前の感覚を思い出す。

 ──心臓が一瞬縮まるようなあの感覚──

 どくんっ。ひとつ大きな鼓動が全身を駆けめぐり、身体が無条件反射で跳ね上がる。

 次の瞬間、ジオークは声を張り上げた。

魔竜剣まりゅうけん!」

 なにかが空を切り裂き飛んでくる。突き出した手に、ずしりと衝撃がのしかかる。それがなにかを確認もせず、ジオークは横一線にそれをないだ。

 ずばあっ。敵の位置も調べずに放ったその一撃はもちろん当たりはしない。だが、いきなりの出来事に、相手は驚き術を中断した。

 両手に握られた白い小振りの剣を撫でる。この魔竜剣をカウンターに預けておいたのは正解だった。

 なんとか身体も覚醒し、制御権を切り替えた。野獣の表情に乗った真紅の双眸を、ジオークは敵へ向けた。

 大きな男と、小さな少女。先ほどの口振りから、彼らも兄妹らしい。

 少女の方はかなり幼げで、10歳くらいかもう少しか。少し癖のある頭髪を短めに切りそろえている。シースルーの衣装をまとい、その下はレオタードを着ている。どうやら先ほどまでステージで踊っていた踊り子のようだ。年相応のかわいらしい顔を驚かせてこちらを見つめている。

 男の方は大柄で筋肉質。革のジャンパーとズボンに、これまた革製の手袋とブーツ。胸元ははだけ、ボディビルダーのように鍛え上げられた胸板がむき出しになっている。

 このコスチュームといい、肩に担いだ戦斧バトルアクスといい、そしてなにより、あの凶悪そうな面構え。

「ガキの踊り子と、狂戦士バーサーカーか」

「誰がガキなのよ!」

「誰が狂戦士バーサーカーかっ!」

 独白気味のジオークだったが、鋭く否定されてしまった。

「アーミュアは21歳なのよっ」

「私は吟遊詩人だ。どこをどう見たら狂戦士バーサーカーになるのだ」

「…………」

 ジオークはしばし返答に詰まり、あたりを見やる。

 自分のいる場所は、店内のやや奥、首をひねればステージがよく見える場所だ。ちょうど席から立ち上がってステージを向いている。すぐ目の前、3メートルほどの位置に自称吟遊詩人の男と自称21歳の少女が息巻いている。

 左手、席の向かい側にはアデナウア親子がテーブルに突っ伏すように眠っている。

 兄妹へ視線を戻し、手をぱたぱたと振りながら、

「いや、どこからどう見たって、10歳くらいのガキと狂戦士バーサーカー……」

 殺意のこもりまくった視線に、後が続けられなかった。

「私の魔法をどうやって破ったのか知らないけど、こうなったらもう一度、今度は永遠に眠らせてやるのよ!」

 アーミュアという小娘が踊り子衣装をたなびかせ、舞いだした。踊り子だけあって、引き込まれるような舞である。

 ゆったりとした構えから膝をつき、凍えるように身体をすぼませる。嘆くように天を仰ぎ、そのまま立ち上がる。

「すやすやぐーすか!」

 ──『舞』だけで魔法を発動!? ジオークは驚愕した。

 魔法を発動させるために必要な『呪文』は普通、『舞』と『声』を組み合わせて唱える。

 しかし先程も述べたように、波長には個人差があるために、魔法を最大限に効果を発揮させるには、術者に合わせて呪文内容を調整する必要がある。

 つまり『舞』だけで呪文を構成することも可能だが、それはすなわち魔法について相当な知識を持っていることになる。──そういえばあちらの大男は『声』だけで魔法が使えるようだった。

 少女を中心に、空気が紫色に染まっていく。

(なるほど。睡眠効果を持つ空気を作ったのか)

 店内の人間を全員眠らせた理由がわかった。彼女の使った魔法は生命魔法ではない。空気を変質させ、それを吸わせることにより眠らせたのだ。

 そうとわかればなんのことはない。ジオークは大きく手を振りかざした。

風の圧力波ウィンド・プレッシャー!」

 ごうっ! 突如の突風に、紫色の空気が霧散される。

 今の魔法はシンシアが開発した物だが、ジオークも使える。腕の振りと魔法名だけで発動できるように簡略化された、お手軽な魔法だ。簡単に使える分威力も小さく、間近で放てば相手がしりもちをつく程度の効果しかない。しかし、この場ではこれで十分だった。

「し、しまったのよ! 風がこっちへ……!」

 あわててよけようとするがもう遅い。少女は紫色の空気に包まれ、ぱたんと倒れてしまった。兄らしい大男が妹へ駆け寄ろうとするが、ジオークは剣で牽制してこれを阻止する。

(……んん……)

 精神の奥底で、小さなうめき声。シンシアが目を覚ましたみたいだ。

(うーん、私、なんで寝てたんだっけ? ……ああっ、お兄ちゃん、また勝手に制御権を奪って……)

「状況をよく見てからものを言え、たわけっ!」

 狂戦士バーサーカー風の男が訝しげな顔を浮かべるのもかまわず、妹へ怒鳴りつけた。

(あ、あれ? 店の中がめちゃめちゃ……あぁーーっ!)

(なんだようるせえな)

(アイス! 私のアイスが床の絨毯と仲良しに! まだ食べてないのにいぃぃ!)

「今はそんなことを言ってる場合じゃないだろうがっ」

 アイスを食せなかったのは、ジオークとてはらわた煮えくりかえるほど悔しいのだ。この怒りを敵に向けんでどうする!

「美しき乙女よ、名を聞いておこうか」

「だったら自分から名乗ったらどうだ?」

「うむ。私はリューベック=ラインハルトと申す」

「俺はジオーク。ジオーク=イクティノスだ」

 名乗りを上げ、ジオークはすり足でセフィールのそばへ寄る。その隙にリューベックもアーミュアを起こしに向かったようだ。

「起きろ」

 魔力を込めた手で、セフィールの頬を軽くはたく。きゃっ、と驚きの声を上げて彼女は目を覚ました。これは気付けの魔法だ。リューベックが永眠の魔法を使いかけていたが、どうやら大丈夫そうである。

「え? あ、あたし……?」

「刺客だ。狙われる覚えは?」

「な、ないわよ、そんなの」

 簡潔な質問に、簡潔な答えが返ってくる。ハガーや他の人を起こすように言いつけ、ジオークは敵に向かい直す。リューベックもちょうど妹を起こしたところのようだ。

 セフィールを起こす前に攻撃を仕掛けるべきだったか、とジオークは考えた。アーミュアの魔法も厄介そうだからだ。

「お前ら、なぜこの親子を狙う?」

 ダメもとで聞いてみるが、リューベックは重々しくうなずいて説明を始めた。

「義を見てせざるは勇なきなり。一宿一飯の恩義といえども、それに背くは戦士、いや吟遊詩人の名折れ!」

(そ、そんな理由で暗殺を引き受けたってのか?)

(けど、私たちも似たようなものじゃない? 一宿一飯が元でボディーガードの話が来たんだし)

「本当は人んに忍び込んで盗み食いしてたのを見つかって役所に突き出されるのを勘弁してもらう代わりに仕事を引き受けたのよ!」

「翻訳するでないアーミュアよ!」

 びしっと人差し指をこちらに向け言い切るアーミュアに、リューベックが意味もなく両手をわたわたさせて言った。

(…………前言撤回)

 頭の中で、シンシアがげんなりしてつぶやいた。

 ジオークは魔竜剣を構え、精悍な顔を敵へ向ける。

「まあいい。こっちもこいつらにはちょいと縁があってね。面倒を起こす気なら容赦はしないぜ」

「おお、美しき乙女よ。私はあなたと戦わねばならぬのか!」

 リューベックは大仰に頭を抱え──このあたりはいちいちオーバーアクションな吟遊詩人らしい──嘆じた。しかしすぐに真顔を取り戻すと、

「だが、それもまた運命さだめか。乙女よ、私も全力をもってあなたの想いに答えようぞ!」

 ──なんか勘違いしてねえか、こいつ?

 とか思ったが、この手の輩は苦手なので突っ込みはやめることにした。

 ジオークは呼吸を整え、半身になって剣を下段に構える。そのまま横薙ぎに振るえる体勢だ。

「いくぜ!」

 剣を横に構えたままジオークは勢いよく走り出す!

 どんがらがっしゃっしゃーんっ!

 二歩目で彼は盛大にすっ転んだ。いくつかテーブルをひっくり返し、その上にあった料理を頭からかぶる。衝撃で、眠っていた客が幾人か目を覚ました。

 総員沈黙し、事の行く末を見守っている。テーブルの下敷きになったジオークはそれをはねのけ、なんとか上体を起こす。だらだらと脂汗を流しながらこう言った。

「な、なかなかやるじゃねえか……!」

 ──バカ──?

 後頭部にでっかい冷や汗を流しながらセフィールがうめいているが、ジオークはこれを無視した。

 もとをただせば、このコスチュームが悪い。正装というのは得てして動きづらい。特に厚底ブーツ。こいつのせいで歩幅の感覚を誤ったのだ。

「ええい、めんどくせえ!」

 ブーツを脱ぎ捨て、ついでに手袋も外す。しなやかな手足を露出させ、ジオークは改めて剣を握りしめる。ひねったか足首が少々痛むが、戦いに影響が出るほどではなさそうだ。

「改めて、いくぜ!」

「ぬぅ!」

 流れるような動きで、敵の眼前まで迫る。リューベックが戦斧バトルアクスを中段に構えるのを見やり、ジオークは跳躍した。普通の人間には信じがたいほどの高さ──天井間近まで──飛び上がり、敵の脳天にねらいを定める。

「くたばれ!」

 手に握られた小振りの剣を、落下に合わせていきおいよく振り下ろす。空気を切り裂く音がした。

 ぎいんっ! 火花が飛び散るほどの激突音を響かせ、戦斧バトルアクスと魔竜剣が交差した。

 リューベックは戦斧バトルアクスを中段に構えたあの体勢から、軌道変更して頭上まで振り上げてきたのだ。巨体に見合うだけの腕力と見合わないまでの臨機応変さがあるようだ。

 体重差でジオークの方が吹き飛ばされるが、猫のように空中で体勢を立て直し、スタート地点とほとんど同じ場所に着地する。

「お前、やっぱり狂戦士バーサーカーじゃないのか?」

「私は吟遊詩人だ! 旅の必要上、戦士の素養を身につけただけである!」

「ならそのコスチュームは?」

「これは亡き父の形見だ!」

「なるほど、親父さんが狂戦士バーサーカーだったんだな?」

「我が家系の男児は代々吟遊詩人である。これは我が一族の正装なのだ!」

 …………どういう一族だ? ジオークはそこはかとない疑問を覚えてしまった。

「今度は私がやるのよ!」

 リューベックとの漫才の隙に、アーミュアが魔法の態勢を整えていた。

 左足を軸に右足を後方へ大きく伸ばし、小さな身体が大きく見える。二回、三回とスピンをする。バレーを模した舞だ。

 彼女の手足に、空気がまとわりついていくのがわかる。綿飴を作るとき、回転する機械の中で箸をかき回すときのように、粘りけのある風がアーミュアの全身にからみつき、その眼前で収束していく。

 足をおろしてかがみ込む。逆回転しながら大きく伸び上がり、高く挙げた手を振り下ろした。

「ぐるぐるどっかん!」

 魔法名と共に、風の弾丸が射出された。

 ジオークはこの魔法を知っている。『舞』だけで発動できるようにカスタマイズされ、魔法名もきっかいな名前(彼女らしいとも言えるが)になっているが、ジオークもこれとほとんど同じ魔法を持っている。

収束烈風弾しゅうそくれっぷうだんの亜流か)

 術者の周囲の大気を収束させ、風の弾丸として放つ攻撃魔法である。収束烈風弾と同じなら、対処法も知っている。ジオークは眼前に迫ってくる風の弾丸をねらい、魔竜剣を薙ぎ払う!

「なっ……!」

 一瞬展開しかかった風が、吸収されるように剣にまとわりつく。ジオークは素早く反対方向を向き、

「全員伏せろ!」忠告と同時に店外へ向けて剣を振る。

 どがしゃあんっ! 大きな窓ガラスを盛大にぶち破り、風は店の外で展開した。ガラスの破片が四方八方へ飛び散り、いくつか悲鳴も飛び交う。外の物品にも多少の被害が出たようだが、幸い怪我人はいなさそうだ。

「屋内で危険な魔法を使いがって……!」

 一息つき、ジオークは敵をにらみつける。その手に握られた剣は、先ほどまでとはうって変わった姿をしていた。

 腕一本分ほどの長さの小振りの剣は、今は使用者ジオークの身の丈に匹敵する大振りの剣となっている。デザインそのものは同じだが、そこから放出される魔力は禍々しいまでに高まっていた。刀身に彫られた竜の紋章が、今にも飛び出してきそうだ。

「ボッキしたのよ!?」

「アヤシイ言い方やめいっ!」

 アーミュアの驚きの言葉に、ジオークはひとしきり怒鳴り返した。

「あのガラス、金貨100枚はするのよ!」

 セフィールの苦情には顔も向けずに受け流す。敵から目をそらしている場合ではない。

「あとでシンシアに直させる。魔法を舐めるな」

 ジオークは剣を構える。半身で少し腰を落とし、剣は中段で横向きに。どの方向へも瞬間的にダッシュが可能で、攻撃にも防御にも剣を振るいやすい。これが彼にとってのベストの構えだ。

 リューベックは凶悪な形相を厳かに整え、言葉を紡ぐ。

「その剣、魔力剣か」

「そういうことだ」

 一口に魔力剣と言っても二種類ある。普通の素材で作られた剣に魔力を込めた物と、はじめから魔法物質で作られた物。魔竜剣は後者である。

 ドラゴン。陸・海・空、すべてにおいて最強の名を馳せる怪物モンスター。魔竜剣はそのドラゴンの骨を素材に作られた。

 そのままでは単なる骨で作られた剣で、なまくらにも劣る。しかし魔力を乗せたとき、その剣は生前の力を取り戻す。──最強モンスターの力を。

「どうやらお前は剣も魔法も使いこなすようだが……こんな言葉を知っているか? 魔法戦士は、闘者には勝てない」

 にやりと、獲物に飛びかかる寸前のケダモノの表情で、ジオークは言う。ラインハルト兄妹に、恐怖にも似た緊張が走った。

 一般に、剣と魔法を同時に使いこなすことは出来ない。魔法を放つには『声』と『舞』、そして集中力が必要だからだ。しかし闘者は、戦いの『型』の中に魔法を組み込んでいる。その難しさ故に闘者のなり手は少ないのだが、同時にそれが闘者が最強たるゆえんでもある。

 戦士は魔力剣の力を引き出せない。魔法使いは魔力剣を使いこなせない。魔力剣を使えるのは魔法戦士と闘者だけだが、魔法戦士は闘者に劣る。二対一とはいえ、ジオークの優位性は明らかだった。

 切っ先を横から上へ、そして眼前へと持っていく。なめらかなその動きは、見ている者の目を奪うほどに華麗だった。ちゃきっ、と竜骨で出来ているはずのその剣は、金属的な音を奏でた。

「ふっ。乙女よ、あなたは私を見くびっているようだ」

「なんだと?」

 切れ長な瞳を半眼に、ジオークは問い返す。リューベックは余裕を取り戻していた。その刹那、アーミュアが素早くスピンをし、風の弾丸を放ってきた。

「ちいっ!」

 すかさず剣で叩き切る。簡易的に使った魔法のせいか圧縮比率はさほどでもなく、展開された風は周囲のテーブルを揺らす程度だった。

 だがこの隙にラインハルト兄妹は、ステージの上へ移動していた。

 誰かが操作しているのか、兄妹がライトアップされる。アーミュアの衣装がきらきらと輝いている。このステージ専用にデザインされた物らしい。ステージの上での彼女は、踊り子然としていた。その横の大男がいなければため息が漏れただろう。

 ジオークのそんな感想などつゆ知らず、リューベックは手に握った棒状の物に向かって語り出す。

「あー、あー、てすてす。本日は晴天なり」

「な、なんだあ?」

 レストラン全体に響く声に、ジオークは愕然となった。いくら吟遊詩人といえども、あんな大声が出せるはずがない。改めてよく見ると、ステージの両端には四角い大きな箱が置かれている。木製のようで、前面には黒い布が張り付けてある。どうやらあそこから声が出ているようだ。

 父親の頬をぺしぺしたたき──ハガーは未だ目を覚ましていない──ながら、セフィールが説明した。

「あれはスピーカーとマイクといって、音や声を増幅させる装置よ」

「こ、この町にはそんな物まであるのかあ!?」声をひっくり返し、ジオークは悲鳴を上げた。

 ──まずい、まずいぞ。

 焦燥の中、ジオークは必死に考えを巡らせる。リューベックは『声』のみで魔法を使うことが出来る。そして今、声を増幅させる装置を使おうとしている。どれほどの威力になるかは見当もつかない。

 敵の兄妹はにやにやと皮肉な笑みを浮かべていた。そしてリューベックはひとつ息を大きく吸い、

「それではゆくぞ。『破滅への序曲』!」

「みんな耳を押さえて伏せろ!」

 そんなことでどこまで防げるかはわからない。だが、逃げている暇はない。ジオークは力一杯側頭部を押さえ、絨毯の上へはいつくばる。──そして

 ちゅっどおんんん!

 スピーカーが爆発し、そのすぐそばにいた兄妹はまともにそれに巻き込まれた。

 ……………………。

 目を点にして、ジオークは上体を起こした。その脇にはセフィールが同じ顔で並んでいる。ハガーがちょうど目を覚ましたところだった。

「おそらく魔法の負荷に、スピーカーの方が耐えられなかったんでしょう。スピーカーはあくまでも音の増幅器であって、魔力の増幅器ではありませぬからな」

「き、聞いてないぞそんなことは……」

 ぷすぷす煙を立ち上らせ、兄妹は苦々しくうめく。倒れるほどのダメージではなかったようで、なかなかタフなのかもしれない。

「さて、お前らからはいろいろ聞き出さないとな」

 気を取り直し、ジオークは立ち上がる。膨張した剣を元のサイズに戻し、腰のさやに収める。

 誰に雇われているのか? なぜこの親子の命まで狙うのか? いくつか質問事項を頭の中でまとめながら、二・三歩近づく。すすだらけの身体を起きあがらせて、敵の兄妹は表情を引き締めた。

「抵抗しても無駄だぜ。なんせ、今からおもしろい技を見せてやるからな!」

 つま先を床に着けたまま、かかとを浮き沈みさせる。胸の前でこぶしを軽く握り脇を締め、上体を少し沈める。リズムを取るようなその仕草は、呪文の一環だ。そのリズムに合わせ、発音による呪文も唱えている。そして、魔法名と共に魔力を解放させる!

七身乱舞しちしんらんぶ!」

 店内からどよめきが上がった。

 ジオークの姿が一瞬ぶれたかと思うと、次の瞬間には七人になっていた。これにはラインハルト兄妹も目をむいた。

 光の屈折により分身を生み出す、ジオーク専用の魔法だ。当然だが、闘者の魔法は格闘に応用しやすい物が多い。

 七人のジオークがステージの上へ飛び乗り、敵を取り囲む。各々が各々の構えで、剣を抜いて振りかざす。

 だが、兄妹は落ち着きを取り戻したような顔を向けると、たたえるように両手をこちら(分身したうちの一人)へ伸ばし──

「おお、乙女よ。あなたの姿は私にはまぶしすぎる!」

 ──歌うような叫び声──

 しまったと思うが遅かった。リューベックを中心に閃光が放たれた。今の『声』が呪文だったのだ。間近で閃光を受け、視覚が一瞬麻痺してしまう。

「ちいっ!」遅蒔きながら腕で目を覆う。

 分身が今の閃光でかき消されてしまった。兄妹はひとめで今の魔法の原理を見抜いたらしい。ジオークもアーミュアの『ぐるぐるどっかん』をひとめで見抜いたから、少なくとも彼と同程度には魔法に長けているということか。

 一度目をつむり、瞼に力を込める。くらんだ視界を取り戻すにはこれが一番早いが、それでも数秒の時間がいる。

 目を開けたとき、敵の姿は消えていた。見ると、店内の者も顔を手で覆い隠している。彼らが視界を取り戻すには今しばらくの時間がかかりそうだ。

「くそっ、逃がしたか」

 忌々しげに、ジオークは吐き出した。ステージを飛び降り、アデナウア親子の元へ戻る。しきりに目をしばたたかせながらも、なんとか視力が戻ってきたようだ。やぶにらみ気味にこちらへ目を向けてきた。

「すまない、逃がしちまった」

「いえ、怪我人は出なかったようなので一安心です」

 と、ハガー氏の懐からなにか機械的な音が響いた。ぴりりりり、という耳につく音だ。

「ちょっと失礼。もしもし、私だ……」

 スーツの内ポケットから取り出した物を老紳士は耳元に当てて、それに向かって話し出した。

「あれは携帯電話よ」

「参りました」

 セフィールの簡潔な説明に、ジオークは舌を巻いた。この老人は、もはや何でもありのようだ。

「なんだと! 野盗におそわれた!?」

 張り上げるような大声に、セフィールもジオークも目を見開いて振り返った。すぐに屋敷の当主に尋ねる。

「その野盗はまだ屋敷にいるのか?」

 ハガーは電話機の向こう側と話をしながら視線だけこちらへ向け、うなずいた。それを確認し、壊れた窓ガラスを飛び越して表へ移動する。セフィールが追ってくるが、それを制する。

「先に行ってる。お前らは馬車で追ってこい」

「走ったって間に合わないわよ」

「魔法を舐めるなと言ったろ」

 呪文を唱えながら、ステップを踏む。手の動きは鳥の羽ばたきを模しているが、ダンスのように軽やかな舞だ。

風の翼ウィンディング!」

 大気がチューブのような透明の固まりになってジオークの身体に巻き付き、空中へ浮かび上がらせる。チューブの先端から空気を取り込んで圧縮し、後方へ吹き出す仕組みだ。同時のこのチューブが、空気抵抗や万が一の際の衝撃から身体を守ってくれる。

 この飛翔の魔法はジオークの場合、最高で時速120キロは出せるので、馬車よりもずっと早く屋敷へ戻れる。爆音をとどろかせ、ジオークは文字通りすっ飛んでいった。

(ところでお兄ちゃん)

(なんだよ)

(ガラスの修理はしないで良いの?)

(んな暇無いだろうが)

(けど修復の魔法って、時間が経つほど難しくなるのよ)

(…………)

(…………)

(悪いのはラインハルト兄妹だ。俺にはまるで問題ないぞ!)

(……まあいいけど)

 飛行中に妹とそんな会話をやりとりしているうち、程なくアデナウア家の屋敷が見えてきた。上空から見ると、その大きさがいっそう際だって見える。

 屋敷の一部で火の手が上がっている。入り口近辺に数人の人影があり、あれが野盗らしい。数は多くない。少数精鋭なのだろうか?

 ずざざざざあっ! 塀を飛び越え、庭を滑るように着地する。野盗がぎょっとなって振り返った。

「なんだてめえは!?」

「正義の味方だ!」

 いけしゃあしゃあと言い放ち、ジオークは魔竜剣を引き抜いた。剣の柄で二人ほど小突き倒すと、敵もそれぞれの武器を手に襲いかかってくる。しかし、少々訓練を受けた程度の手合いのようで、ジオークの敵ではなかった。この場にいた野盗はすぐに全員倒れ伏した。

(まだ中にいるのか?)

 屋敷の中へ乗り込もうとしたとき、ジオークは全身総毛立つ感覚を覚えた。反射的に飛び退き、屋敷の入り口をにらむ。

 段数の少ない石の階段があり、屋敷はその上にそびえ立っている。大きな両開きの門がきしむ音を立てながら開く。そこから男が一人現れた。

「何事だ? 今忙しいんだから邪魔するなよう」

 とぼけた口調であたりを見やる。軽量鎧に身を包んだ戦士風の男で、武器は特に持っていないようだ。短髪で顔も平凡だが、抜け目のなさそうなぎょろりとした目が尋常ならぬ雰囲気を醸し出している。

(なんだあいつは……)

 ジオークは全身から冷や汗が吹き出しているのではないかと思った。恐怖にすら似た感覚が、あの男を見ているだけで全身を駆け抜けていく。

「ん~? そこのカワイコちゃんは誰なのかなあ?」

 ぬらりとした視線に、ジオークは無意識に後ずさる。身の毛がよだつとはこのことだと考えた。

 この感覚、前にも抱いた覚えがある。闇の中に取り残されたような、純粋な恐怖──

黒の一族ダーク・ブラッド!」

 記憶の奥底から引き出されたその言葉に、男の目に警戒心が一瞬宿り、そしてすぐに興味深そうな笑みの形にゆがめられる。

「僕たちの通り名を知っている君は何者なのかな~? お兄さん、とっても気になっちゃうなあ」

「お……おおおおおぉぉぉ!」

 瞬間、ジオークは男に突進していた。

(お兄ちゃん!)

 シンシアが止めようと声を上げるが、兄には届かない。思わぬところでの黒の一族ダーク・ブラッドとの再会に、そして怒りと恐怖に、完全に我を見失っていた。魔竜剣を引き抜き巨大化させ、男の眉間をねらい打つ!──

「魔力剣とはびっくらおどろいた。お嬢ちゃんが誰か気になるけど、お兄さんもちょっと本気を出さないといけないかな?」

 ──驚愕の出来事が起こっていた。男はジオークの全力の一撃を、片手で受け止めたのだ。親指と人差し指でつまむように斬撃を阻んで見せた。

「!」

 脳裏を死の予感が走り抜け、ジオークは横に飛んだ。しゅっ、と耳元をなにかがかすめた。

 頬にかすかな痛み。見えない刃が彼の頬を切り裂いていた。

 呪文を唱えた様子はない。暗器を使ったわけでもない。考えられることはひとつ。

「やっぱり黒の一族ダーク・ブラッドか……!」

 黒の一族ダーク・ブラッドは、精神力のみで魔法を発動させることが出来る。そしてその魔力もけた外れに強い。

「うーん、かわいい上にすごく強いじゃないか。ほれぼれしちゃうなあ」

 男の瞳には、おもしろいおもちゃを見つけた子供のような色が宿っていた。ジオークから放たれる殺気など気にもとめていない。いや、むしろそれを楽しんでいるようにすら見えた。

「それで、僕に何の用なのかなあ、カワイコちゃん?」

黒の一族ダーク・ブラッドは殺す!」

「うわあ、そりゃおもしろいや!」

 一瞬で数十発は放たれるジオークの剣撃を、男は拍手をしながらことごとくかわす。

「なにをしている、アイヌラックル」

 いきなりもうひとつの声。ジオークは攻撃をやめ、後ろへ飛んだ。息を切らせて扉へ向くと、若い男が立っていた。

 これも戦士風の男だ。ジオークと同じように、腰に剣を差している。なかなかの色男で、二十代半ばくらいだろうか。男にしてはやや長い黒髪を、自然に後ろへ流している。この男からも、心臓を握りつぶされるかと思うほどの強大な重圧感プレッシャーを感じる。黒の一族ダーク・ブラッドに間違いなかった。

「やあ、ガイア。この娘が僕たちを殺すんだってさあ。おもしろいだろう?」

 ガイアと呼ばれた男はこちらに一瞥を送り、すぐになにも見えていないような──いや、空気でも見ているかのように視線をはずした。

「魔導書『ソウルウエイバー』は手に入れた。戻るぞ」

「えぇ~? もう帰るのか? 僕はもっとこの娘と遊びたいぞう」

「ヴァルハラがお待ちだ」

 優男の一言にアイヌラックルと呼ばれた男はしばし考え──

「そだね。変に待たせてあいつを怒らせちゃ怖いもんな」

 ぎょろ目の男はそれっきりジオークからは興味を無くしたように空を見上げ──空中に浮かび上がった。優男の方も、重力が無いかのように地面を蹴って宙へ舞う。

「待ちやがれ!」

 一声吠え、ジオークは呪文を唱える。詠唱に合わせ、広げた両手をねじるように敵の飛び去った上空へ向ける。

「収束烈風弾!」

 闘者の技を除けば、ジオークの持つ最強攻撃魔法。しかしそれは天へ向かって吐いた唾がごとく、二人の元へたどり着く直前で跳ね返ってきた。風の弾丸は地面へ着弾し、竜巻がごとく展開する。

「くそっ!」

(お兄ちゃん、追っちゃダメ!)

 妹の警告を無視し、飛翔魔法を使おうと呪文を唱え始めるが、すでに敵は点のように空のかなたへ飛び去っていた。速度を逆算するまでもなく、ジオークの魔法では追いつけない。

黒の一族ダーク・ブラッド! お前らは師匠の、そして『俺』のかたきだ! お前らは全員殺す! 絶対殺してやるからな! 首を洗って待っていろ!」

 天空へ向かって、ジオークは力の限り叫ぶ。

 ──天空ヴァルハラ大地ガイア人智アイヌラックルだと? ふざけた名前を名乗りやがって!

 ついに見つけたかたきに、ジオークの血液は沸騰していた。

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