ソウルウエイバー
舞沢栄
プロローグ
ソウルウエイバー プロローグ
じー……じー……
晩夏の夜風の音に混じり、遠くから近くから、虫の音色が静かな音楽を奏でている。
丘の上の巨木の枝により掛かり、ジオークは心地の良い微風とほのかな眠気に浸っていた。
「ちょっぴり過ごしやすくなってきたな。たまには野宿も良いもんだ」
ほぅ、と満足げなため息をひとつつき、ジオークは独白した。
(たまにじゃないでしょう、たまにじゃ)
どこからか聞こえたその声を無視し、肩に掛かった黒髪を軽く払う。
手近の枝から赤い果実を一個とり、かじりつく。しゃくりとした歯ごたえと共に、甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がった。
「まあそう言うなって。路銀がつきたんだからしょうがないじゃないか」
(お兄ちゃんが町に着くなり
「お前だって楽しんでたじゃないか、シンシア」
(私はちゃんと勝ってたもーん。お兄ちゃんがそれを全部スッちゃったんじゃない)
「わっはっは。予定では3倍にふくれあがるはずだったのだ」
(だからあそこは降りるべきだと言ったのに~)
妹、シンシアといつもの軽い会話を交わしているが、ここにいるのはジオーク一人。妹の声は、彼の頭の中から響いていた。
──と、
「……ん?」
(なに?)
ジオークは息を潜め、下方に目を向ける。
この丘の
巨木の元には、何人かの人影が集まっていた。
暗がりではっきりとはわからないが、全部で5~6人か。全員男のようである。
なにかを話し合っているようだが、ぼそぼそした声でいまいち聞き取れない。
──魔法で聴力を上げるか?
ジオークは思ったが、行動を起こす前にもう一つ人影が現れた。
年の頃、17~8の若い娘だ。わりと軽装だが、その思い詰めた様子に、なにか武器を携帯しているなとジオークは判断した。
男たちの薄笑いといい、どうも穏やかではなさそうだ。
「それで、何の用?」
静かに、しかし緊張は隠せず、娘は男たちに聞いた。
「わかってるんだろう、セフィールお嬢さん?」
がらがら声で、男の一人がそう答えた。へっへっへ、と他の男たちも胸の悪くなる声を上げている。
「あんたの親父さんが最近ずいぶんとズに乗っているようでね。少し懲らしめてやらなきゃなんねえのさ」
「それで、何であたしが?」
「娘がひどい目に遭わされるのが、親のなによりの苦痛じゃないか」
セフィールと呼ばれた娘が、ひらめくように懐に手を突っ込み──そしてその手を捕まえられた。
「離して!」
「こんな物を持ち歩くたあ、物騒な女だな。おめえら、押さえつけろ!」
娘には似合わない
「やめて、やめてよ!」
「ムダムダ。ここからじゃ誰の耳にも届かないよ!」
「うるせえぞお前ら!」
べしゃっ! 男の後頭部に、赤い果実がクリーンヒットした。
「あ、兄貴!」
「な、なんだあ?」
果肉も赤い果実なので、男は頭から血を流したようにも見える。
数メートルある高さから、ジオークは軽く飛び降りた。
手のひらを上に向けたまま、大きく振り上げる。
「
魔法名を唱えると同時に、頭上から光が放たれる。
「魔法?」誰とも無くつぶやいた。
ジオークは明かりの魔法を使った。
麓の人が気づいて駆けつけてくることを期待したわけではない。男どもの顔を確認しておきたかったのだ。
だが、あまり意味はなかった。彼らは全員覆面をかぶっていた。
しかし男たちに隙が出来ていたかその腕をふりほどき、明かりを見つけたチョウチョのように娘がジオークの元へ寄ってくる。
娘を含め、全員の目がジオークへ向く。
なめし革の軽量鎧──胸当てに近いが──を装着し、その下には身体にぴったりと密着する布製の上下の衣服。ブーツに膝当て、手には指の出る手袋をはめている。
長身で細身だが、それは、よく鍛えられたがゆえのものだということが見てわかる。
腰には小振りの剣が差し込まれ、戦士であろうことが窺える。
肩ほどまでの黒髪は、やや内側に跳ね、ほっそりと整った顔には、暗がりの中でも真紅の燃えるような瞳だということが見て取れる。
猫科の大型獣のような、精悍な顔つき。野性的に美しい女性だった。
「なんだおめえは!?」
ジオークは鼻で笑うだけで、男の罵声には答えない。
「あ、あなたは……?」
「ジオークだ」娘の質問には即答する。
……ジオーク……なんだか男みたいな名前ね……
娘の訝るようなつぶやきが聞こえたが、これには取り合わない。
男どもは馬鹿にされているとでも思ったのか(実際しているのだが)、敵対的な目を向けてきた。
「ふん、女じゃねえか。ご大層な格好だが、かまわねえ。まとめてふんじばっちまえ!」リーダー格の男が命令を下す。
ジオークは吐き気にも似た胸焼けを起こした。すたすたと男に歩み寄り、そのしなやかな手を男の胸元にそっと当てる。
その綺麗な顔には、優しげな笑みすら浮かび上がっていた。
「なんだあ? 媚びるんだったら可愛がってやっても……」
「
どうっ! 手のひらに一瞬閃光が走り、次の瞬間、派手な音と共に男は吹き飛んだ。
「兄貴!」
ボキャブラリーが少ないのか、取り巻きが全員同じ悲鳴を上げた。
「て、てめえ……やっぱり魔法使いか……」
リーダーらしき男は、苦しげに上体を持ち上げる。
大して魔力を込めてなかったので、気絶するはずもないが。
「違うな。俺は闘者だ」
「闘者だあ?」
今し方の仕打ちも忘れ、男どもは薄汚い笑い声を上げた。
「今時、しかも女の闘者か? その格好といい、ずいぶんなハッタリだな」
ジオークは
戦いの『型』の中に魔法を組み込む闘者は、習得が難しいためか確かに最近はなり手は少ない。女性となればなおさらではあるが、大声を上げて笑うほどのことでもあるまい。
さて、どうしてやろうか? ジオークは考えてみる。
多少の事情はありそうだが、セフィールというあの娘が被害者だということははっきりしている。ならばこの覆面野郎どもを軽くひねって、役所に突き出してやるのが適当か。
けど、今は夜中だ。役所って夜中でもやってたっけ?
──と、
りんごーん、りんごーん
遠くから、鐘の音が響いてきた。
鐘の音のした方向を眺め、続いて娘に目を向けジオークは尋ねる。なぜか時代がかっていた。
「ときに娘。今、なんどきだね?」
「今の鐘の音、教会が0時を告げるやつだったと思うけど」
場にそぐわない質問よと言いたげなその答えに、ジオークは大きく肩をすくめた。
「タイムリミットだ。シンシア、あとを頼むわ」
セフィールは一瞬、空気がうねったような気がした。
ジオークという女性の身体が淡く輝いたかと思うと、意識がとぎれたかのようにうなだれてしまう。
男たちもどうするべきか、黙って彼女を見ている。
しばらくすると彼女は顔を持ち上げた。
「もぉ~、お兄ちゃんったら、こんなややこしいときに切り替えないでよぉ」髪を掻き上げながら彼女はぼやく。
全く口調が変わっていた。いや、声色からして違っていた。
はっきりと女性の物とわかるが、さっきまでは男性的な低い声。
今は、声質は同じだが、『女性』というよりも『女の子』という感じの黄色い声だ。
雰囲気ががらりと変わっていた。黒豹を思わせる野性的な表情は消え失せ、おとなしそうな、たおやかな顔つき。
真紅だったはずの瞳は、今は宝石のような碧眼になっている。
同じ人物のはずなのに、別人のように見えた。
「な、なんだあ? 急になよなよしくなっちまいやがって」
戸惑いながらも、男たちは息巻く調子を取り戻した。
「よく見りゃなかなかいい女じゃねえか」
「痛い目見せる前に、少しばかり楽しんだっていいんじゃないか?」
シンシアは嘆息した。男は女を軽んぜずにはいられない生き物なのだろうか?
(ちょっと待て。それじゃ俺はいい女じゃねえってのか?)
(お兄ちゃんはそもそも女じゃないでしょう?)
(そりゃそうだけどよ……なんかムカツク)
「セフィールさんだっけ? こっちへ」
心の中で兄と言い合いながら、肩が触れるくらいの距離へ娘を近寄らせる。これは巻き添えを食わせないためだ。
「へっへっへ。二人まとめてヤッちまうってのもいいな。おうお前ら、ちゃんと押さえつけとけよ」
「兄貴ばっかりずるいぞ。俺たちだって最近女日照りなんだ」
男どもの下品な言い合いは無視し、近寄ってくるのを警戒しながら準備を始める。
たん、たん、たん、と足踏みをするように軽く地面を踏みならす。
同時に口の中で呪文を唱える。彼らにはなにかモゴモゴとつぶやいてるようにしか聞こえないだろう。
詠唱の終わりに合わせ足を少し高めに上げ、強めに地面をたたく。
「
瞬間、足下の地面がめくれ上がった。
土砂と化し、竜巻のように吹き飛ぶ。もちろん男どもも一緒に、悲鳴を上げながら転げ回った。
巨木も大きく揺れ、木の葉をだいぶまき散らした。
「ふんだ。お兄ちゃんほどじゃないけど、私だってこのくらい出来るんだからね」
夜の静寂が取り戻された頃、小さく息をついてシンシアはそう言った。男たちは全員失神しているようだった。
「あ、あの、あなたはいったい……?」
「私はシンシアっていいます。さっきまで私の身体を使っていたのが、兄のジオークです」
事態がよく飲み込めていないであろう、娘は目をぱちくりさせている。そんなセフィールへ、彼女はにっこりと微笑んで見せた。
セフィールの家は、丘の麓の教会から20分ほど歩いたところにあった。
エルランダの町の中でも有数の資産家だそうで、なるほどかなりの豪邸である。
背の高い壁は、この遅い時間では暗闇の中へ吸い込まれ、果てが見えない。全周で1キロはあるのだろうか。
商用の乗合馬車でも楽々通れそうな大きな門のすぐそばに勝手口があり、そこから中へ入る。
ほぅ、とシンシアはため息をついた。
屋敷まで続く道の両側に、足下を照らす明かりがともされていたのだ。
「どうしたの?」
「いえ……ガス灯じゃないみたいだけど」
くすりとセフィールは顔をほころばせる。
「うちには電気が通ってるのよ。自家用発電機があるの」
(電気って、先文明の技術じゃねえか。この家の当主は、魔学者か?)
頭の中で、ジオークが感嘆した。
繁栄を極めた先文明は、今から200年ほど前に崩壊した。理由ははっきりしていないが、ともかく高度で複雑すぎる技術は受け継げる者がおらず、文明の崩壊と共に埋もれることとなった。
魔学者とは先文明について研究している学者のことで、その過程において先文明の技術を発掘することもあるという。
すぐにやってきた使用人を先頭に、屋敷の中へ案内される。
玄関ホールは落ち着いた調度でまとめられていて、絵画や彫刻がいくつか飾られている。
扉を数回くぐり、応接室に案内された。席を外していたセフィールが、初老の男を連れてやってきたのはそれから10分ほどしてからだ。
貴族ではないようだが、セフィールはなかなかお嬢様然とした格好に着替えていた。
フリルの付いたスカートは裾が広く、おなかのあたりを一枚布がまかれ、背中でリボンのように結ばれている。
先ほどの軽装の時も思ったが、胸はかなり大きい方で、このファッションだとそれがよりいっそう浮き立って見える。
栗色の長い髪はまっすぐに伸び、これもリボンでまとめられている。
それでいてセフィールは、活発そうな雰囲気が溢れていた。
シンシアはセフィールと目線で挨拶を交わし、ソファーから立ち上がって、彼女の傍らに立つ老人にお辞儀をする。
「こんな時間におじゃましてしまってすみません」
「いえいえ、娘の危ないところを助けていただいた方に野宿などさせられませんよ。
自己紹介がまだでしたな。私はこの家の当主で、ハガー=アデナウアともうします」
この屋敷の主人、ハガー=アデナウアは初老らしく小皺の多い顔に優しげな笑みを浮かべてそう頭を下げた。既に寝間着のような服を着ているが、かなりガタイの良い老人だということが見て取れる。
「こちらは私の娘で……」
「セフィール=アデナウアよ。よろしく」
「私はシンシア=イクティノスです」
「そうそう、さっきの話だとあなたにはお兄さんがいるみたいだけど……」
セフィールがそう切り出したとき、部屋に立てかけられた大きな振り子時計──先文明の技術をいくつか発掘しているわりには時代めかした品物だ──がひとつ鐘を鳴らした。
シンシアは時計を眺め、続いてセフィールに目を向け尋ねる。なぜか時代がかっていた。
「ときにご主人。今、なんどきですか?」
「見ての通り、午前1時になったところですな」
シンシアは軽く肩をすくめ、言った。
「それじゃあお兄ちゃんに切り替わった方が早いかな。話は兄から聞いてください」
それだけ言うと、シンシアは意識を失ったかのようにうなだれてしまう。軽く空気がうねったような気がした。
先ほども見た光景に、セフィールは息をのむ。
頭をもたげると、彼女の表情は一変していた。
エメラルドのような碧色の瞳は消え、ルビーのごとく真っ赤な瞳になっていた。おとなしく穏和そうな、微笑すら携えた表情は微塵もなくなり、肉食獣のような精悍で挑戦的な顔。
どちらも相当の美人ではあるが、タイプが180度違う。同じ人物のはずなのに、ここまで変わるものなのか。
「そういうわけで、俺がシンシアの兄、ジオーク=イクティノスだ。よろしくな」
事態がよく飲み込めていないであろう、親子は目をぱちくりさせている。そんな彼らへ、ジオークはニヤリと剛胆な笑みを浮かべて見せた。
*
ジオーク=イクティノス。19歳、闘者。
シンシア=イクティノス。17歳、魔法使い。
この兄妹は訳あって、二人でひとつの身体を共有している。
この難儀な体質になったは5年ほど前。シンシアの身体に、ジオークは居候している。
理由は……この夜には語らなかった。ただ、ジオークの身体はどこかに存在しているはずだ、と『彼』は自分に言い聞かせるように語った。
繁栄を極めた先文明が滅び、約200年。科学技術に取って代わって魔法が発達したこの時代。二人で一人のこの兄妹は、ジオークの肉体を取り戻すために旅を続けているという。
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