3-9 遭遇

 世界は不思議に満ちている。最近になってその存在が明らかとなった《異世界への門ゲート》。にわかには信じられない突拍子のない国連の発表を受け各国対応に追われていた。しかし騒いでいたのは政治家たちだけで民衆はさして関心を示してはいなかった。

 何しろ実感がないのだから仕方がない。

 

 しかし、私はたった今、実感した。

 これが《異世界への門ゲート》の先にある世界。

 高層ビルの谷間に吹く乾いたビル風に乗って聞こえる街の喧騒が消える。一瞬夢かもしれないという考えが過ったが、どうやら違うらしい。

 周囲は見渡す限りの緑、緑、緑。どこぞの森林地帯のようである。森林地帯であれば日本にもあるが、仰ぎ見た空には西洋風の翼竜が飛び、太陽が二つ浮かんでいた。

 両手にはつい先ほど購入したばかりの全国展開するコーヒー店のちょっとお高いカフェオレとカプチーノ(正直、違いが判らない)が握られていた。

 取り敢えず……。

 「飲む?」

 「うん。頂こうかな」

 突然異世界へと放り込まれた二人は翼竜が飛び交い、見たこともない名称不明の木々に囲まれた中でカフェオレとカプチーノをすする。

 まるで危機感のない二人に一つの影が迫っていた。


 パキッと小枝を踏む音に反応して音の出どころを探す。

 気のせいだったか、と音のした方から視線を戻そうとした時に突き飛ばされた。

 尻餅をつく。何事かと突き飛ばした張本人を見る。

 誰? そこに居るはずの少年の姿はなく、時代錯誤のマントを羽織った男か女か区別のつかない中性的な顔立ちの人物が立っていた。そのさらに後方数メートル先に少年の姿を確認する。

 「アンタ誰?」

 感じているのは怒りか、恐怖か、戸惑いか。自分自身の感情に自信を持てない言葉は、もしかしたらそのすべてを含んでいたのかもしれない。

 「日本人か」感情を一切感じない声が言う。

 声でようやく目の前にいる人物が男であることを知る。

 「ここはどこ?」

 「あっちでお前をかばって伸びている男と一緒にこちらに来たのか?」

 「私たちはどうすればいいの?」

 「お前たちの名前は?」

 一向に話がかみ合う気配がない。

 男は事務的に流れ作業のように質問を繰り出す。まるで大量生産を請け負う町工場のベルトコンベアのごとく一方的に話を進める。

 コイツ、コミュ障かッ! 人の話に耳を傾けろ!―と見事なブーメランが返ってくる。

 心が痛い。常日頃周囲の人間は自分に対して同じようなことを思っているに違いない。

 「どうした?」

 男は項垂うなだれる少女に困惑しつつ声を掛ける。

 気を使うことができるのであれば初めからそうしてもらいたかった。

 ああ、もう何もかもが嫌になる。自分にも―この世界にも。

 何にも変わらない。世界そのものが変わってしまおうとも私という人間が変わらない限り何も変えることはできない。

 考え込む少女の様子を黙ってじっと見ていた男が口を開く。

 「帰りたいだろう?」

 驚くような反応を見せた少女にささやくように続ける。

 「私の名は安倍悠遠あべのゆうえんと言う。陰陽局おんみょうきょくに所属する陰陽師おんみょうじだ。異世界へと迷い込んでしまった者たちを元々居た世界へと帰す、というのが私の仕事でね」

 今までの仏頂面ぶっちょうづらはどこに行ってしまったのかと思うほどのほがらかな笑みを浮かべる。

 見事な営業スマイル。流石は大人の男性である。

 「別にいい。私はこっちに残る」

 「残る? なんで異世界は君が思っているほどやさしい世界ではない」

 優しい口調の中に怒気が見え隠れする。

 「そんなのは元の世界でも同じ。私にとってはこっちの世界の方が優しいかもしれない」

 「聞き分けのない子だな。年の割にどこか冷めてる。何か弟に似てるな―もちろん雰囲気がね。あっ、でも私の弟は中々の美形でねぇ……」

 

 話(九分九厘、弟)が終わった頃にはすでに陽は傾いていた。

 意識を取り戻した少年と二人で延々と続く幼子の成長過程を聞かされ辟易へきえきしていた。

 まだ終わんないなぁ。そもそも息継ぎしているのだろうかと心配になってしまう勢いで話を続ける。出会ってすぐのころとは違う意味で取り付く島のない人である。

 ところで今弟さんは幾つなのだろう。

 会話に集中してみる。

 「そしたら……そして……ついに1,080時間―64,800分で臨月を迎えるんだ」

 どうやら美形の弟なる存在は未だに母親の胎内にいるらしい。てか生まれるんじゃねぇのかよッ! とツッコミを入れる(頭の中で)。

 眼の前の男の異様さに二人はおののく。ヤバイ人だ。

 二人の様子など一切いっさい気にも留めることなく男は弟の将来について語りだすのであった。

 

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