3-6 ツンデレ少女Ⅰ

 結城穂乃香ゆうきほのかは何も期待しない。

 この世界はひどく退屈で億劫おっくうなことこの上ない。

 上空に広がる濃い鼠色ねずみいろの雲は重く垂れこみ、今にも雨が降ってきそうな気配。髪の毛がカールする。気圧の所為か、湿気の所為なのか、もしくはその両方か、とにかく癖毛くせげがどうしようもなくなった時に雨が降る。私の癖毛はアメダスなどよりよほど高性能、百発百中の的中率を誇る。

 指先に巻きつけた髪は巻きつけた分だけカールする。

 一週間前まで中学生だった穂乃香は高校入学と同時に髪を染めた。しかし今では綺麗な黒髪に戻っている。正確には毛先には暗いブラウン系の色が残っている。安物を選んだのが間違いの始まりだった。そもそも結城穂乃香という少女は飽き性持ちで何事にも執着しない。だから特別仲の良い友達もいない。

 クラスで浮くことはないけれど親友と呼ぶことのできる友人は一人もいなかった。


 *


 ああ、今日もまた後をつけてしまった。

 ため息を零す。はたして今自分の吐いているため息は罪悪感から来ているものなのか、それとも情けない自分に対して零したものなのか、はたまたその両方か。

 学校指定のリュックを背負い朝見た天気予報に従い持ってきた二本の傘を持て余したまま、かれこれ二十分ストーキング―もとい尾行でもなく、声を掛けるタイミングをうかがい続けている。

 ああ、どうしてこんなにもコミュ力がないのだろう。

 今まで、ろくに友達作りを行ってこなかったために、いざ自分から話を切り出そうとするとどうも言葉が詰まってしまう。そんな少年は様々なことにおいて経験不足である。それでもこの想いを伝えたいと、今日もまた少女の背中を追う。

 決して変態ではない。純粋な気持ちである、と言い聞かせながら少年は犯罪者的思想に対してぶんぶんと頭を振る。

 ひと言。

 「傘貸すよ」と何故言えない。

 勇気を振り絞ってどこぞの佐藤さん宅の門柱から顔をのぞかせる。

 よしッ、行くぞ!

 意を決して踏み出し十数メートル先の少女を見つめる。

 空を見上げる少女はガラス細工のような透明感で、思わず見とれてしまう。

 茜色あかねいろの陽光に照らされる少女。

 陽光? 

 ふと空を見上げる。

 鼠色の雲の合間から地上に降り注ぐように無数の線が引かれている。

 ああ、今日も声を掛けるタイミングをいっした。

 しかし、天気予報も適当だな。結局雨なんて降りやしない。

 手にした雨具は天気がぐずつかない限り邪魔なだけである。

 傘二本などかさばるだけだ、どこかに一本捨てて行こうか。そんなことを考えていると違和感が唐突に襲う。

 なんだ、何なんだ。

 違和感の正体にはすぐに気付いた。しかし対応することはできなかった。なぜなら、少女が、じっとこちらを見ていたのだ。

 つけていたのがばれたのか!? 

 軽蔑される。いや、軽蔑されてののしられて……。どんどんネガティブ思想に駆られてしまう。

 視線が外れない。眼をらしてしまいそうになる。

 少女が近づいてくる。

 (ああ、さようなら僕の初恋)

 鋭い眼光は少年の動きを止める。

 (ああ、女の子に気圧されている僕って……情けない)

 自己嫌悪の嵐が容赦なく襲う。

 「ねえアンタ、傘二本持ってるなら一本貸してくれない?」

 「えっ!? い、いいけど」

 思いがけず交わされた会話に心臓が大きく跳ねる。

 「じゃあ、また明日ここにこの時間に来て、返しに来るから」

 少女は強引に傘を一本少年の手から奪い取るようにして駆けて行った。

 

 しばらく呆然としていた少年はふと気が付く。前髪が額にペタッと貼り付いている。

 寒い。完全に体が冷え切っていた。

 雨具を持ちながら雨に打たれるほど間抜けなことはない。

 (まあ、僕は間抜けだけど……)

 自己嫌悪がどうにも止まらない。

 そう言えば、また明日とか言っていたな……ヨシッ!

 少年は小さく控えめに、しかし力強く拳を握った。

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