2-8 日常編Ⅴ
その空間は静寂に満ちていた。
空間に満ちた魔力の源が一人の青年の肩を揺すっている。
幼女に組み敷かれた神様というのは中々に滑稽なものだなと他人事ならぬ他神事をただただ傍観していると、女児はこちらを窺うように首を傾げながら近づいてくる。
「ねぇねぇ、よみちゃん。きょうはポチいないの?」
「ごめんねぇ。居るはずなんだけど、探しに行く?」
「うん!」と大きく頷く幼女はトコトコとポチを探しに行く。
「遊ちゃん。もう神崎さんとは遊ばなくてもいいの?」
「うん。もういい」
そう告げるとあっという間に姿が遠ざかってゆく。
「飽きられてしまいましたかね。私たち?」
「知りませんよ。そんなことよりも気付いてますか?」
そう言うと上を指す。
「上ですか? どなたかがお見えになったようですね。遊びにきてくださったのかしら?」
滅多に来ない来客に心を躍らせていると、気分を台無しにする言葉が割って入る。
「来客なわけないでしょう」
私の管理する第二分校には来客など来るわけがないと言う青年と視線がぶつかる。頬に空気を入れて膨らますことでこちらの感情を伝えてみるが、フッと失笑しただけだった。
「第二分校には実力者も揃っています。事実上、日本国内の最大戦力を保有しています。私を含めて十傑の所属人数も魔導学院と六つの分校の中で最も多いんですからね。もっと人気があってもいいと思うのですが、毎年、第二分校を志望する学生はいないんですよねぇ。なんででしょうか?」
わからないのか? というある種の軽蔑を含んだ視線を向けられる。
「何ですか? その眼は」
「いえ、なんでもないですよ」
しかし、その眼は口に出さないだけで、言いたいことがあると訴えていた。
言いたいことがあるのなら言いなさい、と視線を送る。
ついに折れた青年は嘆息しながら小さな声で呟いた。
「誰も自ら進んで大監獄に足を踏み入れたいとは思わないでしょう。それに、ここの所属している十傑は貴女だけで、私を含めた他の十傑は所属ではなく収監されているんです。所謂囚人です。十傑を監視するなんて職務を進んで引き受ける酔狂な新入生は中々いませんよ」
「やはりそうでしょうか……」
薄々気が附いてはいたのだが、ネガティブイメージが強いらしい。
一日のスケジュールが管理されており、分刻みで仕事をこなす。そして相手にするのは国家戦力を始めとする第一線級の犯罪者に危険因子たち。それらを管理するのは激務と言えるだろう。やはりポジティブキャンペーンを行うべきなのだろうか、などと思案していると、
「考え事の最中に申し訳ないんだけど、追いかけなくてもいいのかい?」
「何のことです?」
「遊ちゃんのことですよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。遊ちゃんも十傑の一員ですから、来客の方々が敵対したとしても問題ありません」
収監されている青年は呆れたように続ける。
「違いますよ。遊ちゃんはポチを探しに行ったんですよね。もし、遊ちゃんが第一階層の闘技場でポチが来客にコテンパンにやられているのを見たらきっと癇癪起こすでしょ。そしたら近くにあの子を抑え込める人がいなかったら―どうなるんでしょうね」
口の端を僅かに吊り上げて笑う青年はどこか楽しそうでもある。
状況を楽しむ囚人とは対照的にじっとりと汗を滲ませる看守長。
「それは拙いことになりますね」と看守長は駆けだした。
全速力で駆けだすとあっという間に囚人たちの姿が小さくなってゆく。
しかし、その判断を下すのが少し遅かった。
監獄の最下層にまで伝わる衝撃から察するに現場となっているであろう第一階層の惨状は想像に難くなかった。
*
「あれは犬か? それとも狼か? どっちも違うな」
自らの問いに答えながら核心に迫る。
肩に乗る小動物(サイズだけ)が体毛を逆立てる。
威嚇でもしているのだろうか、正直小動物にいくら凄まれても何も感じることはない。相手の姿と比べるとその非力さは言うまでもない。体の大きさ大きさも、放つ殺気も直感的にリオンよりも対峙する生物の方が上だと感じ取る。
三つの頭を持つ獣。その姿は神話で語られるケロべロスを彷彿とさせる。
「地獄の番犬ねぇ、言うなればここは地獄への玄関口ってところか」
指を一本ずつ折りたたみ拳を握る。
ふぅぅ、と大きく息を吐く。
番犬に対して半身の体勢を取る。
来るか? 番犬の体が僅かに沈む。
流れるような重心移動(自画自賛)で迎撃態勢を取る。
案の定大きく一歩を踏み込んだ番犬に対してこちらも一歩踏み込む。
しかし、相手の動きを読んだ上での迎撃。完璧な間合いを作り出す。回避しつつ相手の懐に飛び込み一撃を入れる。つもりだった……。
番犬は尻尾を振り喜びを表現する。
ハッハッハッ、と三つの頭が三重奏―雑音を奏でる。
雑音を奏でている一つの頭が息を荒げたままこちら―もとい、リオンと視線を絡ませる。
数秒のうちに何かのやり取りを行ったと思しき獣たちはお互いの顔を近づける。
よくよく考えてみればケロべロスはおそらくイヌ科でリオンは栗鼠とライオンのキメラという話だからネズミ科もしくはネコ科ということになるのだろうか。どちらにしても種族としての愛称はケロべロスの方が上なような気がするのだが、どうやらそんな簡単な話ではないらしい。
番犬の頭の一つが甘えた声(ボロ雑巾を喉に詰め込まれたような)を出す。
肩から飛び降りたリオンは番犬の前に雄大に立つ。キュッ、と小動物に相応しい声で鳴く。
すると番犬はリオンに対して頭を垂れ、服従の姿勢を取る。動物同士での格付けは済むんだらしい。
「戦わずに済みそうだな」
「そうですね。でも……」と言葉を濁す。
「ん? どうした?」
「いやな予感がしますぅ」
「いやな予感ねぇ」
危機感のない声で答える。
「で、でも、私の思い過ごしかもしれませんしぃ……」
相変わらず自身のない彼女の言葉は弱弱しい。
僅かに開かれた扉門から覗く二つの目玉がこちらを睨みつける。
「いや、りゅなちゃんの予感、あたってるかもよ。ホラ」
そう言って扉門を指さす。
「あの子、拙い気がしますぅ」
「拙い……よね。アレは―」
不穏なオーラが闘技場を包み込む。
発生源に近づくにつれて空気が重たくなる。地獄にはいろんな奴がいるな。重力に干渉しているわけでもないのに足取りが重くなる。これはプレッシャーというものだろう。
しかし、このプレッシャーの要因は何なのだろうか。敵対する気であれば、極力自分の存在を相手に気取られないように努めるはずだ。それに扉門の向こう側にいる何者かは逃げる気はないらしい。
扉の隙間に手を入れる。
開け放した扉の向こう側には腰辺りの背丈の女の子が瞳を潤ませながら佇んでいた。
「ええっとぉ、どうしたのかな。御嬢さん?」
袖を掴まれ二度三度と揺すられる。
「どうしたの? りゅなちゃん」
「は、離れて」
「えっ!?」少女の忠告が耳に届いた時にはすでに目の前で大きな変化が起こっていた。
瞳を潤ませた女の子は小さな声で呟くように「いじめた」と発した。
「えっ? 何? 今なんて言ったのか聞こえた」と後ろを振り向くとそこに居たはずの少女は米粒程度の大きさで認識できる距離まで後退していた。
「あッ……これは拙いね」
次の瞬間―女の子の涙腺という名のダムは決壊した。
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