2-7 日常編Ⅳ

 吾輩は地獄の番犬ケロべロスである。名前はまだない。そう言えばつい先日「ポチ」などという軟弱な名前で呼ばれた気もするが気のせいだろう。それにしても、ここ最近吾輩の棲み処も随分と賑やかになったものだ。あの小娘が訪ねて来るようになってからというもの毎日吾輩の居城は崩壊の危機に脅かされている。そして今日も……。

 吾輩の居城である第一階層まで衝撃が伝わってくる。

 また、あの小娘が癇癪でも起こしたのだろう。

 よくもまあ、毎日飽きずに同じことを繰り返すものだ、と呆れる一方で感心しつつあった。

 クンクンと頭の一つが鼻を鳴らす。

 「どうかしたのか」ともう一つな頭が訪ねる。

 三つの頭はそれぞれが意思を持っているものの、意思の疎通という点に関してはいちいち対話をせずとも、考えを共有することができる。しかし、対話をしてしまうのは吾輩たちが個体の生命体として存在していたころの名残なのだろう。

 『誰か来る』

 三つの頭が意思を共有する。

 「どうする?」、「行かないとダメか?」、「面倒だな」、「疲れてるから誰か行ってきて」、「お前が行けよ」、「お前が行けば?」、「いやいや、俺たち全員行くことになるだろ!」、「だよな! ハハハハハッ」とそれぞれの思考は好き勝手にものを考える。後半に至っては最早、目前に迫っている何者かを排除するという問題提起を再び行う必要があるか、と考える。

 「その必要はない」と頭の一つが告げる。

 「その通り」ともう一つの頭も同意する。

 失念していた。吾輩たちは三位一体として存在しているのだ。

 「それでは……行きますか」と三つの頭は一つの意思の下、問題の排除へと向かう。

 今日のご飯は何だろうか? 

 このくだらない考えは吾輩のものではないな、と他二つの頭に注意する。

 「お前たちが疲れたと感じれば吾輩も同じように疲れを感じるし、腹が空いたと感じれば吾輩も同様に感じるのだ。もう少し我慢できないものか?」と尋ねる。

 すると二つの頭は、訝しむように言う。

 「「飯のことを考えたのはお前だ」」と。

 どうやら吾輩も他の頭同様感じたままに―自由に発言しているらしい。

 「「さっきから何を誰に向かって喋っているんだ!」」と叱られる。

 どうやら一つの体を三つの頭で共有しているために考える機会というものが個体として存在していたころに比べると少なくなっているらしく、様々な能力が低下してしまっているらしい。

 吾輩はこれからどうなるのだろう、と不安を覚える。

 「大丈夫。お前は明日になれば今日のその不安も忘れるさ」と慰めの言葉を掛けられる。

 「ちなみにお前、昨日は拙者が一人称だったぞ」と記憶にないことを言ってくる。

 どうやら吾輩は三つの頭の中で一番の阿呆のようである。しかし今日の吾輩は知的に物事を進めていく知性派として他二つの頭を纏めていく。

 では侵入者の排除に行こうか、と二つの頭を伴って第一階層の門扉へと向かう。

 二つの頭がひそひそと陰口をたたく。

 「明日の一人称は何かな?」

 「拙者、吾輩と来てるからな、一周して某じゃないか?」

 「某は一昨日の一人称だろ? 普通に俺とか僕とか私に戻るんじゃないか。原点回帰みたな感じで」などと好き放題言っている。

 早くいかないと侵入者が普通に門扉を開け放ち、普通に階層エリアを闊歩することになる。急がねば、と駆けだす。体足取りは意思とは相反して重かった。

 

 この前の侵入者は変えるように威嚇してみたものの、反対に興奮した様子で向かってきたので仕方なく対処した。

 今度の侵入者は話が分かる者だといいのだが、それは厳しいだろう。吾輩たちが話すのは獣の言葉であって人のそれではない。それでも対話で済むのであればそれに越したことはない。戦闘行為は疲れるのである。

 万が一、億が一の可能性を願いつつ吾輩たち―地獄の番犬ケロべロスは自らの持ち場へと赴く。

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