2-6 日常編Ⅲ

 「オイ! あそびにきてやったゾ!!」

 今日もまた来客が訪れる。この子は暇なのだろうか? いや、違う。仕事をしようと思えば幾らでもあるのだろうが、この子は仕事などしない。なぜなら、この子に仕事をするという概念は存在しないからだ。

 「やあ、遊ちゃん。こんばんわ」

 怪訝な顔をした少女は尋ねる。

 「なにいってるんダ? 今はあさだゾ?」

 「あれ? そうなの? ごめんね。ずっとここに居たら今が朝なのか夜なのかもわからなくてね」

 「だいじょうぶかトオル?」

 「大丈夫ではないかな。そうだ遊ちゃんが俺をここから助け出してくれないかな」

 少女は眼を爛々に輝かせ興奮した様子で尋ねる。

 「トオルはわるいヤツにつかまったのか」

 「その通り! 流石だね遊ちゃん。悪いヤツから俺を助けてくれるかい?」

 少女は首をぶんぶんと縦に振ると「まかせておきなさい」と胸を張った。

 少女以外の来客も来てしまったようだ。姿は見えないが確かにすぐそばまで来ている。黒いシルエットが現れ、少女へと手を伸ばす。

 「だーれだ?」

 囁くようにして少女に問いかけるその声は裏声であった。正体を悟らせないための裏声なのだろうが、タルタロスの最下層に来る人間は限られている。その中でもわざわざ俺を訪ねてくる者など決まっている。「誰だ?」という問いに意味があるのかと思っていたのだが、眼の前の少女はガクガクと震えだした。

 「どうしよう、トオル。てきにつかまってしまったゾ!?」

 ここは退屈凌ぎも兼ねてこの三文芝居に付き合ってあげよう。

 「遊ちゃんじっとしているんだ! 敵を刺激してはいけない」

 「うぅ、ゴメンなトオル。たすけてやれなくて……」

 あっ……ヤバイ。これ泣いちゃうパターンじゃないかな? 慌てて悪者へとデスチャーを送る。

 (ヤバイよ! 早く放してあげてッ! 泣いちゃうから!)

 身振り手振りで必死に伝えようとはするものの迫真の演技を見せる悪者には伝わっていないらしい。

 (オイ! ちゃんとこっちの意図を汲み取れよッ!!)

 もう声を出して伝えてしまおうかと考えが過った瞬間。

 「だ、だいじょうぶ。ちゃんとたすけるから」

 少女は絞り出すように決意を口にする。

 俺は手遅れであることを確信する。

 防御魔法でも展開しておいた方がいいか。

 眼の前の空間にルーン文字を刻む。

 軍神テュールのルーン文字を使用し強固な障壁を作り出す。

 「たすけるからぁぁぁ」

 泣きわめく少女から膨大な魔力が放出される。

 魔力の本流をもろに受けた敵は何処かへと飛ばされたようである。

 「だいじょうぶかトオル?」震えながらも必死に足を前に出して近づいてくる。健気で可愛いなと和んでいると。

 ゴンと見えない何かにぶつかる少女。

 あっ、障壁解除し忘れてた。

 「うぅ、うわぁぁぁぁぁん」

 この至近距離でさっきのを食らうのは拙い。

 すでに手遅れであった。

 ものすごい衝撃が襲う。

 障壁がパリンと砕け散り衝撃波が容赦なく猛威を振るう。

 これで敵味方双方共倒れだな。瞬間、壁にの打ち付けられた。

 ―うん、これデジャブだわ。ここ数日多少の差異はあるが獄中の壁に激突して意識を失っているのだ。その証拠に牢獄は出入り自由な少し広めな穴へと成り下がっていた。それでもここからの脱獄などは考えたことはない。

 「ごめんなさい遊ちゃん。ジュースと一緒にお菓子も焼いたから一緒に食べましょう」とお盆にジュースを注いだグラスと日本茶を注いである湯呑がを二つともう一つのお盆には香ばしい香りが鼻腔を擽る焼き菓子を手にシルエットが歩み寄る。シルエットが彩られる。

 「今日もおいしそうだね」

 「そうかしら? 頑張った甲斐があったわ」と嬉しそうに頬を染める。

 流れるような所作でお茶会の準備をする看守長と反抗期も迎えていない幼女の相手を務めてはやひと月。退屈はしないが変化のない日常は来訪者により終焉を迎える。


 *


 肩に担いだリオンは想像以上に重く、その愛くるしい見た目に騙され担いでみたのがそもそもの間違いだった。リオンを可愛いと抱きかかえていた瑠奈は平気だったのだから男の俺が根を上げるわけにはいかないと気合を入れなおす。

 「あのぉ……変わりましょうか?」とこちらを窺う瑠奈に「全く問題ない」と精一杯の虚勢を張る。

 全てを飲み込むかのように延々と続く暗闇に期待と不安を掻き立てられる。

 「確か一番下の階層に神崎さんはいるんだよな?」

 「ええ、そのように窺ってはいますけど……」

 「何だよ。どうした?」

 瑠奈は口籠りながら「でも、私たちタルタロスへの入場許可とかもらってないんですけど大丈夫なんでしょうか?」と現在進行形の不安を口にする。

 「大丈夫だろ? 魔導学院の分校なんだから。それにこの荷物を届けに行くだけだしな」と言い肩に提げた小包の入った鞄を揺らす。

 「その荷物って学院長が持ってきたものですよね?」

 「ああ、そうだよ。兄さんが押し付けてきた荷物」

 呆れるように言うと、瑠奈は愛想笑いを返す。

 「仕方ないですよお兄様は学院長で私たちは一介の学生に過ぎませんから」と長いものには巻かれろ主義全開の発言をする。

 確かに兄は去り際に「学園長命令だからな」と念を押すように一言付け加えていた。正直兄がどのような立場にあろうとも弟として兄と接するし、兄弟関係に変化が生じることなどありえない。魔導学院学院長―日本国最高戦力、十傑序列第一位という肩書があろうとも弟からしてみれば口煩く、意地っ張りで、どこか抜けている変わり者で、最高の兄―最愛の家族である。そんな兄の頼みだからこそ急な頼みも聞いてあげることにしたのだ。しかし……。

 「遠過ぎやしないか」

 「そ、そうですね……はぁ、はぁ」

 かれこれ歩き続けて三時間が経過していた。

 歩き続けた二人は疲労の色を隠せない。加えて太陽はリオンを肩に乗せているためにかなりの負荷がかかっている。しかし、こんな苦痛を女性に負わせるわけにもいかず、三時間リオンを肩に乗せたまま延々と階段を下っていた。

 瑠奈は限界だな。

 今まで、はぁはぁ、という息遣いだったものに咳払いなども加わり、より一層苦しそうにしている。しかし、延々と続くかに思えた階段は唐突に終わりを迎えた。

 急に開けたその空間には、ぽつんと数十メートル先に扉があるだけだった。

 薄暗く、数メートル先の視界も危うい中、真っ赤な扉が眼を引いた。

 二人と一匹はまっすぐに扉へと向かって歩く。

 暗闇にも順応してきたところで空間全体の把握ができた。周囲は五、六メートルの壁が円形状に取り囲みうっすらと客席のようなものも見える。ふと後ろを振り返るとそこにあったはずの会談は姿を消し頑丈そうな壁が退路を断っていた。

 ピンチかもしれないな。

 太陽の想像以上に事態は切迫していた。

 たどり着いた扉を赤く染めていたものは鮮血であった。人か獣のものかの判断は下せないが、おそらくはのその二つともが正解なのだろう。

 周囲の生体反応がある。これは特殊能力でもなんでもない。獣が舌を出し、涎を撒き散らしながら酸素を取り込んでは二酸化炭素を吐き出すという生物の生命維持に必要不可欠な循環作業を行っているのだ。

 ハッハッハッ、と息を荒げる獣。ハァァハァァハァァ、とすでに息遣いに疲れが見える獣。ガルルルゥゥとこちらを威嚇する獣。近づく足音はドサッ、ドサッ、と体を揺らしながらゆっくりと、そして確実に近づいてくる。その足音からも相当な巨体であることが窺える。

 狼程度ならばなんとかなるか? しかし、群れで来られると厄介だな。それに、ここに居る生き物が普通ノーマルなわけがない。油断はしない。

 ―来る。獣が駆けだす。

 迫りくる巨体の姿を認識する。

 デカい!? しかし、それ以前におかしな点がある。迫りくる獣には、一つ、二つ、三つ、と複数の首がある。油断以前の問題である。迫りくる獣の正体は地獄の番犬―ケロべロスであった。

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