2-4 日常編Ⅰ
結局昨晩は二人仲良く寝袋で睡眠を取ることとなった。
寝袋の寝心地は最悪であった。地面に近いために埃を吸い込み咳き込み、夜中に何度も目を覚ました。加えて朝目を覚ますと未確認生物(UMA)の顔が目の前にあり視線が合うと顔をぺろぺろと舐めてくるものだから朝から獣臭が漂う最悪の寝起きであった。
「この子、リオンくんっていう名前みたいですよぉ」
正直、部屋の中を忙しなく駆け回るUMAの名前などにはこれっぽっちの興味もなかったが、続く瑠奈の言葉には喰いつかざるを得なかった。
「ええっとぉ、智恵さんでしょうかぁ? 名前が書いてありますよぉ」
智恵? 決して珍しい名前ではないが、自分の母親かもしれないと思うと確かめたくなるというのが息子心というものである。
リオンにつけられた首輪には確かにリオンという名前と共に智恵という名前も刻まれていた。
母と何か関係があるのだろうか?
学院長を務める兄に聞くことができればすべてが解決するのだろうが生憎兄は忙しいという(多分嘘)。
フェリスは兄とは違い本当に忙しそうだし、何より今はそっとしておく方がいいような気がする。会いに行けばいつもと変わらぬ笑顔で出迎えてくれるのだろうが、無理をさせたいとは思わない。今は時間が彼女の心を癒してくれるのを待とう。
そうすると誰にこの生き物のことを聞けばよいのだろうかと考えていると、
「すみませぇん……」と瑠璃がこちらを窺う。
「どうした?」
「そのぉ……このままだと遅刻ですぅ」
部屋を見渡すと時計の一つもない。
確かに窓の外に見える朝日が高い。
体内時計に自信はないが、空腹具合からしてもそろそろ腹時計が鳴るころだろう。
支度をして部屋を出ようとした時にちょうど腹時計が鳴りだした。
*
うう、どうしましょう。完全に遅刻です。
時刻は一時限目を迎えていた。
授業初日から遅刻というのは嫌です。
同居人の青年は出際にお腹が空いたと言って朝食をとるものだから遅刻が確定してしまいました。
それなのに、「ほら早く。急いで」と青年は私を急かします。
あなたの所為で遅れているとは口が裂けても言えません。
教室の扉の前で立ち止まり青年は私に声を潜めて話します。
「これからは静かに行くよ。バレたら怒られるだろうから慎重に行くよ」
素直に謝る気は全くないようです。
「で、でも、先生に気付かれずに席に着けるとは思えないんですけどぉ」
青年は扉を静かに開ける。
数センチだけ開けた扉の隙間から教室内の様子を窺った青年は答える。
「大丈夫、俺たちの席までの通路は身を屈めて進めば教壇からは見えない。行くよ。体勢は低くね」
扉の隙間から体を滑り込ませた青年はこちらを振り返ることなくハンドサインで「来い」と手招きをします。
私は青年同様に低い体勢を取り後ろについてゆきます。
私は肩を掴まれます。
ゆっくりと振り返るとそこにはボサボサの頭に丸縁メガネを掛けた白衣を着た長身の男性がにこやかな笑顔を向けていた。
私は青年の制服を引っ張ります。
それでも構わず進もうとする青年に反対に引きずられる形で自分の席へと運ばれてゆきます。
「ちょっと待ちなさい」
流石に看過できないと、白衣の男性は私を掴んでいた手を離して青年の腕を掴みます。
「遅刻したらいいに来ようね」
笑みを浮かべながらも発せられる声には怒気が含まれていた。
「ええ~今日は授業初日ということで、クラスの顔合わせでもしようかなと思っています。そうだな~、自己紹介でもしてもらおうかな。じゃあ、遅刻した二人からお願いしようか」
正直、勘弁してもらいたいのだが拒否権はない。
「日向太陽です。よろしくな」
ひと言だけの自己紹介にクラス中がざわついた。
ノルンチェックの結果はすでに学院に在籍する全員が知るところとなっていた。
公然の秘密である。
ざわつくクラスに「ハイ、静かに~」という担任の月島先生の声が響き渡る。
「橘さん、次お願いできるかな」
未だにクラスのざわつく中、今度こそはしっかりと自分の名前を伝えるぞと意気込んでいると隣の席に座る青年が「橘りゅなで~すってんだよ」と囁いてきます。
今度は失敗しないと強い決意と共に自分の名前を口にします。
「橘りゅなです。よろしくお願いしますぅ」
見事に噛んだ。どうやら私は緊張の有無や意気込みなど関係なく自分の名前を噛む定めにあるようです。
しかし、想像以上にクラスはざわついた。青年同様私も公然の秘密の対象となっているらしく、好奇の視線が突き刺さります。
期待の
居心地はあまり良くありませんが、向けられているのが好意だと思うと我慢もできます。
一向に静かにならない教室では生徒による自己紹介が続いていた。
*
昼食時になると再び腹が鳴き始める。
隣で共に食事をとる少女は表情には出さないがどこか呆れたといった様子だ。
「別に先に食べてもいいよ」
「いえ、すぐに変わりのものを持ってくるとおっしゃっていましたから待ちますよぉ」
そうなのだ。つい先程、彼女と同時に頼んだ昼食はほぼ同時に出来上がり確保していたテーブルに運ぶ道中目の前でへらへら笑う顔のしまりのない男によってぶちまけられ食事一歩手前でお預けを食らっているのである。
「いや~ごめんねぇ。わざとじゃあ無いんだけどねぇ」
「そんなことは関係ないな。俺の飯を奪っておいて謝罪の言葉一つとは随分と嘗められたものだな」
人は腹が減ると気が短くなるものである。
あくまで空腹によるもので俺自身の気が短い訳ではない。
その証拠に普段の俺はとても気が穏やかである。多分。
「ここ、空いてますかしら」
「おう、委員長。空いてるよ」
正面の席を指し、先客に「今すぐそこをどけ」と目配せをする。
「んっ? オレ?」
間抜けな問いに思わず手が出そうになる。
すんでのところで踏みとどまった自分に賞賛を送る。
よく我慢できたな俺。こんなにムカついているのに、辛抱強くなったものだと自身の成長を痛感していると、「なぁ、太陽。痛いんだけど」と目の前の男子生徒が訴える。
「ん? ああ、ごめん」
どうやら知らないうちに手が出ていたようである。
「あら、すぐに暴力に訴えるのはよくありませんね」と正論を振りかざしながら、風魔法を行使して男子生徒を吹き飛ばす。
「い、今のも暴力なのではないかと思うのですけどぉ」
「いや、今のはお仕置きというやつだよ。ほら、アイツなんかムカつくし」
「理不尽だぁ~」という嘆きが聞こえた気もしたがおそらく気のせいだろう。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
「いやいや、とんでもない。委員長とお食事できるのならあんなヤツの一人や二人どうなってもいいよ」
委員長も手加減はしていたようだが、割と吹き飛んだヤツのことはどうでもよかった。
「改めまして、
腰まで伸びる緋色の髪と瞳の輝きはまるで彼女を飾る宝石のごとく見事なまでに彼女の美しさを引き立てていた。
「今更だな。でもまあいいか隣に一人満足に挨拶できなかった人もいるしな」と笑うと隣に座る少女は頬を赤く染め俯く。
「あら、女性に対してデリカシーがないのではなくて?」とやんわりと咎めながらも「ねぇ、りゅなさん」と遥も瑠奈の自己紹介を弄っている。
そして、ついでと言わんばかりに力なく指された先には転がったままの男がいる。
「あちらに転がっているのが
最後の方に本音が漏れているが深くは追及しない方がいいだろう。
「あら、可愛らしい。お名前は?」
遥は足元で丸くなっている生物を抱きかかえる。
「えっとぉ、り、リオンくんっていうみたいです」
「みたい? あなた方の飼っている子ではなかったのですか?」
「いや~なんかさ、俺たちの部屋に住みついててさ、追い出すのもな」
「確かにこんなに可愛いのですから手元に置いて愛でていたい気持ちもわかりますわ」
そう言いながら遥はリオンを撫で回す。リオンはというと……とても嬉しそうである。
「放してやりなよ委員長。そいつ嫌がってるだろ」
遥とリオンの様子を鼻で笑いながら近づいてくる。
「そんなことありませんわ」
力強く断言するはるかに賛同するものは誰一人としていなかった。
「あれ? この子リオンだよね」
「あら、この子のことご存じなのですか?」
「いやまあ、知っているってほどではないんだけどね。その子キメラでしょ」
「キメラって遺伝子弄ったヤツか?」
「まあ、簡単に言うとそうだね。遺伝子工学とか色々な見地からいえばもう少し複雑だとは思うけどね。ところでこの子個体名は?」
「個体名?」
「何かあるでしょこの子は何と何を掛け合わせましたよっていう№とか名称とか」
「あのぉ、この子の首輪にリオンって書いてありますけどぉ」
「リオン……ああ、リオンね」
思い当たる節のある様子の保はリオンと距離を取る。
「どうかしましたか? 保さん」
「そいつを俺に近づけるな。俺は獣は苦手だ」
「あら、こんなに可愛いのに獣だなんてひどいですわ」
「リオンっていうのはな、栗鼠とライ―」
保に飛び掛かるリオンはまさしく獣であった。
リオンは栗鼠とライオンの遺伝子を組み合わせて作られたキメラの名称ということだが、すでにリオンは名前として市民権を得ていたのでそのままリオンと呼ぶことになった。
また、リオンが保に飛び掛かったのは、リオンに恐怖心を抱いた保がリオンの中に眠るライオンとしての本能を擽ったのではないかと保本人はリオンに組み敷かれたまま嘆くように自らの見解を述べた。
*
螺旋状に伸びる無駄に絢爛豪華な階段と天井には
ここは学び舎だろうに一体どこに金をかけているのやら。国連も神々の御機嫌を取るために必死なのだろう。廊下に敷き詰められた絨毯も当たり前のように土足で踏みつけているが、つい先日、予備の絨毯を売っ払ったところ数千万の値が付いた。
叱られはしたものの特にお咎めはなかった。
それは至極当然の結果である。何せ当学院トップの部屋があの殺風景なのだからいくら賄賂を贈ろうとも靡くことはないだろう。オレは、あの人が以前「絨毯とか使わないから売ってしまおうか」という言葉を実践したに過ぎないのだ。
あの人は笑いながら許してくれたし、何より分け前を寄越せと言い寄ってきたくらいだ。
「また何か企んでおられるのかしら?」
おそらく俺と同種の人間が来た。
「失敬な! 何を根拠にそんなことを言うんだい?」
「いくら問題児とはいえ、AクラスからEクラスに落ちることはないと思うのですが?」
「それを言うなら委員長も同じだろ? オレはAクラスの劣等生だったけど、委員長は次席だろ。Eクラス落ちの理由がわからないね」
沈黙が二人の空間を支配する。
沈黙を破るように「お互いに詮索はやめた方がよろしいようですわね」と委員長が話を終わらせる。
「ちなみに、こんなところで何をなさっていたのかしら?」
興味もないのによく質問できるなと彼女のコミュニケーション能力に感嘆しつつ適当に答える。
「ほら、天井の洋灯吊。高そうだよねぇ~」
「また転売でもなさるのかしら?」
「あれ? なんで委員長知ってるの? 学院の上層部の中でも一部しか知らないのに」
二人の視線がぶつかる。
「お互いに詮索はしない。よろしいかしら?」
「ええ、もちろん。それがお互いのためならば……」
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