2-2 入学編Ⅱ

 入学式を終えた新入生は魔導学園の案内を兼ねたレクリエーションに参加することになっていた。

 「どうしましょう……」

 一人の少女が、誰もいない渡り廊下で立ち尽くしていた。

 「完全に迷いました。十六にもなって迷子とか笑えないですぅ」

 大きな瞳には涙が浮かび視界が歪む。

 「ううぅ」と呻りながらその場に蹲る。

 誰も助けてくれない。もう私を助けてくれる英雄ヒーローは現れない。あの日、私がこの手で殺めた英雄は死んでしまったのだ。

 自分の身を守るために一国を滅ばした私の罪は重い。

 異世界に召喚されていた三年もの間、私は自分の身を守ることで精一杯だった。私は異世界で手にした能力を駆使して何とか生き残った。様々なものを犠牲にして仲間を友を裏切り、最後には国を滅ぼす片棒を担いだ―私は生きていてはいけない存在なのかもしれない。そんな思いの中、私は国連の異世界調査部隊に保護され現在に至る。

 罪深い私に救いの手を差し伸べる者はなく、同様に私も、差し伸べられた手を掴んではならない。

 それなのに―。

 「おい、どうした。大丈夫か?」そう言って手を差し伸べる人がいる。

 私はこの人の手を掴んではならない。

 「おい、無視するなよ。聞こえてるだろ」

 目の前に立つ青年は自分と同じ学院の制服に袖を通している。

 どうやら私と同じ新入生のようだ。青年の制服は真新しく、皺一つない。

 「すみませぇん。私、道に迷ってしまったみたいでぇ」

 「なんでアンタ無理してんだ?」

 青年の言葉に私は動きを止める。

 見透かされている!? 動揺を顔に出す程愚かではないが、その一瞬に生まれた不自然な間を青年は見逃さないだろう。

 「ほら行くぞ」

 そう言って私の手を取り強引に引き起こすと青年はそのまま手を引いて歩き出す。

 ああ、この人もあの人と同じで多くの人々を救うことのできる英雄になる人なのだろうとかつて私を救ってくれた英雄とその姿を重ねていた。また私は目の前に差し出された手を掴んでしまった(今回は掴まれてしまった)。

 私の手を引き、力強く進む青年の背中に頼もしさを感じていた時、不意に青年から声が掛けられる。

 「あのさ、お願いがあるんだけど。ここ何処だか教えてくれない?」

 私は思う。もしかしたら今度の英雄は頼りにならないかもしれない、と。


 *


 「あら、太陽さん。こんなところで何をしておられるのですか?」

 前方から渡り廊下を優雅な歩みで近づいてくる女性に目を奪われる。

 壇上で見る以上に美しい。

 学院の執行部のトップがなぜ声をかけてきたのか様子を窺う。どうやら私の手を引く青年と知り合いのようだ。そして私は今、この瞬間に青年の名前を知る。太陽、それが私の新たな英雄(?)の名前らしい。魔導学院の中枢を担う執行部。その代表―国庫の最高戦力、十傑序列第七位のフェリス・スタンフィードが目の前にいる。私の心臓は今にも極度の緊張に押し潰されそうになっていた。そんな女傑と青年は砕けた様子で話を続けている。

 「いや~参ったよ。ちょっとトイレに行ってた間に皆いなくなってるんだもん。参っちゃうよね。現在地もよくわからないし、それでぶらぶら散歩でもしようかと思っていたところに彼女がいて一緒に新入生の一団を探してたって訳」

 「成程、大体の事情は呑み込めました。それでそちらの方は?」

 「ん? ああ、そういえば言えばまだ名前聞いてなかったね」

 「名前も知らない人を今までずっと連れ回していたのですか? まったく、あなたという人は、お兄様に似て後先を考えず、その場の直感を頼りに動くようですね」

 「そんなことはないよ。困っている人を見つけたら助けるのは当然のことだろう。それに同じ学院の生徒なんだから赤の他人ってことはないだろう」

 「はぁ……まあ、いいです。それであなたのお名前は?」

 急に話の矛先が私へと向けられて動揺した私は、

 「た、た、橘りゅなですッ!」

 「橘りゅなさんね」

 「あ、ええとぉ……はいぃ」

 自分の名前すら噛んでしまい満足に言えない。訂正することもできなかった。そんな私の名前は橘瑠奈たちばなるなである。


 自分の名前をりゅなと噛んでしまったのがそもそもの始まりであった。

 魔導学院入学初日に初めて言葉を交わした同級生と学院のトップに君臨する女傑に「りゅな」と認識されてしまい、その後、合流した新入生の一団にも「りゅな」と呼ばれ誰一人として私の名前を呼んではくれなかった。学院デビュー失敗である。

 

 新入生は全員ノルンチェックを受ける。運命・存在・必然の三つを大まかに占うのである。重要視されるのは未来に何を成すかということである。多くの者は「大国の礎」「日の国を守護するもの者」などといった未来しか予言されない。そんな中、稀に予言の中に「英雄」「勇者」「神」という文言が入る者が現れる。ちなみに十傑に選ばれている方々はもれなくそれらの文言がノルンチェックの際に予言として示されている。

 新入生の殆どがノルンチェックを終え、各自振り分けられた演習室へと向かう。

 「次は俺の番だな」と言い太陽がノルンチェックを受けようとすると、慌てた様子でフェリス・スタンフィードが引き止める。

 「太陽さんは一番最後です」

 「何だよ別にいいだろ。どうせ受けるんだから」とブツブツと文句を垂れながら私にノルンチェックを受けるよう促す。

 私は目の前に置かれた水晶体に手をかざす。

 すると水晶体が光を帯び始め、手のひらサイズの三人の女神が姿を現わす。

 三人の女神が順番に語り始める。


 『数多の種族が混在する世界、シグルテュルに召喚されし女は、己が身の破滅を恐れ、全能の悪に人類を売り渡した騙りの勇者』


 『この者は自らの力の使い方を知る者である。過去の過ちを拭い去ることができずに苦しみ、虚無として生きる廃人である』


 『世界を統べる神の傍らに立つ女もまた神と渡り合う力を有し、神々を統べる最強の神に仕える。その名は後世にまで語り継がれるだろう』


 運命・存在・必然の三つを売らない終えると女神たちは姿を消す。女神の消失と共に水晶体に帯びていた光も失われる。

 ノルンチェックをの内容は運命の女神ウルドが過去を、存在の女神ヴェルダンディーが現在を、必然の女神スクルドが未来を占う。

 過去・現在共に、自分の半生を振り返れば大方当てはまっている。問題は三つ目の占い―予言に近いと聞くスクルドの占いだ。

 世界を統べる神の傍らに立つという文言に加え、私自身が神と渡り合う力を有するという文言の二つはかなり重要になるはずだ。

 世界を統べる神なる存在がこの世界に降臨することが示唆されているのだからこれから世界は大きく動き出すことになるだろう。さらには私も神という存在に迫ることが示唆されている。つまり十傑と同等の存在に生り得るということだ。

 未だに過去の呪縛に囚われている私には正直荷が重い。

 ノルンチェックを担当する職員が色めき立つ中、十傑フェリス・スタンフィードは最後のノルンチェックから片時も目を離さなかった。


 『全能と全知の交わりにより、その存在は生まれた。全能を超える存在として生を受けたその者は、全知によりシェオルに隠された』


 『シェオルに隠された神は今はまだ無知で無能な英雄に過ぎない』


 『全能を打ち倒し、神々を従えて更なる戦いへと挑む。エデンの園を創造する者と、善と善による聖戦が始まる。その聖戦には勝者はいない。どちらの善が敵を打ち砕こうとも苦汁を味わうこととなるだろう』


 職員たちは沸き立つ。

 「救世主の到来だ」「この予言は凄い!」「ついに我々が世界を統べる時が来た!」と思い思いの言葉を口にする。

 そんな中、二人だけがその結果に驚く様子もなく言葉を交わす。

 「流石というべきですかね」

 「よくわからん。所詮は占いだろう? 気にする奴らの気がしれん」

 日本の国防を担う十傑と、神々を従える者と予言された青年は何事もなかったかのように話を続ける。

 「これは本当に遊さん以来のSクラス入りもあり得ますね」

 「誰だその遊っていうのは」

 「私と同じ十傑を務めている子です。ちなみに私よりも強いですよ」

 「それは是非とも一度お手合わせ願いたいものだな」

 二人の会話を呆然と眺めているだけの私に二人の視線が集まる。

 「ど、どうかなさいましたか?」

 女傑は腕を組み私を足の先から頭まで視線を二、三度往復させるとため息を吐く。

 一体どうしたのだろうかと様子を窺っていると、私の気持ちを代弁するかのように青年は女傑に問う。

 「どうしたんだ、フェリス。りゅながどうかしたのか」

 「いえ、今回のノルンチェックの結果が知れ渡ることは防ぎたいのです。太陽さんは気にされないとは思いますが、周囲の人間は神という存在を恐れます。人として生活することは困難になります。ですから―貴女には今回の結果を口外しないでいただきたいのです」

 女傑はまっすぐにこちらを見ている。その鋭い眼光に気圧されつつも「は、はいぃ」と何とか返事を返す。

 「ありがとうございます」と微笑む女傑の視線が妙に突き刺さる。

 何かしてしまっただろうかと気を揉んでいると、

 「どうしたフェリス? そんなにりゅなの胸が羨ましいのか」と青年が笑う。

 「何を言っているのです。私はそのようなことは気にしておりません」と優しい声音で反論する。

 その瞬間、私に向けられていた視線に殺気が加わった。

 

 *


 どうやら私の心配も杞憂に終わったようです。

 橘瑠奈―正直、大人しいという印象以外、特に何も感じない子だったのだが、ノルンチェックの結果彼女は私たち―十傑と肩を並べる存在になるという。私にはまだ人の本質を見極めることはできないらしい。現在、タルタロスに幽閉中の神崎徹も太陽を一目見て何かを感じていたようだし、あの人の人を見る目は確かだったのだろう。ノルンチェックに頼ることなく後に十傑入りする自身の後継者―須賀尊すがみことを見つけ出したのだから。

 しかし私は人を見る目どころか物事の流れを読むことに関しても未熟者だったようだ。

 ノルンチェックを終え、演習場へと向かう道中、すれ違う生徒たちの好奇の視線が後ろを歩く新入生へと向けられる。

 ノルンチェックの結果が早くも学院内に知れ渡っているらしい。

 学院の情報管理の杜撰さには呆れてしまう。

 橘瑠奈に口止めを行う前に職員たちに厳命するべきだったと今更ながら後悔していた。

 この様子では模擬戦は野次馬でごった返してしまうことだろう。

 模擬戦を行う新入生と試験官以外は演習室への立ち入りを禁止にでもしようかと、思案していると「第3演習室」と書かれた大きなゲートが見えてきた。

 取り敢えず予定通りに試験を遂行しよう。野次馬が五月蠅ければその時に野次馬を追い出せばいい。二人の次期十傑候補を引き連れて演習場へと足を踏み入れる。


 *


 演習場は戦慄で包まれていた。それは一方的な蹂躙であった。新入生を十数名ずつ相手取り制圧してゆく。これは試験とは名ばかりの恐怖政治を行うための地均しだと直感した。

 この試験は、自分は特別な存在―選ばれた者という思い上がりの鼻っ柱を圧し折ることが目的なのだ。

 私は決して思い上がってなどいない。だからこの試験は受けなくてもよいのではないかと思い、試験への不参加を直訴しようとした時には、もうすでに順番が回ってきていた。

 「お二人だけとはいえ次期十傑候補なのですから問題はないでしょう」

 淡々と語るその唇はとても柔らかそうで妙に色っぽい。同性の私ですら二人きりであの唇から紡がれる声で迫られてしまったらそのまま雰囲気に流されてしまうことだろう。しかし、演習場の空気はピンと張りつめていた。どんなに異性としての魅力があろうともフェリス・スタンフィードという女性は、この学院においては恋愛対象とはなりえないらしい。ふと視線を観覧席へと向けると、上級生と思しき男子生徒たちが何やら話し込んだ後、私の視線に気が付き両手を合わせて合掌した。小さく動いた口元が「可哀想に」と動いたのは気のせいではないだろう。

 演習場のすぐ脇には打ちのめされて伸びている新入生が数十人横たわっていた。

 私も彼らの後を追い一緒に伸びて医療棟の一室で共に目を覚ますのだろう。

 すると隣でストレッチをしていた青年が言った。

 「女の子と戦うっていうのは何かやりにくいよな」

 その言葉に観客席に詰めかけた上級生からは失笑が、意識のある同級生からは呆れたと言わんばかりのため息が漏れた。

 しかし目の前に対峙する十傑は警戒を緩めることなく、私たち二人をしっかりと捉えていた。


 防戦一方という言葉を体現したその一戦は時間を追うごとに熾烈を極めた。

 初めは一方的に攻撃を受ける私たちに対して否定的な言葉が飛び交っていたが、次第に口数は少なくなり現十傑と次期十傑候補の戦いを見守っていた。

 

 爆音の直後猛烈な爆風に体を飛ばされ地面を転がる。

 「魔法の槍マジック・ランス!!」

 強大な魔力を基に生成される槍の雨は際限なく降り注ぐ。

 「立たないと死ぬぞ」と手を差し伸べられる手を一瞬、掴むことを迷った。そのことが私たちにできる選択肢を一つにした。

 「これは回避不可能だな。仕方ないから取り合えず全力で応戦してみようか」

 青年はこちらに真直ぐ向かってくる槍に向かって拳を振るう。

 青年の拳は魔法によって生み出された槍を消失させた。

 「驚きましたね。ただの拳とはいえ、そう遠くない未来に世界を統べると予言されただけのことはあります。しかし、今はただの無智で無能な英雄に過ぎません。ここから先は今まで以上に手詰まりになりますよ」

 不敵な笑みを浮かべた十傑の魔女は告げる。

 「蹂躙します」

 突風が顔を掠めたと思った瞬間、私の隣にいた青年が演習場の壁に打ち付けられそのまま崩れ落ちた。

 「えっ……」

 フェリス・スタンフィードは言葉を失う私に優しい笑みを向ける。

 「大丈夫ですよ。学院内はこの演習場を含め例外なく身体ダメージを精神ダメージへと転換する結界を張っています。太陽さんも気を失っているだけです。太陽さんでしたら十分もしないうちに目を覚ますでしょう。ですから貴女も遠慮などせずに本気で来なさい!」

 彼女は私の力の底が知りたいらしい。しかし、私は自分の力が嫌いで使いたくない―使えない。

 「防がないと死にますよ」

 冷たく言い放った言葉には殺気が込められていた。

 結界によって肉体ダメージは精神ダメージへと転換されるのだから死ぬことはないはずなのだが、目の前に死が迫っているという感覚が体の動きを鈍らせる。

 「死の放射デス・ラジエーション

 収束される光の輝きが増してゆく。

 間近に迫る死の恐怖との葛藤の末、私は生を手放すことを選んだ。


 気が付いた時には目の前に私を覗き込む青年の顔があった。

 慌てて体を起こすと青年の額に頭突きをしてしまう。

 ゴンと鈍い音と共に二人して額を抑える。

 「うぅ、痛いですぅ。すみませぇん」

 「いちいち泣くなよ鬱陶しい」

 「すみませぇん」

 「いちいち謝るな。女を下げるぞ」

 「う、うぅ、すみませぇん」

 「泣くなと言っているだろ!」

 「すびばせぇん」

 私に対して注意をすることが逆効果だと気が付いたのか、青年は私が落ち着くまで静かに待った。

 鼻をすすり、深く息を吸ってゆっくりと吐き出す。鼓動は未だに速いままだが頬を伝う涙を拭うとベッドの上に正座をして青年が話すのを待つ。

 私の正面に立ち、こちらを見下ろしていた青年がベッドに腰を掛ける。

 そして柔らかい口調で告げた。

 「まあ、結果だけを言えば俺たち二人はEクラス入り濃厚らしい」


 *


 はあぁ、どうしてこうも物事が思うように運ばないのだろう。三年前に入学手続きを担当した遊ちゃんの時もそうだったけど十傑入りする人間というのは問題児しかいないのだろうか(もちろん、私を除く)。

 才能任せで協調性のないに、まったく主張をしないの廃人。実力だけならばBクラス入りしても問題ないだろうし、Sクラスでもやれないことはないだろう。しかし、太陽さんは魔法に対してあまりにも無知で自身の能力を制することができていない。橘瑠奈に至っては論外である。あまりにも気概が足りない。

 魔法を一から学ぶのであればEクラスが最適だし、努力して上を目指す人間を間近で見て失われた何かを取り戻す切っ掛けにもなるかもしれない。少なくとも実力に即したクラスに入れれば二人とも成長することができないだろう。だからこそ私は敢えて厳しい道を歩ませるのです。決して面倒だなんて思ってはいません。神に誓って。

 そして私は信仰心などこれっぽっちも持ち合わせていない神様への祈りを終えて、書類に判を押す。

 日向太陽、橘瑠奈の両名をEクラス所属とする。

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