1-13 幽閉

 十傑の頂点に立つ月光は自らの底を誰にも見せてはいない。だからこそこの場面においても神崎は勝ちを確信し、弟は打ちひしがれているのだ。

 「トト」

 呼びかけに答えるようにトトは姿を現す。

 「お呼びですか?」

 「ああ、月詠のことを頼む」

 月光は視線を落とす。

 「畏まりました。他にご用件はありませんか」

 「そうだな、後は神崎の件と山吹の件、この二つの……」

 「わかっております。私が文書を作成いたしましょう」

 「助かるよ、トト。いつもすまないな」

 「いえ、お気になさらないでください」

 トトは気を失っている魔女を抱きかかえると軽く頭を下げ再び姿を消した。

 

 天変地異の領域にある竜の巣を呆然と見上げる弟の前に立つ。

 「顔が死んでいるぞ」

 返答はない。

 「仕方ないですよ。目の前に死が迫っているのですから太陽君も正気を保ってはいられないでしょう」

 勝ち誇った顔を見せる神崎に月光は告げる。

 「確かにそうかもしれないな。しかし俺には関係のない話だ」

 月光の余裕発言に神崎は顔を顰める。

 「月光様もお逃げになった方がよろしいのでは?」

 神崎は不敵に笑う。

 雌雄は決したと言っているのだ。

 しかし月光は意に返さないさない。

 「だから俺には関係ない話だと言っている。この程度のこと俺の脅威には成りえない」

 神崎は眉間に皺を刻む。

 「どういう意味です?」

 「こういうことだ」

 月光は飛行魔法を発動し竜の巣の下まで移動する。

 竜の巣に対して両手を翳し呟くように声を発する。

 「《消去(デリート)》」

 それと同時に竜の巣は霧散し、その存在は消失した。


 *


 何事もなかったかのように広がる青々とした空が神崎を絶望へと誘う。

 《竜の巣》の消失。

 それは二人の間にある実力差を雄弁に物語っていた。

 同等の力をぶつけ力を相殺させるのではなく、消失させことが問題なのであった。消失という手段を実行するためには消失させるもの以上の力が必要となる。

 竜の巣の質量は小国であれば滅ぼせる程度にはある。

 つまり目の前の絶望は国一つ滅ぼせる力を優に上回っていることを意味していた。

 

 目の前に舞い降りた絶望が告げた。

 「神崎徹。これからあなたにはタルタロスへと落ちていただきます」

 タルタロス―それは魔導学院第二分校の別称である。

 魔導学院第二分校は七つの機関の中でも特殊な位置づけにある。他の六つの機関は異世界の技術の研究に帰還者の教育などを目的とした教育及び研究機関であるのに対し、第二分校が担う役割は監獄である。政府に対して対立する帰還者・技術者の幽閉、投獄が主な仕事である。

 現在、我が国では帰還者が使用する魔法という概念や異世界のオーバーテクノロジーによる殺傷等に対する法整備が未だに敷かれていない。そのため七つある機関の一つに監獄の役目を付与したのだ。

 これで俺も晴れて囚人となったのか、と冷静に自分の置かれた状況を確認していた。

 つまり俺は二度と太陽を拝むことはない。最後に見上げた空には無数の雲が浮かび、延々と続く雲の海に目をやる。

 「世界は広いなぁ……」

 神崎は囁くように呟く。

 そしてさらに小さな声で続けた。

 「……俺の後に続け……同志たち―」

 その呟きはその場にいる誰の耳にも届くことはなかった。


 *


 ドアがノックされる。

 「入れ」

 こちらの返答を待って開けられたドアから見知った顔がこちらを覗く。

 「トトかどうした?」

 扉を閉めると一礼すると、俺が腰を下ろしているソファーの前まで来て報告を始める。

 「神崎徹の件につきましては幽閉という形を取り緊急時には今まで通り最高戦力として戦っていただくことと相成りました。それと幽閉場所は第十階層となりました」

 「第十階層か……少しだけだが同情してしまうな。あそこは間違いなく地獄だからな」

 その後ひとしきりトトの報告を聞くと外はすでに暗くなっていた。

 陽が落ちるのが速いな。

 今日もまた一日が終わる。

 数日前に神崎の一件がようやく落ち着いたと思ったら明日は魔導学院の入学式を迎える。

 神崎の件ほどではないものの魔導学院の入学式もかなり厄介である。

 毎年何かしらの問題が発生する。そしてそのたびに政府から報告書の提出を求められるのだ。正直、面倒なので仕事の半分はトトに押し付けているのだがそれでもこの時期は一睡もしないなんていうことも珍しくはない。

 ちなみに今も昨日からぶっ通しで三十五時間業務である。

 トトの報告はいつも書類にまとめてもらっているのだが今回は急なことだったので書類ができていないということで口頭での報告となった。

 内容の大半はすでに忘れてしまっているが、まあ、大丈夫だろう。

 上の者は無能でも周りが有能であれば組織は上手く回るというし今回もなんとかなるだろう。

 そんなことより……。

 俺は神崎の一件の終わりに手渡された手紙を翳す。

 差出人の名前には智恵と母の名前が記されていた。

 封を切り、手紙を開き目を通す。

 そこには一言、こう書かれていた。

 

 『親愛なる我が子へ

   あなたは私の息子です』と。

 

 いつまでたっても子離れのできない人だ。

 しかしそんなことがこれほどまでにうれしいことだとは思いもしなかった。

 いつも不安に思っていた。

 俺は母の子ではないことを知っていた。

 そして母は、俺が母の息子でないことを知っているということを知っていた。

 しかし弟は何も知らない。知る術がない。

 何せ俺は―月光という存在は理想の兄として生み出されたのだから。


 *


 目を開けるとそこには見知った天井があった。

 私はあれからどうなった?

 激闘の末魔力を使い果たすという魔導師として最もしてはならない禁忌を犯して敗北した私は気を失い、この特別治療棟に担ぎ込まれたのだろう。身体の自由は利かないが命に別状はないようである。外傷も特になく、ただの魔力切れと考えるのが自然ではあるが……。

 「トトさん。また、記録改竄しましたか?」

 「改竄? 私がですか?」

 「ええ今回の件で私は死を覚悟したのですが、運がいいという一言で済ますにはあまりにも不自然な点がありますからね。第一、神崎さんが殺すと定めた相手が外傷一つないというのはありえないでしょう。私はそこまで短絡的ではありません。本来ならば私は死んでいて、運がよくとも息をしているのがやっとという状態だったでしょう。このように話すことはできなかったでしょう」

 トトは断言するように告げた。

 「改竄などありえません。私は虚偽の報告をしたことがありません。私がとる記録はそのまま政府・関係各所に公開しています。故に私は十傑において書記官という役割を担っているのです」

 確かにトトは虚偽の報告をしたことはなかったが、記録された事実は起きたことだけでなく中には起こされたものもあった。つまり、トトが記した記録通りのことが起こり、そして記した通りに事実が改変されていた。勿論、世界は改変されたことに気付いてはいない。過去にトトは自らが記した記録に斜線を引き死者の記録を削除することによって生かしたという事例が過去にある。今回も同様の力を行使したのだろう。

 「まあ、そういうことにしておきましょう。今回は深く追求しないことにします」

 「ご理解いただきありがとうございます」

 そう言うとトトは病室の扉へと向かい扉を開けた。

 「ありがとう。助かりました」

 私が遠ざかる背中に声をかけるとトトは振り返り、優しく微笑むと何も言わずにそのまま病室を後にした。


 *


 神崎徹との戦いから六日―あの激戦が夢だったかのように俺の世界は平穏を取り戻していた。

 魔導学院への入学を明日に控え、新たな場所での生活に心を躍らせていた。

 戦いの後丸二日眠り込んでいたらしい。そして残りの三日は入学手続きやらであっという間に過ぎ去っていった。忙しない三日間を過ごし、気付くと入学式前日になっていた。 

 入学準備はすべて終えている。

 何かやり残したことはないかと考えていると一つ思い出したことがあった。

 あっ……。

 フェリスは大丈夫だっただろうか。

 別れ際に母からの手紙を兄に渡した時にフェリスのことを聞くと、大丈夫だと言ってはいたが実際に自分の目で確認したわけではないので心配になってきた。

 フェリスの居場所を知っていそうな人間を探さないとな、とこれから何をするのかを確認し、俺は割り当てられた自室(仮)を出た。


 当てもなくぶらぶらと学生寮内を歩いていると時折上級生と思しき男女とすれ違う。そのたびに視線を感じ、振り返るとそれらの視線は霧散して消える。

 見知らぬ人間が自分たちの領域(テリトリー)に居れば気になるのかもしれないが、どうもそれだけではないらしい。

 すれ違い、しばらくすると振り返りこちらの姿を再確認して、何かを確かめるように近くにいる人間の下へと歩みより何やらコソコソと話しているようである。

 妙な噂でも立てられていないだろうな、と的外れな心配をしていると正面から軍人のように自らを正した佇まいをした一人の男子生徒が近づいてくる。

 すれ違いざまに軽く頭を下げてきた男子生徒にこちらも同じように頭を下げる。

 二歩、三歩と歩数に応じて距離が生まれる。

  「あのッ! すみません」

 なぜかその男子生徒を呼び止めていた。

 「何か?」

 振り返った男子生徒の顔に見覚えはない。

 自分の行動に戸惑っていると男子生徒はしばらく思考を巡らせた後、ポンと手を叩くと何かに納得した様子でそのまま踵を返して立ち去ろうとする。

 「ち、ちょっと待てよ」

 男子生徒は振り返ることはなく「この先の丁字路を右に行くと医療棟に続いています」と告げると男子生徒は役目を終えたと言わんばかりに再び歩き始めた。

 医療棟か……取り敢えず行ってみるか。

 男子生徒に背を向け太陽は医療棟を目指す。


 太陽は、ノックをして扉を開けて中に入る。

 等間隔に並べられたベッドと医療機器しかない殺風景な空間にベッドから身体を起こして大きく息を吐く人影が一つ。

 「あ、あの~……」

 恐る恐る声をかける。

 「はい」

 首を動かすのが辛いのか身体ごと動かしてこちらを向く。

 「太陽さん、わざわざありがとうございます。情けないですね。十傑なのに護っていただいて、私ダメダメですね」

 「あの……一つ確認したいんですが」

 「はい、なんでしょう?」

 「フェリスさんでよろしいのですよね?」

 「畏まらなくても大丈夫ですよと言いましたのに」

 やはり目の前にいる女性はフェリス・スタンフィード本人で間違いないようだ。

 しかし、容姿が全く違うではないか。

 彼女のトレードマークといえる白銀の髪は根元から深い黒色に染まり身長も数十センチ伸びているようだ。

 胸の方も気持ち成長しているようだ。

 ……多分。

 しかし、幼いイメージが強かったが、随分と色っぽくなったものだと、フェリスの変容ぶりに驚いていると、

 「惚れてしまいましたか?」

 フェリスは太陽を弄ぶように深い笑みを浮かべる。

 「綺麗だなとは思うよ。でも」

 「でも?」

 「ボンが足りない」

 「ボン?」

 「あっ、わ、わからないならいいよ。気にしないで」

 「そう? 汗すごいことになっていますよ」

 「アハハ……」

 一瞬、ものすごい殺気を感じたが気のせいだったのだろう。フェリスは一般常識に疎いようだ。ボディーラインを現す言葉が一般常識にカテゴライズされるのかはわからないが世間と隔離されている特区の中で生活をしていると触れることのできる情報も限られてしまうのだろう。そう思うことにして話を進める。

 「すごいイメチェンだね」

 「当分はこのままですよ。あと、こちらが本来の私の姿ですよ」

 そう言って笑うフェリスの表情が一瞬曇った気がした。


 フェリスと別れて自室に向かう途中。

 太陽は寄り道をしてフェリスの部屋を覗いてみる。

 絢爛豪華な部屋は生活感などまるでなく、黒猫が一匹、微動だにせず、まるで魂でも抜け落ちたように眠りについていた。


 *


 地下へと続く階段を一歩、また一歩と下るたびに足元を這う冷たい空気が地上から大分下ってきたことを実感させてくれる。

 「まだ着かないのかな? 俺、もう疲れちゃったよ」

 投げかけに返す者はいない。

 つまらない。

 世界に喧嘩を吹っ掛けた代償が空気扱いだとでもいうのだろうか。

 両手両足に枷を嵌められた状況ではこの先に待ち受けていることもたかが知れている。ひどく退屈でつまらないことであるのは間違いない。空気扱いされているのも俺を退屈地獄へと誘うための布石なのだろうか。

 「着いたぞ、神崎」

 やっと掛けてもらえた声は感情のこもっていない事務的なものであった。

 やはり、つまらない。

 事務的な会話ほど面白くないものはない。

 枷の先には鎖が繋がれておりその鎖を引っ張られて強引に前進させられる。

 「入れ」

 事務的な声に従い薄暗い部屋の中へと入る。

 「よくいらしてくださいました」

 感情のある、事務的ではない声が出迎える。

 「遊びに来ましたよ」

 「とても残念です。このような形でなければお茶の一つでもお出ししましたのに」

 「お気遣い頂ありがとうございます。黄泉さん」

 「あなたは退屈を嫌いますから、私でよろしければお話し相手になりましょう」

 「ええ、ぜひ、お願いいたします」

 「承りました。しかし、あなたはこれからタルタロスに幽閉されます。そして二度と太陽を拝むこともありません」

 地下監獄への幽閉は俺にとっての始まりとなるのか終わりとなるのかはわからないが、一度ならず二度までも世界に喧嘩を売って命を拾った強運を持ってすれば、また太陽の下で世界を揺るがすような大事件の渦中になることも不可能ではないだろう。

 今は充電期間。その一言で自分を納得させて神崎徹は光も地上の音も届くことの無い大監獄の最下層に幽閉された。

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