1-12 雷神Ⅳ

 迫る死に生を手放した太陽はただただ死を届ける元凶を眺めていた。

 神に挑むなんて愚かなことだったんだ。

 神崎は少しも本気を出してはいなかったのだから。肉弾戦を行ったのもただの気紛れに過ぎなかったのだ。

 後どのくらいで俺は死を迎えるのだろうか。

 もはや希望はない。

 大人しく絶望を待つ。

 不自然な風が太陽の髪を靡かせる。

 「諦めやがったなお前」

 投げかけられた声には落胆の色が見られた。


 「―っ兄さん!?」

 太陽の前に現れた月光は失望したと言わんばかりに弟を蔑むような視線を浴びせた。

 「この臆病者が」

 まるで虫けらでも見るようなその視線はMの人間(俺は違うが)からすればご褒美である。兄はSっ気があるというよりドSである。

 「兄さん酷いな」

 「不甲斐ないことこの上ない―この脆弱者めがッ!」

 「おお、心を抉られるわぁ、ハートブレイクっ!!」

 「随分と余裕があるな」

 「いや~、余裕はないんだけどね。なんかこうでもしてないと気が狂ってしまいそうでさ。ところで兄さん、アレなんとかできない?」

 太陽は上空を覆い隠す巨大な雷雲を指差す。

 そして期待の眼差しを兄へと向ける。

 「無理だ」

 断言されてしまった。

 「何でだよ兄さん! フェリスから聞いたよ兄さんが十傑のトップだって。神崎さんは確か序列六位だから兄さんの方が上だろ」

 「数字の上では……な、実力的に差はない。だから神崎は俺がすぐに駆けつけられる高天原でも関係なくことを起こした。わかったか? 俺には無理だ、お前がやりなさい」

 「厳しいね、兄さん」

 しかし、不思議なもので兄と話しているとなんでもできる気がしてくる。

 お前がやれ、か……。

 やってやる。やってやるよ。

 トトとかいう奴が言っていた。

 願うことが俺の力になる、と。

 「あの人を殴り飛ばしてこの悪ふざけを止めればいいんだろ?」

 「ほぅ、お前にできるのか太陽?」

 「できるかじゃなくてやるんだよ。できなきゃすべてが終わる。人生の分岐点―ターニングポイントってヤツだな」

 計画性ゼロの成り行き任せの戦いに太陽は挑む。

 

 迫りくる死に対抗するべく右手を掲げる。

 「はぁぁあぁあぁぁ」

 魔法など発動できるわけもなく早くも手詰まりになった太陽を遠巻きで見ていた月光が笑う。

 「何笑ってるんだよ! こっちは真面目にやってんだ!」

 「だから笑ってるんだよ」

 あんな天災相手に何が出来るというのか。もはや問題の当事者という立場を完全に放棄した月光は高みの見物を決め込んでいる。

 「だってさぁ~、俺もあんなとんでも能力使えるかもしれないだろ?」

 「使えねぇよ。使える訳ねぇだろうが! やったことも無いことがここ一番のタイミングでそんな簡単に出来る訳ねぇだろ。馬鹿なのか?」

 「馬鹿じゃねぇよ!」

 月光は嘆息し、声をかける。

 「お前は今までどうやって戦っていたんだ? よく考えろ」

 (俺の戦い方―それは肉弾戦さらに言えば拳による直接攻撃だ。魔法は使えない。拳も届かない。残された道は一体……)

 呆れたように月光は深いため息を吐いた。

 「お前、まだわかっていないな。願う事こそがお前の力だと言われなかったか?」

 「ああ、言われたよ。トトとかいう奴に」

 「だったら願えばいい。神にも届く拳を」

 「そんな簡単にいくのか?」

 「窮地というのは思いの外簡単に覆せるものさ」

 半信半疑で願う。

 「俺に目の前の神を倒すための力を」

 すると太陽の身体を光の粒子が包み輝きだした。

 「何だ、これは!」

 光の輝きが増すにつれ、太陽の身体は熱くなった。

 逃げ場を失ったエネルギーが身体に籠り熱を発する。

 (熱い、熱い、熱い、熱い、熱い~!?―)

 神崎に電撃で射抜かれた時の比ではない。

 このまま自分自身の力の波にのまれて俺は死んでしまうのか、という考えが頭を過ぎる。

 「早く放出しないと体の内側から溶かされちまうぞ」

 「なっ!? そういうことはもっと早く言えよ、馬鹿兄貴~―」

  慌てて拳を振り抜くと周囲は突風に見舞われ、衝撃波が生まれた。

 

 突風の中、無防備に横たわる魔女を庇いながら月光は感嘆の声を漏らした。

 「マジで化け物だな―いや、神様だったな」

 

 空を割ったその一撃の前でも竜の巣はびくともしなかった。

 威力の限界は見た。それでも勝てないのか。しかし、神崎は焦りの色こそないが、驚いてはいるようだ。先程から頻りに「すげぇ」、「当たってたら不味かった」などと口にしている。

 当たれば勝てるが音速で移動する神崎相手に素人のテレフォンパンチが当たるはずもない。ならばどうすればいい? 必死に頭を回転させ一つの結論を導き出した。

 音速を超える拳。

 それであれば神崎にも当たるだろう。

 音よりも速いもの。

 あっ―。

 思いついた。

 音より光の方が速いよね。多分。

 そうしてあっけなく状況を打開する策(?)は生まれ、実行へと移された。

 

 標的は神崎徹。目下最大の脅威である竜の巣をどうにかするのは厳しい。そこで元凶を断つ。

 もはやどのような仕組みで拳が相手に届いているのかわからないがこの際そのようなことはどうでもいい。

 太陽は足を肩幅に開き腰を落とした。

 ふぅ……。

 息を一つ吐き、気持ちを静める。

 半身の形を取り、握った拳を引く。

 これまたどういう理屈で空中浮遊しているのかわからない神崎を見据える。

 半身の体勢からさらに身体を少しひねり力を溜める。

 「飛べ!」

 勢いよく地面を蹴る。

 蹴りだした部分はクレーターのような凹が生まれる。

 生身の人間の跳躍力では到底届くことのない存在に肉迫する。

 全身の力を拳へと集約させていく。

 「うおぉぉぉぉ」

 繰り出される拳は音速の世界の存在をはっきりと捉える。その速度は音速を超え光の速さに到達した。

 「《光速拳(仮)》」

 光速の拳が神崎を完璧に捉えた。


 顔の正面を捉えた拳が鼻先を捉え、勢いを殺すことなく振り抜く。鼻骨を砕きその勢いのままに脳を揺らす。

 続けて拳を繰り出す。

 頬骨を砕き、顎を砕き歯を折る。それでも太陽は繰り出す拳を止めない。止められない。

 醜く歪む顔が次の瞬間には治っているのだ。

 自然治癒の領域を大きく超えている。

 暴力は振るわれる方は勿論だが振るう方も体力を消耗する。

 しかし神崎もダメージは蓄積されているようで太陽の拳をよける体力は残っていないようだ。双方にとって最後の攻防。

 二人は拳を握り再び肉迫した。

 

 互いの拳が腹部に減り込む。

 そのまま捩じり上げるようにして腹を抉る。

 互いに肋骨を数本折り、内臓にも損傷を負い両者ともに吐血をする。

 二人の身体は自然落下を始めるが、二人はそれに抗う術を持たなかった。

 身体の自由がきかない。

 そのまま二人の身体は地面に向けて落ちていった。

 

 *


 落下の衝撃により止めを刺された神崎は大きく咳き込み同時に大量の赤い液体を吐き出した。

 ハハハ……。

 不思議なことに後悔の念も悔しさもなくただただ清々しい気分であった。

 「終わったのか……」

 疲れた。このまま瞳を閉じれば安らかな眠りに就くことができるだろうか?

 瞼が重い。

 視界もぼやけている。

 ああ、このまま眠りに就いたらもう二度と目を覚まさない気がする。

 それもいいかもしれないな、と意識を手放すことに前向きに取り組む。

 あと少しで意識を手放せるというところで肩を掴まれ身体を揺さぶられた。

 「おい、起きろ」

 「ん……ああ、太陽君かどうしたそんなに血相変えて」

 「あれなんとかしろよ。アンタが作ったんだからなんとかできるだろう」

 太陽は竜の巣を指差し叫んだ。

 耳の奥まで声が響く。

 「無理だ」

 一言。

 太陽の顔に絶望の色が広がる。

 何か面白い。

 命の危機に瀕している人間には可哀想なことかもしれないが自分は雷雲の中に放り込まれても死なないため他人事でしかない。

 慌てふためく人間の観察が趣味だというトトの気持ちが今なら少しばかり理解できるような気がする。

 「おい! なんでもいいから何とかしろよ!!」

 激しく身体を揺すられる。

 「ち、ちょっと、待ってマジで―うっ……」

 ダメージの残る身体に追い打ちをかける太陽に、軽く苛立ちを覚えるが指一本として動かせそうにないので寛大な心で許してやることにする。

 そして教えてやろう。真の勝者が誰なのかを。

 「竜の巣はあくまで現象に過ぎない。俺は作ることまではできるが発生した現象に介入することはできない。正確には今はできない、だな」

 「どういう意味だ」

 「現象そのものを生み出したり消し去ったりするのには膨大な力と繊細さが必要になる。今の俺には何もできんよ。どうにかしてほしかったのなら俺を無傷で倒す必要があったがこの有り様だ」

 「そんなのどうしようもねぇじゃないか!」

 「ああ、どうしようもないな。潔く諦めろ。勝負には勝ったんだ、最後ぐらい俺に譲れ」

 「アンタに譲ったら俺、死ぬじゃん」

 「何を今更、俺たちは殺し合いをしていたんだぞ。そんなことより辞世の句でも詠んだらどうだ」

 竜の巣はゆっくりとそして着実に迫っていた。

 太陽の目にはその姿が死神にも悪魔にも見えているだろう。

 ―さようなら太陽君。

 神崎は心の中で別れを告げた。

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