1-11 雷神Ⅲ

 戦いの中で少年は進化していた。

 雷神の放つ拳は音速の域に達している。

 少年はその拳と相打ちという形ではあるが攻撃を当てることができている。

 それでも少年は劣勢に立たされている。

 互いに拳を撃ち合ってはいるもののその威力には決定的な差があった。

 少年の撃ち出す拳はあくまで超人の域に留まるが、対峙する雷神の拳は人外の域にある。人と神。この差はとてつもなく大きい。

 「お前の覚悟はその程度か?」

 神は人に告げる。

 人をやめろ、と。

 そして自分と同じ領域まで来い、と。

 神になれ、と。

 「力も覚悟も何もかもが足りねぇ。そんなんじゃ、俺には勝てねぇぞ! このままならお前は死ぬ」

 それは死の宣告。

 神の言葉は絶対である。

 神の言葉を覆せる者は同じ神以外に存在しない。

 少年は覚醒する。

 「ぶっ潰す!!!」

 その拳が届くだけでは神は倒せない。

 神を倒せる拳。そのためにはスピードが足りない。

 (もっと、もっと速く)

 拳を振り抜く。

 「ぐdljgふぁgふゃヴぁお―」

 言葉にならない声とともに神崎の身体が飛んだ。

 

  ―ガハッ……。

 視界が霞む。世界が歪んでいる。

 殴り飛ばされ身体を地面に打ち付けた時に頭でも打ったか。おそらくは軽い脳震盪といったところだろう。神という存在になってもその器が人間である以上ダメージは受ける。

 拳を握る手に力が入らない。

 二度、三度と手を握っては開くといった動作を繰り返す。

 (力は―少しばかし戻ったか……)

 大きく二回深呼吸をする。

 ふぅ……。

 (俺も覚悟を決めないとな……)

 軋む身体に鞭を打ち立ち上がる。

 「痛ってぇな」

 口内に血の味が広がる。

 血の混ざった唾を吐き出すと、より鮮明に血の味を感じた。

 その久しい感覚に神崎は笑みを浮かべる。

 (やはり面白いな―後先考えるのはやめだ)

 青白い火花を散らしながら天を見上げる。

 「降臨せよ」

 晴天の空からどこからともなく雷鳴をとどろかせ稲妻が降り注ぐ。それらすべてが神崎の下に集まる。まるで避雷針であるかのように雷をその身に受け続ける。

 (フルパワーなんてあの時以来だな)

 稲妻が止むとそこには雷神として覚醒した神崎徹―雷神トールの姿があった。


 *

 

 凄まじい轟音とともに大地が震える。

 それはまるで強大な力の前に大地、そして大気が脅えているかのように。

 フェリスもまた必死に己を奮い立たせていた。

 あれが神にのみ許された力―降臨か。

 噂でしか聞いたことはなかったが神崎徹は本当に雷神トールそのものだったということか。

 神の力という点で言えばフェリス自身も神の顕現という手段を用いてその力を行使しているがその力はあくまで模倣に過ぎない。

 顕現とは、複数の魔法式を同時に発動、行使することによって生み出される神の業の再現―模倣コピーである。

 対して、降臨とはその身に神を降ろす。それは純度100%の神の業の行使が可能になることを意味している。つまり降臨を使うことのできる者は神と同位ということになる。

 確かにこれだけの力があれば国も反乱の一つや二つで手放すなどとは考えないだろう。

 その存在自体が抑止力となり、その強大な力を有しているという事実が外交の場においても強硬姿勢をとれる一因となっている。

 しかし敵に回ってしまえばただの国家存亡の危機を生む災厄でしかない。

 他の十傑の助けは期待できない。

 (美弥、お願い)

 フェリスは目を閉じる。

 《完全なる魔女パーフェクト・ウイッチ

 それが彼女―十傑の魔女最大の力の行使であった。



 目の前に落ちる雷をただ茫然と眺め、その中から姿を現す男に戦慄した。

 恐怖というものは一周すると笑えてしまうものなのだと、この時太陽は初めて知った。

 その身体は青白く輝きを放ちその輝きは周囲にも影響を与える。

 バチバチと音を立てる大気は電気を帯びており常に太陽の肌を刺す。

 「どうした? 来ないのか。ならばこちらから行くぞ、構わないか?」

 「どちらかと言えば来てもらいたくはないな……」

 太陽は息を呑む。

 バチンという音とともに青白い火花が飛び散り殺気が迫る。

 「雷、光、拳」

 耳元で囁かれた声はほんの少しだけ歓びを含んでいた。

 全身が痺れている。

 電撃が身体を貫く。

 気付いた時には太陽の身体は宙を舞っていた。

 (冗談じゃねぇぞ!! レベルが違い過ぎるだろコレ!?)

 一連の動きを捉えることができなかった。

 (何だよあの動き、人間じゃねぇ)

 「そう、僕は人間じゃないよ」

 太陽の心臓は大きく跳ね上がった。

 「エスパーかアンタ」

 「んな訳あるか。顔に書いてあるんだよ。か~お~に~、わかったか? つか、表情に出すぎだろ君、ポーカーフェイスは戦場においても必要な要素の一つだぞ」

 窘めるような口調の神崎はどこか愛情を持って太陽に接しているようでもあった。

 「ご教授感謝しますよ、先輩」

 「そうかそうか、それは良かった。んじゃま、こっちも気合を入れようかね」

 そう言うと神崎は右手を胸の前に突出す。

 「躱せよ―《雷帝》」

 音の速度で飛んでくる閃光を太陽は間一髪のところで回避する。

 「殴る手間すら省きやがった!!」

 回避した位置からさらに後方へと飛び退く。

 しかし音速の攻撃の前では数メートル距離など意味を持たない。

 気が付いた時には第二陣の攻撃が飛んできていた。

 目の前に迫った閃光は唐突に霧散した。

 何が起きたのかわからずその原因を探すと一人の女性が太陽に微笑みかけていた。

 周囲に動ける人間は対峙している神崎にフェリスしかいなかったはずだと考え太陽は一つの結論に至った。

 つまりあの大人の色香漂うあの女性はフェリスということになる。

 それにしても見た目からして変わりすぎだろ!! 雰囲気もなんかエロいし、とごちゃごちゃする思考を整理しつつ確認を取る。

 「フェリス?」

 「月詠……美弥」

 神崎の口にした名前が引っ掛かった。

 どこかで聞いたことのある名前だ。一体どこで耳にしたのか……。

 ここ数日の間に耳にした気がするのだが……っ! 思い出した。フェリスが飼っていた黒猫の名前が確か美弥だったはずだ。

 しかし猫と女性の関係性が見えない。

 いや、違う―フェリスが白猫だったというのであればあの黒猫が目の前の女性であることは十分に考えられる。

 ならばフェリスはどこにいる?

 辺りを見回してもその姿を確認することはできない。

 「余所見をされてはいけません」

 女性の声に振り向くと電撃が周囲を飛び交い逃げ場をなくしていた。

 「本当にでたらめな能力だな」

 太陽は改めて感心する。

 しかし、先程までの恐怖はもう感じていない。

 張りつめた空気に満ちる殺気の大きさは変わらない。それでも不安がないのは彼女のおかげなのだろう。

 《深淵への誘いアビス・テンプト

 空間が歪み電撃の着弾が逸れる。

 神崎も目下最大の敵は誰なのかを再認識する。

 雷神と魔女の戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 白銀の髪は黒く染まり、前髪にメッシュのような形で白銀の髪が残っている。その容姿は美を体現していた。

 絶世の美女というのはこの女のことだと思った。

 しかし神崎が目を奪われたのは容姿ではない。その魔力量である。

 覚醒した魔女とはこれほどのものなのか、と驚きを隠せない。

 「人の身でありながら十傑に名を連ねるだけのことはある。しかし、魔力量には限りがある。持久戦になれば俺が優位に立てる。そして短期決戦においても俺の優位は揺るがない」

 神崎は踏み込む。

 初速から音速の領域に達し、コンマ数秒の内に相手との距離を詰める。

 警戒は怠らない。

 近接戦闘はなるべく避ける。

 かといって遠距離からの攻撃は防がれてしまう。

 好みの戦法ではないが一撃離脱、それも全方位攻撃を持って逃げ場をなくし、徐々に魔力を削り取る。

 力と力のぶつけ合いではこちらも無傷というわけにはいかないだろう。

 強者であるが故に勝機を失う。

 油断を誘えない。

 すなわち、隙を生み出せない。

 馬鹿正直に戦うしかなくなる。

 一対多数を得意とする者が一対一の戦闘を得意とする俺に勝てるはずがない。

 《雷帝瞬光らいていしゅんこう

 音速による攻撃と離脱を繰り返す。

 手数は増えてしまったが確実に相手の力は削いでいる。

 防御そして攻撃この繰り返し。しかしながらこの繰り返しにこそ意味がある。膨大な魔力量を誇る魔女と言え所詮は人の身、限界はある。

 しかし戦いは長期戦になった。

 二人の戦いは一昼夜続いた。

 

 *


 「随分と陰険な戦い方をなさるのですね。ふぅ……かなり厳しいですね。それにお肌も荒れてしまいます。そろそろ終わらせましょうか」

 女は焦っていた。

 このままではじり貧だ。

 ここで一気に片を付ける。

 すべての魔力を注ぎ込み魔法陣を発動させる。

 「天体まほ「この時を待っていた」―!?」

 隙と呼ぶにはあまりにも短い時間。

 その僅かな一瞬の間に勝負は決した。

 

 丸一日に及ぶ戦いを太陽はただじっと観察していた。

 未だに魔法というものは理解しきれないが神崎の動きは把握することができた。

 動き自体は直線的で癖はない。しかし音速というその速度が男を神へと昇華させていた。

 放たれる電撃は防御可能(生身では不可)である。

 攻撃を当てては離脱を繰り返す戦法は理にかなっていた。

 神崎を捉えることのできない女は全方位を警戒し防壁魔法を発動していた。

 その分、魔力の消費量は増す。

 その結果が神崎の勝利であった。


 「残すは君だけだ」

 「俺も覚悟は決めた」

 太陽は唾を飲む。

 今まであんなに向いていた殺気のすべてが太陽に向けられる。

 「俺もさすがに疲れたからな。君と馬鹿正直に殴り合いは避けたい。どうやら君完ぺきではないにしろ俺の動きを捉えているみたいだし……ノーリスク・ハイリターンでことを運びたい。だから、一方的に蹂躙するよ」

 

 言葉通りにそこからは一方的な戦いへと移った。


 「―《竜の巣》」

 ゴロゴロと大気が震える。

 ふと外に目をやると雲一つない青空が広がっていた。

 「どういうことだ」

 「一瞬で終わらせる。疑問の答えを知る必要はない―《閃光雷》」

 轟音とともに雷撃が降り注いだ。

 第一分校の大食堂の天井をぶち抜き降り注ぐ雷撃は奇跡的に太陽には一撃たりとも当たらなかった。

 「俺は運がいい」

 「俺は運が悪い。君と俺とは正反対のようだ。あれだけ雷撃を浴びせたのに一つも当らないとは……ショックだよ。けれど、これならどうかな?」

 神崎は手を天に掲げる。

 その手の先には怪物が顔を覗かせていた。

 破壊された天井から覗くそれは視界に収まらないほど巨大で最悪な災厄であった。

 「人は天災には抗えない。それは今の君も同じだ。ここで死んでくれるかい?」

 そして《竜の巣》はゆっくりと降下を始めた。

 そこには絶望しかなかった。

 ―即ち死。

 思わず零れた笑みは生を諦めた者の敗北宣言であった。

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