1-10 雷神Ⅱ
足を一歩踏み出す度にピチャッと赤い液体が跳ねる。
高天原こと魔導学院第一分校に支給される制服は白を基調とし、ボタンなどの装飾品は金で統一してあり、左胸にはバビロンの塔をモチーフにした校章が縫い付けられている。そして、制服は見た目以上に通気性がよく伸縮性がある。
どのような仕組みなのかは知らないが、制服の繊維はそこいらの防弾服よりも強固な作りになっているという。
異世界の技術を応用したものであることは間違いない。
政府により建設された七つの機関に支給された制服は、さながら所属分けをされた軍服であった。
帰還者は戦力として使い潰される。
革命が必要なんだ。
日本だけではない。
全世界にいる帰還者―生物兵器に希望を。
そのために青年は戦うことを決意した。
カツン……カツン、と二つの足音が長い渡り廊下にこだまする。
足音の主と向き合う。
青年にとって目の前の二人は言うなれば絶望であった。
青年は絶望と対峙する。
帰還者たちの希望と帰還者たちの絶望とが今、戦場に立った。
*
漂う空気が日常のそれとは違い一向に気が落ち着かない。
「なんか嫌な空気だな」
太陽は隣を歩く少女に喋りかける。
「ええ、そうですね。微かに血の臭いがします」
(―血!?)
平然と言ってのけるフェリスの精神を一瞬疑ったが十傑という立場を考えるとこうした状況にも慣れているものかもしれないと納得する。
二人の歩調に変化はない。
「急がなくてもいいのか?」
緊急事態であるはずにも拘らずフェリスはその優雅な歩行を崩すことはない。
「何故ですか?」
「何故って……」
「ああ、なるほど」
フェリスは手を叩く仕草すると謎が解けた! といった表情で続けた。
「急ぐ必要はないですよ。あの人のことですから、すでに戦闘は終わっているでしょうし、山吹さんもどうやら負けたようなので今頃、血の海の上で一人勝利の余韻にでも浸っているのでしょう。それに焦って向かったところで万全の状態で挑まないことにはそこには敗北しかありませんよ」
「万全の状態と言っても今更何もできないしなぁ……」
「それでは戦う相手の情報でも整理しておきましょうか」
そう言うとフェリスは帰還者たちの希望について話し始めた。
*
目の前に立つ少女は僅かに笑みを浮かべ、少年は目の前の惨状に息を呑んでいる。
経験―潜り抜けてきた修羅場の数だけ少女の方が少年よりもこの状況に適応するのが早いようだ。
しかし、死体の山にそこから流れる血の海を見て微笑む少女というのは相当怖い。
「どうかなさいましたか? そんなにジロジロと嘗め回すように見つめられると気分を害します。それに女性にそんな熱視線を送っていたら嫌われてしまいますよ」
「そんなつもりはなかったんだけど……酷い言われようだね」
少女の容赦ない言葉に打ちひしがれる。
(嫌われてるなぁ~)
分かり切っていたことではあるが敵対する相手に好悪で言えば悪の感情は抱いても好の感情を抱くことはないのだ。
それでも、青年は悪の感情を抱く者も救いたいと願う。
「フェリスちゃん、邪魔しないでもらえるかな?」
「それはできません。十傑の一人としてあなたの暴走を治めるのが今の私の使命です」
「そうかい……それじゃあ仕方ないね。太陽君の方は退いてくれないのかな?」
少年と視線がぶつかる。
(ああ、やはり僕はアナタの息子とことを構えることになりそうです)
「俺は戦う。どんな理由があるにしろ誰かの犠牲の上に成り立つ平和など存在しない」
「ふん、そんなのは詭弁だよ。太陽君、世界は君が思っている以上に残酷だよ」
「だったら俺は―俺が世界を変えてやる!!」
次の瞬間、少年と青年は衝突した。
*
拮抗していたかに思えた二つの力の優劣は決した。
繰り出される互いの拳が生み出す衝撃は窓ガラスを粉砕し、暴風を生み出す。
繰り出される拳の威力は互角。
しかし、決定的な違いが二人の間には存在した。
経験と知識、そして自己理解である。
純粋な戦闘力は経験と知識を凌駕する。
しかし付属的な戦闘力―特異能力は自己理解に依存するところが大きい。
特異能力は自身の中にある魔力、扱うことのできる魔力量を知ることが必要である。
そして、自分が人ではないことを知ることが必要である。
少年は知らず、青年は知っている。
自分を知っているか否か、その差が勝敗を分かつ。
雷神である神崎は自らの拳に雷神としての力を上乗せする。放たれる拳は青白い火花を散らしながら太陽の身体に減り込む。
拳が太陽の身体に入った瞬間電撃が身体を貫く。
身体が焼ける。
苦痛に顔を歪めながらも太陽は神崎から視線を外さない。
「痛ってぇ……」
「驚いたな」
感心するように神崎は呟いた。
「普通なら死んでいる攻撃だと思うんだが……まあ、あの人の息子だしな」
勝手に納得している神崎に声がかけられる。
「余所見をしていてよろしいのですか?」
「ああ、問題はないよ。フェリスちゃん」
「随分と余裕かましてくれますね。実に不愉快です」
「確かにフェリスちゃんの魔法は強力だし、固有魔法の爆発的感染は厄介だけど一対多数で力を発揮する類のものだからね。僕の敵ではないかな」
「だから貴方一人でことを起こしたということですか?」
神崎は少し考えるしぐさを見せたがすぐに向き直って続けた。
「それはあまり関係ないかな。だってフェリスちゃん僕の敵じゃないし」
「嘗められたものですね」
フェリスの正面に魔法陣が展開される。
魔法陣に魔力が注がれその輝きが増すとともに増殖し部屋一面を覆う。
「滅ぼせ―デストロイ」
魔法陣から黒い霧が放出され部屋に充満する。
神崎は地面を蹴ってフェリスとの距離を縮める。
神崎の蹴った地面はクレーターのような凹が穿たれる。
風を纏い迫る神崎の拳にフェリスは冷静に魔方陣を展開させる。
「ボルトスパーク」
放たれた雷撃にも神崎は速度を緩めることなく突っ込む。
「本当に厄介ですね」
呆れた様子で嘆息すると再び手を翳し魔法陣を展開する。
「
あと一歩で神崎の拳が届く瞬間、神崎の動きが止まった。
「ほう、重力操作か……高位魔法だな」
「ええ、一応これでも魔女と呼ばれる魔導師ですから」
「でもフェリスちゃん一人の力ではここが限界だね。放て―放雷」
青白い火花とともに雷撃が飛ぶ。
地面を転がるフェリスに神崎は告げる。
「今の君と僕とでは決定的な差がある。その姿で僕に挑もうとは、僕も随分と嘗められたものだね。この僕と―雷神トールと戦いのであれば本来の姿で挑むのがせめてもの礼儀ではないのかな?」
笑みを浮かべる神崎の瞳はすでにフェリスへの興味をなくしていた。
そして神崎が新たに興味を示したのは、先程格付けを済ませたばかりの太陽であった。
「面白い」
その瞳は新しいおもちゃを与えられた子どものように喜びに満ち、そして同時に、狂気に満ちていた。
*
身体に突き刺さるような痛みは一瞬の内に凝縮されて身体を貫いた。
「カハッ……」
一向に収まる気配のない胸の鼓動は血液を全身へ忙しなく送り出している。
咳き込むたびに吐血を繰り返す。
手の甲で口元を拭うと赤黒く生々しい血液が自らの敗北を物語っていた。
目の前では人外の力を行使した戦いが繰り広げられている。
「トールは大人気ないよねぇ」
―!?
「アンタは―」
「先程ぶりだね、太陽君」
「アンタの顔は記憶にないんだが」
「私はあなたのことを存じております」
「でもなぁ、そんな面をしている知り合いがいれば忘れることはないと思うんだがなぁ」
太陽に声をかけた男(?)は、何らかの鳥を象った面で顔を隠していた。
怪しいことこの上ない。
「ああ、なるほど―この姿でお会いするのは初めてでしたね。私、名をトトと申します。以後お見知りおきを」
「それでそのトトさんが俺に何の用だよ。それによくこの状況でよく平然と傍観者に徹することができるな」
「それが私の役割なので」
「役割?」
「あなたの役割は一体何なのでしょう?」
「知らねぇよ」
面の所為で表情は読み取れないが呆れていることは予想がつく。
「何だよ。文句あんのか?」
「はあ、無知とは罪だね」
ごく自然に人を馬鹿にするなこの人。
悪気がない分まだマシか……。
「俺が何を知らないって?」
「あなた自身のことですよ。あなたは自分が何者で何を成し遂げる存在なのか、そして自己現実を図る手段を知らない。本当に何も知らない無知を体現された方ですね」
「喧嘩売ってんのかアンタ?」
「いいえ、決してそのようなことはない……はずです……」
「最後の方怪しかったけど、まあいいや、それでアンタは何しに来たの?」
鳥面は声のトーンを落とし真剣な顔(?)で告げた。
「あなたがトールに勝つための方法―手段ですよ」
「面白い」
一言、その声が耳に届いた時には神崎の拳は目の前まで迫っていた。
勝つための手段。
言うのは簡単でも実践するとなると話は別だ。
トトと名乗った鳥面は言った。
「特異能力使えば勝てんじゃね?」と。
ムカつくほどに傍観者が板についている鳥面はさらに付け足した。
「願えば叶う。それが君の能力……かな?」と。
クエションマークが語尾につくことしか言っていない鳥面は最後に「頑張ってね」と言うと姿を消した。
やるしかない。
迫る拳は回避不可能。
防御は……自信がない。
残されたのは迎撃。
太陽は拳を握ると真っ直ぐに振り抜いた。
ダメだ、あと一歩届かない。
神崎の拳の方が一瞬早く太陽に到達する。
(諦めない。まだ、やれる)
太陽は願う。
「届けえぇぇェェェェェぇぇェェェぇぇぇ!!」
太陽の放った拳は神崎の身体に触れるよりも前に炸裂した。
神崎の身体は吹き飛ばされ、身体をくの字にしたまま地面に転がった。
(やったのか?)
希望的観測は大概外れる。
神崎はゆっくりとした動作で起き上がると制服に付いた埃を払う。
(ああ、全然やれてないわぁ~)
「ピンピンしてやがる」
「いやいや、結構効いたよ」
「でもまあ、これでようやくアナタと遣り合えそうです」
互いに浮かべた笑みを浮かべる。
二人は死合を繰り広げている者同士にしかわからない高揚感に満ち溢れていた。
「それじゃあ、第2ラウンドと行こうか」
踏み出す二人は世界の命運を背負う。
しかし、二人の目には目の前の敵しか映ってはいない。
最後まで立っていた方が勝者。
いたって単純な話である。
そこからは純粋な暴力の応酬となった。
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