1-8 魔導学院Ⅲ

 ようやく動き出した軌道エレベーターの中は緊張感で満ちていた。それはこれから待ち受けている事態の収拾へのプレッシャー、焦り、そうしたさまざまな練り合わされた感情に押し潰されそうになりながらも必死に平静を保つ。

 先程、窓の外に見えた人影は間違いなく第一分校の頂点に君臨する十傑序列第五位の山吹凛だった。

 彼女ほどの強者がやられたとでもいうのか。

 国家戦力である彼女を倒すことができる者……そんな人物は限られている。

 同じ十傑以外にはありえない。

 すると敵は十傑にして危険分子でもある神崎徹である可能性が高い。

 私に対処することができるだろうか。序列の上でも相手の方が上位に位置し、一度たりとも底を見せたことはない。おそらく実力は相手の方が上……。

 ならば、一旦ここは退いて戦力を整えるべきか。

 ああ、このように頭を悩ませている時点で勝敗は決しているのかもしれない。

 フェリスは急速に自身の思考が物事を悪い方向へと捉えていることに気が付く。しかし、自分一人ではどうすることもできない。

 私はどうすれば―。

 挫けそうになる心を必死に奮い立たせる。

 私では無理だ……。

 心が折れる―。

 「大丈夫」

 優しい声とともに頭に手が置かれる。

 「俺も力を貸す」

 なぜかはわからない。

 それでも確信できた。

 もう大丈夫だと。

 フェリスは小さく頷いた。

 「ええ、頼りにしていますよ」

 

 *


 「はい……かしこまりました。仰せのままに、それでは失礼いたします」

 電話を切ると男は一つため息をついた。

 「どうかなされたのですか」

 「いや、なんということはない。ただ、世界の節目をこの目で見たかったと思ってな……」

 「世界の節目ですか」

 「ああ、世界は変わるぞ、どちらに転ぶのかわからんが……いや、最高師範が負けるはずはないか」

 「先程の電話は最高師範からだったのですか?」

 「ああ、戦いが近いらしい」

 「それは私も見てみたいものです」

 「ああ、私もだ」

 しかし、私はここから動くことはできない。

 この場所を、そしてこの場所に集いし者たちを護る。それが男に与えられた使命であった。

 「そろそろお時間です。師範」

 「ああ、行こうか」

 そう言うと男は重い腰を上げるようにゆっくりと立ち上がり、同志の下へと向かう。

 玄武館師範として創設者にして最高師範である神崎徹の帰還を信じ、男は今日も師範としての務めを果たす。


 *


 軌道エレベーターの終着点―魔導学院第一分校正門前。

 開いた扉から僅かに温かみを帯びた風が流れ込んでくる。

 ゆっくりとした動作で外へと出る。

 辺りを見回す。

 「誰もいないみたいだな」

 太陽は確認するように言葉をかける。

 「ええ、そのようです」

 周囲への警戒を緩めることなく二人は正門へと向かう。

 魔導学院とは違い幻術等で姿を偽っているということはないようだ。

 軌道エレベーターでどれほど昇ってきたのかはわからないが飛行機が飛ぶような高度は優に超えていることが窺えた。

 「やっぱり、でかいな」

 中央魔導学院には及ばないもののその全容は正門側から見ただけでは把握することは困難だった。

 「どこの分校もこのくらいの大きさはありますよ」

 魔導学院に籍を置くフェリスは驚く様子なく淡々と第一分校の説明をする。

 「……というように高天原事第一分校には神崎さんを含む三名の十傑が籍を置いています」

 「そして、さっき窓の外に見えていたのがそう十傑の一人だと」

 「おそらく、間違いないかと思います」

 二人の目の前の景色が歪んだ。

 「下がってください」

 警戒レベルを一段階引き上げたフェリスはすぐにアクションを起こした。

 両手を前方へと突き出すと魔法式を唱える。

 フェリスの前方に黄色く輝く魔方陣が浮かび上がる。

 「ショット」

 フェリスの声とともに魔方陣から幾つもの光の球が放たれた。

 光の球は不自然に歪んだ空間へと吸い込まれるようにして消えた。

 「消し飛びましたか」

 言葉とは裏腹に表情をより一層引き締めるフェリス。

 まだ終わっていないのか、と太陽が気を引き締めようとしたその時不意に肩に手が置かれた。

 驚き、振り向くとそこには目を細めて笑いかける青年の姿があった。


 太陽は、此奴誰だ、とあからさまに警戒心を前面に押し出した表情を浮かべる。

 敵意は感じないが味方というわけでもないらしい。気配を消して後ろから近づくような奴は敵として対応するくらいで丁度いい。しかし、本当に気配をまったく感じなかった。只者ではないことは確かだった。

 「君たちはこれからどうする?」

 質問の意図を測り兼ねていると続けて青年は問う。

 「相手は神崎徹だ、あの人の力は本物だぞ。今なら引き返すことができる。君たちはどちらを選択するのかな? ああ、楽しみだ。こうした争い事は傍観者に徹するに限る」

 本当に楽しそうに笑う。

 性格は悪そうだが嘘は吐いてはいないようだ。

 「貴方は相変わらず傍観者志望なのですね」

 フェリスはため息を吐く。

 「もちろんだよ。世界の変革の瞬間をこの目で他人事のように観察できるというのは十傑故の特権だよねぇ~」

 「そのような考えを持っているのは貴方くらいです」とフェリスは眉をひそめる。

 「いやいや、そんなことないよ。大半の十傑は今回の件に関しては傍観者に徹するつもりみたいだよ。それが利口だと思うけどね」

 「どういう意味ですか?」

 「簡単な話だよ。同じ十傑でも英傑と神との間には越えられない壁があるでしょ?」

 なぜ決まりきったことを質問するのだ、と言わんばかりに両手を広げて首を傾げたアクションを取る。

 何か癇に障る人だな、と思いながらも太陽は二人の会話を静聴していた。

 「太陽さんはどうしますか」

 「どうするって?」

 「戦うのか戦わないのか、どちらにしますか」

 フェリスは尋ねるように話してはいるがその実、確信しているようであった。

 ここは彼女に応えてあげるべきだろう、と返答する。

 「もちろん戦いますよ」

 一瞬、フェリスが笑ったように見えた。

 「そうかい、それが君たちの選択なんだね。それじゃあ僕は傍観者として楽しませてもらうよ」と声が割り込んできたかと思うとその声の発生源はすでに姿を消していた。

 「あの人は本当に今回の件にかかわる気はないようですね」

 「ねえ、フェリス」

 「はい、なんでしょうか?」

 「さっきの人も十傑なの?」

 「ええ、そうですよ。序列八位を務めてはいるのですが……やる気がないというか超が付くほどの消極的性格でほとんど仕事はしません」

 「だろうな。あの感じは兄さんに少し似ていたから」

 「太陽さんのお兄さんは月光さんですよね」

 「あれ? 俺、兄さんのこと話した?」

 「いいえ、ですが有名ですよ。なんと言ったって序列一位ですからね」

 「月光がなんだって?」

 「ですから月光さんが十傑の序列第一位だと先程から申し上げております」

 マジか……この国の頂にいるのが自分の兄だとは……。

 しかし、問題はそこではない。

 「月光の奴……」

 何で何も教えてくれなかったんだ。当時は十歳で世の中のことはほとんど何も知らなかったけれど便りの一つでも寄こしたらいいじゃないか、と腹が立ってきた。

 しかし幼少の頃に学校に通いたくないから政治を担う存在、しいて言えばピラミッドの頂である。になりたいという妄言をしていたがある意味その妄言を実現させてしまっているのだから流石と称賛するほかない。

 十傑入りにどれほどの時間を要したのかわからない。

 十傑の頂点―頂に君臨するに至るまでにどれほどの困難があったのかわからない。

 何もわからない。

 それでも兄は兄。

 最愛の家族であることには変わらない。

 いつも兄は弟の前を歩きそして時折後ろを振り返る。

 弟がしっかりと自分の後をついてきているのか、と。

 いつでもその背中を追う弟は兄に嫉妬することすら忘れていた。そんな弟は状況が全くつかめない状況の中で兄に嫉妬した。

 俺にも力があれば。と。

 

 太陽は知っていた。

 いつも兄という生き物は弟を心配して陰ながらこちらの様子を窺っていたことを。

 「見てるんだろ? 月光」

 確信があった。

 双子の兄弟には目に見えない運命力が働いている。

 その運命力の前には世界すら、まして神であったとしても抗うことはできない。

 実際にその通りだった。

 「よく気づけたな、太陽」

 蜃気楼のように突如として姿を現した月光にフェリスは驚きの声を漏らす。

 「月光さん!?」

 目を見開きパチパチと瞬かせているフェリスには目を向けることなく太陽と向き合った。

 「お前は今すぐ引き返せ太陽」

 「ああ? 何言ってんだよ月光。何が起きてるか知らねぇけど見て見ぬふりなんか俺はできねぇよ」

 「知ってるよ。お前のことは俺が誰よりもな……だから教えておいてやる。今のお前では奴には勝てんよ……本来の力を行使できれば話は別だが、やはり今のままでは無理だな」

 「随分と厳しいな」

 「当たり前だ。お前に死なれては困る。それに相手が悪い。相手は神だぞ」

 「神?」

 「ああ、文字通りの神という存在―それが神崎徹という男だ」

 

 神との敵対。

 途方もない戦いが待ち受けていることだけは確か、か……。

 一方的に語って跡形もなく掻き消えた兄は最後まで弟を神崎とぶつけることを避けようとしていたが、最後には呆れたように嘆息し、そして消えていった。

 諦めたというより、距離を取って見守ることに重きを置いただけのような気がする。

 どうせ近くでこちらを窺っているであろう兄の存在は安心感を与えてくれる。

 黙って見守っていればいいよ、と誰にも聞こえない声で呟く。

 「太陽さん、どうかなさいました?」

 「いや、なんでもないよ、行こう」

 意を決して正門をくぐり高天原へと足を踏み入れる。

 白銀の髪を靡かせる幼女体型の少女と、それに付き添うように歩く少年は襟足を伸ばして遊ばせ、軽く背中を丸め、両手をポケットに差し入れたまま気怠そうに歩を進めた。

 世界の命運を握っていると考えると気怠くもなる。

 何せこれから神様とことを構えるのだから。

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